第七話 慟哭へのモノローグ


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

「作戦部長室」
 そんな表示のある部屋の内部にあるのは、端末を内蔵したデスク一つ。あとは、私物を入れる大きめのロッカーがあるだけだ。
 当然、いるのはミサト一人である。もう数日、ここに詰めきりだった。
 学校へ退職願を出し、手回り品だけを抱えてここへ引っ越したようなものだ。時間的猶予は殆ど与えられなかった。
「なぁにが『不服かね?』よ。不服に決まってんでしょうがぁ!」
 ケース買いの缶コーヒーが既に半分消費されて、デスク脇にピラミッドを形成しつつあった。腹立ち紛れに蹴飛ばさないのは後の面倒を気にしたにすぎない。
 「作戦部」の戦力を把握し、それらがどの程度使えるシロモノかを調べるためにこの数日は費やされた。知れば知るほど、莫迦莫迦しい話に思えて腹が立つことこの上ない。
『マトモじゃないわ』
 どのみち、監視されている。悪口雑言は半ば聞かせるつもりで怒鳴っているのだが、弱味を握られている以上、不平ならともかくやる気が無いと判断されるのは不味い。
 まさか、身内を質にとるような前時代的な真似をする奴らとは思わなかった。
 身内・・・今やミサトにとってはたった一人の身内となった母である。第2東京郊外で平穏な年金生活をしている至極平凡な主婦だが、ネルフはミサトが転属を渋った場合、その母を拘束すると匂わせたのである。
 バッカじゃないの!? そんなの今のこの国でまかり通るとでも? すんでの所でそう言いかけた。だが、ミサトは夏に見ている。どう考えても違法としか思えないことが、事件にすらならなかった事実を。
 ゼーレは壊滅したという。だが、それを確認したわけではない。百歩譲ってそれが真実だったとして、ゼーレよりもネルフのほうが紳士的だという保証は何もない。
 結果として、ミサトはネルフへの転属を承諾した。一時この『マトモじゃない』ヒゲオヤジ共につきあって、相応の給料と母の安全が買えるなら やすいものだと判断したのである。
 だが、新しい職場に来たミサトが、提示された資料を読み進めるうち、うんざりを通り越して肺腑に毒気を流し込まれるような気分に陥り、勤労意欲はゼロどころかマイナス値にまで低下していた。
 胃袋の頑丈さには自信があったつもりだった。だが、そんな自信を軽く打ち砕かれるようなものばかり見せられた上、マトモな話し相手もいないときたものだ。
 ・・・せめてリツコがいてくれたら。
 彼女はあのヒゲオヤジ共の言うことを信じたのだろうか。・・・少なくとも、最初は信じていたからこそ、ついていった筈だ。
「『使徒襲来』か・・・」
 大昔の預言書に記されていたという『人類の敵』の存在。それは2000年の南極で一体が確認され、予言では今年以降、次の使徒が現れるという。
 通常兵器が通じない、未知の生物。・・・どう考えても、酒宴の与太話としか思えない。
 しかし、現実に2000年の南極で出現したときは、大災害を引き起こしている。発掘隊の大半が遺体すら帰らなかったのだ。重機の事故は、使徒の存在を公に出来ないが故のでっち上げであることを、報告書は認めていた。確かに、あまりにも阿呆らしくてまともに報道出来なかったに違いない。報道したらしたで、おそらく報告者一同まとめて精神鑑定沙汰になるのは間違いないだろう。
 どちらが真実なのか?
 何も起こらないならそれでいい。報告書にあるような怪物と真面目に一戦交えなくて済むなら、そのほうが良いに決まっている。・・・しかし、そうなると「彼」はずっとここに囚われたままということになる。
 ミサトは既に数度、「彼」に面会していた。あれを面会と呼べるなら。
 他人の心配をしていられる身分ではないが、見て見ぬふりをするにはあまりに悲惨―――。
 ただ、自分一人で事を起こすのは無理だ。あんな奴でもアテにしなければならない自分の状況こそ悲惨と言うべきだが、ここは贅沢を言っていられない。
「・・・なりふり構ってらんないか」

***

 葛城ミサトが突如として学校を辞めた、と加持リョウジが聞かされたのは、日向からだった。
 LL教室の、ミサトが使っていた デスクは塵一つ残さずに掃除されていた。彼女がいた痕跡を根こそぎ拭い取ろうとするかのような、徹底した仕事ぶりである。・・・言ったら張り倒されるだろうが、彼女の仕業ではあり得ない。
 日向は途方に暮れているというより魂が抜けかかっているのではないかというような虚脱状態ではあったが、ぽつぽつと話し出した。
「何かえらくバタバタしてて・・・私物はあとから業者が取りに来るからヨロシク、とか言って手回り品だけ持って行っちゃった感じです。ただ、加持さんにこれ返しておいてくれって・・・」
 今や骨董品となりつつある、ケースに入った音楽CDであった。確かに貸した覚えはあったから、礼を言って受け取る。
「そのあと来た『業者』・・・ってのが・・・どう見ても普通カタギじゃなくて。警察のガサ入れか質屋の差し押さえか、って感じです。これで全部か、ってしつこく訊かれましたよ。葛城さん、変な奴らに関わって追われてるんじゃないでしょうね?」
 『変な奴ら』に該当しそうな組織に心当たりがあるだけに、加持は戦慄を禁じ得ない。
「行き先とか・・・」
「それが皆目。マンションまで引き払っちゃったらしいです。夏の青葉の件といい・・・一体、何がどうなっているんだか。変ですよねえ、ここんとこ」
 曖昧な返事でLL教室を辞去した加持は、帰宅してからCDケースを開けてみた。
 開いたはずみでライナーノーツがケースから滑り落ちる。それを拾おうとして、冊子の間に挟まれていた紙片に気づく。紙袋の切れ端とおぼしきものと、古い写真。
「これは・・・」
 拾い上げた紙片の走り書きに目を走らせ、懐かしい写真に視線を落とす。大学の頃撮ったものだ。写っているのは3人。葛城ミサトと加持、もう一人は・・・。
 はっとして、もう一度紙片の走り書きを見つめる。数字とアルファベットだけでは判別しづらいが、見たことのある癖を持っていた。
「・・・リッちゃんか」

 Kaspar Hauser 1914
 Nephilim 1943
 Antarctic 2000

 加持は、紙片が今ここに至った経緯を理解した。無為の半年のために、自分が後手後手に回ってしまったことも。
 ・・・そして、ミサトがこうなった以上、紙片を託したリツコにも同様の危機が迫っていると考えるべきだということも。

***

「あーあ、雨降り出してしもーたわ」
 6限が後すこしでおわるという頃になって降り出した雨を、トウジが恨めしげに見上げる。
「甘いね。朝はともかく、夕方は80パーセントって出てたぞ」
「天気予報なんぞ、ワイがチェックしとるわけないやろ」
「トウジ・・・傘、持ってきてなかったんだ・・・」
 抜け目のないケンスケはともかく、自分よりトロくさいと思っていたシンジがちゃっかりと鞄に折畳み傘を入れていたことに静かにショックを受けつつ、鞄の中の雨よけになりそうなものを探すトウジ。
「・・・どしたよ碇?ぼーっとして」
 ケンスケにつつかれて、シンジは我に返った。
「いや、よく降るな・・・って」
 雨。・・・それは、あの雨の日を思い出す。
『僕はカヲル。渚カヲル。君を探していたんだよ』
 雨の中、差し出された手。
 どんな気持ちで、彼はこの自分に手を差し伸べたのだろう?
『・・・たとえ、君のお父さんを殺してでもね』
 『計画』とやらを超えて、父碇ゲンドウに対する強い憎しみを感じた。
「・・・何をしたんだ。そして、何をしてるんだ」
 生存はしているらしいが全く消息不明の父に向けて、シンジは呟いた。
 声は雨音の中に吸い込まれる。だが、俄に返答があった。
「・・・知りたい?」
「えっ・・・ぅわったっ!」
 思わず手にしていた折畳み傘を取り落とす・・・というか、受け止めようとした掌で弾き上げてしまい、派手に飛び上がった。シンジの頭上を飛び越えて背後へ飛んでいった傘は、華奢な手にすとんと収まった。
「・・・あ・・・小鳥遊たかなしさん?」
 涼やかな笑みを湛えたまま、少女は言った。
「知りたい?あなたのお父さんが何をしてるのか」
 とっさにここでして良い話かどうか戸惑って、シンジは左右を見回した。だが、シンジが例によってぼーっとしたまま固まってしまった所為か、悪友二人の姿はなかった。先に帰ってしまったものと見える。
「・・・何を、知ってるの?」
 小鳥遊ミスズがにっこりと笑う。迷い込んだ十姉妹ジュウシマツのような、愛らしい仕草が不意に消えて・・・別の何かがそこにいた。

***

 高階家は、また別の客を迎えていた。
「・・・申し訳ないが、まだあまりよい報告は出来ませんね」
「そうですか・・・」
 碇ユイ博士。・・・かつてE計画の主任であった人物で、現ネルフ司令・碇ゲンドウの配偶者。・・・そして、そのゲンドウに離反して渚カヲルと綾波レイを人工進化研究所から連れ出した張本人。
「私は私で、できることをやってみるつもりです。・・・ですから、引き続きあの子たちの捜索をよろしくお願いします」
「微力を尽くします」
 当たり障りのない回答をして、マサキは碇ユイ博士を送り出した。
 半年前・・・夏の事件の直後、突如として彼女はこの家を訪れた。
 倒れて後昏睡していたという碇ユイ博士は、一種の閉じ込め症候群locked-in syndromeだったようだ。動けず、言葉も発することは出来なかったが、意識はあった。それを知ってか知らずか・・・カヲルが失踪前、最後に彼女を訪れた際に、夏の事件を話したらしい。それを手がかりにして、高階に辿り着いたというのだ。
 鍵になったのは、「高階」という名前だった。
 ありふれてはいないにしろ、それほど稀少という訳でもないはずだ。それでもここを割り出したというのは、さすがと言うべきだった。
 結論から言うと、やはり高階博士の実家は、碇の家と同様にゼーレに関連を持っていたらしい。
 おそらく、高階博士自身は研究畑一辺倒であったのだろう。「サッシャ」達のいた軍の研究所と関わりを持ったのは偶然ではなかったが、核心に関わることはなかった。
 今にしてみれば、薄氷の上の平穏であったことを思い知らされた。いくつかの偶然が自分達を守っていたに過ぎない。疑って調べれば分かるレベルだった。
 「コード:ネフィリム」が、空襲で失われた訳でなかったことくらい、今のネルフとゼーレなら疑って然るべきだったのだ。そうならなかったのは、「シュミット大尉」の懸命な隠蔽と・・・南極に沈んだ潜水艦がそれ以上のモノを蔵していたからにすぎない。
死海文書にいう「使徒襲来」が本当にあるのなら準備を整えて迎撃すればよい。そのための材料・・が、潜水艦の中にあったのだ。
「怖いひとだな、碇博士は」
 ミサヲが入れかえてきた紅茶を一口飲んだ後、マサキはげんなりした表情を隠さずに呟いた。
「ネルフを…いや、碇ゲンドウを止めるためなら、『使徒』をも使う。・・・凄まじい論理だ。優しいカオしてとんだ 玉藻前キツネだよな。そのうち 背景バックにフサフサしたしっぽの八、九本も見えてきそうだ。
 折角ゼーレのことを気にせずに済むようになったと思ってたのに、キツネとタヌキの夫婦喧嘩に巻き込まれる方はたまらんよ」
「ただの夫婦喧嘩で終わらないから困ってるんじゃない。なんせ世界の存亡を賭けちゃってるんだもの。こっちだってもう半分以上当事者よ。・・・碇博士はともかく、ネルフと碇ゲンドウ司令とやらは私たちが世界を滅ぼすと信じてる。降りかかる火の粉は払わなきゃならないでしょう」
「そうだな・・・」
  茶碗ティーカップを置いて、マサキが嘆息する。
「先刻、ユウキ達が探索から戻ってきたわ。結果・・・彼がジオフロントにいることはほぼ間違いないって。ただし、天井に穴をあけるかジオフロント内に侵入しないと座標の特定は無理」
「天井って・・・おい。勝手にやるなよと言っとけ」
「大丈夫。ちゃんとやらかさずに帰ってきてるから。一応、人選には気を遣ったつもりよ?」
 しれっと言い放つミサヲに、マサキはこめかみを揉みながら紅茶をもう一口啜った。
「それに、やっぱりジオフロントには例の呪詛柱とやらで結界が張ってあるって。…もしそれの効力が私達の行動を即時抑制するものだったら、為す術もなく連中の手に落ちることになるわよ」
「…面倒だな。踏み込む前になんとかしておかないと」
「それと、ユキノからは・・・ジオフロントには気持ち悪いモノ・・・・・・・がいるって」
「嫌ぁな予感がするな。なんとなく、その気持ち悪いモノの予想がつくだけに」
「やっぱり、エヴァなの?」
「俺はそう踏んでる。・・・俺たちを殲滅するためにネルフが作り上げた決戦兵器・・・・とやらだろうさ。シナリオ通り、ってか…奴らの歪んだシナリオ通り踊ってやらなきゃならない義理はないが、こっちにだって都合ってものがある。
 ・・・いいさ、とりあえずは幕をあげてやろう」
「・・・行くの?」
 ミサヲの声音は僅かな逡巡、不安を含んではいたが、マサキはそれを軽く笑殺して顔を上げた。
 そして、宣するように立ち上がる。
「では、『 使徒、襲来Angel Attack』といきますか」

――――――第七話 了――――――