以下の文章は、1999年に旧「千柳亭書房」に寝言拡大版として掲載したものです。1999年9月24日、西日本~北海道を襲撃した台風18号の暴風のさなか、のんびりこんなものを書いていたのですね。
 「天からキャベツが降ってきた!」の復刻作業をしていて「あ、そーいえばこんなものもあったなぁ」と思い立ち、ついでですから復刻することにしました。「天キャベ」同様、復刻に際し、多少(?)の註釈も入れております。
 ご用とお急ぎのない方のみ、ご笑覧くださいまし。


 これを書いている現在、日本列島に台風18号が接近しています(<もう九州には上陸したとのこと1)。何か先刻からばたばたと外のほうで不吉な音もしてます。
 正直、柳はあまり台風を怖いと思った事はありませんでした。何分のんびり気候の瀬戸内2に生まれ育ったもので、台風の猛威も休校のネタくらいにしか思っていなかったのです。

 ところが。1991年、悪夢の19号台風3の直撃をくらってから、認識が変わりました。

 もう8年4も前の事になるのかと時間の流れに呆然としたりもしますが、当時まだ在学中で一人暮しをしていた柳は、19号台風の玄関先となった長崎にいました。倒壊や浸水は免れたものの、年季もののアパートは突風で屋根を引き剥がされ、2階の家族は急遽避難、逃げ遅れた柳(1階)の部屋には二階床部分に溜まった水が降り注いだのです。

 ・・・・その後、突然の住宅難5で結局2週間ばかり屋根のないアパートで篭城するはめになるやら、漏電ブレーカーが働いて電気のない生活を強いられるやら、とにかく自然の猛威と人の情けが身に沁みた事件でした。

 これをupするころには台風もここを通過してくれていると思うのですが、今日はひとつ、あの悪夢について振り返ってみることにしました。

柳が逃げ遅れた間抜けな理由

 折しも前期試験の直前でして、柳は一応殊勝げに試験勉強などというというものをやっておりました。ところが、午後3時過ぎに一帯が停電。目の前が見えないような暗さではありませんでしたが、暗がりで懐中電灯ともして勉強するほどできた学生ではなかった柳は、諦めて昼寝を決め込んだのでした。(<いかに台風をナメてたかわかりますね)

 長崎時代はテレビと縁を切っていた柳、台風の接近を知らなかったわけではありませんでしたが、その規模までは知りようがありませんでした。そんなわけで、「ま、暗くなるまでには復旧するだろ♪」ときっちり楽観していたのでした。
 ・・・・・で、夕刻。

 風の音と、水音と、どっちで目が醒めたのかよく憶えていません。気がついたときには天井の至るところから色のついた(<おそらく天井裏の埃を洗って流れてきた)6水が文字どおり滝のように降っていたのです。

「どぁあああああ∴∞ωΦξ▲□×!?」7

 当時まだ薄明るかったので、行動の自由が利きました。慌ててベッドの上の布団をたたみ(<とりあえず降ってくる水から守る為)台所へ飛んでいってありったけのゴミ袋を引き裂きました。いえ、別に錯乱したわけではなくて、濡れては困る家財(<そんなご大層なモノはない)にかぶせる為なんですが。

 学生の一人暮らしの事、さほどたくさんの家具があるわけでもありません。とりあえず濡れると困りそうなもの・・・冷蔵庫、トースター、ラジカセ(当時唯一の情報源)ワープロ、書籍(我ながら何考えてたんだか)etc.を防水し、暗くなってきたので蝋燭(以前、停電騒ぎがあったときに慌てて買ってきたもの)をつけました。

 その明かりを見つけて、窓を叩いたのが隣のおじさん。そこで初めて、柳は自分のアパートが屋根を失っていたことを知ったのでした。要するに、屋根が引き剥がされるほどの衝撃を知らずに寝こけてたってことですね。(<間抜けとしかコメントできませんね。我がことながら)

 当然というか2階の世帯はとっくに避難済み。しかし知る人とてない異郷に一人の柳に避難先がある訳もなく、しかしまぁ屋根のない家にこれ以上留まれないと踏んで、ともかくも友人Nちゃんに一夜の宿を頼み込むことにしました。

 しかし・・・・・この時点で多分、台風は真上にいたのです。

電話の功罪

 あとから知ったのですが、一帯が停電しても電話だけは独立電源だそうで(<一般電源を必要とする多機能電話はともかく)、普通の電話はちゃんと使えるのだそうですね。あの時も、停電はしていても電話はちゃんと通じました。しかしまあ、それも善し悪しというのがこの話。

 さしあたって電話でNちゃんに一夜の宿を頼み、簡単に身の回りのもの(<貴重品のみ)をまとめる間にも、風はどんどんひどくなっていきました。風だけならいいんですが、まるで木の葉でも飛ぶように瓦が空を飛んでサッシにガンガンとぶち当たるのです(<強化ガラスじゃなかったら、絶対に粉砕されていた)。うっかりサッシを開ければ風圧でなかなか閉められず、鍵をかけなければするすると開いてしまうていたらく(<開き戸ではない。引き戸のサッシである。冗談のような本当の話)。網戸なんかとっくの昔に引き剥がされて雲の彼方。

 はっきりいってシャレにならない風圧でした。ともかく(アパートを空けるに至る)状況を簡単に実家に説明して、風の緩むのを待って出かけようとした矢先、そのベルが鳴ったのです。

【怖いよ~】

 ・・・・・・「天変地異が苦手」なMちゃんからの、涙ながらの電話でした。何でもアパートの目の前で木が折れ、自動車が横転したのだとか。

「たわけっっ!!家が無事なだけマシだろうがっ!!!」

 ・・・・・と、怒鳴ったりは(多分)してません。ただ、こちとら実害がでたどころか難民と化しそうだというのに8、木だの車だのがひっくり返ったくらいでパニクるな!というのが正直な感想でした(<だから冷酷だって言われるんだ)。家に一人で居ると周りの物音が怖いとかで、以下、延々と泣き言の雨。ともかくも、ほっとけばいくらでも続きそうな電話を、「じゃ、あんたもNちゃんとこへ来なさい」という科白でようやくうち切ったのでした。

 人それぞれ苦手はあるし、怖がるなと言うのも酷かもしれません。・・・・・が、ともかく柳自身もあまりひとさまの泣き言に付き合っていられる精神状態ではなかったのでした(<今更だけど・・・・Mちゃん、ごめんよ)

夜明け・・・そして現実

 Nちゃん宅(<流石に鉄筋コンクリートはモルタル二階建てより強かったらしい)で夜露をしのがせてもらったものの、ともかくも被害状況を確認してこれからのことを考えなければなりません。そんなわけで翌早朝、柳はアパートに戻りました。

 台風の過ぎた朝の空は、淡い紫に染まってとても穏やかでした。・・・しかし視線を落とせば爪痕生々しい街。しかも柳のアパートのあった一帯は、谷を渡った風がまともに吹きつけた事、古い建物が多かった事などで中でも深刻な被害を受けていました。何処も瓦がとんで青シートでしたが、流石に屋根そのものが飛んだのはウチぐらいだったようです。

 大家さんがすっ飛んで来てくださり、どうにも建て替えとまでは行かないにしろ、しばらくは住めない状況であることを説明されたのですが・・・そうは言われても行く所はありません。ただ、今すぐ修理に着手できる状況でもなかった(<大工さんが大忙し)ので、転居先が決まるまでは居させてもらうことができました。

 ・・・・どこにって・・・そりゃ、屋根のないアパートですよ。

 かくして大家さんが持ってきてくださったシートでベッドの上に簡易テントを張り、とりあえず寝る場所だけを確保しての凄絶な篭城生活が始まったのでした9

電気のない生活

 水道は比較的早くに復旧し、周囲の家から漏れる明かりで電気も回復したことを知りました。ふーやれやれ、というところで電気をつけようとすると・・・・・点かない。

 さもありなん。一帯の電気は回復したものの、屋根が引き剥がされて構造の内部が水浸しになっていたため、漏電ブレーカーが働いて、うちだけが電気を使えない状態にあったのでした。そして、台風のあとに続いた雨が家屋の乾燥を阻み、なおも部屋を水浸しにしてくれるというおまけつき。全く、呪われているとしか思えないタイミングでした。

 救いは、プロパンガスが無事で調理が可能だった事でしょう。電気が止まった事で冷蔵庫も使用不能となり、融けてゆく冷凍食品をコンロで加熱しては食べること数日。そんな生活を哀れんで、隣家の方々が延長コードで電球を点けてくださったり、蝋燭や食料を恵んでくださいました。本当に、この時ばかりは人の情けが不覚にも落涙しそうになるほど身に沁みましたね。

教訓:向こう三軒両隣、ご近所は大切にしませう。

忘れるとこだった

 で、そのドサクサですっかり忘れそうでしたが前期試験というシロモノはきっちり目の前にぶら下がっていたのです。

 台風被害も深刻でしたが、こっちも十分深刻でした。結局このこともあって前期試験終了まで篭城を決め込む事になったのですが、前述のようにウチだけ電気が回復しない。結局天井から裸電球ひとつ吊るした下10で、細々と試験勉強をしたのでした。

 この冗談のような光景に付き合ってくれたMちゃんに、心から感謝と敬意を捧げます11

・・・・・・コメント不可

 そんなこんなで辛うじて前期試験をかいくぐり(<乗り越えた、とは言うまい・・・・)、ようやく次のアパートも見つけて引越しの段取りをつけ、さて引越しという朝のこと。卓袱台も括ってしまっていたので、ダンボールの上での朝食でした。・・・まあ、こんな事はなんでもないのです。それまでの2週間に渡ろうかという生活に比べれば。

 その数日前、水浸しになってよれよれになった畳を上げて部屋の隅に積んでいたのですが、その隅になにやら白いものがこびりついているのです。近寄り、その正体を知った柳は思わずその場にへたり込んでしまいました。

 ・・・・・・キノコが生えてたんですよ。畳から。

 そりゃ、畳ってのは中身は藁ですし、水を大量に吸っていたから絶好の生育条件12だったに違いありません。それにしたって・・・・・(涙)これから引越しというのにすっかり力が抜けてしまいました。もお、なにもコメントできません・・・・。

まとめ!

 台風騒動記にまとめもへったくれもあったもんじゃありませんが、かくして柳はそのアパートを半年でおん出る次第となったのでした。なんとも波瀾に満ちた2週間でしたが、今にして思えば被害はまだしも最小限で済んだのです。

 2階に入居しておられた家庭では家財一切水浸し、電気製品が皆ダメになったとのことでしたが、柳は2階床部分が屋根の代わりを果たした為に、被害を生じるまでに幾ばくかのタイムラグが生じ、その間に濡れて困るものを防水できたのです。このため、キノコが生えるほど部屋が水浸しになっても電気製品が殆ど被害を受けませんでした。

 ともかくも、柳をお守りくださった何かにむけて、合掌。

 そして、電気や蝋燭や食料を恵んでくださった近所の方々、さまざまな形で元気付けてくれた友人諸氏(Nちゃん、Mちゃん、通称おにーさん)、大家さん、電車がストップする中乗り継ぎに乗り継ぎを重ねて長崎まで駈けつけてくれた我が母上様13、本当にありがとうございました。

 ・・・台風18号はリキ(犬)の小屋を全壊14させ、八重桜と栗の木を薙ぎ倒し、藤棚を落として日本海へ駆け去った模様15です。ちょっと長すぎた台風談義も、このあたりといたしましょう。


追記

2020.2.2

 思えばあの経験から、台風というと身の竦む思いをするようになりました。
 二週間の籠城生活は正直なところ、それほどお気楽モードばかりだったわけでもなく・・・時々は柳自身が「これはマズいのではないか」と思うような精神状態に陥ったこともありました。今思えばよくのりきったものです。
 柳ひとりでのりきれたとはいいません。いろんな形でいろんな方々に支えて貰った結果です。

 かくも無茶苦茶な非常事態でなくても、人間として生きる以上は・・・いつも誰かと何らかの形で支え合ってるのではないかと思います。

 とりあえず、平凡だけれど穏やかな日々に感謝!

  1. wikiあたりで調べると、熊本北部に上陸したのが9月24日の6時頃だったそうな。
  2. 瀬戸内・・・瀬戸内海沿岸地域。暑さ寒さは程々で、雪も滅多に降らず、(昨今はそうでもありませんが)台風・地震の類が比較的少ない土地柄。
  3. 1991年9月25日~28日、やはり長崎~山口~東北・北海道というルートを通った巨大にして凶悪な台風。収穫前のリンゴが大きな被害を受けたことからリンゴ台風とも呼ばれました。
  4. 既に30年近く前のことになってしまいました。ああ、歳がバレる・・・(今更!)
  5. 当時は避難所という概念はなかったようで・・・降って湧いたような住宅難に不動産屋の前で喧嘩まで起こる始末だったとか。
  6. 忘れもしませんが濁った赤茶色でした。生半可なホラー映画よりも怖い光景です。
  7. なーんて声を上げたかどうかの記憶は定かではありません。が、声にならない悲鳴はあげただろうなぁ・・・
  8. 現在でこそ災害、というとすぐに避難所が立ち上がるようになりましたが、当時はとんとそんなお話はありませんでした。柳の処にアナウンスがなかっただけではなくて、そもそもまだそういう概念が成立していなかったのではないかと思われます。災害、即避難所、というのは阪神大震災以降であったような気がします。
  9. 部屋の床(畳)は赤茶色の水でびしょ濡れ、座る場所さえありませんでした。「 皇女タラカーノヴァ 」という絵画をご存じの方はおられましょうか。(中野京子さんの「名画で読み解くロマノフ家12の物語」は非常に面白いです!)投獄中、水害に見舞われて逃げ場もなく、浸水していく牢獄の中でベッドの上に立ち天を仰いでいるという壮絶な構図です。もう、部屋の中といったらあれに近い状況。柳の場合はまかり間違ってもあれほどの悲壮感はありませんけどね。
  10. 前項、隣家から延長コードで分けていただいた電気は、この裸電球と無事だった冷蔵庫にだけ使っていました。浸水が始まったときに必死になって引き裂いたゴミ袋でシールしたのが奏功したようで、幸いなことに駄目になった電気器具はありませんでした。カーテンは前述の赤茶色の水で全滅でしたがね。
  11. お蔭をもちまして前期試験は一教科も落とすことなくクリアしました。むしろ後期で油断して追試喰らったというのはまた別の話・・・
  12. 湿った日陰、植物の遺骸(藁)・・・これで生えるな、という方が無理かも知れません。今更ですが、よく呼吸器系の感染症おこさなかったもんです。キノコって紛れもない菌類で、コワい話はいくらでもあるんですよね。アスペルギルス症とか・・・
  13. 実態としては、電車が止まっているという情報は既にあったので、今行ってもどうにもならんよと言うのに心配で心配で矢も楯もたまらない祖母ばーちゃんに「とにかく行ってやれ。どーにかして行ってやれ」となかば家を追い出されるよーにして出発したのだそうな。何はともあれお疲れ様。
  14. 暴風にえらく怯えていたので、玄関の三和土へ避難させた直後のことでありました。間に合って良かった。
  15. 同じような進路を、平成16年(2004年)、柳が身重の時に襲来した台風が辿っています。詳しくは「天からキャベツが降ってきた!」停電にはしゃぐのことをご参照ください。ご用とお急ぎのない方のみどうぞ。