第Ⅴ章 ”Absolute Terror”

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」


 巨大な換気ファンが緩慢な回転を続けている。
ファンを覆う金網の向こうで、夕日が山の端に接しようとしていた。
薄暗くなった廃工場に、ヒールの音が響く。
「・・・よう、遅かったじゃないか」
彼女の手の内にあるものを見ても、加持は平然としていた。
「・・・・・・判っていたはずでしょう。どうして来たの?」
「・・・・・・判っているはずだろう? なんでこんなことまで君が?」
「約束したのは、私だもの。・・・約束は、守るわ」
――――――――銃声。


第Ⅴ章 ”Absolute Terror”
C Part

 彼が気がついたとき、リリスは既に「堕ちたる者」の烙印を受けて地へ降っていた。
父なる方の庭から「知恵の実」を奪い、荒涼たる地上におのれの居を定めたリリスを理解できるものは、同胞のうちにはいなかった。彼とて例外ではなく。
彼が唯一人違ったのは、同胞のほとんどがリリスを存在せぬ者として黙殺したのに対し、彼はリリスの意図に興味を持ったことだった。
彼がそれを同胞に話したとき、帰ってきたのは驚きと恐怖。
そして一抹の得心。
彼は最もリリスにちかかった。彼のあずかり知る処ではなかったが。
―――――やめたが良い。つかまったら、滅びるか堕ちるかしかない。
そうたしなめる同胞達は、彼もまたリリスと同じ道を辿ることを憂えたのだ。
しかしそれは同胞達が近づき、そして不従順の罪を受けることを恐れて回避した道。リリスに親いこの最も年若い同胞は、あるいは回避できずに罪に落ちるのではないか。それを憂えた。
しかし彼はある日地にくだり、海の側にあるリリスの居を訪ねた。
彼女の子らは地に広がり始めていた。しかし彼女の子らは毎日何人も死んでいく。彼らが取られた土へ帰ってゆく。
―――――見るがいい、父なる方の造った最後の子よ。
彼女は嗤う。
―――――父はわたしを愛さなかった。わたしもまた父を。
求められることは従うこと。不従順は罪と仰せあるなら、
何ゆえに我らに心をお与えになったか?
父なる方が我らに真に求めていたものは何か?
彼は沈黙する。
―――――見るがいい、父なる方は放擲した者わたしの子らに地上をお与えになった。
そして死もまたお与えになった。
私は眠るが、私の子らは地に満ちる。
だが御身らと私の子らの間には憎しみが置かれるだろう。
―――――何故?
―――――選ばれ、未来を与えられる存在ものはひとつしかないから。

 かくて、彼が同胞達とともに永遠に地に降ろされたとき、彼らの間に置かれた憎しみは殺戮というかたちで彼らに降り注いだ。
ただひとり残された彼もまた、荒れ野の岩窟でコアに還元された。
リリスの、哀れな子らを憎むことなく。

***

 荒れ野の岩窟で、リリスの子らの手によらぬ死を待っていた彼が出会った、黒い髪と瞳の少年。少年は彼を恐れず、忌まなかった、ましてや害することなど。
だから少年の行動から居場所が露見し、結果として彼の胸にあの忌まわしい槍が突き立てられたとき、少年は半狂乱になって大人達の腕にとりすがった。
それを薄れる意識の中で聞きながら、彼は微笑った。
見ておられるか、リリス。汝の子らと我らの間に置かれた憎しみは、少なくともこの子の心を蝕んではおらぬ。
また、皆で生きてゆけるはず・・・・

***

 ――――――――「最後の仕事」を終えた者の処置くらい、加持にも想像がつく。覚悟もしていた。だからこそ、悲しませる、もしくは怒らせると判っていて、あんな留守電も入れた。
冬月副司令の身柄をゼーレ側に引き渡した直後、銃口を向けられた所までは、言ってしまえば予想通り。しかしその直後、加持に銃口を向けていた二人が奇妙に身体をびくつかせて倒れたのには、一瞬呆然としてしまった。
しかしそれよりも驚いたのは、二人を冷然と射殺した人物を視認した時だった。
「あの人は身の安全の保障を・・・と言ったけど、あなたが命惜しさで加担してくれるような玉じゃないことは理解してるつもりよ。・・・・だからこれは取引。私達NERVは副司令を返して貰う。あなたはあなたの知りたかった事についての情報を得る」
「“返して貰う”?・・・よくいうよ。お見通しだったんだろう? 副司令と諜報部こそいい面の皮だ」
「副司令には副司令の仕事があるわ」
「なんとね。全ては予定の内、ってことかい?」
加持の言葉に、その人物は何の感慨も示さなかった。苦笑する加持。
「・・・で?俺の知りたかったことって?」
「とぼけても無駄よ・・・あなたが榊タカミについて調べてたこと、こっちが把握してないとでも思った?」
「・・・・ということは、やはり榊博士の一件はリスクに見合うだけの価値をもつ情報だったと解釈したっていいわけだね?」
「・・・・解釈は自由よ」
彼女ほど表情の読み取り難い相手もない。肩を竦めて、笑う。
「・・・・選択の余地はないね。でも、これ以上あの老人達に睨まれるのを俺が嫌だと言ったら、どうするつもりだったんだい?」
「・・・こんなこと言いたくはなかったんだけど、あなたが副司令の拉致について一枚噛んだのは事実だわ。“いい面の皮”の諜報部が、何もしないで項垂れてると思うの?」
さすがに、加持の表情がこわばる。「多大な迷惑」が、実害を伴ったとしても、加持にはそれを償う手段がない。
「これ以上、私に不愉快なことを言わせないでくれるかしら。あなたが給料のよさにつられて二重、三重スパイをやってたなんて言っても、私は信じないわよ」
彼女は、笑ってなどいなかった・・・。
――――――かくて、拘束を解かれた冬月副司令が加持を見たときの目は、憐れみに似たものを含んでいた。
真実の公表をめぐり、かつてはゼーレにすら牙をむきながら、突如としてゲヒルンの要職、やがてNERV副司令に収まった人物にいかなる心境の変化があったのか、加持の知る処ではない。
しかし冬月は、決して長いものに巻かれて今の地位にあるわけではないのだろう。
だからこそ他でもない冬月が人質として選択された。しかし冬月はゼーレにNERVがまだ制御下にあることを信じさせるために、あえて捕縛の身となることも辞さなかったのだ。・・・・長居をするつもりはなかったにしても。
一見温和な老学者としか見えないが、その裡の勁さは到底余人の及ぶところではない。
「この行動は、君の命取りになるぞ」
「真実に近づきたいだけなんです。僕の中のね」








・・・・・・セカンドインパクト。そして人類補完計画。地下のアダム。
手に入れた最後の情報は、解析する暇もなかった。
最後の鍵はミサトに委ねた。それは真実のほんの一部。しかし加持が集め得た全てだった。
何のためにあれだけたくさんの人々が死に、そして今何が起ころうとしているのか。
使徒とは何か。
地下で生き続ける神のプロトタイプ、そして最初の「人間」の名を冠したアダムとは何者か?
使徒とはヒトを滅ぼすために天降あまくだった真のANGELなのか?
最後の審判を導く使者なのか?
それを模したEVAが真にめざすものは、何なのか?
まだ十分ではない。この悲惨な終末の時代を描いたパズル、そのピースはいまだ全て現れてはいない。何かが、決定的に欠けている・・・・
与えられる虚構ではなく、真実が欲しい。ただ、それだけだ。
――――――たとえそれがいくら分の悪い賭けであっても、可能性があるならば。

***

 目覚めたくなどなかった。目覚めた後にあるのは争いだから。
争いたくなどなかった。
憎みたくなかった。
だが彼らが、卵のまま成長を停めたタブリスにしたことは――――――
『・・・リリンは、生き延びるためには手段を択ばないのさ・・・・』
リリンの間に混じり、リリンとして生きることを望んだ同胞の、苦い言葉が去来する。しかし、自分たちとてそうなのだ。生き延びるための手段について、択ぶ自由は残されていなかった。
午後の気怠い空気に眠気を誘われたか、少女はカーペットに寝転がって細い寝息をたてていた。
鳥達すら、その眠りを妨げぬようにすこし退いて、声を立てぬ。
やはりカーペットに座り込んだまま、少女の周りに散らばった硝子玉が光をはねるさまを紅瞳に映しながら、カヲルはただ黙して落涙するばかりだった。
サキエルがしたことの意味が、今ならば判る。
だから誰を恨むこともできぬ。
全ては運命ながれのままに動いてゆくのか。
皆、消えるしかなかったと言うのか。
『求められることは従うこと。不従順は罪と仰せあるなら、何ゆえに我らに心をお与えになったか?』
したたかなり、リリス。アダムと等しく造られながら、御身の心は――――――。
カヲルは立ち上がり、大きな窓に嵌められた硝子に向かって拳を振るった。乾いた音がして硝子が割れる。紅く染まった右手で手ごろな大きさのかけらを拾い、何の躊躇いもなく左の手首に滑らせる。
カーペットが、紅く染まる。
紅が広がり続けるのを無感動に見つめ、膝を折る。そうだ、この程度では死ねない・・・・・そう思い至って吐息し、かけらをその白い首筋に当てた。
その時、カヲルの手の中でかけらが砕けた。・・・・というより、一握の石英砂に還ったのだ。
手の中から零れ落ちてゆく石英砂を見つめて、一瞬呆然とする。
紅に染まった手を、汚されていない白い手が包んだ。
いつの間に起きたものか。彼女は双の瞳に涙を浮かべ、カヲルの紅く染まった手を包んで激しく首を横に振る。カヲルがまだ呆然としている間に、右手の傷はおおよそ治癒していた。
「・・・・・あなたが、一番残酷だね・・・・・」
傷の消えてしまった手を見て、カヲルが苦い笑みをした。
その笑みをどうとったのか。彼女は涙顔のまま微笑み、包んだ手に頬を寄せた。
――――――――その時。
閃光。カヲルは反射的に彼女を包み込み、その光から彼女を隠そうとした。・・・・だがそれは徒労。
光は、彼女の裡から発せられていたのだから。

***

 陽が落ち、闇がゆっくりと舞い降りる埃っぽい廃工場の床。そこにだけ、夕陽の色が残っている。
なぜこんなに鮮明に見えるのだろう?
そんなことをぼんやりと考えた。ああ、月の所為か。
広がり続けるその赤の、まがまがしい程の色から目を背ける。視界に、ケースに入ったディスクが入った。・・・・そして、ヒール。
莫迦な。
屈みこむ気配。だが、聞こえてきたのは加持の知らない声。

「――――――――生きたい?」