獅子帰還 Ⅱ

 ツァーリの王都・ナステューカの中央部は鬱蒼たる森におおわれている。ゆえに「緑砦」と呼びならわされてきた。
 叛乱勃発より十数年前。国王に嫁するため、一人の姫が南の国シェノレスから連れてこられた。男児を産み、「緑砦」の中に館を与えられたが、数年ののち病を得て静養のため一時国に帰ることとなった。
 残される男児のために侍ることができたのは、乳母とその係累数名のみであった。あとの者はすべて姫と共に故国へ帰されたのである。…療養の甲斐なく姫が没したあとも、彼らがツァーリへ渡ることは許されなかった。
 すべては、宰相の采配に依った。
 以後、館では宮廷から差向けられた者たちが用を務めた。遺された男児は王の長子として相応の教育を受けることができたし、物質的に不自由することは決してなかった。
 しかし、男児の許に残ることができた乳母とその係累数名は、警戒感を強めざるを得なかった。
 当の男児に最初から然程の緊張感があったわけではない。だが、聡いことがある意味不幸でもあった。実害はないのだから、情勢を知らなければそれなりに安穏な日々を送ることができたはずなのだ。
 周囲の緊張感は、やがて聡い子供の感じ取るところとなる。…そして、その原因を知ろうとした。
 教師として館を出入りする者たちに直截に尋ねたりはしなかったのは、少年なりの警戒ではあっただろう。しかしその代わり、乳母の一族である近侍すら出し抜いて頻々と微行するようになったのである。
 一体、何処を出歩いていたものか。
 そして、何を見て、何を聞いたのか。だが、その結果、彼はそれによって理解した。病を得た母親が故国へ送り返された背景を。
 ・・・曰く、「人質は一人いれば十分」
 それまでどこに隠し持っていた、というような行動力を数カ月で使い切った彼は、館から抜け出す癖はそのままに、森に散在する廃屋のひとつに潜り込んでは終日ひねもす書籍を読み耽るようになっていった。
 暖かな陽光の色彩を纏う髪と、若草色の双眸はどちらかといえば茫洋とした印象すら抱かせる。もの柔らかに笑い、怒りや悲しみといった負の感情を面に表すことがほとんどない。まだ十歳やそこらとは思えないような落ち着きようであり、国王はそれを母を失ったが故と不憫に思い、十歳の誕生日を期に太子として立てることを決意する。
 宰相は黙認した。だが国王カスファーとの間に既に男児を儲けていた宰相の娘・レリアがシェノレスの妃亡き後、正式に立后した。
 その男児が生来病弱であったため長子を廃してまで立太子する理由が立たなかったのだというのが大勢たいせいの見方であった。後ろ盾とてない男児ひとり、第二子が成長してからどうにでもなると考えたのかもしれない。
 かくて、ツァーリに嫁した周辺四国の娘の生んだ王子としては異例の立太子が行われた。
 サーレスク大公・ツァーリ王太子ツェサレーヴィチアリエルの誕生である。

***

 地震によって建物の半ばが崩壊したその僧院は、数代前の院長が集めた稀覯本を集めた書庫があった。入口が塞がれてしまったのと、その後の院長が修復に熱意を示さなかった所為で放置されていたが、子供ならば容易に入り込める隙間は随所に存在した。
 廃園の木漏れ陽は本を読むには丁度良かった。書庫に潜り込んでは、崩れかけた広間の階段を椅子にして、持ち出した本に時を忘れた。
 傍から見れば、自身があるじたる館があるのだから、こんな廃屋にひきこもる積極的な理由があるとは思えないだろう。しかし、彼にしてみれば、自身の館さえ安閑とできる場所ではなかった。
 乳母やその子である侍衛士はアリエルの身辺に残された数少ないシェノレスの出身者であった。信頼しないわけではないが、彼らの持つ警戒感が時に肌を刺すようで、あまり落ち着けないのだ。
 微風が起こす葉擦れの音と、遠く近く囀る鳥の聲。廃園の静穏が、彼にとっては無上の贅沢であった。
 だからその静謐が前触れもなく破られた一瞬、アリエルは自身の鼓動が停止したかと思った。貴重な古書を思わず取り落としてしまい、たっぷり5つは数えられるほどの空隙のあと、慌てて拾い上げる。
 崩れかけた石扉を少し強引に開ける音で静謐を破ったのは、自分と同じ年頃の少年だった。
 まず目を奪ったのは、双眼で峻烈な光を放つ紫水晶アメジスト。つやの良い黒髪は後ろで括られていたが、纏めようが少々雑なものでおさまりきらない髪が微風に揺れている。衣服から見て、ノーアからの客人というところだろうか。身体相応の丈ではあるが、重厚な剣を吊っている。
「…ああ、すまない。先客がいるとは思わなかった」
 先方もそれなりに驚いたらしい。一瞬、剣の柄に手がいっていたのをアリエルは見た。護身用とはいえ殆ど飾りでしかないアリエルの佩剣とは違う。明らかに実戦向きに鍛えられたものであるのが解った。
「ここに前の院長が蒐集した書籍が管理されることもなく放置されてると聞いて、状態を見に来たんだが…この分じゃ、そう悪くないみたいだな」
 少年がアリエルの手元にある書籍を見て、そう言った。
「…そうですね。ここの書籍、どこかへ運ばれるのですか?」
「そうだけど…」
 少年が言い淀む。森の中で朽ちさせるには惜しい蒐集品コレクションだと聞いてきたのだが、どうにも、持っていきにくい雰囲気だ。どうしたものかと思案するように黒髪をかき回す。
「俺はリオライ。別にここの本について何の権利があるわけでもない。でも、朽ちさせるのも惜しい本があると聞いた。放置されてるものならちゃんとした管理者のいるところに収蔵させようと思って来たんだが…」
 ふと、名案を思いついたように顔を輝かせて少年が言った。
「よかったら、整理を手伝ってくれると助かるな。そしたら、おまえも好きな時に読めるだろう」
「いいんですか?」
「その分じゃ、ここの内部にも詳しそうだし…どのみち目録リストを作らなけりゃならないだろうから、手伝ってくれれば有難い」
 アリエルは暫時、視線を宙に彷徨わせた。この静穏を手放すのは惜しいが、リオライと名乗った少年の言うことは筋が通っている。
「こちらこそ、ありがとう。いつも来られるわけじゃないけれど、なるべく手伝わせてください。…私は、アリエルといいます」
 ゆっくりと立ち上がり、アリエルは手を差し出した。
 ツァーリ王太子ツェサレーヴィチ、サーレスク大公…今の自分には重すぎてあまり意味を成さない呼称は省いた。リオライと名乗った少年も…故意かアリエルに倣ったか、敢えて名前ファーストネームにとどめていた所為もある。
「じゃあアリエル。宜しくな」
 リオライもまた、莞爾としてその手を取った。
 硬い、剣を持ち慣れた手だとアリエルは思った。
 実態はどうあれノーアは表面上同盟国であるから、ノーア貴族の子弟が一時期ツァーリ宮廷に身を置くことは珍しくない。ノーアの貴族、とくに長子は例外なく武人としての教育を受け、十二、三歳ともなれば北方民族との戦で初陣を経験している者もいると聞いた。何人か会ったこともあるが、あくまで自分よりも歳上の者達ばかりで、同年代の少年と会ったり話したりしたことは無かったが…。

***

 貴重な書は、王室ゆかりの修道院に収蔵されることになっていた。ユーディナの文書館は王立の図書館とでも言うべき場所であったが、管理実務は宰相ヴォリス家が管掌するところであった。
 現在の管理者、アレクセイ=ハリコフは宰相家に連なる者ではあったが、いうなれば傍流で栄達とは程遠い軌道を歩んでいた。文書館に頻々と出入りしていた王太子を当然識っていたし、アリエルもこの管理者には相応の信をおいていた。だから、アリエルは収蔵先がユーディナの文書館であることに安堵を覚えてもいたのである。
 朝から晩まで書籍に埋もれて生計が立つなら本望、という人物であり、宮廷での栄達に全く興味がないためアリエルの微妙な立場にも全く拘泥することなく接してくれた。ある意味、宰相の思惑に戦々恐々としているシェノレス出身の近侍たちよりも余程話がしやすかったともいえる。
 その日から数ヶ月間、アリエルはその書庫の整理のために通うことになった。目録作りはともかく、実際に本を運ぶ段になると、リオライは十分な人手を連れてきており、その指導的な立場にあることがアリエルにも解った。
 アリエルとしては、リオライの素姓を詮索するつもりはなかったが、リオライが連れている面々の恰好がばらばらであることで、ノーア貴族の子弟、という認識に漠然とした違和感を覚え始めていた。
 さて、ユーディナ文書館司書長アレクセイ=ハリコフにとってややこしいのは、双方の事情が理解っているということであった。
 初めてリオライと共に書庫を訪れたアリエルを見て、アレクセイは一瞬相応の礼を執るべきかどうか迷った。実のところ、普段はアリエルの意向で館内では王族に対する礼を省略しているのだが、同伴者がいればそうも行かぬ。しかも、この同伴者というのが。
 アリエルとしてはただ単純に、自分の素性を喧伝したくないだけなのだろうが。
 結局、その時はアリエルの声なき懇請に沈黙を守ることになるが、こればかりは一応確認が必要であった。
「…リオライ様。念のために訊いてみるんですが…」
 アレクセイは後年、リオライの幕僚として名を連ねることになる人物で、本来ヴォリス家を主筋として仕える身の上でもあったから自然とリオライに対しても敬称つきであった。そのアレクセイの…見るからに熟慮の上での問いに、リオライはややうんざりしたように項垂れる。それは、リオライ自身が彼なりに悩んだからでもあった。
「言わんでくれアレクセイ…」
 立太子されたばかりの王子と、宰相の嗣子。普通に考えれば、その友誼に何も問題は無い。…ただ一つ、宰相がその王太子を廃嫡したがっているという、市井ちまたに出れば子供でも知っている噂を除けば。
先方ツェサレーヴィチはどうやらまだあなたのことに気づいてはおられないようですが…?」
「俺はこの服装ナリだから、ノーアの人間だと思ってるんだろう。…まあ、俺としてはそうありたいと心から思ってるけど」
「またそれを言う。それを言い出すと話がややこしくなりますから、とりあえずこっちへ置いときましょう。
 本来、ああ見えて年齢不相応なくらい慎重な方なんですよ。どういうわけだか、あなたに対してはこっちが吃驚するくらい無警戒ですが」
「…いずれ、ばれる。隠すつもりなんかなかったけど、最初に言い損ねるとどうにもなぁ…。大体、なんて言やぁいいんだよ?」
「そのままをお話するしかないでしょう。他にどうしようもありませんよ。…時期が難しいというだけで」
「…それしかないよな」
 年齢不相応と言えばあなたもそうなんですがね、とアレクセイは心中ひとりごちた。ノーア大公の猶子で、宰相の嗣子。そんな出自を理屈でなく納得させる何かを持っている、だが今は子供。自身の居場所を懸命に探っているという意味において、確かにアリエルと似た部分を持っているように思えた。
「…なあアレクセイ。親爺殿は、本当にサーレスク大公を廃嫡したがっていると思うか?」
 だしぬけに、書庫の静謐のなかでするには不穏な質問を、リオライはした。だが、この司書は些かも動じずに、しかも子供相手の話では決してありえない冷徹な見解を述べた。
 それは、アレクセイなりの礼儀であった。
「今は違うでしょう。レリア様のお産みになったリュース様がおられるとはいえ、噂されるとおりリュース様はあまり頑健とは言いづらいお身体ですから…積極的に王太子たるアリエル殿下を廃嫡なさる理由は現時点においては無い。…ですが、大公が将来閣下の意志に背くようであれば、容赦はしないと思います」
 それは、リオライの見解とも完全に一致していたのだろう。リオライは、小さく息を吐いて言った。
「…俺は親爺殿が嫌いだし、正直、自分自身まだあまりツァーリの人間だっていう意識はない」
「本当に正直ですねぇ」
 アレクセイは苦笑いした。ここらあたりが傅役もりやくたちに天を仰がせる所以なのだが、それはリオライだけの所為ではないのだから一概に叱れもしない。ある意味局外者であり、だがその行く先を案じているアレクセイとしては複雑なところだ。
「宰相職だって、なにもヴォリスの嫡流にこだわる必要はないじゃないか。その能力がある人間なら誰だっていいはずだ。アレクセイ、お前だってヴォリスの流れをくんでるんだろう。そこいらの高官どもより余程学もあるし、俺の代わりに宰相になれよ。喧しい奴らがいるかも知れないけど、俺は応援するぞ」
「さらっと物騒なこと言わないでくださいよ!私はこの生活が気に入っているんです」
 話がとんでもない方向に傾きかけたので、少しおどけた様子で喉を撫でた。が、その直後…リオライの存外真剣な言葉に、思わず呼吸いきを停める。
「…でも、あいつが国王になるというなら…俺は親爺殿の跡を継いでもいい」
 アレクセイは瞠目した。継ぐべき言葉に詰まり、暫時沈黙する。
「…宰相閣下がそれをお聞きになったら、サーレスク大公が廃されることはないでしょうね」
 ようやくそれだけ言ったが、言えなかったこともある。
 …あなたが、閣下の意志に背かない限り。
 そう、そこが問題なのだ。宰相はツァーリを護り栄えさせるという目的のためならいかなる犠牲も厭わない。それがおそらく、嗣子たるリオライであってもだ。今はいい。リオライがいかに不穏な言動をしようが、いまなら戯言、子供の我儘で済まされる。だが今後、成長したリオライが宰相の意志に逆らったとき…。
 聡明な少年だ。だが、否、だからこそ…いつか何らかのかたちで父宰相とも衝突する日が来る。それを思うとき、アレクセイは暗然とするしかない。
「それはそれとして…とりあえずどうするんです。明後日なんでしょう」
 些か無理矢理に話を変えてしまったが、少年はそれを聞いて頭を抱えた。
「…だからそれを言わんでくれ。頭が痛い」
 行事自体はさして重要なものではない。…問題は、リオライが宰相の嗣子として列席しなければならないということ。今まで何のかのと理由をつけて避けてきたが、ノーアへ発つ前にどうしても一度正式な謁見をしなければならない仕儀と相成ったのである。

***

 宰相に自分と同年代の嗣子がいる、という話はアリエルも聞いたことがあった。事情があってナステューカを離れていたが、今度正式に国王に目通りするとか。アリエルは既に国事のいくつかに同席しており、その謁見にも立ち会うことになっていた。
 そう構えるほどのことでもない。宰相位がこの国においてほぼ世襲である以上、ヴォリス家の嗣子というならほぼ間違いなく次代宰相となる人物で、いずれ毎日でも顔をあわせなければならないのである。むしろ、今まで名前すら知らなかったことのほうが奇妙でさえあった。
 宰相が自分を見る時の、峻厳で、怜悧で、外側からの感情の洞察を一切許さない眼。それを思うと、その嗣子という人物に会うのも正直気が重かった。最近は廃園で出会った友人と過ごす時間が愉しくて、そのことをすっかり忘れていたのだが。
 ――――だからその当日、宰相の後方に控える少年が見知った顔であることに気付いた時、アリエルは顔が強張るのを感じた。

***

 絶対、引き攣ってたよな。
 謁見の翌日のことである。王城の森を単騎で駆け抜けながら、リオライはノーアの原野でサマンの偵察兵に遭遇した時よりも緊張していた。
 決まり切った儀礼の台詞ことばというものを、リオライはああいうときだけ有難いと思う。
『宰相ジェド=ヴォリスの一子、リオライと申します。未だ若輩なれど、王国に微力献じつかまつる所存。国王陛下と王太子殿下、そして王国に永遠の忠誠を』
 あの場でそれ以上を何か口にすることなど、そもそも許されてはいない。だが、それだけを声を揺らさずに言い終えるのがやっとだった。
 アリエルがツァーリの正装を身に纏った自分リオライ=ヴォリスを見た一瞬、透明な表情が一瞬、感情の揺らめきを映したのは解った。だが、それ以上を見続けることができずについ顔を伏せてしまった。
 莫迦じゃないのか、俺は。
 許されて顔をあげたとき、アリエルの静かなおもてにあったのはただ透明な静謐。だがそれは何一つ窺い知ることを許さない穏やかな拒絶。アリエルが自身を護るために作り出した鎧。あんな表情を、リオライは初めて見た。
 会って話がしたかった。何をどう言えばいいのか、実はまだうまくまとまっていない。しかし、このままノーアへ帰ることはできなかった。ツァーリへ来る時には何のかのと理由とつけては渋り、ノーアへ戻る時には予定よりも早いことが常だったリオライが、殆ど初めて出立を延ばした。目通りであるとともに、出立の挨拶でもあった謁見ののち、館へ下がって供回りが最後の支度にかかっている間に、馬を駆って館を抜け出したのだ。
 サーレスク大公邸の位置は知っている。だが、そこに押し掛けるのも憚られたし、何より今邸へ行っても会えないような気がしていた。…だから、リオライが目指したのは。
 木々が切れる。目の前に、木々に侵蝕されかかっている古い石組みが見えた。
 手綱をひいたとき、リオライはそこに期待通りの姿を見た…が。
「アリエル…!」
「…あぁ、よかった」
 振り返ったアリエルが穏やかに笑む。だが、その右手はいままで吊っていただけの剣にかけられている。その時になって初めて、その静謐が自然ならざるものによって破られていることに気がついた。普段の彼であればあり得べからざることであるが、ある意味それだけリオライのほうも平静を失っていた。
「…一体…!」
 言いさして、リオライは状況を了解した。…説明不要なほど明快なものが、目の前に展開していた。手に手に武器を携えた男たちがぐるりとアリエルを囲んでいる。アリエルを、というよりその背後にある書庫への入り口をというべきだろう。
「莫迦どもめ…!」
 昨今、住人が絶えた館に侵入しては財物を盗み出す輩がいるとは聞いていた。それにしても、こんな真昼間から堂々と。・・・金銭に換えられるものならば何でも劫掠する連中である。アリエルが出会い頭に殺傷されなかったのは僥倖と言っていい。
 リオライは騎乗のままアリエルと賊の間に割って入った。かちと馬上の視線の差はあったにしても、一瞬、その覇気は彼らを圧する。男たちが動きを止めた。
「警告するぞ。…いますぐこの場を立ち去れ。さもなければ斬る」
 しかし、割って入ったのがアリエルといくらも歳の違わない少年であったからだろう。すぐに軽侮に満ちた笑いが男たちの間にさざなみのように広がっていく。…リオライは動じなかった。自分の力の程を、理解していたからだ。今の自分が彼らからどう見えるかも、また。
 だから、警告の後は行動あるのみであった。乗騎を男たちの攻囲の只中へ駆け込ませたかと思うと、間髪いれず抜剣して先頭に立っていた男の山刀をその腕ごと斬って落とす。その動作のままに左右にいた者の肩と脇腹を斬りつけ、アリエルの傍へ戻った。
「まだやるか?…俺は構わん」
 血の滴る切っ先を向けながら、リオライは言い放った。そのまま全員に斬りかからなかったのは、彼なりの思慮である。相手は二十人を下らない。馬上であるという有利アドバンテージがあるにしても、全員を斬り伏せるのは無理がある。アリエルを護りながらでは尚更だ。
 …それと。
「思いあがるな!」
 山刀を振り上げた手が、空を切る音とともにクロスボウの矢に串刺しとなる。半瞬遅れて、一斉射。
 悲鳴と怒号が飛び交うのを、それを圧する大音声が制した。
「動くな! 武器エモノを捨てて投降しろ!」
 木々の間から数騎の騎兵。草叢の間から弩を構えた兵がずらりと立ち上がる。装備はばらばら、下手をすると賊と大きな違いがないが、その動きは見事に統率されていた。その先頭に立つ人物も徽章がなければ新手の盗賊とも間違われかねない風貌ではあったが、リオライの姿を認めて眼をむいた。その相好は独特の愛嬌があって、盗賊の頭領としてはやや人が好さそうではある。
「絶妙のタイミングだな、エルンスト」
 リオライが剣先を下ろして軽く手を挙げる。衛兵隊第三隊、別名傭兵隊。その隊長・エルンストであった。
「…ってリオライっ!? お前また家出じゃあるまいな。カイ達を泣かすのも大概にしとけよ」
「違う違う。今日はちゃんと言ってから出てきたさ」
 リオライが剣を納めながら笑う。
「まったく、供回りも連れずに森をふらふらしてる時点で十分歎かせてるぞ。言わんことじゃない、こんなちんぴら共に絡まれて怪我したんじゃ莫迦らしいだろうが」
「…まあ、それに関しては上手うわてがいるよ。アリエル、大丈夫か?」
「君のおかげでね」
 その時初めて、エルンストはリオライの後ろにいた人物に気がついて、今度こそ軽く仰け反った。
「…で、殿下!?」
 知らない顔であるはずがない。アリエルはといえば、いつもの穏やかな笑みを返して鷹揚に言った。
「任務、御苦労様です。第三隊は昨今この手の任務が増えていると聞いていますが、本当に大変ですね」
 困惑を両肩に乗せた態で、エルンストが説明を求めるような眼でリオライを見遣る。リオライは笑ってアリエルを馬上へ引き上げ、目配せをしてから馬首を返した。
「じゃ、そういうことで後はよろしく。報告書に余計なコトは書かないでくれよ?」
「…あーわかったわかった。だが、早いところ館へ戻れよ。お前今日、ノーアへ発つんだろ」
「わかってる」
 苦笑いで応じ、リオライが軽く馬腹を蹴る。木立に消える騎影を見送って、副長であるディルがエルンストの傍に馬を寄せた。
「隊長?…あれ…ヴォリスの御曹司でしょ?前に第三隊ウチの修練場で遊んでるの見ましたけど」
「言うなディル…見なかったことにしてやれ。いろいろ複雑らしいし、あれで結構ちゃんと考えてる」
「そりゃ構いませんが…もう一人の御仁もなんか見たことありますよね?」
「それこそ俺たちが関わらなくていいことだ。まあ、リオライが何とかするさ。第一隊あたりの下手な護衛つけるより確かだろうよ」
 ―――――ミオラトの廃園は話をするにはいい場所であったが、こんな騒ぎになってしまっては是非もない。少し離れた、やはり主を失った館址に辿り着くと、リオライは手綱を引いた。
「さすがに凄いね。ノーアは武人としての教育については徹底してるとは聞いていたけど…あれだけの人数で一歩も退かないなんて、そうそうできることじゃないよ」
 アリエルは軽い動作で馬から降りたが、そこで気が抜けたか手近な倒木にふらりと腰掛ける。素直な称賛のまなざしを向けられ、リオライがさすがに照れくさくなって視線を逸らした。
「無茶かもしれないけど、無謀ってわけじゃなかったんだぞ。俺には馬があったしな。大体、おまえこそ無茶だ。ああいうときは、とりあえず逃げるもんだろう」
「でも、あの書庫が荒らされても困るし…何とか、君に会って話がしたかったからね。
 すまない、あの場では何も言えなくて…」
 それは、リオライも同じだった。
「アリエル、俺は…」
 まとまらないままに言いさしたリオライの言葉を、アリエルは穏やかな所作で遮った。そして微笑む。
「…ありがとう、リオライ」
「…え?」
 今度こそ、リオライは言葉を失った。
「正直なところ、今までの私は生き延びることに精一杯で…王国のこととか、王太子の身分とか、そんなことまでとても考えられなかったんだ。…でも、今日思った。君がいてくれるなら、私はこの国で…自分の立場から逃げずにやっていけそうだ、ってね」
「アリエル…」
 俺も同じことを考えていた、と言うべきだったのだろうか。だが、リオライが口にしたのは別のことだった。
「…北でサマンが蠢動を始めている。俺はいったんノーアに戻るが、冬神シアルナがこの地に降るまでには、必ず帰ってくる」
 アリエルが笑って言った。
「そうか…そしたら、私に剣を教えてくれないか」
「いいのか、俺で?一応指南役だっているんだろう?」
「いることはいるけどね。なんて言うか、その…」
 言葉を濁したあたりで、リオライはあまり思い当たりたくもない事情に思い当たってしまう。
 アリエルの身辺はごく近侍の者を除いてほとんどが宰相が差配した者が占めている筈だ。…宰相自身がどう考えているかはともかく、周囲が「宰相は王太子を飼殺しにするつもり」という風聞はリオライの耳にすら届いていた。況や、宰相家やその周辺の禄を食む者たちが自分たちの職務をどう考えているかは自明だ。…アリエルが、遣わされる教師たちを撒いてひとり廃園で書に耽る理由も一つにはその辺りがあった筈。
「…じゃあ、俺も教えられる程度には強くなっておかないと」
 宰相家の嗣子であるということは、いまだに重荷である。嫌ですらある。…だがそれは、目の前にいる友人を助ける立場に立つことを何ら遮らないだろう。何よりも、そうすることで自身も自身の立場を受け容れられそうな気がしていた。
「よろしくな、アリエル」
 この時、王太子ツェサレーヴィチアリエル、リオライ=ヴォリス、共に15歳であった。