Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

すべて世はこともなし
Interlude:the Apocalypse

 

AD 2014


 英語教諭・葛城ミサトは、晩秋の空を沈んだ気持ちで見上げていた。
 悪い夢でも見たかのような、昨年の夏。結局あの後、青葉は学校を辞めてしまった。加持はあの二人の休学届を出したが、あまりにも異様な失踪である筈なのに、学校側の対応は至極平坦であった。
 まるで、関わりあいを避けるように・・・・。
 それは間違った印象ではないだろう。おそらく、この第3新東京市そのものの建設に関わっている人工進化研究所が絡んでいるとなれば、学校当局者も事勿れに走るしかあるまい。
 だが、その沈黙がうそ寒かった。
 一人の少年が目の前で息をひきとったのだ。それが、紛うことなき彼自身の意思であったとしても。そこへ彼をおいつめたのは、大人達であった。
『・・・・こんなに・・・・なにもかもが・・・鮮明に見えるのに・・・聞こえるのに・・・すべてが・・・白く・・・意味を失っていく・・・』
 抑揚を失いかけたか細い声が、今もミサトの胸を締めつける。
 生きたくなかった訳はない。強く生を望み、それゆえに・・・・・・
『まだ・・・とても大事なこと・・・あのひと・・・に・・・』
 それが誰を指すのか、ミサトは理屈でなく判っていた。
 第3新東京市に戻ってから、真っ先にそこへ訪れた。だが、待っていたのは空っぽのマンションと、閉鎖寸前の人工進化研究所、そして追放とでも言うべき処遇の報であった。
 部下であった伊吹マヤは身分こそ格上げになっていたが、心身ともに弱り果てて入院中で、面会さえも制限される有様。同じ研究所のスタッフでも、ミサトと面識のある者はあちこちの研究機関へ出向になっていて殆ど連絡が取れない。
 だが、それで諦めるような彼女でもなかった。旧友の実家の住所を探し出し、早速訪ねていったのである。
 旧家とは聞いていたが、その古風な門構えにまず圧倒された。だが人の気配はなく、きれいに手入れされた庭が目に入らなければ、人が住んでいるのかどうか自信が持てないほどであった。
 数度声をかけたが、返答がない。数歩踏み込んだ時、植え込みの陰に並んでいる光る眼にぎょっとした。
「・・・なんだ、猫じゃない・・・」
 泣き声はたてない。ただその視線で威嚇するように、ミサトを見つめていた。
 6対の眼に思わずミサトが足を止めているところへ、サンダル履きの軽い足音がした。猫たちが薄闇の中で耳をぴくつかせ、植え込みから飛び出したかと思うと、玉砂利を敷いた径を一目散に駆けていく。
 ・・・・・・・猫たちを追った視線は、何一つ変わらない友人の姿を捉えた。
「・・・リツコ・・・・・・」
 会いに来たはいいが、何から喋っていいのか判らずにミサトが口篭もる。麻の風合をもった涼しげなワンピースをまとった彼女は、懐かしげに微笑んだ。
「あら、いらっしゃい。・・・・・よくここがわかったわね」

***

 車で少し行ったところの小さな診療所に頼まれて、週に数日診療に出ているという。
「こういう生活もいいわよ。・・・・・時間がゆっくり流れていくわ」
 庭に面した座敷に通され、どうにも状況が把握しきれずに漫然と涼しげな庭を眼に映していたミサトは、その声に我に返った。
「どうぞ。こんなもので悪いけど」
 差し出されたアイスコーヒーのグラスの中で、氷が心地好い音を立てる。
「あ、ありがと」
 開口一番「何があったの!」と問うつもりだったのに、リツコの毅然とした静けさに、ミサトともあろう者が気圧され質問を引っ込めてしまった。
「・・・・ごめんね、急に押しかけちゃって。その・・・・急な話でびっくりしちゃったもんだから・・・・」
「いいのよ。あの街みたいに、秒刻みの生活してる訳じゃないもの。それに久しぶりじゃない」
 その言葉に、ミサトは一瞬胸を突かれた。この時点で、事件から一月と経っていない。懐かしむには早すぎる筈・・・・・。
 詰めた息を、ゆっくりと吐く。リツコを問い詰めてどうするつもりだったのだろう。彼女は既に、第3新東京市でのすべてを奪われて帰郷した身なのである。この上、傷を抉ってどうなる・・・・。
「・・・・・美味しいわ、これ」
「ここの水、伏流水なのよ。信じられる?日本にも、まだこんなところがあるのよ。でもまあ、いれるのがインスタントコーヒーじゃ締まらないけどね」
「そんな事ないわよ。美味しいって」
 結局、第3新東京へ移る前の・・・古い話ばかりに興じることになった。ミサトが意図的にそう振ったとも言えたが。
 彼女にかつての、氷の刃のような怜悧な印象はない。ただ穏やかに・・・・ゆったりとした自然の流れに身を浸している。それでも彼女らしさを失っていないように見えるのが不思議だった。
 つい時を過ごしたが、腕時計の示す時間に驚いて腰を浮かせる。
「・・・さてと。ほんとにごめんね。今度はちゃんと電話入れてから来るわ」
「あら、もう帰るの?夕飯ぐらい食べていけばいいのに」
「そうしたいのはやまやまだけど、明日勤務なのよね。夕飯までご馳走になってたら、今日中に帰りつけなくなっちゃう」
「そう・・・気をつけてね。この辺りは道が細いし路肩も悪いから」
「ありがと♪」
 玄関先でミサトが靴を履いていると、奥から紙袋に入れた数個の林檎を持って出てきた。
「いただきものだけど、良かったら食べて頂戴。どうせミサトのことだから、相変わらず凄惨な食生活してるんでしょ。ビタミン摂らなきゃ埴輪ハニワの肌が余計荒れるわよ?」
「言葉の端々がものすごーく気にかかるけど・・・有難くいただくわ」
 苦笑しながら応じたミサトだったが、次の一言に再び呼吸を詰めることになる。
「・・・・・・・マヤ、大丈夫なの?」
 その声は、低く抑えられていた。ミサトが返事に窮して、暫時黙る。リツコも気にかけてはいたのだが、問うのを躊躇っていたのだろう。
「・・・・・療養中ね。結構、こたえてるみたい」
 極力選んだつもりの言葉も、決して穏当ではなかったかもしれない。リツコは目を伏せ、吐息した。
「・・・・あの子には可愛そうな事をしたわ」
 一番酷い目に遭ってるのはあなたじゃない、と言い返そうとして、黙る。穏やかすぎる両眼が、言葉でなくしてそれを制したからだ。
 口にしたのは別のことだった。
「・・・あの兄妹は行方が知れないわ。人工進化研究所も閉鎖寸前。・・・・でもまだ何も終わっていない。そうなのね」
 リツコは静かに頷き、宣するかのように顔を上げた。
「そう・・・これから始まるのよ。すべての欺瞞が暴かれる時が来る。膨大な人材と時間と資金が、嘲笑で報われるときが・・・・・」
「・・・・私達には何もできないの?ただ黙って、子供たちが傷ついていくのを見ているしかないの?」
 ミサトの問いに、ふっと眉を曇らせる。
「私には何もできないわ。私は結局、あの子たちの敵でしかなかったもの」
「リツコ・・・・・」
「あの子は一生懸命だったのに、私はあの子に何も報いてあげられなかった。それどころか・・・!」
 苦痛に似た、落涙しても不思議はないほどの表情を浮かべ・・・俯く。
「私にできるのはここまでよ。あなたは・・・・私みたいにならないでね。ミサト」
 その言葉に一瞬呼吸を停め、袋の内側に目を走らせる。ありふれた茶色い紙袋の内側に走り書きされた、数行のメモが見えた。
「・・・ありがと、リツコ」
 袋の口を折りながら、ようやくそれだけ口にできた。リツコが穏やかに笑む。
 邸を辞去して車に向かいながら、ミサトはシンジから聞いた…晩夏の海に消えた少年が残したという言葉を思い出していた。

『・・・世界をも手に入れられる力より、ただ一人のひとの心が欲しかったんだ』

 ・・・・彼は知らず、望んだものを手に入れていたのかもしれない。彼の想いに沿う形ではなかったかもしれないが。
 LL教室隣の教諭控室から見える空を見上げ、ミサトは紙片を開く。すべての権限を奪われての追放処分とはいえ、リツコが完全にノーマークであるとは思えない。事実、リツコの実家の周囲でいかにも場にそぐわない不審な車を見た。通信回線はモニターされていると見て間違いないだろう。そんな中でミサトにこのヒントを託すのは、かなり危険な綱渡りであった筈だ。
 彼女は彼女のできる限りのことをしてくれた。それに報いるには、まずはミサトがこの紙片に記されたヒントを総力をあげて解析することだ。だが、未だに謎めいた言葉にこめられた意味のかけらすら拾い出すことができずにいる。

Kaspar Hauser 1914
Nephilim 1943
Antarctic 2000

 夏の一件からして、最後の一行は間違いなくあの事件を指している。
 実のところ、事があの二十世紀最後の年に起きたあの事件に係わるのなら・・・ミサトは決して無関係ではなかった。・・・「重機の操作ミスによる事故」で出た死者のリストには、ミサトの父親に当たる人物が連なっていたからだ。
 母と離婚していたし、研究一辺倒であまりミサトと話をすることもなかった。しかし、南極へ行くという話が出たときに、実のところミサトは父親から同行の誘いを受けていたのだ。結局、「母さんが心配だから」という理由でそれを断ったため、父親は一人で調査隊に参加し・・・そして帰らなかった。
 返事をしたときの父の顔を、ミサトは見ていない。・・・がっかりしたのだろうか。それとも、いつも通りに無表情で頷いただけだったのだろうか?
 父は、事故ではなく何かに殺されたのだろうか?人類補完計画とやらに関わって?
 ついていかなかったこと、そしてそのまま父が死んだことへの拘りが、今もミサトの胸中にある。だが、14歳やそこらの子供がついていった所で何が出来ただろう。自分があの時父に同行していたら・・・今ここにはいないかも知れないというだけのことなのに。
 ・・・でも。
 思考の袋小路に入りそうになって、ミサトは頭を振った。
 最後の一行が2000年南極での事故を指すのなら、前の二行も年代と、その時起こった何かを指しているとしか考えられない。
 1914年。まず思いつくのは第一次世界大戦だが、漠然としすぎて全く判らない。では、そこにあてられた「Kaspar Hauser」とは?
「・・・やっぱり、あの「カスパール=ハウザー」よね・・・?」
 パソコンのキーを叩く。ここらあたりはミステリ系のページを探せばいくらでも資料は出てくる。地下室のような場所で、十数年にわたる監禁生活を強いられていたと思われる少年の話だ。出自を匂わせるいくつかの証拠品は所持していたが、発見当初の本人は喋ることも難しかったため、謎に包まれていた。教育を受けることによって言葉を話せるようになり、ある程度過去について明らかになり始めたが、その矢先に暗殺によって闇に葬られる。
 だが、これは1828から1833年の話だ。年代があわない。
 ならば可能性は、カスパール=ハウザー当人ではなく、いわゆる「カスパー・ハウザー実験」だ。
 ある行動科学者が行ったという環境剥奪実験。動物を正常な生育環境から隔離した場合、その個体は生まれながらに備わっているはずの行動様式から逸脱していくのが観察されるというものだ。
 非道い話だが、それに似た何かが行われたのが1914年だったとしたら・・・時代柄、考えられないことはない。
 しかし、そこから先は・・・
 1914年に何が起こったのか。場所さえわからないでは調べようもない。リツコが敢えてアルファベットで表記したあたり、日本で起こったことではないのが判る程度だ。
「うー、駄目。決定的なデータ不足!!」
 何度目かの咆哮を上げたミサトだったが、直後に鳴り響いたコール音に飛び上がりそうになる。
「はい、LL教室葛城・・・」
 気を取り直して受話器を取ったミサトに、交換機音声が外線着信を告げる。発信者の名を聞いて、ミサトはもう一度飛び上がりそうになった。