竜を滅せし者

Full Moon

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅴ)
SLAYERS FF「The Dragon’s Peak」


竜を滅せし者ドラゴンスレイヤー

降魔戦争の折、竜族をほぼ単独で退けた獣神官。

その功を以って、北の魔王より呪符タリスマンを下賜されたという。


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room (Novel-Ⅴ)
SLAYERS Fun Fiction
竜たちの峰《2》 竜を滅せし者

 ひどい戦になったものだ。
落日のカタート。東には冴えた月。際限のない魔法合戦の末に溶岩を以って耕されたかのような地表をよそに、そこにはただ静寂が降りていた。
作戦遂行中、水竜王側の増援をカタートに近づけさせない。それが彼に下されたあるじの命令であった。その主力は竜族。中でも神族にちかい最高種族・・・黄金竜ゴールドドラゴン族。
何が最高種族か、とゼロスは内心で毒づいた。いかに強大な魔力を有しようと、それだけで戦に勝てるものではないと・・・なぜ理解らないのか。いくら撃ち落としても際限なく押し寄せ、飽くことを知らない。蜿蜒えんえんと同じことの繰り返し。
挙句が、この光景だ。
山容を変化させるほどに折り重なった竜のむくろ。いちいち数えるのも莫迦ばかしくなるほどの数。わが身に傷ひとつ受けたわけではないが、身の裡に澱のように溜まった疲労感が、習い性となった微笑とは裏腹に彼を苛立たせていた。
目障りだ。
理不尽な感情であったろう。勝者であるはずの自分が、何故こんな思いをせねばならないのか。神官杖を鋭く一閃させる。蒼い炎が、彼の苛立ちの原因もとを呑み込んだ。
竜たちの骸が消えてゆく。それですべてがおさまるわけでもなかったが、この得体の知れない苛立ちを、何とかしてしまいたかった。
どさり、という重い音がした。思わず、びくりとして振り返る。
人間?・・・否、人が入り込める場所ではない。この金髪金瞳は、人形じんけいを取った黄金竜か。満身創痍。右腕は・・・転落の傷ではないだろう。おそらく何らかの攻撃魔法で爆砕されたか、上膊部から先が無い。
何らかの?・・・笑止。この自分以外、誰がいるというのだ。もはや、憶えてなどいないが。
もう、まともに立つこともできないようだった。自らが作り出した緋の泥濘に膝をつき、それでも金色の眼は自身の右腕を吹き飛ばし・・・また、たった今同胞を焼き尽くした者を真っ直ぐに見ていた。
魔族の外見は恣意的なものだが、竜が人形じんけいをとるとき、その外見は概ね年齢を反映するという。・・・おそらく、生きてきた時間は自分とあまり変わるまい。
神官杖を握りなおす。・・・竜の生命力ならこの程度でも死にはすまいが、ひとり死に遅れるのも哀れなもの。
まさに振り下ろそうとしたその一瞬、呼び止められて動作が止まる。
ゼロスは、月を仰いだ。
ほかでもない、獣王ゼラス=メタリオムの召還命令。
瞬時に頭が冷える。否やはない。もはや目の前の敗者なぞ一顧だにせず、振り上げた神官杖をおさめると、即座に身を翻した。
・・・たかが死にかけた竜一匹。
しかしその死かけた竜を燃やしてしてしまわなかったことに、安堵している自分がいる。それに少し驚きながら、ゼロスはアストラルサイドへ身をうつした。

***

 群狼の島に戻ったが、主は玉座にいなかった。発動したばかりの結界の安定のために今は動けない、休息しているようにとの命であると近侍の者に聞かされた。妙だとは思ったが、これも否やはない。居室に退がり、杖を置いて長椅子に身を落ち着けた。
精神アストラル体である魔族は本来休眠など必要としない。多大なダメージをこうむり回復途中の場合は一時的に外界との接触を絶つケースがないでもないが、彼のように物質界における「よくできた」実体を持つ場合、それを維持するために実体を休眠状態に置くこともある。当然、本体である精神体は眠ったりしないが。人間のふりをすることにまったく違和感の無い実体というのも、それはそれで手間のかかるものなのである。
だからこそ、「よくできた」実体は高位魔族の能力の証左とも言えた。彼の場合、創り手ゼラス=メタリオムの趣味半分という公算が大ではあったが。
休眠が必要なほどの疲労が蓄積する状態ではなかったが、長椅子に身を落ち着けてしまうと身体は休眠を要求していたことに気がつく。待命中の身である。ゼロスは実体の要求を是認した。
長椅子の上で、身体がゆっくりと傾く。
あの竜を燃やしてしまわなかったことに、何故安堵したのか。あれだけの屍山血河を築いたあとで、どれほどの差があろうか。・・・埒もないことが、頭の隅をかすめた。
実体の維持に力を用いない所為か、獣王の結界のうちに身を置いている所為か。思考を妨げていた澱のようなものが洗い流されていく。思い出すのは、あの双眸。
身体はぼろぼろの癖に、その金色の双眸だけは炯々けいけいと光っていた。物質界に命を持つもの特有の光。おそらくは、魔の対極にあるもの。圧倒的な力だけでは捻じ伏せようの無いもの。
唐突に・・・川底の泥の中から石が現れるように、苛立ち、不快感の原因もとを見つける。
圧倒的な力に振り回されていたのは、ほかでもない自分だった。単調な攻撃をただ払い除けるだけ。しかしおよそ生まれて初めて、自身の魔力を制限なしに行使した気がする。それが心地好かった。おそらくそれは、力に酔っていたのだ。
何のことは無い、自分も彼らと同じだっただけ・・・それが不快だった。あの金色の双眸は、それを映した。だから、疎ましく思いながら消し去ることを躊躇ったのだ。
解ってしまえば何でもないことであったが、さてそうなると、あの竜を生かしておいたことが良かったのか、悪かったのか。俄かには判断がつきかねた。そういえば、そもそも戦がどうなったかさえ、見定めぬままに帰ってきてしまったのだが・・・
ふと、実体に戻る。そして初めて、自分の置かれた状況に気がついて慌てて起き上がろうとした。
「そのままで良い。・・・私も疲れた」
畏れ多くも、獣王グレーター・ビーストゼラス=メタリオムの膝の上に頭を乗せていたのである。長椅子に凭れ掛かっていたつもりだったが、いつの間にか戻ってきた主がいつもの肘掛椅子でなく、こちらに座を占めていたのだ。
「お戻りとも知らず、失礼を・・・」
起き上がろうとした頭は、繊細だが強靭な手で押さえられた。
「そのままで良いと言うのに」
「・・・でも・・・・はい」
もとより、心地悪い訳ではない。下手に抗う理由も無いので、そのままあるじの膝に頭を預ける。主の指が髪を梳く感触に、ゼロスは必死で眠りに引き込まれそうになる意識を留めねばならなかった。
「・・・おまえが無事でよかった」
主の、常に無く疲れた声音。
「獣王様、まさか、どなたか・・・」
魔竜王カオスドラゴンガーヴが斃された。冥王の神官、将軍は全員戦死。ルビーアイ様もカタートの氷に封印された」
さすがに一瞬、言葉に詰まる。それは、実質的には負け戦であったということではないか。
「その代わり、水竜王は完全に滅ぼした。水竜王に与した竜族はおまえがほぼ殲滅してくれたし・・・痛み分けというところだろう。ルビーアイ様も完全に力を喪われた訳ではないし、ガーヴも人の身に落とされたとはいえ、滅ぼされた訳ではない。哀れなのは冥神官、冥将軍どもだな。やつが自分の配下をどう使おうと勝手だろうし、フィブリゾらしいといえばそうだが・・・私はどうも好きになれぬ。あれでは完全に捨て石だ」
冥神官、冥将軍・・・ゼロスの中では、そんな奴もいたな、という程度の認識しかなかった。
「おまえもあのままカタート近辺に留まっていたら、巻き添えを食いかねなかったのでな。フィブリゾのはらが読めた時点で早々に呼び戻した」
「それは・・・」
「おまえはおまえの役目を十二分に果たしたのだ。恩賞の沙汰があっても良いくらいさ。誰にも文句は言わせぬ。ルビーアイ様もご承知の上のことだ」
自分を呼び戻したことで、主が不利な立場に立つのではと言いさしたゼロスを制して、そう言った。髪を梳く指先を止め、低く呟くように続ける。
「私には獣神官たるおまえしかおらぬが、おまえがいれば良い。ゆめ、下らぬことで滅びたりするなよ」
「・・・はい・・・」
主にここまで言ってもらえれば、恩賞なぞあろうがなかろうがゼロスにとってはほとんど関係なかった。
・・・後日、主の言葉どおり恩賞として魔王が人の身に封じられていたときに所有していたという魔血玉デモン・ブラッド呪符タリスマンが下賜されたが、そのころから彼には竜を滅せし者ドラゴンスレイヤーなどという猛々しい異名ふたつながついてまわるようになる。
しかし、ゼロスとしてはあの時の不快感を思い出し、言われる度にいやな気がしたのだった。

***

 かの戦で魔族が被った痛手も半端ではなかったが、物質世界の者たちにとっても世界が終わりかねない衝撃とダメージであったはずだった。しかし時間の流れとともに荒れ果てた地上には緑が戻り、国は復興してゆく。
人間のあいだでは降魔戦争など、既に伝承の世界に属する話になっているようだった。
ある意味、呆れるほどに強靭だ。・・・人界に降りる度に、ゼロスは思う。ひとりひとりはおそろしく脆弱なくせに。
ゼロスは、小さな宿場街を歩いていた。わざわざ「歩いて」いたのは他でもない、例によって人間のふりをして土地の人間の話を聞いて回っていたのだが、めぼしい収穫が無いので疲れたというより飽きてきたところだった。
小さな宿場街にふさわしいささやかな広場で、ゼロスは足を止めた。およそ、宿屋や商店といったものはこの界隈にしかないからか、人通りはこの辺では多いほうだ。敷石で覆われた広場の中央にはこれも小さいながら泉がしつらえてあった。
清水を湛えた石組の端に腰掛けて、ゼロスはざっと周りを見回した。
『・・・異界黙示録クレアバイブル、ですか?』
数日前、群狼の島でのことである。折り目正しいあるじは居室と執務のための場所を厳格に分けていたが、ゼロスに対してだけは居室で茶を嗜んでいる最中でも容赦なく任務を振ることがある。香茶の相伴にあずかりつつ、思わずゼロスは身構えた。
『そう構えるな。・・・急ぎというわけでもないが、放置するにはすこし不気味な話なのでな』
人間の魔道士の間で、異界黙示録クレアバイブルと呼ばれるものが取り沙汰されるようになって、まだそれほどの時間は経ってはいない。しかし、人間たちの間で深く静かに伝播していくその情報の源が何であるのか、実際のところ高位魔族たちもまだ把握してはいなかった。ただし、人間たちが何を知ろうと取るに足らぬ、関わりなきこと・・・というのがおおかたの魔族たちの基本的な立ち位置スタンスではあった。
獣王グレーター・ビーストゼラス=メタリオムとしても、それが看過できないというほど重要視していたわけではなかった。ただ暇があったら調べておこう、程度のことである。
それで休暇を召し上げられる身としてはせつない限りだが、これも役目だから仕方ない。
異界黙示録クレアバイブルといわれるものは、ほとんどが写本のかたちで出回っている。これが真っ赤な偽物からある程度まともなことが書いてあるものまで、玉石混淆もいいところであった。それでも比較的まとまった内容の写本の出所を探すと、どうもこのしょぼくれた街に行き当たるのである。
「何かあるような場所にも見えないんですがねえ・・・」
時間経過からして、写本自体を書き残した人間(・・・人間だとすれば、であるが)はおそらく歿している筈だ。問題は、その人間が何処でそれを写したか、である。
いくつかの写本に当たったが、箸にも棒にもかからないものを除外していくと、高位魔族、もしくは赤の竜神の騎士スィーフィード・ナイト級の知識と思しきものが書かれた本も確かに存在した。これは主の暇潰しの種では終わらないかもしれないな、という気がしていた。
ようやく面白くなってきたところで、暗礁に乗り上げた格好である。
確かにもう少し北へ行けばカタート山脈だが、ここらを根城にする魔族がいるという話は聞かないし、彼の耳に入らない程度の魔族にあの文献の根拠を求めるのはまず困難である。しかし、神封じの結界の中に赤の竜神スィーフィードの神域なぞ存在するわけがない。いったい誰の知識を、誰が書き残したというのか。
途方にくれて、何とはなしに陽光を撥ねる水面を目に映す。水底には大小さまざまな硬貨が沈んでいた。何らかのまじないであろうか。
水はやはり石で組まれた吐水口から常時流れ続け、ゼロスが今腰掛けている泉を満たした後に取水口へ落ちている。泉には常に新鮮な水が供給されている訳だ。おそらく、旅人の喉を潤す配慮でもあろう。
吐水口の上には、竜に似た粗造りな神像があった。それを見て、水底の硬貨の理由を察する。神像は水竜王ラグラディア。ここは神域というわけではないが、清水の恵みをラグラディアに感謝する意味での喜捨が行われていたのだ。これは失礼、とゼロスは立ち上がり、革鞄の中から小額の硬貨を取り出して泉に投じた。・・・形ばかりの礼を執りながら。
頭をあげてからふと気づいた。降魔戦争の折に水竜王の聖域はことごとく潰され、神官は鏖殺された筈だが、生活に直結する水利に関した施設には形ばかりの水竜王の祠が置かれることもある。逆を言えば、僅かでも神の力に近いものを宿している祠か神殿に属するものがあったとしたら、それは手がかりとなりうるのではないか。
街の中にそれに類するものはなかった。あったのは、街の寄合所と区別がつかないような教会がひとつ。・・・何も感じられなかったのでとりあえず素通りしたのだが、訊いてみる価値はあるだろう。
ひらめきの礼物としてもう一枚の硬貨を投じて、ゼロスは歩き出した。

***

 街から程近い岩山。昔から時々神隠しにあうという話から薬草採りに分け入る者もまれで、中腹あたりに何の神様かは判らないが石の祠があるという。当然仕える者もない。
昔というのがどのくらいのことかは判らないが、人間の感覚なら百年前でも十分に昔だ。
一応上空からも様子をみたが、それらしいものが見えない。遮蔽シールドされているとすれば、当たりを引いた確率は跳ね上がる。
街道を外れて山に入るといくらもしないうちに、人家の址とおぼしき礎石の群れに出くわした。木々に侵食されてはいたが、器の欠片のほか、苔生した石積みの陰に夥しい書籍の残骸が埋没していた。すでに読めるものなどなかったが、どうやら魔道書の類であることは間違いない。・・・あるいは、あの写本の製作者の住居でもあっただろうか。
本格的な山道にはいると、木々の緑は失せ、街から見えた姿そのままに無愛想な岩肌が続く。
見るものがいないのだから空間を渡ってもよかったのだろうが、上空から視認できなった以上、文字通り地道に歩いてみなければ見落とす可能性もある。ここまできてあせることもないと、暢気な山道散策を決め込むことにした。
もともとそう高い山でもない。程なく、そこへ行き当たった。
「・・・これは」
ようやく当たりを引き当てましたかね。
どちらかといえばこぢんまりとした、石造りの神殿。ここまでくれば、遮蔽シールドの存在が感知できる。侵入を拒むというより、ひたすらに存在を隠すことを目的としている。
この力は、どちらかというと・・・・。
別に入れない訳ではないから、至極まっとうに扉を開けて中へ入る。薄暗くさほど奥行があるわけではないその突き当たりに、もうひとつの扉があった。空間の封鎖、というより、大きすぎる空間の裂け目に固定した入り口をつけて安定させている。
上手なやり方だ。これならば、さしたる力を使わず、無理矢理に周囲の空間を歪めて察知され易くなることもない。
「さて、拝ませていただきましょうかね」
扉を開ける。暗い神殿の中に、場違いな陽光が溢れた。
扉の向こうは、紺碧の空。見渡す限り、渺漠たる砂、砂・・・・・
砂の上に降り立つ。まるきり、どこかの砂漠の風景だ。彼方にオアシスが点在しているのさえ見えた。しかし、今入ってきた入り口はきちんと存在している。よほどのドジを踏まない限り、帰り道をふさがれるということはなさそうだ。往来は保障されているらしかった。
しかし、本当に砂ばかり。写本の元になりそうなものは何もない。
「さて・・・」
どうしましょう、と言いかけたとき、不意に足元の砂が動いた。反射的に飛び退すさる。
彼の身長に倍するほどの巨大な石版が砂の中からせり上がってくる。それもひとつではない。無数の石版が、地平の彼方まで黙然と並び、砂に規則正しい影を落とした。
おそらく、ある程度の魔力を持つ存在に反応して出現するような仕掛けがあるのだろう。石版のひとつに近づく。特殊な文字がびっしりと彫り込まれていた。
文字、というべきなのかどうか。今ひとつ確信がもてなかったが、意味を持つ情報を求めるとするならこれしかないだろう。触れてもみたが、とんと解らない。一種の暗号と思うしかない。
だが、だんだんと見えてきた。ここには、かなり高位の神族か魔族の残留思念が封じられているのだ。本体ではないから、一種のエネルギー体のようなもので、制御がされていない。本来は無秩序な知識の集積体だ。おそらく問えば答が奔流のように返されるのであろう。
おそらく、あの廃墟を棲家としていた魔道士がこれに接触したときには、まだこの封印はなされていなかった。だが、写本が魔道士の歿後人手に渡り、複写を繰り返されることで、何者かがここの存在を嗅ぎ付けたのだろう。そして、余人の接触を阻むためにこの封印を施した。完全に封じてしまわなかったのは、残留思念、ないしはこの空間自体が持つエネルギーが巨大過ぎたため。下手に蓋をしてしまうと却って周囲の空間を歪めてしまうことを十分に理解したうえで、安全・確実かつ一番穏便に済む方法を択ったのだろう。
「良い仕事してますねえ」
誰かは判らないが、何者かは判る。・・・これは、竜族の仕事だ。それも、この芸の細かさからしておそらく黄金竜としか考えられない。それも、長老格の魔力と魔道知識の持主だろう。
正直、降魔戦争の時には竜族の魔力というものがこれほどのものとは思っていなかった。さして大きくもない力を過信し振り回すだけの莫迦者共、くらいの認識しかなかったのだから、ゼロスとしては新鮮な驚きすら覚えていた。
こうなると、表面に刻まれた暗号もあるいは罠と考えたほうがいい。懸命に考えて、意味がないという可能性だってありうる。ここの封印が、侵入はさせても情報を引き出させないというコンセプトに則ったものである以上そう考えるのが妥当だ。
いっそ見事と言うべきだろう。存在はするが、決して読めない記録。これほど意味のないものもない。大概の人間は諦めるに違いない。
しかし、ゼロスにとっては用は足りた。この封印が何者によってなされたかの見当がつけば、大本の記録・・・いや、記憶が誰のものかは接触してみるまでもない。

 降魔戦争の折に滅ぼされた、水竜王アクアロードラグラディア!

 ほぼ間違いないだろう。空間を歪ませた死闘であったと聞く。膨大なエネルギーが特殊な空間を作り出し、そこに水竜王の残留思念が数百年を経て残っていたとしても不思議はない。恣意的に創られた空間ではないから、あちこちに通常空間との制御されない接点があるのも頷ける。
おそらく竜族は、情報の流出そのものを嫌ったと言うより、人間の魔道士が不完全な情報から大きな事故を引き起こすことを憂えたのだろう。通常空間との接点がいくつあるか判らない以上、見つけ次第繕うというやり方しかあるまい。ご苦労なことだ。
情報源そのものに接触することはできなかったが、とりあえず主への報告はまとまりそうだ。
ここで引き上げても良かったが、せっかくここまできたら、この手の込んだ仕事をした本人を捜してみてもよい。どのみち、神封じの結界の中で黄金竜が棲んでいるといえば、竜たちの峰ドラゴンスピークしかないのだ。
「・・・行ってみますか、とりあえず」

***

 正面から行って歓迎される身の上でないのは百も承知だし、コトを荒立てるつもりもなかったが、人間のふりをして近づいたところで、竜たちは自分たちの縄張りに人間が近づくのを嫌う。つまみ出されても面白くないので、近くまで空間を渡って行き、こっそり異界黙示録クレアバイブルとやらに接触してみるというのが妥当なように思えた。
竜たちの峰にも異界黙示録への入り口があることを、ゼロスは疑っていなかった。果たせるかな、そのものずばり竜たちの峰の頂近くにそれは存在していたのだ。
しかし、入り口から入ったはいいが、入ってからが難儀だった。まさかこんなたちの悪い迷路になっていようとは。
物質世界の迷路ならどのようにもなるが、この空間はどちらかというとアストラルサイドに近い。かといってアストラルサイドとも違う。これは、魔族でも下手をすれば自分の位置を失うだろう。
改めて、黄金竜の封印の意味を知った。こんなものが口を開けたまま放置されていたら、際限なく「神隠し」が起きてしまう。危なくてしょうがない。件の魔道士が生還できたのは、僥倖以外の何物でもなかったのだ。
途中、不確かな空間の中で何かに蹴躓いた。
傷を負った黄金竜。その尻尾に躓いたのだった。そう歳を経たわけではなさそうだが、その身に生気らしいものはなかった。一瞬、死体に躓いたかと思ったほどだ。いつからそうしていたものか。背が僅かに上下しているところを見ると、いちおう呼吸をしてはいるらしかったが、尻尾を踏まれたことにも反応しない。
「・・・あの、どうかなさいましたか?」
過失とはいえ蹴躓いた事は棚上げにして、とりあえず訊いてみる。
「どうもしない。放っておいてくれ」
眼を閉じたまま、その黄金竜は応えた。
「・・・はあ。お怪我をなさっているようですが」
「戦傷だ。おそろしい戦だった。もう二度と御免だ・・・あの悪魔」
ひょっとして、こんな顔でしたか?などという古典的な笑話を踏襲する気がなかったゼロスとしては、ではお大事に、とその場をそそくさと立ち去った。ひょっとして戦争が終わってずっとあそこで不貞寝しているのかと思うと、燃やしておかなかったことを本気で後悔したが、この迷路の中で引き返してまでやることではなかったので忘れることにした。
まかり間違っても、たずねびとではなさそうだったからでもある。
そろそろ、冗談抜きで遭難したかなと思い始めたころである。声が聞こえた。
「捜しものは、みつかったかい?」
即座に隠形の術を展開する。この空間では効果は怪しいが、こんなところまできて竜族に見つかっても面倒だ。
しかし、声はゼロスに向かってかけられたものではないようだった。
「・・・水竜王さまアクアロード・・・」
聞こえてきたもうひとつの声に、ちょっと待ってくださいよ、と思わずこちらも声をあげそうになった。今、「水竜王」と!?
ふわふわと姿を変える迷路の向こうで、ちょうど水の幕を通しているような具合でその光景は見えた。
人形じんけいをとった黄金竜。この場所に慣れているのか、この不確かな空間の中で片胡坐で座り込み、掌の上で一心に魔術構成を編んでいた。
その前に立つのは、薄蒼い長衣に身を包んだ女性。灰金髪アッシュブロンドはさながら銀の被衣かずきのように柔らかくそのシルエットを覆い、紺碧の双眸はひたすらに優美な外見と裏腹に活力に溢れていた。間違いない。異界黙示録の本体は水竜王ラグラディア、その記憶の欠片。ただの残留思念が、おそろしく膨大な力を備えている。初めて見るのにそうではない、なにか危険な雰囲気に、ゼロスの脳裏に「撤退」の文字が閃く。
「無茶を言わないで下さい、ラグラディア様。ほかにどうお呼びしろと」
「そうは言われても・・・記憶のかけら、影法師風情が大仰な名を名乗るわけにも行かなくってね」
「ではアクア様。これ以上は譲れません」
「依怙地なところはぜんぜん直らないね、この子は」
黄金竜はといえば、こんな物凄い美人を前にして渋面を崩さない。どんな神経だ、と思ったが、注意すると会話の間の視線の高さが微妙におかしい。あるいは、黄金竜にはあの姿が見えていない、もしくは別の姿で知覚されているのかもしれない。
・・・・しかし何故?危険な雰囲気の理由も掴みかねて、ゼロスは結局その場に踏みとどまり、もう少し話を聞いてみることにした。
「・・・我々は、魔族に勝つことはできないのでしょうか」
「どうしてそう思う?」
「高位魔族は物質世界に実体を持ちません。顕現した高位魔族に物質世界こちらでいかに深い傷を負わせようと・・・たとえ倒したとしても、完全に滅ぼさない限り時間が経てば復活します・・・」
「・・・・“我々は、失くした腕ひとつ再生させることはできないのに”?」
水竜王の、正確だがある意味容赦のない指摘に、黄金竜が呼吸を停めたのが判った。集中が乱れて組みかけた魔術構成が霧消する。その黄金竜は視線を落とし、左手で緩慢に右袖を握り締める。・・・右腕が、無い。ゆったりした袖の所為で俄かにはわからなかったが、右腕上膊部もかなり近位から喪われているようだった。
「・・・済まない。由無よしないことを」
「いいえ・・・アクア様の仰るとおりですから」
右腕を喪った黄金竜。今、気がついた。・・・あの戦場で、ただひとり燃やし損ねた若い竜だ。
「・・・この世界は光と闇の狭間に生まれ、物質世界と精神世界アストラルサイドを以って表裏を成す。彼ら魔族は精神世界アストラルサイドに根ざし、お前たち黄金竜は限りなく神族にちかいが、それでも根本的には物質世界に根ざす生命だ」
「・・・はい」
「物質世界に存在することに、力はほぼ必要としない。そこに在る・・・ただそれだけ。しかし、在るがままだ。絶えず変転し続ける。石は砕かれて砂になるかもしれないが、存在し続ける。生命もまた然り。だが、アストラルサイドの生命はそうは行かぬ。・・・否、彼らを生命と位置づけるのが妥当なのかどうかも、本当のところはよく判らぬが」
そのとき、水竜王の紺碧の双眸は間違いなくこちらを見た。・・・何のことは無い、最初から向こうには察知されていたのだ。あの姿は、おそらくこちらに対する牽制だった。おそらく、在りし日のラグラディアの姿そのものなのだろう。
ただ、見逃されていただけ。こちらの意図を知ってか知らずか、ゼロスの存在を黄金竜に教えるつもりはなさそうだが。

「彼らは存在することに力を必要とする。・・・自身が自身であることを維持するために力を要する、というべきだろうね」
「自身が自身であることを維持する・・・・」
「破格の魔法許容量キャパシティは生きるための必然ともいえる。意思体である彼らにとって、変化するということが、死と同義なのだよ。自分が変わってしまうことが容認できない。だから滅びる。ゆえに、自分を変化させ得る外的なもの・・・お前たちが日常に行使する借力系の魔法が、彼らにとっての禁忌となる」
詳細な分析をどうも、と内心で毒づく。
「逆に我々は、変化し続けることを運命づけられている・・・・」
「そう・・・そして変化を続ける存在には、強大な魔力は却って邪魔になることもある。・・・変化を拒絶してしまうから」
さもありなん。過日、カタートに死屍を累ねた者たちのように。だが、この黄金竜はそこから何かを掴み取ろうとしている。変化を受け入れる、と言うより、能動的に変わろうとしている。
ゼロスは、まさにたずねびとに行き当たったことを確信した。意外と若い竜の仕事であったのは意外だったが、老獪とさえ思える封印のやり方も、若いがゆえの柔軟さととれなくもない。
「わたしに出せるヒントはこれくらいだね。あとは宿題ということにしようか、ミルガズィア。どうやら用事ができたようだし」
ミルガズィアと呼ばれた黄金竜は立ち上がり、丁寧な辞去の礼を執って、迷宮の中へ消えた。おそらく、ゼロスがとった経路とは別の道で戻るのだろう。ただ、不安定な空間である。いきなり鉢合わせないとも限らないので、今度こそ撤退だと思った時。
「わたしに用かな、ただひとりの獣神官、竜を滅するものドラゴンスレイヤーよ」
微笑すら浮かべて、再び紺碧の双眸が彼を捉えていた。
逃げるのも癪である。観念して、姿を現した。
「立ち聞きの無礼、ひらにご容赦を・・・水竜王アクアロード
敵方とはいえ、向こうははるかに格上である。相応の礼儀は示しておくべきだろう。
「ミルガズィアにも言うたが、わたしはその名で呼ばれるものではない。・・・答を探すものに答の道標をしめす、それだけの存在だ」
そんなこと言って、そもそも元の姿で威嚇してるのは誰ですか?と切り返してみたいところではあったが、この人懐こい、どこか寂しげな微笑に勝てずに台詞を引っ込めた。・・・そして気づく。まずいな、と思ったときに思わず撤退したくなるこの雰囲気は、主たる獣王と共通のものなのだと。これは・・・勝てない。
「捜しものは、見つかったか?」
水にたゆたう銀糸のような髪を揺らして、彼女が問うた。
ゼロスは、莞爾として言った。
「はい・・・・御蔭をもちまして」

 後日、顛末を報告したゼロスは、獣王より異界黙示録クレアバイブルの写本と呼ばれるものの処分を正式に命じられることになる。
異界黙示録本体には関わらなくて良いが、不完全な写本による生半可な知識で人間たちに妙なものを作り出されても迷惑ということのようだ。しかし、どうやら上層部には上層部の都合というものがあるらしい。多分理由としては正反対なのだろうが、竜族の都合と合致してしまうのが可笑しくもあった。
写本の存在自体、噂話を辿っていってちまちまと見つけ出さなければならないのだから、結構な手間がかかる。しかもいくつあるか判らない以上、いつ終わるかも判らない。
しかも、それが他の任務との並行で継続の指令だというのだから、しがない中間管理職としては天を仰ぐしかない。

 ・・・しかし、暫くは退屈せずにすみそうだった。

End and Beginning