Scene 5 Transit in summer


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world Ⅱ」

西側ルート。トラップの敷設を終えて、ミサトと加持がその発動を確認出来る位置ポジションで伏せると、程なくエンジン音がした。そして停止する。
「んー、やっぱ一応プロか」
 伏せたまま、プローブつきのカメラで様子を覗いながらミサトがぼやく。舗装された道路だ。穴を掘って地雷を埋めるというわけにも行かない。だから、道路に落ちた荷物を装って罠を置いた。これを踏んでくれるくらい間抜けな相手なら世話はないのだが…この場は車が止まってくれれば十分。
 兵員輸送車から二人ほど降りてきて、つぶれかかった段ボール箱に近づく。見る者が見れば露骨に怪しいのだから、当然の反応だった。
「…行くわよ」
 ミサトが起爆装置に指を掛けた。
「はいはい」
 110mmLAM 1 の照準を停止した輸送車に合わせ、加持が応えた。
 爆発音。音と煙は派手だが殺傷力としてはそれほど大きくはない。それでも、障害物の検分に降りていた兵士二人が吹っ飛んだ。同時に、加持が110mmLAMを発射する。続いての爆発でゆっくりと車両が横転した。
「しまった、吹っ飛ばすつもりだったのに。やっぱり照準あまいわ」
 ミサトが舌打ちする。車両本体には当たらず、路面を掘ってしまったらしい。それでも爆風で浮き上がり、横転したのだが、車両の走行能力が失われていないならここは退けない。
「すまん」
「いーわよ、私がやったって同じだわ。そこのバレット寄越し…て…」
 言いかけて、ミサトが凍り付く。風が煙を吹き払った後に、道を塞ぐようにして立ちはだかる者を見つけた所為だ。
 銀色の髪。見間違いようがない。カヲルだった。
「莫ッ迦、さっきイサナ君に説教食らったばっかりでしょ!」
 バレットを放って、ミサトが岩陰から飛び出した。
「わっ、おい葛城!?」
 カヲルのことを言えた義理ではない。あの大きさの兵員輸送車なら乗っている人数が十人を下回ることはない。そんな中へ、USP一丁で斬り込むなぞ無茶苦茶だ。加持がミサトの放り出したバレットを掴んで後を追う。
ミサトが一直線にカヲルに駆け下りる一方で、加持は途中で踏みとどまり横転した輸送車へ向けて腰溜めで撃った。当然、声高に自分の位置を知らせるようなものだから、土煙さめやらぬ間に加持へ向けて火線が集中する。
 だが、銃声はすぐに機械が押し潰される音に取って代わられた。
 輸送車が、無形の隕石にでも当たったかのように拉がれる。輸送車から走り出ていた兵士も一人残らず地に伏した。状況を察したミサトが後方へ飛び退る。
「派手ねえ…」
 輸送車とそれに乗った者たちが沈黙してしまった後、頭を掻きながらミサトが呟いた。
おそらく、ジオフロントでタケルが自身の落下衝撃を増幅してαーエヴァを吹き飛ばしたのと似たやり方だ。一時的、局地的に重力を増加させたのだろう。カヲル自身はともかく、周囲にいたら巻き添えをくうところだった。
たぶん、値に伏せた兵士達の大半は、余波とはいえ輸送車さえも圧壊させる力では…肋骨数本で助かったら運がいい方だろう。
「…っと、加持!?」
 当面の危険が去り、仕事も完了したところで虚脱しかかったミサトは、とんでもないことに思い至って振り返った。援護射撃をするほうが身を晒してどうするのだ。
「無事なの!?」
 加持が発砲した後近くの岩陰に飛び込んだのは視界の端で見えていたが、無事を確かめた訳ではない。岩陰から投げ出された両足が覗いているのを見つけて、流石に一瞬、胸中に氷塊が滑り落ちた。
 だが、その岩陰を覗き込んだミサトは今度こそ虚脱する。岩陰にすべりこんだ時に打ったか擦ったかした頭を撫でながら、加持が転んだままひらひらと片手を振っていたからだ。
「…いやはや、あまり格好が良くないな」
「…加ぁ持?援護ってもうちょっと、遮蔽物のあるところでするもんじゃない?」
 呆れたようなミサトの声は、しかし吐息半分といった態ではあった。
「面目ない。慌てていてね。…少しは、助けになれたかな?」
 加持の言葉は、半ばはいつの間にか後に立っていたカヲルに向けられていたようだった。それに気づいて、ミサトが後を振り返る。
「…無茶苦茶なのは葛城先生だけじゃなかったんですね。こんなことで怪我しないでくださいよ。僕が言ったのは…」
 カヲルが、すこし困ったように眉を顰めて視線を逸らした。そんな仕草を、ミサトが興味深そうに観察している。
 その時、軽いだけに鋭角的なブレーキ音にカヲルの台詞は中断された。
「おーい、大丈夫?」
 青いフレームのロードバイクから文字通り飛び降り、同色のヘルメットを振り回しながら半分跳ねるように駆け寄ってきたのは、タカヒロだった。
「うっわー派手だねまた。道がムチャクチャ。俺、折角急いで来たのに出番なかったなー。ん?ミスズの艦砲射撃ヘカート…って痕じゃないよね?
 あれー、カヲル? なんでこんなとこ居んの? 駄目じゃん、お前がコテージ離れちゃ。なんで俺がわざわざこっちから来たと思ってんの。もし海側から攻められたらミスズ達だけじゃ止めきれないからって…あれ?」
 タカヒロが全部言い切らないうちに、カヲルは血相を変えて走り出していた。
「…えーと」
 なにやら齟齬が生じたらしい、ということは理解したが、前後が今ひとつ掴めなかったらしいタカヒロが、とりあえず頭を掻いてミサト達へ向き直った。
「ね、おねーさん。…ひょっとして、俺がこっち来るって…イサナ言い忘れた?」
「うーん…とりあえず私達は聞いてなかったわねー…ってことは、カヲル君も知らなかったんじゃないかしら。多分、私達だけじゃこっちの守りが心許ないって思ったんでしょ。微妙に腹が立つけど、そりゃアレ見ちゃったらぐうの音も出ないわね」
 潰れた兵員輸送車を指して、ミサトが苦笑いしながら応えた。
「あちゃー…」
「問題発生かしら?」
「や、問題っちゃ問題なのかも知れないけど…もし、ね。相手がフネ繰り出して海側から寄せてきたら、一番近いイサナが戻っても一寸間に合わないかも知れないし、その為にもカヲルはコテージから動かさないってのが基本プランだったんだけど
 …そっかぁ、イサナってば俺が間に合わないかもと思って説明省いたな?」
「えーっと、つまり…海から押し込まれたら本丸がら空きってコト?」
「手は打ってあるから大丈夫だけど…あーあ、また後からひとモメあるなー…」
 ややうんざりしたように、タカヒロが天を仰いだ。

***

「カヲルがいない?」
 コテージのリビング。リエの声が俄につり上がったので、シンジが思わず2歩ほど後退した。その様子に、アスカが一言入れようと立ち上がる。だが殆ど同時に、レイが口を開いた。
「あ、あのっ…碇君達は、カヲルが私の所にいると思ってて…私が起きて、カヲルを捜しに降りて、初めて判って…」
 リエが頭痛を堪えるように額に手を遣ってから、2階の廊下へ上がる階段を上がった。
 2階のバルコニーから海を見渡して舌打ちする。雨は上がっているが、空はまだ一面の雲。視界は決して良くない。着けたままだったヘッドセットを叩いて何カ所かへ連絡を取りながら、窓の鎧戸を閉めて回った。
「あなたたちは3階へあがって、全部の部屋の鎧戸を閉めて頂戴。それからバルコニーのない側の部屋にいて。できれば山側がいい。窓からは少し離れてなさい。大丈夫、手は打ってあるから心配ないけど、念のためよ。いいわね?」
「は、はい! …ごめんね碇君、惣流さん。こっちよ」
 カヲルがいない以上、客の安全をを守るのは自分の役目と思うのか、レイが即座にそう言って行動に移る。
 指示されたとおりの位置に落ち着いて、窓から一番遠い壁際に3人が並んで座ると、とりあえず一息つく。
「なんだか物々しいわね。あなたの親戚って、やくざの抗争にまきこまれたかどうかしたの?」
 アスカの感想に苦笑いするしかないレイだったが、ある程度の事情を知っているシンジとしてはどう説明したものか苦慮した。
「ええと…半分くらいはうちの事情もあるんだよ。母さんの仕事。研究所の仕事って、いろいろなところと繋がりがあるらしくて…敵も、多いみたい。ごめんね、アスカ」
「そこ、謝るなッ!アタシがついてくって言ったのよ。謝られる謂れはない!」
 音高く後頭部をはたかれ、シンジがつんのめる。
「大変なのねえ…ホントなら警察沙汰じゃない? ああ、アレか。敵の親玉が偉いさんと繋がりがあって、警察が動いてくんないとか?」
 概ね間違っていないが、公権力なぞに介入されるとネフィリム達が迷惑するというのが正直なところなので、レイは苦笑しつつ曖昧に肯定するしかなかった。
 遠くで、落雷かという音がした。
「…うわ、あれ何の音?」
「雷じゃないのかなぁ」
 レイには一応見当が付いていたが、それはここで説明すべきことではないだろう。始まったと言うことは、リエの読みが当たってしまったということだ。…自分に出来ることは何だろう。レイは自問する。
 自分にもカヲルと同じような力が行使出来るはずだが、やってみたことはない。カヲルがいつも傍にいてくれたから。…いつも護ってもらっていたから。
 でも、本当にそれでいいのだろうか?

***

「こーいう読みって当たって欲しくないわよね…」
 2階のベランダは海に面している。視界は相変わらずあまり良くないが、リエは海側からの招かれざる客の航跡を捉えていた。超長距離レーダーユウキからの情報である。ただし、ユウキ達は接敵させるわけにはいかないから、既に退避させた。相手がごっそり火器を抱えている以上、対物ライフルの数挺でどうにかなるものでもないだろう。…向き不向きというものがある。
「…来るわね」
 上陸用舟艇エルキャック3隻、視認インサイト。この分だと沖合にいるのは強襲揚陸艦というところか。
「やっぱり海側こっちが主力か。人攫い程度に本当に容赦無いわね。なりふり構ってない。…まーいいわ。攻め方を間違えたってことをよっく教えてやろうじゃない」

***

 空を紅く染めた残照も失せ、鉛色に閉ざされてゆく海。風はまだおさまらない。
 3階のベランダは、海に面した2階のベランダとは違って東側に開いている。それでも一番端から海を望むことはできた。
 シンジとアスカに様子を見てくるだけだと言い置いて、レイはここへ出てきた。
 リエは「手は打ってあるから大丈夫」と言った。
 ユカリは「私がここにいる以上、絶対ここには押し込ませないから心配しないでね~」と例によっておやつとクッション装備でリビングに構えて3人を3階へ送り出した。
 ネフィリム達が長い間、もっと深刻な状況でも耐え凌いできたことは知っている。それに比べれば、今日のこの事態とて決して動じるに値しないのだろう。それでも、レイは部屋でじっとしていることが出来なかった。
 …多分、カヲルが傍に居ないから。
 胸が潰れそうな、この感覚。ただ待っているということが、これだけつらい。去年の冬、カヲルの帰りを待ちながら凍てついた空を見上げていた時のことは、忘れたくても忘れられるものではなかった。
 風と、海鳴りの音を圧してエンジン音がした。陰鬱な空と同じ色の船が、つい先日皆と遊んだ海を蹴立てて迫る。
「…っ…!」
 思わず、フェンスを握りしめる。
 駄目だよ、カヲル。もう、ただ待ってるのは嫌。
 レイは、フェンスを乗り越えた。

***

 強い風。鉛色の雲。鉛色の海。
 上陸用舟艇エルキャックが入江に侵入する。入江の水深は決して深くはないが、何となれば湿地でも移動可能なのだからものともしない。
 ベランダのフェンスを乗り越え、庭へ飛び降りたレイが砂浜へ向けて走る。防がなければ。ただそれだけが頭にあった。どうしたらいいのか、というあたりはきれいに抜け落ちていたのだが、走り出さずにはいられなかった。
 ―――――だが。
 薄暮の中に、白く浮き上がって見える波打ち際。俄に三メートルはあろうかという波が立ち上がる。有り得ない衝撃に上陸用舟艇が大きく揺れた。
 異様な波が砕けたあとに、その姿シルエットは忽然と現れた。水面の僅か上に佇立し、押し寄せる上陸用舟艇の前に立ち塞がる。
 次の瞬間。上陸用舟艇3隻が押し寄せる、まさにその鼻先の水面が斜めにばっくりと割れて、船を載せたまま巨大な水の塊が捲れ上がる。巨大な無形の刃物が天から振り下ろされ、海面を薙いだかのようだった。
 捲れ上がった水の塊は船を飲み込んだまま崩落した。
 思わず、レイは足を止めた。
「こら、嬢ちゃん放っぽらかしてカヲルは何してる!」
 転覆した上陸用舟艇を一顧だにせず、身を翻すと水面を歩いて渡りながらコテージに向けて怒鳴る。
 20代から40代まで何と言われても納得できそうな年齢不詳な容貌。色の淡い頭髪と、生成きなりのサファリシャツにチノパンツという至って平凡な風体は、今は水を被った直後のように濡れていた。
「た、高階さん?」
「リエ、レミに道をあけてくれ。それとタカミ、いつまで寝てる気だ。沖合5㎞、ミストラル級強襲揚陸艦! 制圧しろ、お前の仕事だ!」
 転覆した上陸用舟艇から放り出された兵員が波打ち際でようやく立ち上がり、自動小銃の銃口を向ける。マサキはうるさげに半身返しただけだったが、殺到した火線は橙赤色の楯に悉く弾かれて僅かな間薄暗い水面を照らす。
 殆ど間を置かず、上陸用舟艇が沈められたあたりの直上5m程に闇色の穴が出現する。そこから現れたのは、薄闇の中に白い炎が上がるかのような長い銀の髪。
「運悪く心臓止まっても、一回は蘇生させてあげるわ。とりあえずおとなしくしてねっ!」
 そう言って、妖艶に微笑む。その両手の間には、既に眩いばかりの雷光がぜていた。
 轟音と共に、落雷。転覆した船からようやく浮かび上がったばかりの兵士達が、水面に投げ落とされた雷がもたらす衝撃をまともにくらった。
 海に落ちる雷は瞬時に水面で拡散する。水面下にいれば難を逃れることもあるが、タイミングは絶妙であった。
「うーん、ある意味電撃漁法?」
 レミがころころと笑いながら、砂浜に舞い降りる。
 その時、マサキに声でなく届いた声があった。
【…再起動system reboot
「やっと起きたか」
各機能each function 動作確認system check…】
 レミも感じたらしく、虚空を振り仰ぐ。
再起動完了system reboot completed全機能正常system normal
 しかし、ひどく無機的な響きにレミがマサキをかえりみてすこし訝しむように首を傾げる。
「…タカミ、本当に大丈夫なの?…実は件の幽霊に喰われちゃったりしてないわよね?」
 マサキが苦笑で応える。
「さすがにそこまで間抜けじゃないだろう。…始まるな」

***

 コテージのある入江の沖合。上陸用舟艇からの連絡が途絶したことで、艦上に漣のような緊張が走る。しかし、突如として全艦の電源が落ちたことで、一気に騒然となった。
 電源の停止は数秒で、すぐに自動的に全艦機能の再起動が開始される。混乱は静まるかに見えたが、そうはならなかった。
 発電機は稼働し、電源回復とともに空調・照明などの艦内機能は次々と動き出しているのだが、全く操作を受け付けない。艦橋のワークステーションは稼働していても、画面は黒いままで一切の情報を表示しようとしない。
「何が起きている!?」
 艦長の問いに答えられる者はいなかった。反応のない操作盤パネルを叩き続ける光景が随所にあるだけだ。そんな中で、甲板要員が伝令を送ってきた。艦内の通信も全く通じないのである。
「所属不明のヘリが一機、急速に接近中」
 レーダーシステムもIFF 2 も機能していない以上、目視するしかない。それも、夕闇の中では判別は困難であった。
「攻撃…しますか」
「敵味方がわからんのに出来るか、そんなこと。第一、攻撃しようにも火器管制が戻ってない!」
 その間にも接近したヘリが艦の直上で空中停止ホバリングする。凄まじいダウンウォッシュが甲板に吹き荒れた。
「ちょっと、そこの甲板空けて頂戴。降りるわよ!」
 外部スピーカーが伝えたのは女性の声。まるで電車で席を詰めろという程度の気楽さで、しかし有無を言わせない圧力があった。甲板要員たちは本来ヘリの風程度で動じたりはしないが、あまりな展開に算を乱して右往左往する。
 着艦したヘリから降り立ったのは、栗色のショートカットにスーツ姿の女性と、ミドルティーンと見える銀髪の少年だった。女性は手ぶらであったが、少年の方は半袖のデニムジャケットの下に拳銃のホルスターを吊っている。
「ヴィレ評議員・技術部長の碇ユイです。この艦の責任者、出てきなさい!」
 のっけから切り口上、まごうことなき喧嘩腰である。艦の機能は凍結状態とはいえ、敵のど真ん中に乗り込んでこの啖呵。多勢に無勢という状況を全く感じさせない。実際には数人、銃に手を掛けた兵士もいた。しかし、ユイの後に立っている少年の姿にひそひそと囁きかわし、最終的に構えることはしなかったのである。
 その様子に少年は露骨に眉を顰めたが、それ以上のアクションを起こすことはなかった。
「ものものしいご来訪ですな、碇博士」
 艦長と、ダークスーツの人物が人垣を割って出てくる。
 このタイミングでこの人物碇ユイである。二人とも表面こそ平静を装ってはいるが、この艦が操作不能に陥ったことと結びつけずにはいられない。
「ものものしいのはどっちですか、時田さん。日本重化学工業共同体なんて天下の大企業が、民間人相手に軍艦繰り出して誘拐ひとさらいなんて、恥ずかしいとは思わないの!?」
「『民間人』…ねえ」
 時田と呼ばれたダークスーツが、白々しい、といった薄ら笑いを隠しもせずに言った。
「彼等を民間人と認識するには少々問題があるのでは?そもそも人ですらないでしょう」
 少年が柳眉を逆立てる。だが、ユイのほうが反応は早かった。
 ぱあん、と派手な音を立てて時田の顔に白い手袋が叩きつけられる。
「おだまり! ひとの息子をつかまえて、その母親の面前で人間じゃないですって? そんなに私に喧嘩が売りたいなら買ってあげるわ。その代わり、高価たかくつくから覚悟なさい!」
 白い沈黙が降りた。
「…何ですと?」
「この先のコテージにいるのは私の息子だと言ったのよ。息子がガールフレンドと、私の友人のコテージに遊びに来てるの。何か問題あるかしら?あるとしたら、営利誘拐の現行犯たるあなたがたじゃなくて? それは、日本重化学工業共同体あなたがたにしてみれば私なんて目の上のタンコブでしょうけど、子供を人質にとって私に評議会を欠席させようなんて、やり口がえげつないわよ」
「…営利誘拐…?」
 艦長が胡散臭そうな眼で時田を見て、一歩退く。艦長にしてみれば、テロリストの巣窟を襲撃して要人の身柄を抑えると聞かされていたのだ。話が違う。
 手袋をまともに叩きつけられて赤くなった鼻を擦りながら、時田が声を荒げた。
「き、詭弁だ。でっち上げだ、無茶苦茶だ!」
「…時田さん、以上の事柄を踏まえた緊急理事会の決定をお伝えしますわ。ヴィレは日本重化学工業共同体を除名、すべての研究資料の返還を正式に請求します」
「陰謀だーっ!」
「何なら確認なさったら? 上の方にはもう連絡は行ってる筈ですし」
「いや、当艦は今、通信機能が…」
 艦長が苦い表情で言いかけると、ユイはあらまあ大変、と自身の携帯電話を取り出して発信をかけた。
「どうぞ、時田さん」
 ユイが携帯電話を差し出す。憤怒と焦燥で赤くなったり蒼くなったりと忙しい時田が渋々それを受け取った。電話片手に汗を拭き拭き、誰も居ない空間に向けてお辞儀を繰り返すこと数十秒。
 時田の両肩ががっくりと落ちた。
「ご納得いただけたら、お帰りくださいな。先刻もお話ししたとおり、コテージは友人のものですのよ。迷惑を掛けては申し訳ないわ」
 もはや幽霊のように蒼白になった時田が、物も言わずに携帯電話を差し出した。ユイはにっこり笑ってそれを受け取ると、踵を返す。
「では、私はこれで」
 ヘリの回転翼ローターが動き出した。パイロットシートに残っていたセミロングの女性が始動させたのだ。
 ユイが後も見ず軽い足取りで乗り込んだ後、銀髪の少年がそれに続いた。スライドドアを閉めるために彼が振り返った時、取り囲む兵士達の間に畏怖という見えない波が広がる。
 だが、彼はつまらなそうにそれを眺めて、表情を変えぬままドアを閉めた。
 ヘリが舞い上がり、来たときと同じように急速に翔け去っていくのを見送って…兵士達は虚脱していた。
 航空灯が宵闇へ溶けてどのくらいの時間が経ったものか。ほんの数分であったはずだが、彼等にはひどく長い時間と思われた。
 不意に、艦のコントロールが戻ったらしく、上陸班からの連絡が入った。…というより、救援要請であった。
「当艦は上陸班を回収後、帰投します。よろしいですな」
 艦長が重々しく宣する。時田は甲板に座り込んだまま、動く気力も失せてしまったようだった。

――――――to be continued
  1. 110mm個人携帯対戦車弾(LAM=Light-weight Anti-tank Munition)…携帯対戦車兵器で、ロケットブースター付き弾頭使用の無反動砲の一種。本家はパンツァーファウスト3。
  2. IFF…敵味方識別装置(identification friend or foe)の略称。電波などを用いて、敵の機材・部隊であるか味方の機材・部隊であるかを識別する装置。
Scene 5 Transit in summer