第八話 使徒、襲来


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

すべて世はこともなし
第八話

 

使徒、襲来Angel Attack


 第3新東京市を少し離れた山中。澄んだ水を満々と湛えたダム湖は、第3新東京市の水源として建造されたという。
 マサキ達が歩くダムの天端てんばは一応遊歩道のような体裁が整えられていた。夏ならば、湖水を渡る涼しい風を求める人々も訪れるのだろうが、今は吹き寄せられた枯れ葉が散乱するばかりである。
「寒い景色よね」
 マサキに随従する娘はレミと呼ばれている。青みすら帯びて見える見事な銀髪で、柔らかく微笑んだなら誰もが振り向く美女なのだが、惜しむらくはやや眼差しがきついため…怜悧な印象が先に立つ。片手に、松葉杖を持っていた。格別、足が悪いようにも見えなかったが。
「じゃ、私は発電設備のほうを見てくるから。カツミ、サキを頼んだわよ」
「おう、任しとけ」
 まるで保護者のような口をきく少年はカツミと呼ばれる。どう見ても中学生以上には見えないが、態度は大きい。
「何で俺がカツミに頼まれにゃならんのだ」
 天端高欄を乗り越えながら、マサキがぼやいた。
「えー、だって俺、ミサヲ姉から『あんたはバックアップ』って言われたぞ」
「そりゃお前・・・正確に言うと、レミのサポートだよ」
「・・・それって・・・また俺に大量の氷玉を造れと」
「他に何か? 俺がミスって追跡されたときに、レミに追撃を振り切ってもらわにゃならんからな。カツミの霰は粒がそろってて飛ばしやすいってレミが言ってたぞ。粒子加速やるより疲れないし、金属弾とかに比べると証拠が残りにくい。うまくやれば殺さずに済むから最適って言ったのはミサヲさ」
「ねーちゃんらときたら、俺を何だと・・・」
「まあ、いわゆるポータブル弾薬庫? ここは湖の傍だし、材料には事欠かん」
ひでぇなあ。・・・でもさ、幾ら氷だからって、レミ姉に撃たれて痛いで済むの?俺よくわかんねぇけどさ」
 カツミの指摘を苦笑で躱しておいて、マサキは湖面へ顔を向けた。
「まあ、そこは気にするな。・・・じゃ、行ってくる」
 天端から水面までが垂直距離にして約5m程度ある。言わば切り立ったコンクリートの崖であった。しかも、波返しのために若干オーバーハング気味のラインを描いている。
 しかし、マサキは躊躇うふうもなく高欄から手を離すと、コンクリートの壁を蹴った。
 ダム管理者が見ていたら真っ青になって飛んでくる光景であったが、見ていたのは高欄に頬杖をついたカツミだけだった。
「おー。ヘマすんなよー」
 水音はなかった。ただ静謐の中でマサキの足下に起きた波紋が周囲のさざなみを消し去る。水面より僅かに浮いた状態で佇立し、マサキは瞑目して深く息を吸った。
 マサキの足許を起点にした波紋はゆっくりと広がり、しかも減衰しない。
「そーいやサキの奴、何も武器エモノ持ってかなかったけど・・・よかったのかな」
「今更でしょうが。何言ってんの」
 俄に後ろから松葉杖で頭を小突かれ、カツミがつんのめる。
「危ないだろレミ姉! 落ちたらどーすんのさ」
「ああ、それは面倒ね。あんたが落っこちたら湖全部凍っちゃいそうだもの。掘るの大変そう」
「そっちかい!」
「莫迦話はさておいて…。サキは、火器のたぐいは持ってけって言っても持ってかないわよ。ひとりだけ正規の教育受けた割にはそーいうの嫌がるもの」
「なんかイヤなことでもあったのかな」
「思い当たるフシがないでもないけど…ま、サキの場合一対一の近接戦闘なら素手のほうがやりやすいんじゃない?」
「それもそーか。…でも、取り囲まれた場合とか、考えなくていいのかなぁ…」
「その時は、私達が援護に回りゃいいのよ。そのためについてきたんじゃない。
 で、発電システムを見てきたわ。やっぱり、かなりの電力をジオフロントへの送電に回してるわね。でも、ここだけ遮断しても向こうはビクともしないでしょう。せいぜいが攪乱ね。
 まあでも、今回はあくまでも様子見よ。一応の備えはしてるけど。現状、ジオフロントに入り込めそうなのがサキしかいないし・・・タカヒロあたりついて行かせて、本当に第3新東京市をクレーターにしちゃうわけに行かないでしょ」
「まあ…タカヒロの奥の手は、大気圏内使用禁止だよなー」
 高欄にかけた手の上に顎を載せて、カツミが吐息する。その間に、綺麗な同心円はダム湖の全域に広がっている。
 突如として、マサキの足許の水面が漏斗状に落ち込んだ。さながら余水吐グローリーホールの排水門が開いたかのような光景だった。その一瞬の後、マサキの姿が水面から消える。
 そして、何事もなかったように凪いだ。
「サキってさ、今更なんだけど・・・別に水の中を通って移動してるわけじゃないよな?」
 再び不規則な漣に覆われていく湖面を見つめながら、カツミが呟くように言った。
「どっかの流体金属製アンドロイドじゃあるまいし、怖い想像させないで頂戴。・・・サキが言うには、水を媒介に移動座標をとってる・・・一種の瞬間移動テレポーテーションじゃないかって」
「サキにもわかってないんだ?」
「要するに・・・私もそうだけれど、自分がどうやってそんなことをやってるのかって、よくわかってないのよね。物理的に無茶苦茶だって事だけはわかるくらい?あんただってそうでしょ」
「うん、それは否定しない」
 カツミが湖に向けて手を延べた。その掌に、ざらざらと大粒の霰が落ちてくる。それは凝集してひとつの氷塊を成した。ピンポン球程度はあろうか。
 勢いをつけて氷塊を投擲する。氷塊が湖面に新たな波紋を描き、そして消えていくのを見届けて、カツミは踵を返した。
「さ~て!サキの奴、大丈夫かなっと」

***

 何が困ると言って、移動直後のことだ。
 マサキは軽く頭を振った。水が飛沫となって散る。移動前はもとより、別に水中に出現するわけでもないのに毎度水をかぶったような有様というのはあまり有難い話ではない。折角、事を荒立てないように侵入しても、見るからに怪しいではないか。
 昔なら水脈みち、とでも言ったのだろうか。水の流れを介して離れた場所の状況を感知できる。こういう人工的な環境に張り巡らされた水道管も、僅かでも流れがあればマサキの感覚の媒介として機能した。惜しむらくは広範な環境を一瞬で把握する、というような便利なモノでないことか。
 マサキが立っているのは巨大なプールの上に架けられた作業用通路キャットウォークであった。
 冷却水か何かのプールなのだろう。幸い、人の姿は見当たらない。
 タラップを見つけると、注意深く降りる。水面近くで止まり、探索を再開した。水脈を通ってジオフロント内部まで入り込むと、おそらく結界を通り抜けるのだろう。今度は外界の様子が分かりにくくなるが、内部はかなり把握しやすくなる。
 ジオフロントとはよく言ったもので、第3新東京市以上の広がりを感じた。なだらかな山野があり、地底湖もあった。多分、上のダムでも感知できたやつだろう。おそらく、ジオフロントがシェルターとして機能するときは外部ダムに代わって水源になるのだ。水質も似ていた。街に等しい建物群があったが、一応その中でも言わば本丸・・・本部施設への侵入には成功したようだ。
 しかし、この内部から尋ね人を探すのはなかなかに骨が折れる作業だった。
 かなり自動化されていて、作業員は然程多くはない。・・・だが、監視システムはおそらく網の目のように張り巡らされているから、下手に動けば感知されるだろう。このまま、水の流れに沿って走査スキャニングし、早めに撤収すべきだ。次はリエとレミに監視網を抑えてもらう手段を考えなければならないことはよく分かった。
 平生へいぜい、皆ににも「能力は使うな、使うところを見られるな」と口を酸っぱくして言い続けるマサキである。自身もそれは常に気をつけていた。しかしたまにこうして能力を全開にすると、そこそこ疲れる反面、重石が取れたようで心地好かった。
 一歩間違うと戻れなくなるのではないかという、微かな怖れすら抱くほどに。

***

 葛城ミサトは、『αケイジ』の並ぶ廊下を黙々と進んでいた。
 『αケイジ』の名称で呼ばれる壁面に立てかけるようにして設置されている直方体。ケイジというより棺だ。そんな陰気な感想をを持ってしまった事にさえ辟易しつつ、制御室へ入る。
 制御室のスタッフは、全てが技術部の人員でミサトとは本来指揮系統が違う。だが、技術部のトップは更迭、代理は入院と精彩を欠くこと夥しく、実質はミサトが統轄せざるを得ない状況であった。結果、やれと言ったことはやるが、その先が進まない。おかげで、ミサトは無い物ねだりと知りながらぼやく羽目になる。
『リツコがいてくれたらなぁ・・・』
 迂闊にそんなことを口に出せば、彼女に迷惑がかかるのは必至だ。だからこそ今は無理矢理呑み込んでいるが、ストレスが溜まることこの上ない。
「・・・出来てる?」
「15%のほどの遅れが出ています。あと、インターフェースプログラムに発見された不具合修正にももう少し時間が・・・」
「随分手ひどくやられたものね。α型は初回出動で戦力半減って?」
 文句を言う先が違うと判ってはいたが、思わず皮肉が出る。
「すみません・・・。α型はあくまでも起動実験用の制御システムで、兵器としての実用性は二の次なんです。量産機の予備実験としては十分に機能は果たしているのですが、エヴァとの神経接続に課題が多く・・・」
 その量産機とやらも、数だけは揃えたらしいが、まだ稼働したことがない。実際に稼働したことがないシステムでいきなり実戦をやれという凄まじい注文に、ミサトは応えなければならないのだ。
 全くもって正気の沙汰ではない。
「また様子を見に来るわ。実戦用のほうの稼働実験の準備ができたら連絡頂戴。・・・尤も、稼働実験やる前に実戦投入しなきゃならないってケースも十分あるらしいから、そのつもりでね」
 「人造人間」エヴァンゲリオン。2000年の南極で見つけたモノを基に、使徒殲滅のために作り出されたという「決戦兵器」。N2兵器でさえ支援火力に過ぎないという対使徒戦闘を可能にするため、使徒そのものを複製して人類で制御してやろうという度し難い構想に、ミサトでさえ一瞬開いた口が塞がらなかった。
 だが、冷静になって考えれば他に方法がない。相手が人間でなく、正体の判らない怪物というなら、とりあえず解析からはじめるというところについてはミサトも異論はない。
 だが、そう簡単に制御できるものだろうか? よく分からないモノを無理して使ったところで、思わぬ怪我をするのが落ちというものではないか?
 当初は搭乗型も考慮されていたという。だが予備実験の結果、外部制御での稼働が可能となった。そのため、当初の搭乗システムであったエントリープラグは、制御システムを物理的に差し込むだけの仕組みになっている。・・・しかし、その制御システムとエヴァの接続に課題が云々というのでは、話にもならない。
 ミサトは下階へ通じる作業用通路の扉を開けて、螺旋階段を降りた。
 最低限の足下灯しかないその部屋は、薄暗い制御室よりもさらに暗い。計器や配線、大小様々な配管に取り囲まれてその奥行きさえ把握しづらい部屋の中の、一番大きな容積を占めているのは大きな水槽であった。計器の信号音と、循環システムの低い唸り、そしてかすかな水音。
 ミサトは足を止める。
 現状に不平満々ではあったが、これ・・を見てしまったら、逃げるに逃げられなくなった。身内を楯に取られて外道親父どもの与太話につきあっているだけでも反吐が出そうだが、襲来するという「使徒」の囮としてこの大深度地下に幽閉されている者の姿を最初に見せられた時、ミサトは本気で碇司令に向かってH&Kを抜き放ちそうになった。

 ―――――襲ってくるのが何者か知らないけど、こんなの人間のやることじゃない!!

 彼を、ミサトは知っていた。その姿は、ミサトが以前に見た彼と何も変わるところはない。
 彼が人類を滅ぼすと?…だから、何をしてもいいというのか。
 眠っているだけだという説明を受けながら、ミサトは顔から血が退いていくのを自覚していた。抑えめの照明がそれを碇司令に悟らせずにいてくれることを祈りながら、拳を固めた。やはり、此処の奴らはマトモではない。自分が軍を除隊することになった契機の光景が脳裏を過ぎり、ミサトは自分の呼吸をコントロールするのに全神経を集中しなければなからなかった。
『待ってて。きっと何とかしてみせるから』
 この部屋とて、何処で見張られているか判らない。決して声に出すわけにはいかないから、心の中でそう呟くと踵を返す。
 技術班の部屋を通り抜け、自分の部署に戻るべく歩き出す。
「・・・と、またやっちゃったか」
 扉を開けた瞬間、想定と違う景色に行き当たって頭を掻く。ひどく構造のわかりにくい建物で、散々迷った。ある程度慣れてきたとはいえ、まだ時々迷う。
「やんなっちゃうわね、もう」
 冷却水のプールの上に架かった作業用通路に足を踏み出す。ここを通り抜けて二つばかりエレベーターを乗り継げば元の通路に戻るはずだ。
「・・・?」
 ふと、足を止めた。景色の違和感に思わず足が止まったと言うべきか。
 深閑とした水面に目を走らせる。違和感の正体に目を丸くしてしまった。
「・・・あれ?」
 思わず間抜けな声を上げてしまう。対面の作業用通路から水面へ降りるタラップ。その不安定な足場で器用に腰掛けている人物の姿に気づいたのだ。しかも、知らない人間ではない。
 向こうも気づいたらしい。一瞬驚いたようではあったが、タラップを上がって作業用通路に戻ると気軽に手など振っている。
「えーと、高階医師せんせい?」
「お久しぶり。葛城さんだったね。貴女あなたここネルフの方とは知らなかった」
「こちらこそ・・・あなたがうちの職員だったなんて」
「いやぁ、実はそーいうわけじゃなくて」
 高階はすこしばつが悪そうに苦笑して言った。
「とりあえず、今回はこれでおいとましますよ。どうも、お邪魔さま」
 丁重に一礼して扉の向こうへ消える。
「…え、あ…ちょ・・・ちょっと待って!」
 その所作があまりに堂々としていて、思わず引き留め損ねたその時、警報が鳴り響いた。
 舌打ちしてポケットからヘッドセットを出す。発令所を呼び出しながら装着すると、走り出した。
 1コール半で、オペレータが出る。
「状況は!?」
【し、侵入者です。・・・パターン、青!】
 多摩といったか。新米オペレータの声は上擦っていた。まさか・・・が現実になったことにおののき、狼狽うろたえていたのだ。まあ、無理もない。職員は殆ど軍籍にあった人間が引き抜かれて来ているとはいえ、実戦経験のある者は皆無と言っていい。ミサトとて例に漏れない。
 だが、ミサトは狼狽えはしなかった。むしろ、事を起こすチャンスを狙っていた身としては、まさにそのチャンスが訪れたのかも知れないのだ。
「こっちに映像と位置情報を回して。できたら進路予測のマップも」
 それにしても、パターン青?ヒゲオヤジ共のいう、「使徒」が現れたというのか?
【かなり高速で移動しています。現在、点でしか把握が・・・進路予測、あと15秒時間をください】
「分かったわ」
 今度は制御室を呼び出す。こちらは、いらつくほどにコール音が長かった。
「何機出せる?」
【αなら6体・・・いえ、5体です。エヴァは・・・起動するかどうか】
「α5体でもいい、とりあえず確実に動く方をスタンバイ。敵さんはどうやらいきなり本部に侵入してきてるわ。180秒以内で完了させなさい」
 ヘッドセットの向こうで恐慌が起こっているのがありありと察せられた。だが、委細構わずミサトは通話を切った。・・・正直なところ、アレを使わなくて済むならそれが一番いい。
 もう一度発令所を呼び出す。
【遅くなって済みません。ルート送ります。標的、本部外へ向かって動いています】
「本部外へ?逃げてるっていうの」
【映像が取れてないんです。本部内の被害報告は今のところありません】
「被害が・・・ない?」
【はい、まったく。どこからどう侵入したかも分かりません。ただ、反応は断続的に検出されています。確かに何かがいるんです】
「…本当に使徒なの?センサーの誤作動とか言わないわよね」
【そ、それは…】
 イラついていたとはいえ、答える術を持たない者に無用の狼狽をさせてしまったことに気づいて、ミサトは内心で舌打ちした。
「ごめん、気にしないで。通常兵器は使用可能ね?」
【いつでも!】
「結構!本部内でのドンパチは避けたいわ。屋外へ出てからが勝負ね。・・・ただ、姿が見えてないってのがひっかかる。正体わかんない奴相手にミサイルぶっ放す訳にもいかないし。もうすぐ戻るわ」
「はい!・・・って、葛城さん!?」
 俄に背後に現れた上司に多摩が飛び上がる。発令所の昇降機の柵が下りたところだった。
「瞬間移動でもしてきたんですか」
「出来たら便利でいいわね。この迷路みたいな本部で迷わなくて済むわ」
 半分以上本気で、ミサトは言った。

第八話 使徒、襲来