第六話 暫し空に祈りて


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

「そりゃまたお前さん、随分と嫌われたな」
 晩夏以来の顛末を語り終えた加持に、高階マサキは実に罪のない調子で情容赦のない感想をかえす。言われなくてもわかってる、と言い返しかけて、加持はやめた。
「そういうお前は夏以来何処へ行ってたんだ?病院に連絡しても影も形もなかったし、これでも一応心配したんだぞ」
「…そりゃどうも」
 間違っても有難そうな表情ではなかったが、高階はそう応じた。
「いろいろと訳ありでね。お前さんが厄介事を持ち込んでくるのは今に始まったことじゃないが、今回は極めつけだ。今度からお前さんのことは疫病神と呼んでやろう」
「…DIS端末のことか」
「正確にはもう一人・・・・のほうだがね。細かい途中経過は省くとして、俺達はあの坊やを捜してる。あの坊やのことを心から心配してる人物がいて、その人物の・・・・・まぁ何だ、依頼みたいなもんだな」
「・・・・・お前、いつから人捜しまで請け負うようになった?」
「そう露骨に怪訝そうな顔をするな。別にお前さんをかつぐつもりはないし、今話したことに一片の嘘もないぞ」
 しばらく、返答に窮して旧知の友人の顔を見た。加持の副業を知っていて、いくばくかの保険外診療をしていることを除けば、高階は至って堅気な医師だ。事勿れも徹底していて、明らかに犯罪の匂いがしたはずのタカミの件にも、DIS端末について幾許かの調査はしてくれたが、最終的には治療以外について不干渉を通した。
 深入りすれば危険であることをよく理解っていたから…であるはずだ。
 ――――それが今、何故。
「…俄かには信用してもらえんらしいな。まあ、いいさ。無理もない」
 加持の沈黙をどうとったか、高階はやおら立ち上がった。
「それにしても、見事なまでにノーマークだな、お前。気を張ってた俺が莫迦みたいじゃないか」
「高階・・・・・・」
「ゼーレ絡みとあっては、警戒するのも無理ないだろう。だが、俺達はあの坊やたちの敵じゃない。心配してる人物がいるってのは嘘じゃないし、依頼人については多分坊やのほうにも心当たりがあるだろう」
「・・・・・・誰だ?」
「お前ね。坊やに嫌われたのがよっぽどショックだったのか?それともゼーレに飼われてる間に牙が抜けちまったか?・・・・・・そこまでヒントをやる義理はないね。ま、気が変わったらいつもの連絡先に。もう通じるようになってるから」
 加持が声をかける暇もなく、ドアが閉じられた。

***

 薄闇の中で、フレアのマキシスカートが似合う女性が高階を待っていた。顔立ちは似ているという程でもないが、年齢不詳な雰囲気は高階と共通している。
「結果は?」
「No・・・・」
 高階が肩を竦める。
「ここはまずノーマークと考えていいと思う。ミサヲは?」
「同じく。ゼーレらしき影もなければ、『彼』が近づいた形跡もないわ。私が感知出来る限り、だけれど」
「どうやら、ゼーレ壊滅説は信用して良いのかもしれないな。・・・・・大きな経済的混乱がないんで俄には信じられなかったが・・・・どうやら本物か」
「”破滅を導く者”・・・・・」
 ミサヲと呼ばれた女性が、慄然として肩を竦める。
「運命かもしれない。でも、本人がそうなるべく無理してるなら、これ以上哀れなことはない」
 そんな科白をため息と一緒に吐き出して、高階は歩き始めた。
 3区画ブロックばかり先に、地味な色のセダンが停めてあった。
 ミサヲがキーを出して高階に向けたが、高階は疲れきったように横に首を振った。
「頼む。なんか疲れた・・・・・」
 助手席に身を沈め、額に手をやったまま天を仰ぐ。そんな高階を見て、運転席でシートを調整しながらミサヲが軽く吐息する。
「もうちょっと肩の力抜いたら?あんまり真剣きって悩んでばかりいると、禿げるわよ」
「うちの悪童どもがおとなしくしててくれるなら、その悩みは半分減るんだがな」
 憮然として切り返す高階。だが、ミサヲはふと思いついたように動きを止めた。
「・・・ごめん、悩みもう一つ増やしていい?」
「あんまり聞きたくない気がする・・・」
 シートを心もち倒しながら、ぼやき半分といったていで呟く。
「例の件、Goサイン出しちゃった」
 慎重な前振りとは裏腹に、しれっとして言い放つミサヲ。高階は助手席からずり落ちそうになったきっかり1.25秒後、跳ね起きた。
「本気か!?」
「心配しなくたって人選について一応の修正は加えたわよ。危なくなったら即時撤退できるようにね」
「・・・ったりまえだ!『危ないことはしない』ってのは、この件に関わることにした時のみんなの約束だろう!? ・・・ったく、お前まで何考えてるんだよ・・・あーもう、どうしてこんなことになっちまったんだ!? 誰か俺達の静穏を返してくれぇぇぇ・・・・・」
 ダッシュボードに突っ伏してしまった高階の背を見遣って、ミサヲが少し困ったようにヘッドレストに後ろ頭を預ける。
「サキばっかりに危ない橋は渡らせないってのも、みんなの総意よ?どっちにしろ事ここに至って、あの子達がおとなしくしててくれるって保証はないし・・・・関知できないところで無茶されるよりましでしょう」
「あいつらの気持ちは有難いがな。人工進化研究所・・・いや、今は改組されてネルフか?・・・あそこは、とんだ伏魔殿だぞ。俺だって正直なところは、近寄りたかぁないんだ・・・でも」
「『でもどの途、もう後には退けない』でしょ。・・・こうなったら、とことん突っ走るだけよ。私達には私達の、守っていきたい時間と場所があるのよ。譲れない部分ってあるじゃない?」
 無造作にイグニッションを捻る。ローギアがすこし入りにくいのか、ミサヲはやや乱暴にシフトノブを叩き込んだ。
「怖いこというね、おまえ」
 高階は半身引きつつそれを見遣り、細く吐息した。
「誰かさんの薫陶が篤いからよ。まあ、ドイツを脱出したときの度胸を考えたら、これくらいはまだ甘いわ」
「…おい、俺の所為か?そりゃ否定はしないが…場所柄を考えろよ。一応、この国は民間人の銃所持について制限をしてるんだが」
 高階は再び憮然として呟いた。
 ファーコートに包まれたミサヲの上半身…その上品なラインに、上手に隠してはいるが無骨なホルスターの厚みが見て取れたからだ。後半はホルスターの中身に対するコメントであった。PPK/Sだ。…小口径ならよい、というものではなかろう。
「言いたかないけど、私はサキみたいに凶悪な裏技持ってないもの。護身用よ護身用」
 自身は護身術と整理していた方法について「凶悪」と言い切られたマサキが静かに落ち込むのを無視し…ミサヲはアクセルを踏み込んだ。

***

 加持は携帯にメモリされた高階の電話番号をにらみながら、こつこつとペン先で古びた机を叩いていた。
『あの坊やのことを心から心配してる人物がいて、その人物の・・・・・まぁ何だ、依頼みたいなもんだな』
 高階の口ぶりは、明らかに加持もまたその人物を知っていることを匂わせていた。思い当たる名前はひとつしかない。・・・・だが、あり得ない。
 カヲルが加持を通じてゼーレと取引きした後、意識不明の碇ユイ博士は加持のつてで第3新東京市郊外の療養所に移送した。近くのほうがむしろ見つかりにくいだろうと配慮した結果ではあったが、無論偽名での入院である。
 加持は無論、カヲル達が失踪してすぐ様子を見に行った。だが彼女の姿はなく、病院側からは退院したとだけ説明された。入院を手続きした副院長の医師は加持の知人であったが、転勤してしまったため加持にもそれ以上は突っ込んで調べられなかったのだ。
 カヲルが手を打ったのだと、そのときは思った。
 だが、冷静に考えれば辻褄があわない。カヲルは、ゼーレが無力化されたことを疑ってなどいなかった。だとしたら、今更碇ユイの身に危険が及ぶとは考えなかったはずだ。
 碇ユイが第三者によって連れ出されたのでなければ、可能性はひとつしかない。・・・彼女自身が自らの意思で退院したのだ。
 彼女の意識障害は詳細な原因がわかっていたわけではない。人工進化研究所・・否、碇ゲンドウから、そしてゼーレから、二人の子供を守りながらの逃亡生活が心身ともに著しい損耗を強いた結果だと「推測」されていたに過ぎないのだ。
 あるいは何かのきっかけで覚醒したとしても、意外ではあっても奇とするにはあたらない。
 あの時は通り一遍の説明で引き下がってしまった加持だが、先日もう一度そこを訪ねて応対した事務員に家出人捜査だと強い調子で詰め寄ると、おそるおそるというていで医事課の責任者だという人物が出てきた。
「このことはどうか内密に」
 そうことわって、去年加持がここにくる数日前、碇ユイが突然姿を消してしまったことを話した。病室には争った形跡はなく、むしろシーツにいたるまできれいに整頓されていたという。無論、衣類など私物の一切は持ち出されていた。
「入院患者が職員も知らないうちに失踪したとなると、信用問題でして・・・・本当に、内密に願いますよ」
 病院が退院の経緯を話したがらなかった謎が解けたのはいいとして、碇ユイ博士の行き先については結局収穫がなかった。そして、なぜ突然に意識を回復したのかも。
 謎はまだある。いったいどこで、碇ユイ博士と高階が結びつくかということだ。

***

 変化は朝、それも唐突に訪れる。シンジはそんなことを思った。
 およそ一年前、こんな光景があったのだ。
 いつもと変わらない朝。予鈴ぎりぎりに教室に飛び込んだ生徒達がようやく荷物を片付けたところで、教壇側の扉が開く。
「起立ー!」
 ヒカリの凛とした声も、机と椅子が立てる平穏な朝の雑音も、すべてがそのまま。
 いつもながらぱっと目には教師と思えないスタイルのミサトが入ってくるのへ、少女は風を纏うかのような優美な動作でついてきた。
 涼やかな青銀の髪。不思議な深い色の瞳。日本人離れした白皙の面。
 シンジは思わず呼吸を呑んだ。アスカや、ヒカリたちもまた。
「転校生を紹介するわ」
 ミサトがその少し難しい読みの姓を黒板に書き、簡単なプロフィールを紹介する間、シンジは半ば呆然と、ただその少女を見ていた。
 腰まで届こうかという髪が、もし短く切り揃えられていたら。
 霧のかかったような、優しげとも、曖昧ともとれる双眸が、もしあかかったら。
 ミサトに促され、軽く一礼した少女がはじめて言葉を発したとき、ようやく我に帰る。
小鳥遊たかなし ミスズです。よろしく」