Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

すべて世はこともなし
Interlude:予感

 

AD 2014


 コンピュータをあらゆるネットワークから隔離する、というのは昨今余り楽なことではない。
 しかし、赤木リツコのまったくあずかり知らない間に自宅のサーバーに潜り込まされていたファイルを見つけた時、彼女がしたことはまずそのファイルを隔離環境へそっくり移すことだった。
 第3新東京のマンションにあった研究関連資料は、追放処分を受けたときにサーバ内のデータはおろか、ハードウェア本体、メモ一枚に至るまで接収された。
 それは追放後に住居とした実家に関しても似たようなものであったが、代々学者の家系という赤木家の本宅については、母ナオコが置いていたデータサーバが一応コピーを取られた上で初期化された程度のもので、かなり年式の落ちたサーバを敢て接収されることはなかった。
 至極プライベートなデータ…家族写真さえ容赦なく抹消されてしまったが、それに然程未練があったわけではない。
 実家に帰ってから買い求めた新しいパソコンをサーバに接続してみたのも、殊更何かを探そうとした訳ではなくて…データサーバとしての使い勝手を見てみようと思っただけだった。
 システムファイル以外何もあるはずのないサーバの中に、アーカイブされたファイルを見つけた時には…自分の鼓動が頭にまで響いた気がした。
 ハードウェアとしては接続されていたものの、通信プロトコルはまだ設定していなかった。…これを残したのがネルフなら、単なる不手際か。あるいはリツコを完璧に葬り去る為の罠か?
 今更、喪うものは何もない!
 リツコは即座にそのアーカイブを解凍しようとして…思いとどまる。
 ―――――ネルフにしては、やり方がまわりくどい。人材にも時間も余裕があるとは言えない状態で、お払い箱にした科学者ひとり抹殺するのにそこまで手間をかけるだろうか。
 そこで、ファイルを抜き取ると古いパソコンをもう一台引っ張りだしてそこで解凍作業をした。物理的にも隔離し、遠隔で操作され中身を覗かれることのないように幾重にも注意を払って解凍したファイルは、デジタル化されているのが不思議なほどの古い資料だった。
 活字ですらなく、メモまたはノートと思しきものを読み取りスキャンしたままというファイルもあった。そのファイル群を作成した人々の間で、その情報がどういう扱いを受けていたかを如実に物語る資料でもあったが…リツコは、読み進めるに従って胸腔に霜が降りるような気分を味わった。
 漠然とした不安が、明確な形象をもちはじめる。
 この元になった資料が作成された時代から下って、リツコが知っている時代に起きた出来事のいくつかと、パズルのピースがかみ合うように整合する。
『土産を残しておくよ。あなたが何者か、あなたが忘れないように』
 断罪の天使に、あの子はそう言ったという。
 そうか、彼もまた気づいていない。仕組まれた誕生であるが故に、受け継ぐべきものを受け継いでいないから。
 MAGIが保有する莫大なデータを一度我が物としたあの子はこの事実に気づいた。気づいたが、それを現実世界リアルワールドに居る間に彼に告げることはしなかったのだ。
 関わりないこととと割り切ったか。もしくは、時ではないと考えたのか。彼がそれを探すとき、尋ね当てることができるように細工して?
 託されたのだろうか。私は。
 パソコンの電源を落とし、文机から少し離れて膝を崩す。数寄屋造りの離れは、リツコがこの家に戻ってきてから書斎代わりに使っている。膨大な書籍はほぼ取り上げられたから、ここにあるのはその後に買った僅かな書籍とパソコンぐらいのものだ。第3東京市にいたときの雑然としたデスクを懐かしむ訳ではないが、至ってさっぱりしている。
 障子を開けると、初秋の微風がふわりと頬を撫でた。季節の変わり目を感じさせる温度。
 母親共々長くこの家を空けていたが、祖母がきちんと管理していてくれたので、障子の外に広がる庭も手入れが行き届いている。
 ふと、濡れ縁に腰掛けて足をぶらぶらさせている少年の姿を見た気がして、呼吸を停めた。寂しさと申し訳なさを綯い交ぜたような顔で、静かに微笑う紅瞳。すべての色を洗い落としてしまったような銀の髪も、かの天使と同じなのに…リツコには違って見えた―――――。
 私は、託されたの?
 その問いを口にしかけた時、庭の向こうで猫たちがざわめいて我に返った。うちに居着いている猫たちは、気紛れなもので余りあてにはできないが、来客の気配をよく報せてくれる。
 気がつけば濡れ縁には誰も居ない。静かに風が吹いている…。
 来客とは珍しい。リツコは庭へ降りると、沓脱石の上に揃えてあった黒捌くろさばきの下駄を引っ掛けた。竹垣の扉を押し開けると、家に出入りしている猫の一匹が玉砂利の小径を駆け抜けて来る。この子は特に愛想がいい…
 その猫を抱き上げて顔を上げたとき、猫たちの出迎えに思わず立ち止まってしまったらしい友人の姿を見つけた。

 …私は、託されたの? それとも、試されているの?

 ふと、空を見上げた。
 よく晴れた空。心地好い微風。

 何一つ確証はない。考えすぎ、妄想、希望的観測。そんな評価が妥当ではないか。それに、すべての桎梏を振り切り…この手から翔び立った筈のあの子が、今更自分に何を託すと?
 もはや喪うものはないと思っていた。そのつもりだった。だが何かのゲームを仕掛けられたようなたかぶりを感じている自分に気づく。この緊張感は心地好い。
 監視されている身の上で、何が出来るだろう。だが、方法はあるはず。
「あら、いらっしゃい。・・・・・よくここがわかったわね」


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