第壱話 ”Ordinary but Happy Days” 


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

すべて世はこともなし
第壱話
“Ordinary but Happy Days”

 碇シンジは、斜め後ろの席で隣の女生徒と話しながら鞄に教科書を詰めている転校生をそれとなく見ていた。
 名前は綾波・・・そう、綾波レイと言った。
 この第3新東京市に、転校生は珍しくない。来年遷都が実現すれば首都になろうかという街で、昨年あたりから移入者は急増していた。生徒もそれにつれて増えており、こんな季節外れの転校生だって決して珍しくはないのだ。
 ―――――――けれど。
 光線の加減で青みがかって見えるプラチナブロンド。紅の瞳。紹介のときにミサト先生が「よろこべ男子!」と机を叩いたのも道理、誰もが認める美少女。同じく美少女の誉れ高いアスカとはまた違った趣が、その日のうちにクラス内外の男子生徒を一網打尽にした。
 転入早々貰ったラブレターの数はアスカと張るとか、そうでないとか・・・・。
 ただし今のところ、シンジはそういう騒ぎとは無縁だった。彼自身がまずそのテの情熱にいま一つ積極的になれないというだけではない。幼なじみのアスカという存在が、彼を今の人間関係に安住させていた。
 元来、あまり他人とのコミュニケーションに積極的なたちでもない。
 でも・・・・。
「なぁにじろじろ見てんのよバカシンジ!」
 ぐき。無理やり首の向きを変えられて、シンジは思わず突っ伏した。
「何すんだよ!」
「あんたこそ何ぼさっとしてんのよ!今日は買い物があるからつきあえっていっといたでしょ!!」
「あ、うん・・・・。玄関とこで待っててよ。僕、社会の教材返してこなくっちゃ」
「早くしなさいよね!」
「はいはい」
 シンジは鞄にペンケースを放り込み、肩にひっかけてから教卓の上に置いてあるケースに手をかけた。プラスチックケースだからさして重くはない。中に入っているのは、この第3新東京市の建設中に見つかったという土器・・・というよりそのカケラ。
『ガクジュツ上の一大発見なんだからね~!壊しちゃダメよ、シンジ君』
 ミサトは旧校舎の教材室からこれを運んでいたシンジを見かけ、そうちゃかしたものだが、それをあっさり受け流さずに『そんなに大事なものなら、先生が運べばいいのに』と真剣きって悩んでしまうのがシンジだった。
 それでも返す頃にはそれがいい加減わかってきて、つい運びかたもぞんざいになっていた。しかし新校舎と旧校舎をつなぐ渡り廊下を過ぎ、あと少しで教材室、というところになって、不意に目の前に女の子が飛び出してきたのには慌てた。
「うっ、わぁっっっっ!!」
 衝突を回避しようとして一歩下がろうとしたのが、返って裏目に出た。渡り廊下と校舎の継ぎ目、線のようなわずかな段差につまずいたのだ。
 生憎両手はふさがっており、シンジはまともにしりもちをついた。
「いってぇ・・・」
 ようやく起き上がろうとしたとき、自分の両手があいていることに気づく。
「うわ、しまった!」
「ごめんなさい、大丈夫?」
 目の前に、ケースが差し出される。中身は無事だ。そのケースの向こうに、本当にすまなさそうな紅い瞳があった。
「だ、大丈夫だよ。こ、こ、こっちこそ、ご、ごめん」
 座り込んだまま、シンジはどもった上に声が裏返ってしまったことにも気づけなかった。相手が彼女でなかったら、いくらシンジでもここまでうろたえはしなかっただろう。
「立てる?」
「あ、うん」
 自分がいつまでも座り込んでいることが、彼女の心配の原因だと気がついたシンジは急いで立ち上がった。
「ケース、ありがとう」
「ううん。本当にごめんなさい。急いでたんだ。じゃあね」
 そう言ってシンジがきた方―――一般教室のある新校舎――のほうへ駆けていく。それをほーっと見送ってしまうシンジ。
 どうしたんだろう。あんなに急いで。ひょっとして待ち合わせかな?結構誰とでも話すみたいだけど、特定の友達って聞かないよな。休みの日とか、どんなことしてるんだろう・・・?
「おいおい、なんだ?今すごい音がしたぞ」
 結局、壊れた教材の補修作業をしていた加持が、セメダイン片手に出てくるまで、ずっと動けずにいたのだった。
「あ、すみません。教材を返しに来ました」
「はいご苦労さん。今の音は君かい、碇君」
「ごめんなさい。いまそこで、クラスの子とぶつかりそうになっちゃって。なにしてたんだろう、こんなとこで」
「ああ、綾波君か。参考資料のディスクをを見たいとか言って、借り出しに来てたみたいだよ」
「へえ・・・・・熱心なんだ」
 またしても彼女の走り去った方向を見たまま立ち尽くしてしまうシンジ。この10分後、アスカの雷が落ちたことは言うまでもない。

***

「うー・・・あんなにぽんぽん殴らなくてもいいだろ。何も20分も30分も待たせた訳じゃないのに・・・・」
「私が問題にしてるのは、アンタが出てきた時のあの態度よ!何よ、ぼさーッとしちゃってさ。この私を待たせてるって事、完全に忘れてたでしょ!!」
「そ、そんなことないよ」
「アスカもそれくらいにしたら?」
 見かねたヒカリが助け舟を出す。今日のアスカは殊の外機嫌が悪い。その原因が下校前にシンジが転校生をぼーっと見つめていた事にあるのをヒカリは知っていたが、口に出せば状況が悪化するのは火を見るより明らかなので、あえて言わない。
 不幸なのは殴られ損の碇シンジであった。
 シンジが買い物につきあわされるというのは、ほぼ100%荷物持ちとしてである。今日の買い物は、来週日曜の植物園のためのものであった。
 無論、ただの植物園行きにアスカがこれほど張り切る訳はない。今回の引率者は加持なのだ。加持が車を買い替えたのにかこつけて、ドライブを提案したのは無論アスカである。しかしアスカの思惑とはほど遠く、シンジやヒカリ、トウジやケンスケが加わり、そのケンスケ達が結局ミサトまで引っ張り出す始末。もはやドライブというよりピクニックの様相を呈してきた。
 行き先としては第3新東京市郊外の植物園が決まったが、アスカやヒカリにはもはや優雅な植物鑑賞などというものは眼中になく、手料理でお目当てを唸らせることだけが焦点になっていた。
 今日はそのランチを彩る小道具の買い付けに繰り出した訳だが、当然ながら女の買い物は、長い。即断即決のアスカでさえ、サンドイッチの下に敷くペーパーナプキンの色、ピンクとブルーどちらがよいかという命題について軽く30分は悩んでいた。
 当然、荷物ができるまで、シンジは至ってヒマなのである。
 しかし、女の子向けの生活雑貨の店にシンジが暇を潰せるようなものがあるわけもなく、シンジはベンチにかけて漫然と街を行き交う人々の波をウインドー越しに見ていた。
 週末をひかえ、賑やかな商店街。向かいは花屋。ごったがえす人の波の向こうに、シンジは見た。
 ――――――綾波?
 花屋のレジで、品のいいおばさんがラッピングしてくれるのを待っているようだった。遠くですこし分かりにくいが、小さな白い花・・・カスミ草かなにかのように見える。
 ――――――お見舞いの花だ。
 シンジはそう直感していた。
 しかし、レイがラッピングした花を受け取った後、支払いをしたのはレイの向こうにいた人物だった。
 ――――――誰?
 レイと同じ白い手。レイよりも頭半分程度背は高いようだ。シンジ達と同じ制服だった。
「は―――・・・・」
 今やクラス内外でアスカと人気を二分する綾波レイが、男子生徒と週末の商店街を歩いている!ケンスケあたりが見たら間違いなくデジタルカメラを持ち出すネタだった。が、生憎と見たのはシンジであった。
 随分親しそうだけど・・・・。そんなことを考えながら二人が店を出てくるのを見ていた。・・・が。
「なぁにぼさっとしてんのよ、バカシンジ!持ちなさいよ、これ!」
 頭ごなしに怒鳴られ、思わず肩をすくめる。悲しいかな、条件反射。
「怒鳴らなくたって聞こえてるよぉ・・・」
 あるだけの荷物を持たされたシンジは、去り際にもう一度花屋の方を見た。
 レイの姿も、男子生徒の姿も、もう見えない。

第壱話 ”Ordinary but Happy Days”