第四話 Lunatic Fuga


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

すべて世はこともなし
第四話

 

 

Lunatic Fuga


 それは、不思議な感覚。
自分の身体から、自分を構成していたものがひとつひとつ、抜け落ちるような。
結合の緩い鉄骨が抜け落ちるように。
パズルのピースが剥げ落ちるように。
暗い、暗い底へ落ちていく自分の一部分を見つめながら、思う。
もう、だめなのかな・・・・

 潮騒。そして穏やかな午後の陽。
眠気を誘わずにはおかない情景であるはずだが、青葉シゲルにはとてもそんな余裕などなかった。
モニター。点滴台。人工呼吸器ベンチレーター。そんなものものしい器材に囲まれたベッドに身を横たえているタカミの顔は、蒼い。
呼吸器は一応、不要になった。青葉にはそのいかめしい器械がひどく不吉なものに思え、一刻も早く部屋から出して欲しかったのだが、いつまた要るかもしれないという医師の指示で側に置かれたままである。

 ――――――――どうして、こんなことになったのだろう。

 あの夜。取り壊し寸前の集合住宅街を近道とばかりに突っ切ったことが、今となってはよかったのか、悪かったのか。
暗がりに停車する、どこかでみたようなワゴン。その後部座席に、ぐったりした人間を担ぎ込もうとする様子に気づき、すわ事件かと思わず身を隠した。
・・・だが、目を凝らしてその人物を見たとき、思わず足元の廃材を蹴倒していた。
「・・・・・・・タカミ!?」
後先考えてなどいなかった。思わず、駆け寄る。そしてまた驚いたのは、そのタカミを支えていた人物。
「・・・・・渚・・・!?」
しかし青葉が口をきけたのも、そこまでだった。
――――――次の瞬間、紅瞳に射竦められて立ち尽くす。
にわかに口の中が干上がり、自分でも何と言おうとしたのか判らないが、思わず口を開閉させていた。
紅瞳の、年齢不相応な威圧感。言葉を発しようにも舌は動かず、行動を起こそうにも指一本動かない。それに追い討ちをかけるかのように、彼は言った。
「・・・・・・来てください、青葉先生。あなたも」
それはもはや、要請ではなく命令だった。
彼については平生、教室の中では授業を寝倒す割に成績のよい、風体は目立つが言動はおとなしい生徒・・・・という認識しかなかっただけに、青葉は混乱を禁じ得なかった。しかし、傷を負って意識の無いタカミのことも手伝って、あとはただ言うなりに車に乗り込み、ここに来ていた。
ワゴンの運転席に居たのが加持だと、ここまで来てからようやく気づいた。
その加持が連れてきた医者が何者か、ここが何処なのか、何が起こっているのか・・・・・・・。
疑問はきりがない。だが、いま聞きたいのはただひとつだった。

 誰が、どうして、こんな酷いことを――――――――!?

「毎度、面倒かけるな」
リビング。白衣を脱いで放り投げ、ソファに身を沈めた人物に、加持は家主然としてソーサーつきのティーカップを差し出した。
「そう思うんならもう少し仕事を減らせよ。ったく、物騒な話ばかり持ち込んで・・・」
やや髪の色が淡く、目鼻立ちもはっきりしているが、それでも格別日本人離れしているわけでもない。年齢不詳な雰囲気があり、二十代後半から四十代前半の間で何歳いくつと言われても納得できそうな風貌であった。
「今度は別に、内緒で銃創縫ってくれとか言ってる訳じゃないだろ」
「銃だ刃物だの傷のほうがまだマシだな。あの坊やがシリンジを保存しておいてくれたのは助かった。使われた薬剤の同定が出来なきゃ処置がないところだったんだ。…それにしても乱暴な話だ。一歩間違ったら呼吸が停まるぞ。大体・・・」
言いかけて、ふいと言葉を切る。そして口にしたのは、言いかけたこととは明らかに別のことであった。
「心配せんでも、いつも通り貰うものが貰えれば、あとは誰にも何も言わんよ。俺だって命は惜しい」
そう言って、ティーカップを口に運んで眉をしかめる。
「・・・濃すぎるぞ。いつまでも葉を浸けとくな」
「厳しいな、折角淹れたのに。・・・機嫌悪いのか、ひょっとして」
「悪くもなる。人を麻酔銃で撃つような連中とあまりかかわりあいになりたくないんだよ、俺は」
「高階のそういうところ、大変助かるよ」
「やかましい。・・・まあ、こうなりゃ毒喰らわば皿だ。彼が動けるようになるまではここを使うがいいさ。どうやら状態が安定しても一般病院に移せそうもないからな。ただ、くれぐれも・・・」
「わかってる。迷惑はかけんよ」
「迷惑ならもう十分かかってるさ。・・・・おまえ、まさか知らずに運んできたとはいわせんぞ。悪趣味なモノ見ちまった」
憮然としてタブレットを加持の方へ滑らせる。
「・・・・何だ?」
「いーから見ろ。この気持ち悪さをおまえにも分けてやるよ」
「いや別に、分けて貰わなくたっていいんだが・・・・」
加持がぶつくさ言いながらも画面をタップする。頭部のレントゲン写真だった。
「・・・これが、どうしたって?」
「意識障害が薬剤でなく頭部外傷の可能性も考えて、一応撮ったんだが…えらいものが写っちまった」
高階が指先で画像の一点を示す。首筋のあたり、素人目にも金属と判るチップがそこにあった。そして、チップから脳に向けて無数の細い線が走っている。
「・・・・・」
加持が絶句する。高階はカップを置くと忌々しげに足を組んだ。
「Machine-Organism Direct Interface System・・・って話、聞いたことあるか?」
「コンピュータと生体脳を直接リンクさせるってあのアブナイ話だろ。医倫審の提言で計画は頓挫したって聞いてたが・・・まさか」
「DIS端末だよ、これは」
「完成してたのか!?」
「機能してたかどうかは知らんがね。俺だって現物にお目にかかるのは初めてだ。何せ、胎児期から反応テストを繰り返しながら植え込むって非道な代物だからな。完成したとしてもあまりでかい声で喧伝できんさ・・・ましてやヒトに援用するなんざ、正気の沙汰じゃない」
「・・・・・・・・」
「お前さん自身を含めて、お前さんが連れてくる患者がワケアリなのは今に始まったことじゃないが・・・・極めつけだな、これは」
「・・・・助かるか?」
コメントを差し挟むことなく、結論だけを尋ねる。高階はあらぬ方を眺めやり、答えた。それは投げやりなようでもあり、痛ましげな表情ともとれた。
「助かるさ。・・・・物理的な外傷なら滅多なことじゃ死ねんよ、あの坊やは」
返答できず、加持が黙った。間を取り繕おうとしてか、煙草を点ける。だが、その一秒後にじゅっという音と共に煙草は消えてしまった。
「――――――・・・・・」
全く別次元のところで、加持は絶句した。指の間で上品なティースプーンをひらひらさせている加害者を、じろりと見る。
「・・・人前で煙草を吸うときは許可を求めるのがエチケットってものだろう」
加害者はといえば、そううそぶいて動じない。
「相変わらず奇態な水芸を・・・・器用な奴」
「宴会芸みたいに言うな」
「これが宴会芸でなくて何だ?ったく・・・・」
ティースプーンに掬った紅茶を、テーブルの反対側、煙草の火のついた部分に命中させる。テーブルクロスにシミひとつ落とさずに。器用といえば器用だが、感心する前にあきれ果ててしまうというのが正直な所だ。
「血液をとったが、普通の医者には見せられないデータだ。あの坊やが何者かなんて聞かないが、次に怪我したときは迂闊な医者に掛かるなと言っておけ。・・・さて、じゃ、また明日来る。急変するようなことがあれば電話しろ」
そう言って、立ち上がる。加持もまた、韜晦するかのような笑みをして席を立った。
「・・・・恩に着るよ」
「・・・お前に恩に着られても気持ち悪いだけだな」
「遠慮がないねえ・・・・」

「あなたがちゃんと大学出てたとは知りませんでしたよ」
高階の乗った車を見送った加持に、声をかけたものがある。
「何、俺も忘れてたさ」
そう言って、踵を返す。車がちいさくなってゆく方を見つめるカヲルを見て、つけ加えた。
「・・・・大学の知り合いってのは偶然の話でね。俺の副業のほうで世話になってる奴だ。口の堅さと技術は信用できる」
カヲルもまた、踵を返す。
「・・・すみません。結局あなたを頼ることになってしまって」
「まあ、これくらいはさせてくれよ。俺だって悔しいからな」
カヲルは、返答しなかった。
「・・・・やはり、彼は・・・・・」
タカミの目からは、案の定コンタクトレンズがみつかり、栗色の髪には染色の痕跡があった。現れたのは、紅瞳と銀髪。
「ええ。僕と同じ・・・・17th-cellから作られた、仕組まれた子供ですよ」
かける言葉を失い、加持は黙り込んだ。
「しかし、判らない・・・・そうだとしても、動けるはずなんかないのに・・・」
「・・・そのことなんだが・・・」
DIS端末の話を今ここですべきかどうか。そんなことを考えながら、あらぬ方を眺めやりつつ切り出された言葉は、いとも簡単に遮られた。
「・・・・いずれ、彼が目覚めたら判ることですよ。・・・・僕と同じ者なら、あの程度で死にはしない」
その言葉に、自嘲めいた響きがこもるのを、加持はやり切れない気持ちで聞いていた。