第八話 使徒、襲来

水面の光

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

【ミスズ、やるわよ。結界に孔があいたらタケルとタカヒロを突入させる】
 リエの落ち着いた コントラルトがヘッドセットから流れる。
 第3新東京市郊外の廃ビル屋上。ミスズは既に銃架バイポッドをつけた狙撃銃を前に伏せ撃ちの体勢になっているが、その銃にスコープはついていなかった。彼女には必要ないからだ。
「リエ姉、呪詛柱のうち1本だけ、塀が邪魔で狙えないんだけど。タケルに蹴飛ばしてもらう?」
【コンクリ塀なんて蹴倒したらご近所の迷惑よ。パイルドライバーを呼び戻すわ。撃ち抜いてもらうから、そこから狙って。出来るでしょ】
了解jawohl!」
 ミスズは傍で片膝をつくナオキのほうへ、手だけ差し出して言った。
「ナオキ、弾よろしく。とりあえず通常弾でいいから」
  十姉妹ジュウシマツが、鷹に化ける瞬間であった。
 その鷹に実包を手渡しながら、ナオキがぼやく。
「・・・ってことはサキの奴、しくじったんだ」
「ま、やっちゃったものは仕方ないんじゃない?」
「あのコンクリ、厚そうだぞ。レミ姉が来るなら壁抜きは任せれば?」
「だからその前にマーカー打っとくの。・・・私だって狙撃用ライフルでコンクリ壁が抜けるって思ってないわよ。『特製』は7発ほどお願い。ん~待って、呪詛文様とやらがどのくらい削ったら効力失せるもんかわかんないのよね?やっぱ一応×2でよろしく」
「うわぁ、情容赦ない」
「ぐだぐた言わない。ただの装甲扉だったらタケルに蹴飛ばさせればいいけど、それまでに呪詛柱を潰しとかなきゃならないでしょ。ナオキの『特製』じゃないと無理ってゆーからこんな面倒くさいことしてるんじゃない。ナオキが直に行って柱溶かしてたら、喧嘩っ早い割に戦闘力ないからあっとゆー間に取り囲まれてつかまっちゃうし。ユウキ、準備いい?」
 冷静な口調でこてんぱんに叩きのめされて、ナオキが静かに落ち込んだ。その反対側で、観測手スポッターよろしくミスズと同じ方向を眺めていたユウキが僅かに目を細める。
「いつでも」
 ユウキが片手でミスズの肩に触れた。
「Okay・・・」
 ミスズが構える。ミスズは、流入するユウキの感覚と自身の視覚を統合することで、ある程度遮蔽されている場所でも正確に狙うことができた。
「いくよっ!」
 碇シンジは、そんな非日常な光景を何も言えずに見守っていた。
 小鳥遊ミスズの言葉に、なかば牽かれるようにしてここまでついてきてしまったが、合流した二人・・・いつか、校門のところでこちらを見ていた二人と見えた・・・に凄みのある視線で射抜かれて何も言えずにただ立ち尽くすばかりだった。
 第1射。シンジには何処へどう当たったのか皆目判らないが、ミスズの綻んだ口許からは上首尾と知れた。
「よし、次っ!『特製』よろしく。コンクリ抜かなくても狙えるとこから潰しとくわ」
 コッキングレバーを引いて排莢させるが早いか、ナオキに手を差し出す。橙赤色の特異な弾頭を抱いた実包を渡すナオキの左前腕には、―橙赤色の粘液が半ば塞いでいたが―ひっかいただけにしては深い傷痕があった。
「大事に使ってくれよな。こちとら身を削ってんだぜ」
「誰に言ってんのよ。動かないモノ相手に外すわけないでしょ。次!」
「はいよ」
 もはや口答えする気力はないらしい。ナオキは差し出されたミスズの掌に次の実包を渡した。
 矢継ぎ早に4発を撃ち、5発目の弾頭を装填した時、ナオキの背後に闇が現れる。
 リエが作り出す空間の裂目。いくつかの条件はあるが、二つの座標を瞬時に繋ぐことができる、リエの「特技」であった。これはさすがに、やっている本人も説明のつかない類の能力である。その中からレミとカツミがふわりと舞い降りた。
「うわ、出たな杭打ち機パイルドライバー!」
「その呼び方はやめなさいっていったでしょ」
 降り立ったレミが容赦なく、松葉杖の上端でナオキの後頭部を小突く。やはり立ち尽くすシンジに一瞥をくれたが、何も言わずにミスズの後ろに立った。
 足幅を広めにとると、杖先のゴムキャップを外してミスズの銃と同じ方向へ向ける。杖には、詳細に観察すると側面に幅20ミリほどの溝が切ってあった。
「レミ姉、壁にマーカー一発入れてあるからよろしく」
「了解よ。容赦は要らないか。ナオキ、 炸裂弾エクスプローダーもあるのよね?弾頭寄越しなさい。ユウキ、サポート!」
「ほいほい。全く、うちのねーちゃんがたときたら過激なんだから」
了解jawohl!」
 ナオキがスーツケースに擬した工具セットの中を探ると、レミの掌に弾頭をぱらぱらと手渡した。ユウキがレミの背後に立って軽く肩に手を触れる。レミの場合は最初からユウキの感覚をスコープ代わりにしているのか、両目を閉じていた。
「リンク完了、マーカー視認インサイト。角度修正要る?」
 レミが片眼を開いてミスズに問うた。
「んーと、多分要らない。ナオキのエクスプローダーをまともに当てたらそのくらいの孔は空くと思う」
「了解・・・」
 レミの銀色の髪がふわりと浮き上がる。溝の上端に弾頭をひとつ置いて、杖を構えた。
「3、2、1、Shoot!!」
 ライフルのような音はしない。だが、はるかに凶悪な一撃であったことは、上がった白煙が証明していた。今度こそ、シンジにも何が起こったかが判る。・・・あれは、閉鎖されているはずの人工進化研究所だ。
「Clear!」
 目を閉じたまま、ユウキが低く叫んだ。
「・・・ねえ、何を・・・してるの?」
 間抜けな質問だとは、シンジ自身も思っている。だが、他に言いようもなかった。だが、応えてくれる者はいなかった。
「さーいくよっ!」
 ミスズの声と銃声は一緒だった。白煙が収まるのを待つことすらしない。
「ねえ、ここまでついてきたんだ、教えてくれたっていいだろう!?」
 痺れを切らしたシンジが、一番近くにいたナオキの腕を掴む。・・・途端に、おきを握ってしまったような灼熱感に思わず尻餅をついた。
「莫迦、ヤケドしたいかよ」
 言われて思わず振り払われた掌を見る。シンジの掌は既に 火脹ひぶくれを起こしていた。
「とりあえずそこの水道で洗ってこい!お前に怪我さすとねーちゃんがうるさいんだ」
 ナオキの二の腕についていた傷に触れたのだと気づくまでにしばらくかかり、それが化学熱傷に近いものをもたらしたのだということを理解するまでにある程度時間を要した。
 松葉杖を下ろしたレミは、今度は自身の左手でユウキの肩に触れて軽く目を閉じていた。
「ミスズ、あとどのくらい?」
「当てるのはあと1発。だけど、結界の効果がそれで無くなったかどうかはイサナに聞いてみないと」
 レミが少し考えるふうに彼方の白煙を睨んでいたが、ヘッドセットのボタンを押した。
「リエ、イサナに繋いで。…ああイサナ、結界の傍で伏せてるんでしょ。ぐずぐずしてらんないわ。タケルとタカヒロにすこし退がってスタンバっとけって言って。今から扉ぶち抜くから」
【二人はもう退がらせてる。その前にミスズに言って、研究所の変電設備に外部から引込まれてるケーブルを片っ端から撃ち落とさせろ。地上施設の電源供給を一時的でいいから止めるんだ。だがやり過ぎるな。ケーブルだけでいい。サキが今どんな状態だかわからんのだ】
「だからよ。早まるなって伝えないと、サキが何するかわかんないでしょ」
 レミの言葉の正しさを一定の範囲で認めたのか、回線の向こうでイサナが一瞬沈黙する。
【…扉が破れればいい。研究所ごと吹っ飛ばそうとか考えるな】
「失礼ね、私だってそこまで無茶苦茶じゃないわよ」
 そして、レミがもう一度杖を構えた。

***

 アクアリウムの前に座り込んで、ユカリは手持ち無沙汰だった。
 ほぼフル出動の中、ユカリ一人が留守番だったからだ。
 かすかな水音とエアレーションの低いモーター音だけがずっと続いていると、どうも眠くなっていけない。
 それでもユカリがお気に入りのラグとクッション、おやつを詰め込んだ箱まで持ち込んでこの部屋に陣取っているのは、ミサヲから「アベルに何か変わりがあったら教えて」と頼まれていたからだ。
「ねえ・・・」
 ユカリはクッションを抱きしめてラグの上に転がりながら呟いた。
「ヤなことあったのかもしれないけど・・・そろそろ起きない? 今、サキがなんだか危ないところに入り込んじゃってるみたいなの。サキってさ、真面目すぎて要領悪いとこあるから・・・あたし達を危ない目に遭わせないためとかいって、よく自分の方が足とられてるのよねー。あの癖、なんとかなんないものかしら」
 至極偉そうに論評しておいて、仄暗い水槽のほうへ目を向ける。
「・・・今、笑った? 笑ったでしょ」
 論評に対する同意を得たと思ったのか、くすくすと笑いながらおやつの箱に手を伸ばす。・・・と、その動きが止まった。それまでの動きとは別の生き物のように、敏捷に跳ね起きて水槽のガラスに手を当てる。
 全てを見透かすような鋭いまなざしであった。
「言ったよね・・・聞こえてるのよね・・・何を・・・見てる・・・?」
 水中に揺らめく影に向かって問いかける。薄闇の中で色の淡い頭髪が揺れているが、それが、僅かな水流の所為なのか、そうでないのかはわからない。