第拾壱話 神は天に在り…

上弦の月

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

すべて世はこともなし
第拾話

 

神は天に在りGod’s in his heaven・・・


 荒野にただひとり、砂混じりの風に煽られながら立っていた。
 この惑星ほしに降り立ってから、どのぐらいの時間が経っているものか…もはや憶えない。
 ひどいことになったものだ。船は幾許かの機能を残してはいるものの、もう二度と翔び立つことは出来ないだろう。
 ここで生きていくより他にないのだ。
 脱出できる同胞はすべて脱出させた。どのくらいの数が生きて地表に到達したものか、算出するのも怖ろしい程の確率ではあるが…生きていれば再会は叶うだろう。
 気になっているのは、事故の状況であった。
 データは不十分だが、あれはほぼ間違いなく同型艦との接触事故だった。
 では、相手方の艦のクルーは?
 向こうの艦も、こちらとほぼ同等の被害があったはずだ。およそ、航行可能なまま離脱出来たとは思えない。
 彼らも、この惑星に降り立っている筈。
 ならば、いつか会うこともあるだろう。その時、何が起こるのか?
 その答えは、程なく出た。
 生命に溢れた惑星に、逞しく版図を広げる種がいた。それが、純然たるこの惑星固有の生命でないことに気づくのに、それほど長い時間は要しなかった。
 本来、個体の寿命が長く個体数が少ないのが自分達であった。生命として強靱であるということは、繁殖力に乏しいということだ
 それがこれだけ殖えているということは、相手方の艦のクルーのうち誰かが、おそらくこの惑星固有の生命に干渉し新たな種を生み出したのだ。
 何故か。そうしなければならなかった理由は?
 ほぼ間違いない。彼等は、自分達以上に数を減らしていたのだ。他に、種を維持する方法がないほどに。
 下手をすると、たった一人ということもあり得る。
 だが、それをいうなら自分もそれほど状況は変わらないのではないか。同胞の生存を信じて捜し歩いてはいるが、未だに一人とて出会えてはいないのだから。
 それを思えば、逞しいの一語に尽きるではないか。再会できるかどうかも判らぬ同胞を当てにするよりも、遙かに建設的だ。
 だが、感嘆してばかりもいられなかった。
 彼等にとって、自分は敵と認識されていたからだ。
 仕方ないのかも知れない。彼等にとっては、故郷を同じくする同胞ではなく、この惑星を受け継ぐうえでの障害でしかないのだから。
 しかしそれは、ひどく寂しいことに違いなかった。

【そろそろヴィレが突入を開始してるから、事態がややこしくなるぞ。喰おうが引き千切ろうが構わんが、怪我すんな!】
「誰が喰うのよ、あんなキモチワルイもの! 了解、スタンバイできたらコールして」
【了…】
 一方的に切れたというより、回線状況が危うくなってきたかというような切れ方ではあった。
「無茶言うわ!」
「やるしかないっしょ」
 折り重なっていた量産機の最初の2体がびくびくと奇怪な痙攣を始める。カツミは起動していない量産機の背部装甲を一部引きはがすと、素体の表面に片手を突き入れた。その手は手首まで埋まり、葉脈状の瘤が八方へ延びる。
「理論上は、同化できるんだろ? こいつを使って叩きのめす!」
「莫迦、喰われたらどうすんの! …サキは『凌げ』と言ったのよ。無茶する必要はないわ。莫迦やってアンタが怪我したら、私がサキに叱られるのよ!?」
「んなヘマしないって…!」
 カツミが占拠した機体が起動する。最初の2体がゆっくりと頭を擡げた時、カツミの機体が猛然と両機の喉に掴みかかった。
「遠隔操作で、しかも単純なコマンドしか受け付けないから動作がとろいってのはホントみたいだな」
 一気に頸椎を折る勢いで絞め上げる。だが、絞められている方も決して無抵抗というわけではなかった。痙攣しつつも頸部を圧迫しているカツミの機体の腕を掴もうとする。カツミが舌打ちしてさらに力を込めようとしたとき、二人の意識に直接響いた声があった。
【コントロールを渡して!】
 カツミが咄嗟に量産機から腕を引き抜いて後ろに跳ぶ。だが、その機体はいささかも動きを緩めることなく最初の2体を押さえつける。腕を掴まれ、指が食い込むが頓着しない。
「タカミか!?」
【大丈夫、すぐ終わる】
「いやそんなこと訊いてんじゃなくて!」
 最初の2体の首が相次いで異様な方向へ捻れるのと、3機目の両腕が鮮血と共に砕けるのがほぼ同時。数秒の沈黙の後、三機そろってその場に擱座した。
「タカミ!あんたまさか…!」
 3機目のダミープラグだけが半ばまでイジェクトされ、ハッチが開いてLCLが流れ出る。
  ほそい腕がゆっくりとハッチを押し上げた。指先まできっちりと覆う、深い青から藍の色調を持ったスーツ…彼等がプラグスーツと呼ぶ物…に包まれた小ぶりなシルエットがその隙間から姿を現す。
 ダミーシステムのコア。かつて『冬月タカミ』の名を与えられて学校に送り込まれた、『渚カヲル』の複製体。
 昨夏、タカミはその身体を敢えて機能停止させることでMAGIから逃れた…筈だった。
「なんてことを…!」
 叱りつけようとしたレミだったが、当人が弁明を口にしかけた途端に凄まじい勢いで咳き込んでしまったので、なんとなく毒気を抜かれてしまう。どうやら、LCLを喉に詰まらせたらしい。ひとしきりLCLを吐き出してしまうには、ある程度の間が必要だった。
「…実は、あんまりにも間抜けすぎて叱りにくくなっただろ、レミ姉」
 カツミがそう突っ込むと、レミが苦虫を噛み潰して言った。
「私…こいつを見損なってたかも知れないわね。ここまで手段を選ばないとは思わなかった」
 咳がおさまるまでの間に、レミは良くも悪くも冷静さを取り戻していた。
「…堕ちようが汚れようが、今更何とも思いません・・・僕はね」
 その口許に笑みすら浮かべて、彼は言った。かつて、カヲルが同じ台詞を口にしている。だが、タカミのそれには決定的に悲愴感が欠けていた。『渚カヲル』の 部品パーツとして造られた身体は、銀髪紅瞳も、その面差しもそのままなのに、そこの部分が違っていた。
 ダミープラグから滑り出た『タカミ』は、量産機の機体を伝ってレミたちのところまで降りてきた。
「それより、緊急事態なんですよ。…折角辿り着いたのに、彼がいない」
 もう二、三度小さく咳き込んでから、ようやくタカミが言った。
「どういうこと?」
「彼の身体は見つけたんです。ロンギヌスの槍で自由を奪われてて…。でも、彼がいない。槍を抜いても反応がなくて、姫様の呼びかけにも応じないってコトは…相当なダメージのまま魂だけ遊離してるとしか考えられない」
「それで…あんたが遊離してそうな先を探してるって訳?」
「彼にとっての本体が拘束された所為でしょう。選択肢としては他になかったと思う…でもおそらくはそのためにダメージを負って、探してる相手すら認識できない状態に陥っているんです。LCLから出してしまった以上、余り長いことこのままだったらいずれ心停止です。…serial-02の最期と同じ状態ですよ」
「あんた、仮にも自分の前身のことをそうさらっと言う?まあいいけど…。
 彼にしてみれば、なりふり構うつもりがないなら、ダミープラグのコアは退避先としていちばん妥当、か…」
「α型についてはタケルとタカヒロが一括熱処理しちゃったから、残るは生産工場か、実装されてるダミープラグのコアしか考えられなくて…」
「…やっぱり、やったんだ。一括熱処理」
 あの振動は、それか。カツミが苦笑いした。
「まあ、そこは想定内ってことで…。問題は、結局その生産工場にもいなくて、このケイジで既に実装されているダミーにも退避してないってこと…一体何処へ行ってしまったのか…」
「生産工場って…」
 レミが僅かに蒼ざめる。タカミの返答にはいささかの揺らぎもなかった。
「破壊しましたよ。…他にどうします」
 レミが天を仰いだ。
「敬服するわ。どーやったらそこまで徹底できるの。それはそれとして、あんたの本来の役目はどーしたのよ。姫様の警護は!」
「そりゃもう、イサナにお任せですよ。そもそも、僕の身体能力ったら言っちゃ何ですけど実直に並以下ですし。50年ほったらかしだったんだから仕方ないって話もあるんですが、戻るときにも相当負荷がかかったみたいで…普通に歩いてても時々転びそうになるんです。実は」
「威張るとこじゃないでしょうが、そこは。…今更言いたかないけど、よくそんなんでサキを助けに行こうなんて思ったわね」
「あの時はとにかくなんとかしなくちゃと思ってましたから。…まあ、そんなわけで一時この身体を借りておこうと思ったんです。まあ、潜在リスクはいろいろあるんですが」
「こーいうの、融通が利くって言っていいもんかわかんないけど…ま、便利だよな」
 カツミが頭を掻きながら、擱座した3体のエヴァを見遣る。生身の運動神経は並以下だとして、エヴァの操縦には特化しているということか。ダミーが生産された経緯を考えれば至極当然とも言えた。
 本人は決して嬉しくはなかろうが。
「…と、ダミープラグのコアにタカミが入っちゃってるってことは、サキのプランは待ってもらわなきゃならないよな?」
「サキのプラン?」
「あ、連絡いってない? ま、こっちの仕事だしな。
 ダミーシステムを停止させるお前のプログラム、残念ながら足止め以上にはならなくてさ。なんでも、『開発者』の協力が得られそうだから、10分待って再接続って…タカ…ミ?」
 カツミの声が途切れてしまったのは、その台詞を言い終えないうちに凄まじい勢いでタカミが青ざめていったからだ。それが体調不良でなく、怒りの所為だと判ったから、尚更。
「…サキ、なんてことを…」
「おーい、タカミー? 大丈夫かー?」
 カツミがやや引き気味に問う。
「僕がなんとかするって…言ったのに…よりによって…あのひとに…」
 そのタイミングで、レミがつけていたヘッドセットの着信を告げるランプが明滅する。レミが舌打ちするほどにろくでもないタイミング。だが、出ないわけにも行かない。
「Yes…」
【準備完了だ。予定通り再接続を…】
「…一寸待ってサキ、問題が発生してるわよ。ちょっとタカミ、あんたターゲットの中身が行方不明って、サキに報告いれてるんでしょうね? …経過省くけど、今タカミがダミーのコアの中に入っちゃってるのよ。開始は待って…!」
「レミ、貸して!」
 タカミがレミから半ば奪うようにヘッドセットを取り、声を限りに叫んだ。
「僕がやるって言ったじゃないですか! 何故、あのひとを巻き込んだんです!? 医者のくせに他人の傷を抉るようなコトして、何考えてるんですか!!」
 声は掠れていた。タカミの剣幕にカツミは目を丸くするばかり。レミはといえば沈黙して成り行きを見守る構えだ。