終末の雨

~Rain~

 彼女は、その光景を冷えた双眸に映していた。
 大地は、いまだそこかしこで煙を上げている。木々は葉を失い、柔らかな枝を失い、無様な幹だけを荒野に晒す。泉は濁った水たまりと化し、煤の浮いた水面を夕刻の微風に揺らしていた。
 そして、暮れかけた丘の斜面には、大陸に冠たるユートラップ騎士団の精鋭たちが累々たる死屍を並べていた。
 焼け焦げた肉の匂い、鉄に似てさらに陰惨な匂いが立ちこめる。丘の頂上、神殿の石柱の一つに凭れかかり、彼女は一人座していた。
 彼女もまた軍装に身を包み、酷使に歪んだ剣を携えている。彼女はようやくその長剣を捨て、自分の左腕を貫いて石柱にくい込む細い剣の柄に手をかけた。
 呻きひとつあげるでなく、彼女はその短剣を抜いた。塞ぐものを失った傷口から、血が流れ出す。彼女は引き抜いた短剣を携えたまま、緩慢な動作ではあったがよろめくこともなく立ち上がった。
 ────さながら、世界の終わりのような光景だった。
『…無理はしないでくれ。時間が稼げればいい』
 戦いに臨んだ彼女へ、おそらく史上最年少の魔法司はそう言った。
「それは無理です、マスター…」
 自嘲、いや自虐に近い笑みをして、パラーシャは眼下の惨状を瞼で遮った。
 守護兵の一個小隊とてないこの小さな神殿に対して、明らかに過剰な包囲網を築いたユートラップ騎士団。それを退けるには、彼女といえど持てる力の全てを投入しなければならなかった。当然その力の中には、オペレーションドールとしての彼女が制御する<L-system>の対地衛星砲の使用も含まれている。
 しかし本来ならば群衆の中からたった一人を狙撃することもできる程の集束度・照準を備えながら、結局一帯を焦土とした科は、確かに彼女にあった。
 限られた環境の中でしか生きられない、本来ひよわな子供たち。その彼らが自己の防衛手段として、生来魔術師レベルの能力をもっていたからといって、何ゆえにそれが排斥の理由とされなければならないのか。
 エテルナの子供達の悲しみは、かつてその存在自体を忌まれ、殺されかけたパラーシャの悲しみだった。

『子供達は、たとえ人類全てを敵に回してでも守り通す』

 パラーシャは、あえて力加減をしなかった。自らの能力の暴走を、言わば黙認したのである。その結果も、自身のダメージも、そして後悔も承知の上で──────。

 魔法司ナイジェルを呑み込んだ蒼い氷は、緩やかに封印へ至る回廊そのものを閉ざそうとしている。その前に立ち、パラーシャは吐息した。
 封印は三重。システム自体の封印。《聖剣》LUX AETERNAのエネルギーを基とする空間障壁。そして、封印へ至る道を魔法司自身がその身体と精神を以て封ずる…魔法司以上の力を以てしなければ破れぬ封印。
 彼女の手の内に残された《聖剣》。それは、鍵だった。L-systemに施された封印の、そして闇に葬られるであろう真実の。聖剣士カーツに委ねるよう託されていたものの、パラーシャの心は揺れていた。

 ────人間、信ずるに値せず…!

 彼女の中の一部は、確かにそう叫んでいる。だが、また別の部分が…ドールズとしての部分がマスターであるナイジェルの命令の執行を要求する。そしてまたある部分が、今はもう遠くなったひとの暖かみを思い出させ、叫びを否定する。
 だが、現実に今のパラーシャにはもう一度帝都へ戻るだけの力がない。傷はほとんど塞がりかけている。だが、その回復に彼女の予備力は完全に使い果たされていたのだ。
 回廊の入り口である神殿地階の扉を封鎖し、半ば柱や壁に縋るようにしながら本殿へ出た。
 辺りはもうすっかり暗くなっていた。子供達の明るい笑い声もなく、騎士の鎧の音もない。死の静寂だけがそこにあった。
 暫時その闇と静寂を見つめ、肺腑の気を残らず吐き出すかのように深く息を吐いた。直後、彼女の双眸が攻撃的な光とともに見開かれる。
「────!!」
 彼女の動作は、たったひとつ。柱に身をもたせかけたまま、わずかに顔を上げる。それはひどく緩慢なものだったが、彼女がその動作を完了するのを待たず、雷電の一撃が神殿の入り口に立っていた人物に命中した。
 ドールズチップを誘導子とした、L-system連動衛星からの超遠距離射撃。パラライスレベルからイレイズレベルまで出力は自在。
 ────通称、ジュピトリス・ショット。
「…!」
 青い髪の隠者の周囲で、対空シールドの淡い輝きが風に散る。
 本来なら大木をも一瞬で火だるまにする一撃。それをいとも簡単にはねのけた者の表情には、いたましさだけがあった。
「…出力が落ちているな。あんな無茶をするからだ」
 パラーシャはそれへは答えず、ただ顔をこわばらせて佇立していた。殊更に両脚を強く踏みしめ、縋っていた柱から身体を離す。
 確かに、出力が落ちている。先刻の一撃は、限りなくイレイズレベルに近かった筈だ。それが…。
「…何をしに来た」
 隠者は静かに歩み寄った。パラーシャが身構えた一瞬、掲げた手にやわらかな光を集める。
「…Σ-GD!」
 振り払おうとするパラーシャの手を抑え、光を左腕の傷に接触させる。
 涼風が吹き抜けたような感覚の後、パラーシャは身体が楽になるのを感じた。
 在来魔法ネイティブ・マジックの領域に属する治療術。
「コードにはもう反応しないよ。私はレヴィンだ。Σ-GDじゃない」
 TYPE1999-Σ-CC- ガーディアンドール。今はシステムを離脱し、西方ルフトシャンツェにひとり居を構える隠者ハーミットシャ・レヴィン。
「…何をしに来た」
 助けられたことを認めつつも、パラーシャの声は硬い。
 コマンダークラス・ガーディアンドール。本来なら、ここで騎士団を防ぐのは彼の任であった。だが、そんなことはもう関係ない。それに彼が任から外れた際に、システムの制御にかかわるほとんどの機能は解除されている。今この場所に近づけば、仮にもユートラップの宮廷魔術者に名を連ねているレヴィンの立場を悪くするだけだ。
「…《聖剣》を預かりにきたよ。かの聖剣士殿に渡せばいいんだな」
「そう言われて私が渡すとでも思っていたのか?」
「だが、損な話でなければあえて蹴るようなことはしない。違うか」
「御身の言うことが信用できるとどうして言い切れる。私の知っているレヴィンは、おのれに利のない話を持ちかけるような男ではなかった」
「…相変わらず辛辣だな…」
 隠者が苦笑する。
「…その通り…何も無償とは言わない」
「条件は」
「ドールズとしての機能の一部回復。Σ-GD-serial─01(独立遊離型ドールズチップ)のロールアウト。…以上二項」
「…できない」
「何もメインシステムへの介入権を回復しろと言っている訳ではないさ。W-subsystem(風の塔)の制御ができないと、ルフトシャンツェの山の中は結構暮らしづらくてね。serial─01がなければ休眠に入れないし」
「…休眠だと? 只人として生きるのにチップは必要ない。そう言って機能解除を言い出したのは御身だろう…!!」
 声を荒げたとき、思い当たって言葉を飲み込む。
「気が変わった」
 至極あっさりと、レヴィンは言った。
「さしむき400年ばかりは、見ていたい。そう思った。気が変わったのさ」
「…レヴィン…」
「魔法司殿のやり方では、400年が800年…1000年でも変わりようはない。私はそう思っている。だが常に歴史は、思いもよらない仕掛けをひそめている。…だから、見てみたい。人間が、変わりうるものかどうか…」
「…変わりはしない…」
「…そうかも知れない。だが、そうではないかも知れない。人間の寿命は短い。高々50年…生きて70、80というところだ。…世代交替のうちに、この出来事が完全に覆い隠されてしまったら?変わりかけた人々が、真実を欲したときに伝える者がいなかったとしたら? その可能性を否定することはできない筈だ」
 10年以上前のことだ。レヴィンはシステムからの離脱を望み、それを許せる立場にないパラーシャと一戦を交えた。決着はつかないまま、結局は当時の魔法司レクサール=セレンの仲裁で、彼は大幅な機能解除と引き換えに離脱を果たしたのだが…。
「あの時と同じか。あくまでも人間を信じるか。…人間は御身を受け入れはしなかったのに…」
「…西域に引っ込んだのは私の意志さ」
 レヴィンの笑みは苦い。パラーシャは返す言葉を失い、口を噤んだ。
 沈黙の中、湿った風が雨の匂いを運んで来た。細く、雨の音。音は少しずつ高くなる。雷雨になるだろう…。
 ────降ればいい。降って、焼け焦げ、荒れ果てた地上の全てを押し流すがいい…。
「…いいだろう…」
 ややあって、パラーシャは《聖剣》をレヴィンに手渡した。
「本体のsubsystems-W-Ⅱ領域を解放し、W-subsystemをその制御下に置く。チップはW-subsystemに同型のストックがあるから、後刻データを転送する。…もう会うこともあるまいが、御身の信じる人間の行く末、納得できるまでしっかりと見届けるが良かろう」
「…パラーシャ…」
「私はもう眠るが、覚醒の時を定めない。後はserial-01に任せる。御身は気づいているかもしれないが、私の自我は“パラーシャ”とserial-01との間で既に割れ始めているのだ。万が一にも再び目覚めることがあれば、そのときは今度こそ、私は人の世の破壊者になるだろう。
 …そうならない自信が、私にはない。
 ことによるとマスターの命令すら受け付けない壊れ人形になり果てているかも知れぬ。だがserial-01ならば、もう少し冷静になれる。子供達のためにも、これが一番いい…」
 パラーシャは踵を返した。
 暗闇の中へ、足音が消えてゆく。レヴィンは、しばらくそこへ佇んでいた。

 ─────振り返れば、外は雨。最後の足音は、雨にかき消された。

END AND BEGINNING   

SFとファンタジーの狭間

2019.8.14

 なるべくとっつきやすいお話、という努力を早々に諦めまして、異なる魔法体系が並立する世界を柳的解釈で書いてみたお話。「INNOCENT SOUL」のイントロに近いですね。PIA少尉に同名の曲「終末の雨」を作っていただき、はるか東方を伏し拝んだ記憶があります。