第九話 眩惑の海から


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

 何が起こったんだっけ。
 葛城ミサトは、肩の鈍痛に不快な目覚めを強要された。
 爆破されたという地上の出口へ上がる途中だった。一番近いモノレールが破壊されたため、兵員輸送車で移動している最中だった筈だ。
「そーよ、あの役立たずのデク人形の所為よっ!!」
 跳ね起き、マットレスを殴りつける。リニアレールごと倒れてきた制式エヴァを避けきれずに輸送車は木っ端微塵になったのだ。車外へ投げ出されたところまでは覚えている。
 よく、生きていたものだ。思わず自身の両掌をまじまじと見つめてしまう。肩の鈍痛は相変わらず存在感を主張していたが、他に怪我らしい怪我はないようだった。
「大丈夫?ミサトちゃん」
 言われてようやく、部屋の中に自分以外の存在があることに気づく。時代のかかった洋館だが、内装は綺麗で寝具もきちんとしている。こんな怪我をしてなければ、どこかの小洒落た別荘にでも泊まりに来たかという雰囲気であった。寄木造りの床に置かれたベッド。その傍らの椅子で心配そうにこちらを見ていたのは、ミサトも旧知の・・・だが、久しく顔を見ていなかった人物だった。
「あー・・・碇のおばさま?」
 実際、碇一家はミサトが小学生頃にごく近所に住んでいたのだ。ちゃん・・・づけも致し方ないとして…どうにもこそばゆい。
「おっきくなったわねー。見違えたわ。シンジの学校の先生なんですって?」
「え、あはは・・・ついこないだ辞める羽目になっちゃいましたけどね」
 頭を掻いたところで、頭に巻かれた包帯に気づく。その表情に、碇ユイは深々と頭を下げた。
「ごめんなさいね、あのひとのせいで。あなたにも・・・とんでもない迷惑をかけてしまって」
「・・・すべて、ご存知なんですね?」
「お母さんのことは心配要らないわ。私たちで保護しています。・・・あなたも、あそこジオフロントへ戻らなくていいのよ」
 母の無事を聞いてミサトは安堵したが、脳裏をジオフロントで見たものがかすめて表情が硬くなる。
「そうはいきません。・・・いろいろ、見ちゃいましたから。放っておけないこともあるし」
「これ以上ミサトちゃんに迷惑はかけられないわ。今回はこれで済んだけど、こんなことにかかわってたら、命がいくつあってもたりないのよ」
 それが比喩でも何でもないことは、ミサト自身が経験したばかりである。だが。
「私は、それなりに覚悟を決めたつもりです。いちおう、軍籍にあった人間ですのでね。でも…おばさまは?」
「私は、いいの。これが仕事だから。・・・私たちはWILLEヴィレ。 ・・・人類を滅ぼしかねない危険な実験を、独断で継続しているネルフを制圧するために作られた組織よ」
 ユイの言葉と表情は、毅然という言葉をそのまま体現したようであった。ミサトは、この人ならば答えてくれるという確信を得た。
「教えて・・・いただけませんか。何が本当で、何が偽りなのか」

***

「あー、いろいろと冷汗かいたわ」
 高階家の賑やかなリビングルーム。ミサヲがようやく一段落、というていでソファに沈んだ。
「ミサヲ姉、ぴりぴりしすぎ。・・・あたし、世界の終わりが来るのかと思っちゃった」
 ユカリがプレッツェルをつまみながらぼやいた。
「留守番って疲れるものなのよ、ユカリ」
 そうフォローを入れたのはミサヲと一緒になって緊張感を味わったリエである。
 ユイが伴っていたヴィレのメンバーが、拳銃を携行していたのは実際のところ全くの手違いであった。「ここの住人はそういうモノ・・と意思とを感知するから、どんな事態でも持ってくるな」という通達を、たまたま聞いていなかっただけのことだった。
 尤も…碇ユイ博士の警護、ということでとりあえず携行していたものの、銃器の扱いはほぼ素人に近かったらしい。ついこの間まで、学校で教師をしていたというから無理もあるまい。
 そもそも、「警護」などという事態が発生したのも、レミ達が派手な破壊工作をやらかしたがために、一時第3新東京市全域にテロ警戒警報が発令された所為なのだが。
「思い出したわ。・・・夏の事件で巻き込まれた教師。青葉っていったっけ。学校は辞めたって聞いたけど、結局ヴィレにいたのね」
 ミサヲは何度か顔を見ていたのだが、ユイに紹介されるまで忘れていた。
 青葉は回収した「槍」を一本預かって移送するために辞去したが、この家にいる間中、ミサヲの顔を見ると一度吃驚してから会釈するのにはさすがにミサヲも多少辟易した。
「ま、初対面でいきなり後頭部うしろあたまに銃口突きつけられたら・・・そりゃ苦手意識もつくわね」
 落ち着き払って論評するリエだが、他でもない彼女がミサヲを玄関ホールから訪問者の背後へ転移させたのである。
「まあ、でもみんな無事でよかったよね」
 とりあえず、ミスズがそう締め括ったところへ、右腕を三角巾で吊った格好のマサキがリビングに戻ってきた。
「あんまり無事でもないけどな。・・・ああ、えらい目に遭った」
「なあに、まだくっつかないの? なんならちょっと刺激いれてみる?」
 レミが右手の中に火花スパークをちらつかせながら身を乗り出す。
「莫迦いうな、レミの火花なんか当てたら、冗談抜きで神経が灼き切れる」
「軽く電気刺激いれるだけよ。うまくいったら収縮誘発できるかも」
「『うまくいったら』のために博奕バクチうつほど俺は人生投げてないぞ」
「レミ姉、過激だから。・・・俺たちがすぐ近くで待機してるってのに、いっきなり炸裂弾エクスプローダーの雨アラレだもんな。結界破れたらタケルに扉を蹴飛ばさせりゃいーのにさぁ。俺、寿命縮んだぞ。ナオキもナオキだよ、炸薬詰めすぎだろ」
 タカヒロがぼやく。どちらかというと、突入を急ぐタケルを抑えるほうに苦慮したらしい。本来抑えに回るイサナが感染拡大を危惧して合流せず、回線越しの指揮に回ったため、物理的に引き留めるのはタカヒロの役目になってしまった。
「いーじゃない。いくらタケルが莫迦力でも、一枚いちまい扉破ってたら手間でしょ? 手間をはぶいてあげたのよ」
 昂然と言い放つレミ。見かねたナオキがぼそりと言った。
「あのなタカヒロ。いくらレミ姉が撃つっていったっていってもただのエクスプローダーで装甲扉は抜けないと思うぞ。・・・レミ姉、疲れるからヤダとかいいながら、ちからいっぱい粒子加速してた。しかも滅っ茶苦茶嬉しそうに」
「レミ姉!!」
「あら、そうだったかしら。ちょっと力はいりすぎたのね」
「・・・そうでもなきゃ、24枚もある特殊装甲なんか破れるか。…ったく、隕石でも落ちたかと思ったぞ」
 状況を了解していたらしいマサキが憮然としてソファに身を沈める。
「・・・まあいわゆる、知らぬが仏?」
 ユウキの至極冷静な指摘に、タカヒロが静かに青ざめる。
「ひでぇ…」
「まあ、電源供給が落ちれば件の結界とやらも然程の効力は無かったから結果オーライよね。例のナノマシン、解析済んだんでしょ」
 ミサヲがティーポットから茶葉を引き上げつつ、リビングの一隅を占める畳スペースを見遣る。
 リビングの一隅、フロアから40㎝ほど高い四畳半ほどの畳スペースは、もっぱら彼の領域テリトリーだ。こちらも片手で蓋碗を傾けながら、イサナが膝の上のタブレットを操作している。撤収後すぐに検査室に籠もっていたが、出てきたところをみると解析と隔離は終了なのだろう。
「ああ…思った通り、ATフィールドの干渉下では増殖しないようだ。俺達の身体から切り離した組織片が冒されることはあっても、俺達自身が感染によって体組織を破壊されることはない。神経伝達系を阻害したり、エネルギーを空費させる作用があるようだから、一時的にひどく気分が悪くはなるがな。免疫機能が万全なら解消するまでにあまり時間は要しない。
 逆を言えば、こいつが体内にあるときに何らかの理由で免疫機能が低下していた場合、運が悪ければ命に関わるだろうな。生物災害バイオハザードで亡くなったという研究所のスタッフの話、交通外傷だったというからそれかも知れん」
 そのスタッフの名前までは、彼等の知るところではなかった。冬月ミズカという名をもし聞いていたとしても、つい先刻ここを去った青葉と結びつけることは難しかっただろう。
「…解析するのがえらく早いと思ったら…ひょっとしてイサナ、感染ついでに自分で実験した…?」
「そうだが、何か問題が?」
 何を訊かれたのだろうという顔で問い返され、ミサヲが天を仰いだ。自分達の体質を思えば理解らなくもないのだが、どうにも危機管理が甘すぎる。ナノマシンの性能が、もしネフィリムとしての免疫機能を上回っていたらどうするつもりだったのだろう。
「…いいわ、これも結果オーライってことにしときましょ」
「でも、突入に関して言えばあれ以上時間かけてられなかったのも確かなのよね。アベルが間に合ってくれたからよかったけど」
 リエがそう言って、リビングから吹き抜けになっている2階の廊下に視線を投げた。
 アベルと呼ばれる青年。窓から見える何かに、僅かに寂しそうな微笑を零してからゆっくりと階段を降りてきた。スラックスはとりあえずサイズの合うものがあったが、シャツに関してはやはり肩が余り気味だ。それをカーディガンで誤魔化していたが、線の細い印象は抜けきらない。
 腰近くまで伸びた髪は、背中で無造作に括ったままだった。
「なに見てたの?」
「うん、ちょっと見送り」
 訊いたリエが少し怪訝な顔をするのへ、彼は晦ますかのような微笑を浮かべる。
「さて、と」
 マサキがすこしだけ居住まいを正して向き直った。
「…確認しよう。タカミ、だな?」
 言ったマサキの他、驚かなかったのはミサヲとイサナだけだった。否…驚きというより当惑のほうが大きいか。言われた当人は、ただ、静かだった。
「…えーと、誰?」
 とりあえず一同を代表して、ナオキが訊いた。
 マサキは姿勢を崩さずに、彼を見据えたまま言った。
「夏の事件で消えたはずの、17th-cellから生まれた子供。…DIS端末を媒介にMAGIをコントロールし、ゼーレを壊滅させた張本人」
「…へ?」
 夏の事件については、直接会っているマサキ、連絡役として動いたミサヲ、検査に関わったイサナ以外も、一通りは聞かされて知っている。だが、皆は目の前の青年とその一件がうまく繋がらない。
「…いや、どー見ても子供・・じゃねえし」
 タカヒロがとっとっと彼の傍まで近寄り、おもむろに背丈を比較してから異議を申し立てる。
「タカってば突っ込むところが違う。ちょっとした造作とか年齢の違いなんて、私たちに関係あるわけないでしょ。…そりゃぁ、ちょっと極端だけど?」
 こともなげに指摘したのはユカリである。そう言う彼女は、ドイツを脱出したときよりも明らかに年齢を遡行している。
「ユカリが言うと説得力あるわぁ」
 レミが笑う。
「…でも、私たちは彼をアベルと認識するわ。サキ、それについては訂正の余地はないわよね?」
「ああ、俺もそう思う。感覚の問題じゃなくて、これに関してはユカリが証人だ」
 即答であった。レミがやや焦れたように言葉を継ぐ。
「根拠を聞かせて貰えるかしら」
「一つ目は、形質…。外見的な年齢や虹彩、髪の色をさっ引いても、17th-cellの坊やに似過ぎている。…お前らに解りやすく言えば、シュミット大尉にな」
「あ、そー言えば似てるかも」
 ナオキがぽんと手を拍って納得する。
「アベルの身体を稼働状態までもっていく過程で、膨大なダウンロードがあった…「タカミ」としての知識、経験を含め、形質のデータもを取り込んでしまったとしたら、年齢が進んだことにもある程度の説明がつく。
 二つ目は、記憶。ジオフロントで、初対面の筈の葛城ミサト一尉をあっさり認識したのは、俺に接触して記憶を読んだ訳じゃないだろう。知ってたんだ、自分で。
 それから三つ目。制式エヴァの制御系に干渉して、起動は阻止できなかったにしても活動停止に追い込んだ手腕」
「え、あれアベルの仕業だったの」
 タカヒロが驚いたように彼を振り仰いだ。
「実戦投入してきたってことは、一応起動はしたと考えるのが自然だろう。本体メインフレームを棄てる過程でMAGIのアクセスキーは喪っていたとしても、赤木博士がいない以上、事件後に大規模なシステムの改変があったとは考えにくい。鍵さえ開けてしまえば、制式エヴァの制御系を制圧するのはそれほど難しいことじゃないだろうな…『タカミ』なら」
 彼は瞑目してマサキの言葉に聞き入っていたが、ふと口を開いた。
「ご明察…」
 柔らかに…だが、僅かに寂しげに微笑んで、彼は補足した。
「僕は確かに、実時間で言って半年ほど前に消滅したことになっている自律型AIのログを引き継いでいます。でも、それと同時に、1928年にバイエルンで生まれて、1943年にあの施設に放り込まれたアベル=シュレディンガーの記憶も持っている。
 『アベル』が休眠に入ってる間、その魂とでもいうべきものが遊離して自律型AI『タカミ』と接触、同化したのか。もしくは、MAGIの呪縛を解いた自律型AIがネットの海を彷徨ううちに、『アベル』を見つけて…喰ってしまったか。…そういうことですよね? サキ」
 『喰った』という表現に、さすがに一同がぎょっとする。タカミは胸の上に手を当てて静かに言葉を継いだ。
「…申し訳ないことに、僕にもわからないんです」
「わからない?」
 マサキが訊き返す。
「僕が『タカミ』と呼ばれていた時の記憶。そして『アベル』と呼ばれていたときの記憶。どちらも、今の僕のなかにある。…でもどちらがもともと僕のものであったのか、それとも両方僕のものなのか…僕には判別がつかないんです。確かなのは、僕が自律型AIとして17th-cellの中に囚われていた時…アベルとしての記憶は併存していなかったということぐらいですよ。
「『胡蝶の夢』…か」
 イサナが呟いた。

「『荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。
自ら喩しみ志に適へるかな。周なるを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。
知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか…』

 …だったか?まさにそのままだな。『アベル』が休眠に入ってしまった経緯を考えれば、決して不自然じゃない。AIとしての成長が、アベルの再適応過程と考えれば、むしろ理に適かなうだろう」
 判断を仰ぐように、イサナはマサキを見遣った。マサキは黙したままだ。
「『志に適』ったかどうかは…ちょっと微妙なところですけどね」
 タカミがかすかに苦笑する。
「だから、17th-cellの中に囚われていた『タカミ』は、サキを認識できなかった・・・・・・・・んです」
「…認識できなかった?」
「…できていたら、もうすこし別の選択肢があったのかもしれませんね」
 少し仰向いて、彼は言った。現実世界における本体メインフレームを抹消し、純粋に電脳世界ネットワーク上の存在となる。あるいはそれ以外に、方法はあったのかも知れない。
 忘れたくないことがあった。譲れない想いがあった。それを叶えるには…。17th-cellから成る身体は、彼に明確な自我と膨大な感覚入力をもたらしたが、絶対の枷でもあった。
「…つらかったね」
 とん、と誰かがぶつかる感触に視線を戻す。ユカリが、額をすりつけるようにして抱き付いていた。
「寂しかったよね。帰り道、思い出せてよかったね。…おかえり」
 マサキが物も言わずに額を押さえた。
「…痛いんなら我慢せずに薬飲んで来なさいよ、鬱陶しい」
 ミサヲが容赦の無い口調で、だが柔らかな動作で立ち上がるとマサキの肩にショールを投げかける。
「…そうする。ついでに1時間ほど休ませてくれれば有り難い」
 マサキは短くそう言って、立ち上がるとリビングを出た。
「わかった、あとで起こしに行くからちゃんと寝てなさい」
「…サキ…!」
 一瞬、追おうとして足が動きかけた。だが、ミサヲが苦笑まじりに首を横に振る。
「ま、とりあえず休ませてやって。あの時点ではどうしようもなかったのは確かなんだけど…サキったら、あれでずっと気に病んでたのよ。保身に走るあまりにあなたを見殺しにしてしまったんじゃないかってね。
 …ていうか、まだ引きずってるみたいだけど」
 その言葉に、弾かれたようにタカミが顔を上げる。
「…そんな! それは違いますよ。あの状況で、サキ達は出来るだけのことをしてくれたでしょう。本来、皆のことを考えたら…ゼーレの匂いのする実験体なんかにかかわれる訳がない。
 いや、結果としてはかえって僕が皆を巻き込んでしまったようなもので…こんなことになってしまって、正直…どの面下げて戻れるだろうって…」
 つい先刻までの超然とした雰囲気がきれいさっぱり吹き飛んでしまう。そんな狼狽をミサヲが笑殺した。
「だーかーらー、その辺はもういいじゃない。こうして戻ってきたんだし。みんな無事だったんだし。この際、タカミがアベルでも、アベルがタカミでも関係無いわ。私たちの大切な家族に違いないんだから」
 ミサヲが明快に断じたことで、それ以上何も言えなくなる。だが、タカミはそれでもまだ言葉を探し続けていた。
 イサナがやや業を煮やしたように、タブレットを措いて向き直る。
「サキのことを気に掛けてるなら、尚更いつまでもそんな雨の中に置き去りにされた猫みたいな表情かおをするな。…これから大変なんだ、お前にもきっちり働いてもらうぞ」
「おぉ!イサナの喩えって大抵まわり諄いけど、今のはツボった!」
 カツミが感心したように拍手を贈る。ミサヲが改めて言った。
「…タカミ、と呼んでいいのよね? おかえりなさい」
「おかえり!」
「おかえりなさい」
 口々に言って、年少組が遠慮無くじゃれつく。ユカリなど、ほどけてしまった髪を嬉しそうに編みにかかる始末である。
「…ただいま」
 少しずつ戸惑いから解放されつつあったタカミが笑う。そこに、晦ますような翳りはもうない。

第九話 眩惑の海から