第Ⅰ章 「シ者」たち


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」


 その槍を避けることは、あるいは可能であったのかもしれない。
 しかし、彼はあえてそれをしなかった。では絶対の障壁で彼を取り囲む人々もろとも吹き飛ばせはよかったのか。
 彼の答えは「否」。
 ―――――かくも愚かで、哀れな者達よ。しかし彼の父はその存在をよしとされた。
 呪わしい二股の槍が、彼の胸を貫き、背の翼を貫き、赤土の崖へ突き刺さる。
 槍が、自ら意志をもって最後のとどめを刺さんとするかのように捩れ、2重の螺旋を形成る。
 彼は呟いた。
『・・・そうか、僕が怖いんだね』
 口許から零れたのは、血泡混じりの吐息と、微笑。身長に倍する白い翼は、その先端から霧のように消えて行く。一見ヒトと変わらぬ細い体躯も、また。
 もはや動かぬ、と見て包囲を緩めた人々の間から、小さな子供が走り出て彼の前に跪く。声を上げて泣きながら・・・。
 泣かないで。それは声にならず、彼はそっと手を差しのべた。血に濡れた細い手が頬に触れ、子供は一瞬だけ呼吸を呑んだ。そして再び火がついたように泣く。
 たった一つの事を除いては、どこにでもいる10代半ばの少年。それが奇怪な槍で崖に縫い止められている光景に、さすがに人々がたじろぎ始めた・・・その時。少年の姿はまるで背景の中に溶け込むかのようにかき消えた。
 澄んだ音とともに、紅の珠が転がり落ちる。
 子供は珠を抱き、泣き叫んだ。

 ――――――何故、殺した。


Senryu-tei Syunsyo’s Room(Novel-Ⅲ)
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第Ⅰ章  「シ者」たち

B Part

 眠っていたのか。気がつくと部屋は闇に満たされていた。
 サキエル。N2地雷の直撃をくらっても倒れさえしないのは流石だが、その衝撃は今の彼には少し酷だった。今の彼が本当にその場に居合わせたなら、ATフィールドも間に合わずに消されていたかもしれない。
 一度心を重ねれば、多少の距離はあってもトレースは可能だった。無論、向こうが拒否すれば別だが。かなりコントロールできるようになったが、まだまだエンパシーは疲れる。それが、遠隔感応なら尚更。無意識に手を額にやると、じっとりと汗をかいていた。
『起きたか、タブリス』
 声でない声。彼が宵闇にも浮かび上がるかのような銀の髪をかきあげ、呼びかけたものが存在する方向を見定めた時、カチリと音がして部屋の隅のアクアリウムに照明がついた。
 しかしその傍らには誰もいない。他でもない、”声”をかけてきたのはそのアクアリウムの住人だった。
 一見、熱帯の海を住処とする、小さな白いサカナ。
「ガギエル。その姿は?」
人形じんけいなど形成りたくない。それだけだ。・・・それより、始まったのか』
「N2地雷とやらの直撃を受けたらしい。恐らくは、今は自己修復中だろう」
『リリンも必死だ』
「滅びたくはないだろう、誰だって」
『だからといってこちらが滅びねばならぬという理屈はない。等しく機会は与えられ、審判は下る』
「・・・・その通りだね」
『”見せて”くれ。リリンのいくさを見たい』
「わかったよ」
 彼はベッドから降り、手近な椅子を引き寄せてアクアリウムのすぐ側に座った。
「いいかい?」
 白い指が、硝子に触れた。

***

 第3新東京市。
「アダム」はそこにいる。
 それはサキエルを初めとして、彼に至るまで、その「家」に居たもの全員の認識だった。
「アダム」に生まれしものは「アダム」に還らねばならぬ。それが運命。…成就するかは否かは別にしても…。
だから、タブリスと呼ばれた少年も、ガギエルと呼ばれたサカナも・・・・・突如サキエルの前に立ちふさがった紫色のモノに少なからず動揺した。
 ――――――《これ》は、何?
 それは、彼らと同じ者。
 彼らのうちの、誰でもない者。
 もう存在しないはずの者――――――エヴァ!!
 サキエルは何の迷いもなく、それを攻撃対象として認識した。ほとんどまともに身動きしないそれに向かって、容赦なく。
 サキエル。あなたは、あれが何かを知っているんだ・・・・。
 少年は硝子にアクアリウムに触れていない手で額の汗を拭った。そう、その筈。おそらくサキエルは、彼の活動状態が安定するまでの”管理”を託されていたのだから。この「家」にいる者たちは、誰一人として己がここに居る理由を知らない。気がついたら生存圏としてここを与えられていた。それだけのこと。しかし・・・・。
 木偶のようなその腕を締め上げ、装甲ごとへし折る。さらにはその頭部、装甲の薄い眼窩を狙って光の槍を打ち込む。二度、三度。
 ――――――絶叫。
 サキエルの槍が装甲を抜き、頭部を貫通した一瞬。サキエルを通じて身も世もない絶叫が流れ込み、彼は思わず頭を抱えて身を折った。
 違う、エヴァじゃない。誰?――――――君は誰!?
 一瞬のことで多くは識り得なかったが、自分と同じくらいの少年の声だった。

 そんな莫迦な・・・・・・!!
 心が触れたのは一瞬。兵装ビルに叩き付けられたそれは、頭部から大量の体液を噴出し、完全に沈黙した。
 殺したのか?
 しかし、そう思ったのもほんの僅かの間だった。不意に動き出し、不気味な咆哮を上げる。
 それと同時に襲いかかってきた。
 先刻までのぎごちない動きとは、完全に別のものだった。歯を剥き出し、サキエルに掴み掛かろうとする。
 サキエルの恐怖が、伝わってくる。ATフィールド、展開。
 一瞬遅れて突進してきたそれが、拡散する黄金色の八角形とともにはじかれる。しかし信じられないことに、それは先刻折られた左腕を復元してサキエルのATフィールドを侵蝕しにかかったのである。
 まさか、そんなことが。

 ヒトのすることではない・・・・・・・・・・・

 しかしヒトのかたちをしたそれは、現実にサキエルのATフィールドを引き裂き、サキエルの腕を掴んだ。
 ヒトじゃない!
 接触によって再び流れ込んできた思念―――もはや思念とも言えぬ―――は、およそ言語化出来るものではなかった。それはただの衝動の塊。攻撃に対する自衛、もしくは生餌を前にした獣の、摂食衝動!
 ―――喰われる!
 それは今やサキエルの上にのしかかり、コア目がけてナイフを無茶苦茶に打ち下ろしていた。コアに亀裂が入る。肋骨を掴み出し、内部の何かを探ろうとしている。
『―――もういい!』
 ガギエルが叫んだ。しかし、遅かった。
 タブリスと呼ばれた少年は椅子から落ち、アクアリウムの下の床に倒れていた。玉のような汗を浮かべ、その顔は蒼白だった。