1mに満たない落下でも、体勢が悪ければそれなりに衝撃はある。とりあえず起き上がって、ナオキは頭を掻いた。
「…えーと、これは…」
 至ってお馴染みの感覚である。ネフィリムのひとりであり、女教皇ハイ・プリーステス異名ふたつなを持つ超級ハッカーでもあるリエだけが操れる空間転移だ。
「はい、おかえり」
 その声に頭を上げると、少し意地の悪い微笑を浮かべたリエが、アンティークのアームチェアに昂然と座して目の前に居た。古ぼけているが間違いなくプチポワン1の肘掛けに頬杖をつき、足を組んで帰還者達を睥睨する姿は異名を裏切らぬ妙な威厳を醸し出していた。確か今は欧州ではなかったか。まあ、彼女に地理的距離はあまり関係ないとはいえ…。
「…こりゃどうもお世話サマ」
 他に言いようもなくて、ナオキは座り込むと頭から濡れたバンダナを取って絞った。場所は高階邸の半地下、アクアリウムのある部屋だ。まあここなら、下はタイルなので水浸し泥だらけの面々が転移してきても問題はない。
 ナオキが見回すと、座り込んだユカリの傍にタカミが膝をつき、タオルで髪から水気をぬぐってやっている。その隣ではユキノがミスズにタオルを渡すところだった。他の3人も無事に戻っているのを確認して、ナオキはほっと一息つく。
「あー、ひどい目に遭った。ただいまー!」
 そう言いながらからりと笑うタカヒロに、レミが勢いよくタオルをぶつけた。
「とっととシャワー浴びてらっしゃい。それから早く寝る! 叱言こごとは明日よ。当直勤務明けのサキは機嫌悪いから覚悟しとくのね」
「うへぇ…」
 げんなりした表情を隠しもせずに、それでも逆らわずに悪童共はシャワー室へ向かう。
「サキ、当直かよ…タイミング悪かったなぁ…」
 タイルの上に胡座をかいたまま、ナオキが嘆息する。
「ナオキも大丈夫?」
 タカミがタオルをナオキに差し出していた。ユカリが少し落ち着いたらしく、自分で立ってこれもシャワー室へ向かったので、手があいたらしい。
「お、ありがとさん。で、いつからモニタしてたんだ?」
 タカミが苦笑する。
「そんな、出歯亀してたみたいに言わないで欲しいなぁ。研究室からの帰りに夕食させてもらおうと思ってAngel’s Nestに行ったら、早仕舞いしてるじゃない。物騒な話もあったことだから、もしか巻き込まれてたらいけないと思って順々に電話してみたら、誰も出ないでしょ。こりゃまずいかなと思ってリエさんに連絡して、みんなの携帯の所在をサーチしてもらったら…みんな携帯を店に置きっぱなし。範囲をタブレットに広げて検索したら、ようやくカツミのタブレットが引っかかったって訳。あとは、僕がアンテナ広げてたら碇君達はパニック起こしてるし、その後ユカリちゃんの声が聞こえたもんだから、これは緊急事態ってことで…後はこのとおり」
「地下はどうせ携帯つながらんと思ったからなー…濡らしても莫迦ばかしいし。そっか、坊ちゃん連中の悲鳴で筒抜けたか。相変わらず、解放したときの範囲レンジ広いなお前」
「最近はだいぶコントロール良くなったけどね。2あんまり凄い悲鳴だったから椅子から滑り落ちそうになったくらいさ。まあ、みんな無事で良かった」
「…そいつはお世話サマ。ん?物騒な話って…ひょっとしてタカミお前、あの空洞の話知ってたのか?」
「まぁ一応。掘ってるって話は前からあったけど、最近何か見つけたらしくて動きが慌ただしいって話は、カヲル君経由でね。出元はユイさんって聞いてる。サキの方からは、また面倒事が降ってくるかもしれないって愚痴だけ聞いたかな。その辺を総合すると、大体ね」
「うー…コレで勘弁してもらえると思うか?」
 ナオキが検体の入ったケースをポケットから出して言った。ナオキと一緒に水は被ったが、ケースはほぼ密封なので中身は無事だ。
「そこら辺は、僕にはなんとも。でもまぁ、そこら辺に凍ったまま転がってる検体・・とコミなら、イサナはすこし態度が柔らかくなるかもね」
 そう言って、タカミが融けかかった氷で水浸しの床を指した。空間を閉じる前に一緒に入り込んだらしい氷片…というより巨大な氷塊がいくつも転がっていた。当然ながら、氷の中に入っていたモノも一緒に。
「…で、疲れてるとこ申し訳ないんだけど…イサナが話聞きたいって」
 些か気の毒そうに、タカミが言った。ナオキが頭を抱える。
「そーだよな…ま、そーなるわな…」
「とりあえず…がんばってね、ナオキ」

***

「「「「「「ごめんなさい」」」」」」
 翌朝、ダイニング。ナオキ、カツミ、タカヒロ、タケル、それにミスズとユカリが起きて集まった時、そこでは既に当直明けでやや顔色と機嫌の悪いマサキが朝食を終えてコーヒーを啜っているところだった。この分では急患続きで一睡もしていないに違いない。…ここはとりあえず謝るに限る。
「…わかってりゃいいさ」
 低い声で言われて、特にナオキは背中を冷汗が滑り降りるのを感じた。
 マサキが置いたカップを、傍に立っていたイサナがすっと引き取ってサーバーからコーヒーのお代わりを注ぐ。
「地道に地面を掘ってた連中が、なにやら見つけたのはいいが…アクシデントがあって急遽フタをしたらしいって話が碇博士から流れてきたのが先週の話。ちょっと状況が判らないしアクシデントの内容も不詳。少し調べた方がいいかもしれない…ってとこだったんだ。最終的には手間が省けたんだから結果オーライって言えなくもない」
「そりゃよかった♪」
 タカヒロがへらっと笑って言ってから、マサキに睨まれ慌てて黙る。
「タカミがアンテナ張ってたからリエを呼び戻すのも転移も間に合ったようなもんだが、そうじゃなかったらお前ら今頃生き埋めだぞ。掘り出すのも結構面倒なんだから自重しろ。
 …ってか、動くんならちゃんと事前に連絡!」
「「「「「「はーい」」」」」」
「よろしい。…じゃ、すまんがイサナ、報告を」
「Yes,Boss.」
 イサナがキャビネットの上に置いていたタブレットを取ってマサキに差し出す。
 ナオキの位置からはちらりとしか見えなかったが、そこにはきちんと体裁の整った、しかも画像を含めた詳細な報告書が表示されていた。彼らがリエの転移で帰還を果たしたのは既に日付が変わった頃だったから、あれから分析してまとめたとしたら徹夜仕事ではなかろうか。しかし、イサナはといえばそんなふうは微塵も感じさせない。
「結論から言えば、量産機の機体のほうは組織自体の生命力が強いから原型を保っているだけで、完全に機能を停止している。生き残った細胞が死んだ細胞、弱った細胞を順次食い物にして生存しているが、一個体としての機能は残っていない。まあ、時間はかかるだろうが放っておけば土に帰るだろう。もともとEVA自体、培養した組織を無理矢理つなぎ合わせて稼働させるんだ、管理されなければ個体として存在すらできないんだから当然だがな」
「細胞を保存、培養、組織として再構成されることがなければ問題ない?」
 マサキの確認を、イサナは頷くことでうべなった。
「気になったのはケイブフィッシュのほうだ。明らかに量産機の残骸がもたらした栄養分を取り込んで繁殖・巨大化している。遺伝子的な変容が起きていたらコトだ」
「…それってありていに言えば、本来貧栄養な地底湖で急に無茶苦茶な栄養分に恵まれちゃって、爆発的に増えた挙げ句でかくなったってことだよな?」
「…そうだな。奴ら量産機食ってたのか…俺たち、かじられなくてよかったなぁ」
 タカヒロとカツミが暢気なひそひそ話をしているのを完璧に無視スルーして、イサナが説明を続ける。
「解析結果、遺伝子的にEVAと類縁といえそうな遺伝子変化を起こした個体は見つからなかった。本来、繁殖も成長もかなりスローペースの筈が、栄養過多でライフサイクルが狂ったんだろう。おそらく通常の環境に戻れば大きさも個体数も元に戻る。これも多少時間はかかるだろうがな」
「…了解だ。ご苦労だったな、イサナ」
「Not at all.」
 タブレットをイサナに返して、マサキがナオキたちに向き直った。うっすらと笑みを浮かべている辺りがまた怖い。
「…さて、じゃあ後始末をしてもらおうか?」
「えーと、何をしたら?」
 おそるおそる、ナオキが訊いた。
「タカヒロとタケルは見つかっちまった量産機の残骸を処分・・してこい。とりあえず、サンプル取れないくらいに灼いとけ。お前らが暴れてくれたお陰でアクセスが難儀だが、座標は取れてるからリエに協力を仰げ。イサナ、面倒ついでで済まんが統制コマンドアンドコントロール頼む」
「Yes,Boss.」
「ナオキとカツミは地下室の掃除。でっかい氷塊もそうだが、あの生ゴミをなんとかしろ」
「了解…」
 生ゴミとはあの巨大ケイブフィッシュのスライスないしミンチに他ならない。処分方法を考えるのにナオキは頭痛を感じた。
「ミスズとユカリはスタッフ半分以下でもちゃんと店は回してもらう。ただし、応援を呼ぶのまでは制限しない」
「あっ依怙贔屓!」
やかましい!」
 タカヒロのブーイングをその一言で切り返してしまうと、マサキはコーヒーの残りを呷って立ち上がった。
「以上解散!俺は寝る」

***

「大変だったわねえ…。ってか、実際アレ、何だったのかしら」
 カフェ「Angel’s Nest」、夕刻。
 警備会社の人にこっぴどく叱られ、家に帰ってからそれぞれの保護者に叱られ、学校に通報されて教師にも叱られたにわか探検隊(リリン組)は…ぐだれていた。口八丁で難を逃れたアスカはここでぐだれていられるだけまだましで、(まるきり冤罪でもないが)首謀者と見なされたケンスケはまだ学校で説教をくらっている最中だ。
「…ところで小鳥遊たかなしさん、今日はスタッフ少ないね?…っていうか、君一人?」
 シンジに問われて、ミスズが額にたらっと汗を滲ませながら笑う。
「あははっ、そ、そーなの。応援、ユウキぐらいしか来れなくて…階下したのほうが大変だからそっちに行ってもらったの。パンの仕込みはともかく、釜はユカリじゃ無理あるし」
「そういえばさっきちらっと見たらショップで綾波がレジ打ってたね」
「レイちゃんは今日初めて来てくれたんだけど、こーゆー緊急事態だから応援頼んじゃった」
「どうしたの?風邪流行ってたっけ?」
 ヒカリに真剣に心配されて、ミスズは慌てて両手を振った。
「まーそんなもん。でもたいしたことないから。あははっ♪」
「え、じゃあひょっとして、ショップにカヲル君もいるの?」
「ああ、カヲルはサキに呼ばれてウチに行ってるわ」

***

「ジオフロントを掘り返している手合いがいるとは聞いてたけど…」
 事の顛末を聞いたカヲルは、供された紅茶に視線を落として吐息した。
「まあそう深刻になるな。結局のところ、量産機の残骸がたまたま浅いところに埋まってたってだけの話だ。
 イサナの解析だと、やはり放置されたEVAはゆるゆると朽ちていくのが運命のようだから…組織片を回収されたりすると面倒だがあのまま埋めておいて特に問題はなかろうよ」
 マサキのカップには、香気からするとどうやら紅茶以外の成分も含まれているようだったが、カヲルはとりあえずそこには何も言わないことにした。
「ヴィレも研究機関であることに違いはないから、これから何か見つかれば解析に動くことは間違いない。それは仕方ないし、俺たちだって自分自身のことは識りたいからな。それ自体を全く否定しようとは思わん。…だが、兵器として転用されるようなことは避けなきゃならんからな。時と場合、必要に応じてちょっかいは出させてもらうさ。
 お前には知る権利がある。だから一応今回のことについても知らせた。もしお前が、関わりを煩わしく思うならこれきりにする」
「いいえ…」
 カヲルは顔を上げてはっきりと言った。
「僕はもう、逃げないって決めたから」
 マサキは微笑して言った。
「いい表情かおだ。…ただし、肩の力は抜いておけ。お前がピリピリすると、嬢ちゃんが心配する」
 何から何まで見透かされているようで、カヲルにしてみれば今ひとつ面白くないのだが…。
 そのとき、ノックの音がした。イサナだ。
「あぁ、ご苦労だったな。結局お前、ナオキ達も手伝ったんだろう。お前にしてはえらく寛容なことだったな」
「まあ今回は、いろいろ手間が省けたからな。あいつらばかり責めても可哀想だろう」
 イサナの台詞には、カヲルだけでなくマサキも軽い驚きを感じているようだった。
「それとな、サキ」
 イサナは500ミリビーカーと同じ位の大きさの広口瓶を携えていた。水が半分ほど入ったそれをことり、とテーブルの上に置く。
「おいイサナ、これ…」
 マサキが絶句する。広口瓶の中には、5センチに満たないピンク色の魚が泳いでいた。…正確には瓶の底に張り付いている。間違いない、件のケイブフィッシュだ。
「一緒に転移されてきた氷の中に、凍結された稚魚がいてな。気をつけて解凍してみたら、生きていた。
 …飼っていいか」
 マサキが明らかに反応に窮しているのを、カヲルは実のところ楽しみながら眺めていた。実際、そうそうお目にかかれるものではない。
「量産機の影響で大量発生していたらしいが、本来は希少種なんだ。光を嫌うだろうが、此処の地下なら場所も確保できる」
 一見、自律と自戒の権化のようなイサナの奇癖わるいところといえば…海の中で午睡するぐらいだと思っていたが、アクアリウムに関しては結構こだわるらしい。その上、魚に限らず飼っていた生物いきものに死なれたときの鬱陶しさは半端ない、と以前誰かが零していたのを聞いたことがある。
 ある意味で誰よりも、寿命のことは承知の上で飼っているのだから、誰もうかつに声がかけられない。そのうち勝手に浮き上がってくるから、それまで皆ひたすらに当たらず触らずを貫くのだという。
「…ま、大事にしてやれ」
 マサキとしても多分、他に選択肢がなかったに違いない。
 諾を得たイサナが、微かに相好を崩すのを見て、カヲルは新鮮な驚きを感じた。
「あのひと、あんな表情もできたんだ」
 イサナが出て行ったあとで、カヲルはそれを素直に口にした。
「世界が驚きに満ちてるってことは、幸いなことさ」
 些かやけくそ気味に、マサキが言った。

――――Fin

  1. プチポワン…拡大鏡を使って施される目の細かい刺繍。絵画的表現が出来ることで評価が高い。
  2. タカミの能力は精神感応系。しっかり遮蔽しないと他者の感情に引き摺られやすいので普段は鈍いくらいに遮断している。しかしうっかりすると怪我した猫にも引き摺られるんだから大変だ。(「すべて世はこともなし」Extra Part参照)