第Ⅸ章 そして御使は神の前に立つ


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」


 碇ゲンドウは、絶望だけを抱えてターミナルドグマの昏い天井を見つめていた。
 その右手は、前腕の末端1/3のあたりから、つるりとした断面を残して失われている。
 再びユイに会う為の鍵・・・アダムは、レイがゲンドウの手首ごともぎ取っていった。
『私はあなたの人形じゃない』
 そう言って、彼女はゲンドウに背を向けた。
 魂をとり戻し、解放されたリリスは十字架を降りた。LCLの雨に打たれながら、ゲンドウは呆然とその光景を見ていた。
 LCLのプールから溢れ出した波が押し寄せ、ゲンドウを打ち倒す。抗いようのない力が襟首を引きずるようにして、彼をめくれあがった鉄板に叩きつけた。
 肋骨が鈍い音を立てた後、少し気を失っていたかもしれない。
 次に気がついたとき、彼は新たに落下した建材の下敷きになっていた。
 鉄骨同士がうまく支えあったか、致命傷になるような負傷はしていない。だが、総計何トンにのぼろうかという建材が、彼に起きるはおろか身動きすら許さなかった。
 建材の隙間から見える、昏い天井だけが今の視界のすべてだった。

***

 ・・・・闇。ただ、闇。その中に浮かぶ、巨大な十字架がある。
 だがそれすらも掌に収める白い少女の姿が、同じ闇の中で淡い光を放っていた。
 そしてもうひとつ。白い少女から十字架を挟んだ対称点に、強烈な光の点が出現する。
 点。最初の時点では、確かにそうとしか見えなかったであろう。だがそれは見る間に膨れ上がり、白い少女さえも覆う程の巨大な翼となった。
 少女は、表情の乏しいその面にかすかな訝しさを漂わせてその翼を凝視する。
 巨大な翼の中心点には、彼女と同じ眸を持った少年がいた。
 赤黒い槍を携えて。

***

 プリブノーボックス。
 神経質に波立つ水面に立ち、タカミは吐息する。
「・・・・・・・まさに、世の終わりの光景・・・か」


第Ⅸ章 そして御使は神の前に立つ
A Part

 アンチATフィールド、とリリンは呼んでいる・・・・
 具現する力。そのうちでも最も原始的な、自己を形成する力を・・・リリンはATフィールドと呼ぶ。彼らには盾程度の認識しかないようだが、本来はEVAのEVAとしてのかたちを維持しているのもATフィールドなのである。
 その全く逆の方向性を持った力。すべてを厳しく分かつ力に対する、すべてをひとつにしようとする力。それは父なる方のほか、その力を行使できる存在は二つしかない。・・・アダム、そしてリリス。
 リリスの卵の内部に堆積していたものは、ほぼ一瞬で消滅した。すべては、彼女の中に収束する。地上を与えられたリリンの母・リリスへ・・・・・
 すべてが彼女の中に還った後に、残るのは虚無の海。その中で存在を保つには、リリスのアンチATフィールドを振りきるには、膨大な力を必要とした。カヲルでさえ自身の事が精一杯だった。
 風が凪いだような感覚にカヲルがその紅瞳を開き、状況を知って慄然とした。
 NERV本部施設の行く末など、カヲルにしてみれば些末に過ぎない。虚無に呑み込まれたとしても何ら痛痒を感じない。・・・だが、初号機の中のシンジを虚無の海へ突き落とすには十分過ぎる。
 しかし呼吸をのんだ一瞬、カヲルはそれが杞憂であったと知った。視界の隅に、青い結晶体のようなものの存在を捉えたからだ。
 関連施設に傅かれ、ジオフロントの地底湖畔に建っていた本部が、今は殆ど丸裸で闇の中にただ浮いていた。堆積層も削り取られ、青い防護パネルに覆われた地表部と等しい形の地下部分が惨めな姿を晒している。だが、すべてを一瞬にして消し去った力を考えれば、いっそ奇跡のように存在を保っていた。
 その「奇跡」のタネも、カヲルにはおおよその見当はついていた。
 だからそれ以上の注意を払うことなく、まっすぐに顔を上げる。

 自身のすべてを子供達に与えたリリス。
 そのリリスに、リリンがした事は何か?
 本部の地下施設、その中の寒々としたラボ。そこに佇み、彼女は言った。
『ここは私の生まれた場所だもの』
 それでもなお、リリスは子供達に与えつづけるのか?

 「リリス」がこちらを見ていた。
 気が遠くなるほどに昔の、あの時のように。

***

 弐号機ケイジ。
 凄まじい振動は、ケイジ内をもみくちゃにした。
 弐号機の残骸をリニアレールから下ろすどころの騒ぎではない。しかし、焦ってエントリープラグをイジェクトすべきではないとした加持の判断は正しかった。
 天井からもげ落ちた建材は、ただでさえ原型を想起させるのが困難なほど破壊された機体をしたたか打ち据えたが、エントリープラグを直撃していれば搭乗者のダメージはその比ではなかったであろう。
 むしろ、建材から身を守る手段のない救出班が若干の被害を出した。
 だが「若干」の被害で済んだのも、ゲートで弐号機を収容し・・・そのままケイジに同行した人物が落ちてくる建材の幾つかを破壊したからに他ならない。
 救出班の中の何人かは、その人物を知っていた。
 かつてフォースチルドレンとして登録され、今はそれを抹消された少年・・・鈴原トウジ。
 久闊を叙すような余裕は、誰にもなかった。だから揺れが収まった後、みな黙々とセカンドチルドレン救出にかかる。あるいはそうすることで、理解を超える状況から目をそらしたのかもしれない。
 トウジは、それに加わらなかった。
 崩れて重なり合った建材の端に腰掛けて、どこか現実感を欠いたものを見るような目で、その作業を傍観していた。
 加持はそんな様子を気にはかけていたが、急を要するほうを優先させた。
 外部から工作機械で装甲を剥がし、エントリープラグをウインチで引きぬく。弐号機が十全の状態であればとても不可能な原始的な手段であったが、ともかくもプラグの露出に成功する。
 LCLを排出し、ハッチをこじ開けた。
「・・・アスカ!」
 呼びかけは、沈黙で報われた。一瞬、加持ほどの者が肺腑に霜が降りるのを感じる。
「・・・・・けて・・・・」
 プラグ本体の緊急電源がもたらす頼りないライトの下で、少女は蹲ったまま肩を震わせていた。
「アスカ・・・」
「・・・ママを・・・・」
 あげた双眸は、狂気とのあやうい境界線上にあった。
「ママを・・・・ママをたすけて・・・ママが死んじゃう・・・・」
 譫言うわごとととられても不思議はない少女の呟きを、加持は頭ごなしに否定するようなことはしなかった。ただ、肯定もしなかった。・・・・ありていに言えば、受け止め損ねたのである。
「大丈夫だよ。おいで、アスカ」
 その口調は、いつものアスカなら「子供扱いしないで!!」と激発しかねないほど穏やかで、優しかった。だが彼女はそれに抗うでなく、加持の腕につかまる。
 エントリープラグから出たものの、アスカに自分で立ち上がる力はなかった。本来、拒食の末に点滴だけで命を繋いでいた身体である。EVAのインダクションレバーを握れたこと自体、奇跡に近かったのだ。
「・・・・助けて・・・・・・ママを助けて・・・・」
 しがみついた腕が震えを伝える。
 加持が合図するまでもなく、担架ストレッチャーが用意される。加持に抱えられるようにしてそれに載せられると、怯えたようにしがみつく腕にこめる力を強くした。
「やだ・・・・・ママ・・・・・パパ・・・・・ママ・・・・・」
 担架を用意したスタッフに処置を目で問われ、加持は一瞬視線を泳がせる。だが、ややあって低く言った。
「・・・・頼む」
 プラグスーツの腕部分がはずされ、露出した腕に注射針がくいこむ。明るい色の瞳が焦点を失って閉ざされるまでのわずかな時間が、加持にはとてつもなく長かった。
 今となっては一番安全な場所となった発令所へ移送されていく担架を見送り、加持は吐息した。そして、腰掛けたまま弐号機の残骸を見上げている少年へ近づく。
「・・・・・・鈴原君?」
「・・・・・わからへん・・・・」
 加持の問いかけに、彼は呟くようにそういらえた。
「オレは本当にそう・・なんか?」
「・・・・・・・」
「オレはそういう名前やと思っとった。生まれたとこも日付もちゃんと憶えとる。今までの記憶だって、そらオレ、あんまり物覚えようないからボロボロやけど、ちゃんとのこっとる。
 せやけど、こないケッタイなことができたような憶えは、これっぽっちもあらへん・・・・」
 掌を見つめる。振動による建材の落下に対して彼が行使したのは、EVAや使徒と呼ばれる者たちが展開するATフィールドと呼ばれる防御壁。
 彼の態度は、多分それ以上の何かをみてしまった所為だろう。
「オレ、どないしてしもうたんやろ・・・・」
 かけるべき言葉がなかった。カヲルが呟いたいくつかの言葉は、総合すればひとつの仮説を形成しうる。だが、それを彼の前で口にする勇気は、加持にはなかった。
「来るかい、発令所へ。・・・ここでこうしていても、どうにもならないだろう」
 彼は初めてまともに加持の顔を見た。意外なことを聞いたというふうだった。よもや、自分が人間扱いされるなどつゆほども思っていなかったかのように。
「そやな・・・それしかないか・・・」
 彼がやや重い動作で立ち上がる。その時になって加持はようやく、彼の足が義足ではなくなっている事に気づいた。

 ――――――――そうだね。それでもいい。
         でも、ここへ来て手助けしてもらえると、とても有難いんだけどな。

 その声は、トウジにしか聞こえなかった。立ち上がったものの、思わず動作を止める。
「・・・・・・誰や。渚か?」
「どうしたんだい?」
「誰か・・・・・手助けしてくれ、いうとる・・・・・。あんたには聞こえへんのんか?」
「いや・・・・・・」
 加持の返答に、トウジは怪訝そうに崩れかけた天井を仰いだ。
 不意にわずかなノイズと共に、フレームに深刻なダメージを受けて沈黙していたケイジの制御パネルに電源が入る。
 ケイジ内作業者とコントロールルームの通信に使われていたらしいそのパネルは、砂嵐が舞うばかりで像を結ぶことはなかった。だが、ノイズに混じって確かに声がする。
【それでなくても不可解な事象ばかりで混乱してるところを、実に申し訳ないんだけど・・・・こっちも少し困った事になっててね。力を貸してもらえれば有難い。・・・・・バル・・・・否、鈴原トウジ君】
 トウジは制御パネルに歩み寄った。
「・・・・あんた、誰や?」
【榊 タカミ。まあ・・・君と多少似通った事情を持つ者と解釈してもらっていいよ】
「・・・・・!」
【君の疑問を完全に解く事はできないにしろ、君が置かれた状況について、多少まとまった仮説を提示する事はできると思うよ。・・・・どうだろう】
 トウジの表情が動く。
「・・・・どこにおるんや、あんた」
 トウジの問いに対して答えを返したのは、加持のほうが先だった。
「・・・・・・・B棟地下、プリブノーボックス。いいのか、鈴原君」
「手がかりになるならなんでもええ。・・・・それにオレ、こいつ知っとるわ。名前とか、全然わからへんけど・・・・。
 加持さん、あんた惣流についとったってや。それから、地下へ引き戻したのがオレって、黙っといてくれへんやろか。そんなんバレたらオレ、あとから惣流に殺されてしまう」
 そう言って、苦笑する。そんな彼の表情を、加持は彼らしくないとも思ったし、彼らしいとも思った。何ゆえかは判然としないが。
「今まで知らんかったわけやないけど、碇も、惣流もホントがんばっとったんやなぁ。・・・オレも、事情がわからへんいうて甘えてられん。もう、状況に流されるんはまっぴらや」

***

 ミサトは声もなく暗い水面へ身を乗り出すようにしてある一点を凝視していた。
 信じられない、というように。
 ミサトの視線の先には、規則正しく広がりつづける波紋だけがあった。
「・・・・・・・どういうこと・・・・・なんで、こんな・・・・」
 つい先刻のこと。凄まじい揺れに思わずコンソールに手をついて姿勢を低くした時、かすかな呻きのようなものを耳にして、ミサトは顔を上げた。
 振動が、プリブノーボックス内の水面にひどく不規則な波を生じさせていた。それが、タカミの足元から生じる規則正しい同心円を乱す。
 何者かを牽制するように構えた槍はそのままに、変化は起きた。
 槍を握る指先が、不意に白く乾いて形を失ったのである。指先から腕、そして全身が白い砂になって水面へ散る。声をあげるいとまもない、一瞬の出来事であった。
 だが次の瞬間、ぱたりと振動はおさまったのだ。
「・・・・・・さ・・・・・榊、君?」
 彼女に、その事象を説明する語彙はなかった。ただ、肺の奥から這いあがってくる冷たいものに、不吉な予測が先走る。
 “すべての生命が、その可能性を摘み取られる悪夢”。タカミはそう言った。
「・・・・ちょっと・・・・思わせぶりな科白ばら撒くだけばらまいて、自分がさっさと消えちゃってどうするの!そんなの、許さないわよ!!」
 叱責するような言葉は、震えていた。だが、次の瞬間にミサトの手は通信回線を開くボタンに滑っていた。
「発令所、状況は!? ・・・誰か、応えなさい!」
 回線はつながっている筈なのに、反応がない。
「どうしたの!? 日向君、リツコはそこにいるの!?」
【か、葛城、さん・・・・・】
 寝入りばなをたたき起こされでもしたような、締まらない声が返ってくる。
「状況を報告なさい。それと、リツコを呼んで。そこにいるんでしょ!?」
【・・・・状況・・・状況は・・・・わかりません・・・何がなんだか・・・もう・・・・赤木博士は、いません。先刻から姿が・・・・】
「なんですって・・・・どうしたの!しゃっきりなさい!! 状況の判断がつかなきゃこっちにデータを回して!」
【は、はい】
 転送されてきたデータを見て、ミサトは日向の呆然の理由を知った。プリブノーボックスからはモニタできなかった、外の非常識な光景をはじめて目の当たりにしたのだ。
 多分、驚愕を通り越して、呆けたような沈黙が発令所を支配しているに違いない。・・・・日向のように。だが、それを非難することのできるものはいないだろう。
「それにしたって、リツコったらこの非常時に一体・・・・!」
 確かに本部自体、シェルターとしての役割を持ったジオフロントの中でも、外壁強度は通常の建物より高い。だが、それとて第14使徒の襲来に対して紙の箱程の威力もなかったのである。
 それが今存在を保っていることに対して、疑問を感じることのできる者はごくわずかであった。ミサトはそのうちの一人ではあったが、疑問に対して答えとなる仮説を構築することはできなかった。
 それができそうなふたりの人物のうち、一人はたった今目の前で消えてしまい、もう一人はこの非常時に行方知れず。
「・・・・状況もわからず、手も足も出ないってこと!? ったく、冗談じゃないわよ!!」
 コンソールをひっぱたく。だがその時、モニタのひとつに浮かんでいたメッセージが視界に入った。

 ――――――― Please calm down・・・listen to me sedately.

「・・・え?」
 電池の切れかけた目覚し時計が力を振り絞って騒ぎ立てるような、少しゆがんだアラーム音と・・・・背後の扉が開く音が重なる。
 メッセージの送信者を特定するより先に、ミサトは振り向いていた。
「・・・・・リツコ?」
 肩で息をしている。相当急いで・・・走ってきたのであろう。
「莫迦ね、銃も持たずにうかつに走りまわって!まだ本部内には戦自がいるかもしれないってのに・・・・」
「・・・・・・・の・・・・・?」
 荒れた息の下から発した言葉は、決して聞き取りやすいとは言えなかった。
「・・・・リツコ、あんた・・・」
 もう一度、今度は正常なトーンでアラームが鳴る。

 ――――――― とりあえず、話を聞いてくれないかな。落ちついて。

 それは音声メッセージではなかった。真っ黒なディスプレイの中にただ一行の文字列。しかし先刻と違うのは、それが日本語になっているということ。
「何処にいるの!?」
 ディスプレイに向かって怒鳴ってしまい、ミサトが舌打ちする。

 ――――――― 大丈夫、聞こえてるから。

「聞こえてるって・・・」

 ――――――― ただ、あの形を維持できなくなっただけで・・・
 ――――――― 僕の総体は何も変わってないし、ダメージを受けたわけでもないよ。

「どういうことなの!?」
 パネルに噛みつきかねない勢いでミサトが声を荒げる。その隣に、いつの間にかリツコが立っていた。
「・・・・・・・本部を維持しているのは、あなたのATフィールドなのね?」
 その科白に、流石にミサトが息を呑んだ。
「え・・・・」
「リリスのアンチATフィールドに抗するために、また・・MAGIと同化したのね・・・・・」
 さすがに、いくばくかの空隙があった。
【・・・・あなたには、見られたくない格好だったな・・・】
 今度は音声で出力される。おそらくは合成音なのだろう、彼の声と似てはいたが今ひとつぎごちなかった。
「同化・・・・・?」
【葛城さん、憶えてない?第11使徒と呼ばれるものが、MAGIとの共生を選択して消滅を免れるっていうケースは、可能性としては提示された筈だ。実際その通りだよ。
 本体は凍結されてたけど、僕を構成する情報はMAGIだけでなく、MAGIが接触を持つあらゆる場所に分散して記録されていた。だから僕はそれらを集めて再構成し、“容れ物”に打ちこむことでシステムから分離した】
「“容れ物”って、まさか、あれ・・・・・」
【・・・多分、葛城さんが想像してる通りのものさ。量産機がすべて完成した後に生産工場は破却されたけど、一体だけ、浄化水路のなかにひっかかって残っていた。カヲル君には申し訳ないと思ったけど、いつまでもネットの中の幽霊に甘んじてられなかったのでね。
 あれが使えるようになるまでに思ったより手間をくってしまったから、ジオフロントへ来るのも遅れてしまった】
「じゃ・・・・」
【やはり、仮の身体じゃ行使できる力に制限があったんだね。気づいたのはここを回復してからだったけど。それでも、リリスに抗するにはとてもとても。カヲル君が頑張って威力を減殺しててくれるから、僕でも存在を維持できたようなものさ。
 それでも、わが身が精一杯。・・・・だから、他に選択肢がなかった】
「本部の脳であるMAGIと同化することで、本部自体をあなたのATフィールドにおさめたの・・・・」
【まあ別に、難しい事じゃない。もとの姿に戻れなくなったわけでもないしね】
「・・・・思いきった事、するわね・・・・」
【葛城さんにそう言われると、なんだかものすごくきわどい賭けをしたような気がするなぁ】
 この会話の間にも、凄まじいスピードで音声出力の為のプログラムを打ちかえていたのだろう。いつの間にか、スピーカーから聞こえる声は彼の声そのものになっていた。どうにも緊張感と疎遠な調子も、そのままに。
「言ったわね・・・・・・」
【まあまあ、落ちついて。でも流石にこれじゃもう身動き取れないんで、どうにか手助けがしてもらえたらと思うんだよ。
 もともと、僕はあまりこのたぐいの力の行使は得意じゃない。だから、「榊タカミ・カーライル」は10年以上の年月をかけて変化したにもかかわらず、みすみす32口径数発程度で命を落とす羽目になったのさ。
 それに比べて。変化直後だというのに、N2弾を至近距離でくらって無傷な君なら、あるいは僕よりもはるかに強力なシールドを張ることもできるんじゃないかと思ったわけさ。どうだろう、鈴原トウジ君?】
 ミサトとリツコが思わず振りかえる。開きっぱなしだった扉に、もう一人の人物が立っていた。

***

 それは、はるか昔のような・・・それでいてついこの間のような情景。
  いわやで彼を出迎えたリリスは、興味深げに最後の天使を見た。
 ―――――私は眠るが、私の子らは地に満ちる。だが御身らと私の子らの間には憎しみが置かれるだろう。
 ―――――何故?
 ―――――選ばれ、未来を与えられる存在ものはひとつしかないから。

 リリスの予言は、再びアダムの子らにふりかかった。
 アダムの変形ヴァリアントコピーたる子供達のうち、完全な姿で生存しているのは結局カヲル・・・・タブリスだけになってしまったのだ。
 だが、与えられる未来とは一体何か。同胞で血を流し合い、求める未来とは何か?
 何故にアダムとリリスは生み出されたか?
 その間に憎しみを置いたのは誰か?
 最後に笑うのは誰か?

「・・・・あなたの望みは? あなたは何を望むの?」
 十字架をその掌に収めるリリスに・・・否、レイと呼ばれた少女に、カヲルは静かに問うた。
 ―――――父が私と私の子らにかけた呪詛を除く。私の子らに未来を与える。
「父なる方がリリンに与えた呪い・・・・死すべき身体」
 ―――――それが私の子らの願い。
「死すべき身体を捨てる事が? すべての魂をひとつにまとめることが?」
 ―――――そして私の子らは遷位シフトする。父が恐れて二つに分けた、アダムなるもの、リリスなるもの、
      すべてを含んで新化・・する。
      そして役目を終えられた父には、消滅という安息を差し上げる。
      それが父なる方の望み。
      変わろうとし、また変わるまいとする。父なる方ですらとらわれる生命のくびき
      そのジレンマの中で我らが生まれた。
      変わるまいとするアダム、変わろうとするわたし。

      ならば終わらせて差し上げる。ひとつの星の歴史になんなんとするそのジレンマに!

 カヲルはいたましさをこめて吐息する。
「・・・・・それがあなたの選んだ子の望み?」
 そして、十字架を見る。閉ざされたままのシンジの心に話しかける。
「・・・・・それが君の望みなのか、シンジ君・・・・?」
 無の静謐。傷つくことも傷つけられることもない。
 それは、彼にとって望みかもしれない。
 あの、痛みに満ちたこころをカヲルは忘れない。

『なにも見たくない。なにもしたくない』
『自分には何もできない。できるのは他者を傷つける事だけ。
・・・・・・だったら何もしないほうがいい!!』

 その叫びは、カヲルの胸を裂く。
 あの場所ターミナルドグマで、生き続けようとすることは可能だった。
 あの場所岩窟で、生き続けようとすることは可能だった。
 それをあえてしなかったのは、何ゆえか。
 胸に問うた答えはただひとつ。・・・・逃げた・・・のだ。
 傷つくことが恐ろしくて。傷つけることが恐ろしくて。
 預けられた命が重すぎて――――――――――。

 サキエル達が巧妙にすり替え、ゼーレの手から隠したコアで再生を果たした今も、なにも変わってはいない。
 フィフスチルドレン・渚カヲルがした事は、結果としてシンジに深い傷を与えた。それがたとえ、今までのつらい経験の上積みに過ぎなかったとしても。
 償いたくて、ここまで来た。
 だが、再び突き落としたのもカヲルだった。
 ダミープラグ。セカンドインパクトの後、彼がゼーレの手におち、再生を拒否した結果。自らの解決を拒み、ただ卵の中の安寧にとどまろうとした自分自身の醜い影。

 父なる方が自身が提起したアンチテーゼ、リリス。
 叛するべく生み出されたもの。
 叛意・・・堕ちる自由をも含む『自由意思』を属性として造られたアダムのヴァリアント、タブリス。

 ―――――――――― 僕らは、同じもの・・・・だ。

 たとえ父なる方のさだめに背こうと・・・・リリス、あなたと争いたくはなかった。

 だが逃げて、逃げつづけても、何も変わらなかった。
 何かひとつのアクションですべてを変えられるわけではない。だが、踏み出さなければ進まない。

 カヲルは、槍に力を伝えた。

「――――――――――逃げちゃ、駄目だ」

第Ⅸ章 そして御使は神の前に立つ