第Ⅸ章 そして御使は神の前に立つ

Full Moon

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」


 死にたくない。
 ただそれだけがあった。
 視界はない。ただ、灼かれる痛みがあるばかり。
 灼かれる?一体何に。感覚は疾うに電気信号による擬似的なものに置き換えられていた。不快刺激はある程度選択消去する身体。それでも生きてさえいれば。
 だがそれが仇になった。何故、こんなことが。
 送りこまれたプログラムは、かつて第14使徒を喰った初号機さながら獰猛に喰らいついてきた。他のメンバーの反応が次々と消えていく中で、生き残る術だけを考えた。
 ここのシステムはすべて消去される。それはもう避けようがない。
 どうすればいい・・・・・?             

***

「lat. 90°S. ………直径14km、体積1436立方k…….毎秒8kmで上昇中、成層圏離脱まであと2秒」
 何かを押しこめるような、低い声でタカミが呟いた。
「何?」
「映像があと3秒で入るよ。口で説明するより早い」
「南緯90度ったら、南極!?・・・そんなところに・・・・あ・・」
「ご明察」
 映像が切り替わる。そこには、今彼らがいる場所のネガのような光景が広がっていた。
 巨大なクレーターを後に、ゆっくりと上昇していく巨大な球体。

 ―――――――― 白い月。


第Ⅸ章 そして御使は神の前に立つ
C Part

「西暦2000年、葛城調査隊の調査対象となった物体・・・“リリスの卵”と対をなすもの、言うなれば“アダムの卵”。あの日までアダムの実体が存在した、アダムの子の故郷、そして父なる方の御座所へ通じる路」
 その姿は、晧々として美しい。闇を凝縮したようなリリスの卵とまさに対をなして、光に満ちていた。
 ・・・そして、徐々に大きくなる。体積が増しているわけではない。接近しているのだ。
「加速してるな。8.5km/sec……8.6、8.8」
「どういうことよ!?」
「時が来たのさ。・・・・・父なる方が、僕らすべてを飲みこんで再生する時がね。二つの“卵”が衝突する時、15年前閉ざされた路が再び開かれる」
「・・・・莫迦言わないで!こんなところで、こんな大質量が衝突したら、地上は・・・・・!」
「セカンドインパクトクラスの大災害だよ。しかも、衝突を回避する方法はない。向こうの加速度によっては遅らせる事はできるかもしれないが、やり方を間違えればどちらかの“卵”がそのまま地上へ落下ってことにもなりかねない」
「N2兵器を撃ち込んで解体できない?」
「・・・・あるの?N2弾なんて。ま、あってもとても足りないよ」
 ミサトは天を仰いだ。本部以外の施設は吹き飛んでしまっている。兵器格納庫も例外ではない。
「なんてこと・・・・ったく、次から次へとよくこれだけ問題が起こるわ!!」
「・・・・慌てないで。だから言っただろう?“ひとつだけ、方法がないでもない”って」

***

 すべてを信じたわけではない。何より、もたらされた情報はあまりにも突飛で、また膨大だった。ありていに言えば、トウジ自身の処理能力の限界を超えていた。
 セントラルドグマへ向かいながら、硬い床を踏みしめる左足の感覚に戸惑う。
 だがそれは、義足ではない。紛れもなく、自分自身の足だ。
 足を失った時の記憶があるわけではない。参号機の暴走が始まった時点で、トウジの記憶は飛んでいた。気がついたら白い部屋のベッドの上で、左足は失われていた。事故だと聞かされ、NERVから義足を提供された。およそ最先端の技術が投じられているであろうその義足の機能は決して悪いものではなかったが、生身の足とは比べるべくもない。
 挫滅した左足を大腿部中央から切断したのだ。傷が癒えることがあっても、もう二度と自分自身の足で歩けることはないはずだった。だから、それを取り戻せたことについて喜ぶ気持ちがないといえば嘘になる。
 ・・・だが、戸惑う。
 切断した足が再生し、骨が見えるほどに抉られた傷が数十秒で跡形もなく消えうせる。そんな体組織を持ったものを、通常は人間とは呼ばない。
「―――――― ・・・・・・・」
 目の前を塞ぐシャッターに立ち止まり、決定的な一言を口にしかけて、飲み込む。代わりに浮かんだのは、先刻の榊タカミの言葉。

遺伝情報がどうとか、ATフィールドがどうとか、あまり大したコトじゃないよ。
要は君が君自身であること・・・
それを否定できるものは、この世にはいないんだ

 無茶言うわ、と心中で毒づく。そんなに簡単に割りきれたら世話はない。
 だが、実に気楽にそう言われると・・・一瞬「そんなものかな」と思ってしまう。ひょっとしてうまいこと乗せられているんだろうか、と思わなくもないが、何よりかすかな記憶がタカミの話を肯定させていた。
 そして・・・・・これ以上傍観してもいられない。何かせずにはいられない。
 何が間違っていて、何が本当なのか、そんな事は歩きながら自分で考える。ただ今は、前に進むだけだ。
 セントラルドグマに続くシャッターをこじ開ける。それが既に尋常な力ではない事をトウジは意識していたが、拘泥する事はなかった。
 破れた扉が巨大な吹き抜けを落下していく。間髪いれずに、下から爆風が吹きあがってきた。
「・・・ま、まだ何もしてないでっ!?」
 下を覗きこむ。セントラルドグマに面した通路のひとつから、黒煙があがっていた。どうやら火災が起こっているらしい。
「・・・・大当たりやな」
 煙の向こうから、灰色の腕がのぞく。α-EVA、量産機のプロトタイプに違いなかった。出がけのタカミの言葉を思い出す。
『全長は2.5m。まあ、地上で暴れてくれた連中よりずっと小ぶりだけど、パワーはほぼ同じと考えていいと思う。ただ、どのくらいの機能があるのか皆目見当がつかないから気をつけて。センサー系がダウンしてれば襲いかかってくる事もないだろうが、闇雲に暴れまわられるほうがかえって厄介だ』
 黒煙の中からまろび出たα-EVAは、あちこちにぶつかり、ぶつかった先を手当たり次第に殴りつけている。
「センサー系が死んでる、ってのはホントらしいな」
 ただ、間近に見て厄介だと思ったのは、その動きが意外に早いことだ。その大きさを考えれば至極当然ではあったが。
「うかうかしとったらまきこまれてオダブツか。・・・ま、やるしかないわな」
 手すりを越え、下の通路へ飛び移る。一歩間違えればそのままドグマの底まで転落しかねない動作を、トウジは殆ど意識せずにやってのけ・・・着地してからそれに気づく。
「・・・・・・・」
 背中に冷汗を感じ、手すりから下を覗く。黒煙と暗さがあいまって底の見えないドグマを見、思わず喉を撫でた。
「・・・あかん、感覚がようついていかんわ」
 周囲を見まわし、ドグマの壁に取り付けられた非常用のタラップに目をつける。それを伝って降りはじめると、いくらもしないうちに新たな爆発が起こり、爆風に煽られて足を踏み外す。2、3段ばかり滑り落ちて踏みとどまったものの、背を冷汗が駆け下った。
「冗談やない、こんなんで死んでしもうたら・・・・・・・俺、てんで莫迦やないか」
 おそらくは己に向かって、そう毒づく。だが、そう言い終えた直後に次の爆発が起こった。どうやら何かに引火しているらしい。
「ええいッ、悠長な事やっとれんかっ!!」
 荒れ狂うα-EVAまで垂直距離にして5mといったところか。トウジは意を決したように段から手を離し、宙に浮いた身体に壁を蹴る一撃で加速度をつけた。
 具現する力。それが一体どういうものなのか、トウジにはよくまだ飲みこめていない。だが今、目の前で荒れ狂う炎をおさめる力があるなら。
 湖水を一瞬で氷にした時の感覚を思い出す。・・・・そしてそれを、目標へぶつけた。
 眼前が漂白される。吹きつける熱風が刹那で熄み、バランスを崩したトウジは降りるというより落ちてしまう。
「・・・・・いて・・・」
 したたか打ちつけた肩をさすりながら身を起こす。遠くではまだ轟々という炎の音が聞こえていたが、視界のきく限りは白い靄と凍りついた床があるばかりであった。
「とりあえず、やり方としてはまちがっとらんかったな」
 頭を掻きながら周りを見まわしていると、わずかな風が白い靄を薙いで、靄が隠していたものが明らかになる。・・・・・現れた奇怪なオブジェにトウジは思わず口を覆った。
「・・・アレの試作品っちゅーだけはあるわ。けったくそ悪い」
 機能は停止しているらしいので、なんとも思わずに近寄る。今の状態なら、横転させただけで粉々になるはずだ。だが、不意に頭の中に声が響いた。

 ――――― それに触らないほうがいい!

「へ!?」
 慌てて手を引っ込めるが、その瞬間にぶれた指先が奇怪な氷柱を掠った。
「・・・・・・!!!」
 心臓をざらついた手で鷲掴みにされるような不快感・・・・否、痛みに身体を折り、トウジは凍りついた床の上に倒れこんだ。
 それはα-EVAが暴れまわった後としてはかすかな振動であったに違いない。しかしその瞬間、α-EVAを閉じ込めた氷にヒビが走り、灰色の腕がびくりと動いた。

***

シニタクナイ。
ワタシヲコロサナイデクレ。
ワタシヲケサナイデクレ。
シヌノハイヤダ。
キエタクナイ。

キエ・・・・・

***

 何が起こったのか判らない。
 α-EVAに接触した瞬間、心臓を締め上げるような苦痛に打ち倒された。苦痛・・・いや、これは感情。流れこんできた感情が、心臓を締め上げ、肺を圧迫する。
 ―――――― 恐怖。
 生への渇望、死への恐怖。自分のものではない感情に押しつぶされそうになる。感情がひとを殺すなぞ考えられない。だが現実に、トウジの呼吸は殆ど止まりかけていた。
『シニタクナイ』
 それは、ついさっきまでのトウジの叫びそのものだった。そのことが、同調から逃れにくくさせていた。
 感情の同調empathy。自分がまきこまれたのだという認識を持つに至るような余裕がトウジにあろう筈もない。物理障壁としてのATフィールドの使い方には慣れていても、感情の遮断には慣れていなかったのだ。
『潰される』
 そう思った一瞬、心臓を締め上げていた何かがブツリと切れた。それが、額に触れた手の所為だと気がつくまでに数秒が必要だった。
「やれやれ、間に合った」
「な、何が・・・っ・・・」
 急激に流れこんだ空気に思わず咳き込んだが、視界はすぐに回復した。槍を携えたタカミが立ちあがるところだった。
「・・・・あっちはもうええんかい」
「なんとかね」
「何やったんや、今の・・・・」
 喉をさすりさすり、深呼吸する。胸の上に乗った重石を取り去られたように、楽だった。
「・・・僕に与えられた属性は“恐怖”・・・・・・・根源の感情。もともと力の使い方からいえばアラエルのそれに近い。だから基本的には荒事向きじゃないんだけど、この際は仕方ない。
 ・・・というわけで、自分の身は自分で守ってもらっていいかな」
 あっけにとられているトウジの返答を待たずに槍に力を伝えると、ふっと姿を消した。直後、氷を纏いつかせて微動しているα-EVAの背後に現れ、両腕と槍でα‐EVAの首を固定する。
 タカミの背後に広がった黒い翼・・・否、暗い空間の歪みから、巨大な手首が現れ、α‐EVAを捉えた。
 模擬体の手だ。同調を利用して遠隔操作しているのか。だが。
「・・・・・無茶や・・・・!」
 タカミの意図を悟ったトウジが叫ぶ。一瞬の後、その空間が白熱してはじけた。
 爆風。とっさにトウジは障壁を張ったが、辺りが何も見えない。
 α-EVAの苦鳴が響き渡る。至近距離でN2兵器級の爆発を食らったのだ。流石にもう動けまい。
「・・・・わや・・しおるなぁ・・・」
 わずかに爆炎がおさまり、程近い床の上にタカミが蹲っているのが見えた。トウジが何事かを言おうとして身を起こしかけたとき、タカミの顔色に気がついて青ざめる。
 気配を感じて飛び退すさった直後、焼け爛れた皮膚を纏いつかせた不気味な腕が、トウジの眼前に振り下ろされた。
「・・・冗談やろ!なんでアレで生きてるんや!?」
 焼け爛れてなお、その威力は簡単に床に穴をあけた。第2撃を警戒してトウジは更に後退したが、タカミは蹲ったまま動かない。
「おい・・・・・!」
 動けないほどのダメージを受けたのか。とっさに前へ出ようとしたが、タカミの眼に制され立ち竦む。その硬直を打ち破るかのように、思いの他近くに第2撃が振り下ろされた。
「・・・・・やかましいわ、この外道・・・!」
 薄れてきた爆煙の向こう、覆い被さるかのようなα-EVAのシルエットを睨み、右手に力を収束する。だがそれをぶつける寸前に、シルエットが両断された。
「な・・・・・!」
 考える暇はない。再び凄まじい爆風に見舞われ、トウジは慌てて障壁を展開した。その感覚に違和感がなくなりつつある事に、少しだけ失望しながら。
「・・・・や、さすが真打、美味しいところはきっちり攫っていくね」
 片膝をついたまま、緊張感皆無な感想を述べたのが誰か・・・言うまでもない。
「・・・・・・莫迦なことを」
 焼け焦げた肉片が散乱する床へ、彼は静かに降り立った。その傍らには青銀の髪の少女が、そして後ろでシンジが周囲の惨状に身を竦めていた。
「他に選択肢がなくてね」
 漸く身を起こしながらタカミが苦笑する。その左手は、手首から消えていた。
「・・・その手、やっぱり・・・・・」
 トウジが言葉を飲み込む。先刻、α-EVAを捉えて自爆した手首は左手だった。
「模擬体といっても組織はEVAと同じものだから・・・・サハクの真似ぐらいは出来ると思ったのさ。でもさすがに、ぶっつけは巧く行かないもんだね。同調がうまく解けなかったみたいだ」
「『出来ると思う』で自爆技を仕掛けるのか?」
「おや、一応心配してくれたのかい?」
 そういう科白でカヲルを刹那黙らせて、自身の右手で左手首を掴む。出力不足で消えていたホログラムが再び像を結ぶように、ゆっくりと手首の輪郭が戻った。
「送り出した以上、得手の不得手のって言ってられないからね。まあ、皆怪我がなくて良かった。・・・おかえり、カヲル君。それから・・・・レイちゃん?」
 そう言って、不思議そうに二人のやり取りを見ていたレイに微笑を返す。見知った近所の子供にそうするかのように。
 レイが反応を選びかねてか、紅瞳を丸くする。
 カヲルはその表情の動きを眩しげに見、槍を収めながら呟くように言った。
「・・・・以前、訊いた・・・何故、あなたがリリンたることに固執するのか」
「そうだったっけ・・・」
「あなたは結局はぐらかした」
 タカミは苦笑でいらえた。
「・・・・あの時は理解らなかった。でも今は、少しだけ理解る」
 真っ直ぐにタカミを見、ためらいというより言葉を選ぶのに少し時間をかけてから、カヲルは口を開いた。
「・・・・ひとリリンを、愛した? あなたは・・・・・」
 タカミがそれに答えることはなかった。ただ、いつになく晦ますような、それでいて少し寂しげな笑みをして身を翻す。
「・・・・・・あと37分50秒」
 セントラルドグマの焼け焦げた壁を見上げながら、言った。
「衝突までの現時点での予測時間だ。多分、早まることはあっても遅くなることはない。行こうか、発令所。ここまできたら、みんなで生き残らなきゃ」
「・・・・何を、考えてる?」
「アダムの卵が動き出した以上、打てる手段にあまりたくさんの選択肢はない。・・・・・多分、カヲル君と概ね同じことだよ」
 カヲルは、口を開くまでにわずかな間を置いた。
「アダムの卵を完全に破壊し、空間ごとディラックの海へ沈める。・・・・・・簡単に言うが、あの大質量を破壊する手段はどうする」
 タカミは、何も言わずに穏やかなまなざしでレイを見た。
「等しい大きさと質量 を持つリリスの卵・・・・・これをタイミングをはかってアダムの卵にぶつければ、対消滅させることができる。そういうことね」
 レイが、重い口を開いてそう言った。カヲルが流石に呼吸を詰めた。・・・・それは、彼があえて避けた選択肢であったから。
「Sure・・・・・・・」
「一つ間違えば、君も取りこまれてしまうよ」
 気遣わしげなカヲルの言葉に、レイは静かに首を横に振った。
「タイミングさえ間違えなければ、父なる方を永劫の彼方へ封じ込めることが出来る」
「綾波・・・・」
 決然とした口調。シンジが、うたれたようにその横顔に見入っていた。
「・・・・・私は、その為に永らえてきたのだから」
 そこに立つのはかつて、「自分には何もない」と断じた少女ではない。今の彼女は、他者から与えられたものではなく、自分自身で探し当てた理由を持っていた。

***

「大丈夫なの?リツコ」
 振りかえって、詮無い事と知りながらミサトは訊いた。
 榊タカミが発令所へ戻るように言って姿を消してから、いい加減で慣れてしまったミサトはさっさと行動を開始していたが、ほかならぬリツコのひどい顔色が気にかかっていた。
「しっかりしてよ、らしくないじゃない」
 こんなことを口にしようものなら、必ず厳しいツッコミの三つや四つは帰ってくるのが常だ。だが、今は蒼い顔で俯いてしまうだけ。
 とりあえず走らねばならないから、ミサトは追及をやめた。だが、発令所へ通じる今や唯一の通路となったエレベーターに乗り込んでしまうと、向き合うしかなくなる。
「・・・・・・死んだの?碇司令・・・・」
 リツコがかくも抜け殻のようになってしまっている原因なら、それが一番妥当だと思われた。だが、リツコは静かにかぶりを振った。
「・・・・・・わからないの・・・・」
「何?」
「・・・・・・わからない・・・・自分が何をしてるのか・・・・・。そう、生きてるのか・・・・死んでるのかさえよくわからないの」
「・・・な、に・・・・言ってるの・・・?・・・」
「目に映るものも、手に触れるものさえ・・・・なんだかひどくあやふやで、現実感がない・・・・」
 声がうわずる。両手で顔を覆うリツコから、ミサトは思わず目を逸らした。
「何もかも終わりにしようと思ったのに・・・・・どうして私、まだ生きてるの? この上生き延びても仕方ないのに・・・どうして私、まだ歩いてるの・・・?」
 かけるべき言葉がなくて、ミサトもまた俯く。喪失という経験が残す傷の深さを、ミサトは知っているからだ。
 しかし、ややあって慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「・・・・本当に・・・・何もないんだったら、発令所からボックスまで一人で駆け下りてくるようなエネルギーだって出てこないんじゃない? 何故でもいいわよ。とりあえず、自分で立って歩こうって気力があるんなら、また終わってないわ。違う?」
「わたし・・・・・」
 その時、エレベーターが発令所を示して停止した。

***

 呆れた事に、セントラルドグマを経由した筈のタカミ達のほうが先に着いていた。そして、カヲル達も。
 レイは予備のプラグスーツをまとい、いつもの透明なまなざしで周囲を見ていた。アスカは担架に乗せられたまま、鎮静剤が効いてまだ眠っている。シンジは立ったまま所在なげに俯き、そのほど近くでトウジがコンソールパネルに腰をかけて足をぶらぶらさせていた。
 この時初めて、すべてのEVA搭乗者チルドレンが一堂に会したことになる。だが、そんなことを気にかけていられる者は発令所にいなかった。
 事態を要約するカヲルの話がとても発令所のスタッフには理解できない代物であったのだ。とにかく、既存の知識のレベルを完全に無視して至極端的に喋るからだ。青葉や日向が頭を抱えたのも無理はなかった。カヲルの物言いにいい加減慣れてきていた加持やミサトにしたところで、理解できるかどうかは別次元の問題だった。
 結局、タカミが横から注釈を入れてようやく納得させたが、それはそれで問題を生じた。
「・・・・承服しかねるわ」
 そう言って挙手したのは、他ならぬミサトであった。
「二つの月を対消滅させる。それはいいわ。他に選択肢がないでしょう。・・・でも、衝突の瞬間にそこを覆うフィールドを構成するレイと渚君はどうなるわけ? ・・・・あの時の、初号機のように空間に呑み込まれてしまうってことは・・・」
 カヲルは表情を険しくした。事態はリリンの手を離れているのだと、まだ認識できないのかという苛立ちがそうさせるのだ。
 その苛立ちはまったくもって妥当であったが、どっちの理屈もわかるタカミとしては、放っておけば『あなたがたの知ったことではない』とでも言い放ちかねないカヲルを慌てて制止しなければならなかった。
「無論、理論上はあり得るよ。ただ、それについては僕に考えがある。説明してるヒマがないけどね。それより、葛城さん達には葛城さん達の仕事があるんだ」
「仕事?」
「忘れてもらっちゃ困るよ。ここはもう大気圏外なんだ。卵から出た後で、こんな推進装置もない大質量・・・・重力に掴まったらどうなると思う」
「・・・・・!」
 一同、蒼然となる。
「本部施設そのものは、現在のところバル・・・・鈴原トウジ君のATフィールドが維持している。だから、卵の外へ転移させても突然圧壊したりはしない。だけど、いずれ重力に掴まって大気圏へ落ちる。
 無論、大気圏突入の摩擦熱くらいATフィールドは耐えるだろう。ただし、今回事情が違うのは、あまりにも多くの異物を抱え込んでるってこと。理解してもらいにくい感覚だと思うけど、要するに、坂道を全速力で駆け下りる時、トレーニングウエアで手ぶらなのと、タキシード着て両手に荷物提げてる場合を考えてもらえればいい」
 非常時なのだが、タカミの比喩にマヤをはじめ数人が失笑する。だが、ミサトは腕組みをしたままにこりともせずにタカミの言葉を引き継いだ。
「つまり、維持する範囲をせめてこの発令所くらいのサイズにおさえて、生存者はすべて発令所に集める。他の施設は摩擦熱に対する緩衝材にして、捨てる・・・・」
「That’s a correct answer!」
「制限時間は?」
「さしあたっては本部施設を卵の外に出してしまうのが先決。これは早い方がいい。そのあと衝突の瞬間をオーバーしてしまったとしても、理論的には本部施設がまきぞえを食うことはないはずだ。大気圏突入のタイミングはある程度調整ができるけど、バランスを崩す何らかのアクシデントが起こった場合、タイミングをはかる暇もなく落下をはじめてしまうことだってあり得る。まあ、一時間くらいでなんとかしてもらったほうがいいと思うね」
 慌ててトウジが口を挟む。
「まてや、何処へでも落ちりゃぁええっちゅうもんじゃないやろ。何処へ向かって降りたらええねん。そんなところまで、俺アタマまわらへんで!?」
「本部施設の大気圏突入角については、僕が計算して君に伝達する。君はフィールドの維持に専念してもらっていいよ。毎度鎧代わりにして悪いけど、僕じゃ多分この体積を維持していけないからね」
「鎧て・・・まあ、ええわ。生き残るんが先や」
 今ひとつ釈然としない風ではあったが、とりあえず頭を掻きながら頷く。
「つまり、わたしたちの仕事ってのは・・・宇宙空間に放り出された本部施設が重力に掴まって落下を始める前に、すべての生存者をこの発令所に集めるってこと?」
「そう・・・・本部内にはまだ、孤立してるセクションがいくつかある。NERV側も、戦自側もね。・・・・・どうするかは、あなた方の判断だ」
「戦自・・・・!」
 発令所がざわめく。作戦行動とはいえ、戦略自衛隊の暴虐を忘れるには周囲の弾痕や負傷者の数が多すぎた。
 ミサトは発令所の内部を見渡し、しばらく拳をコンソールに押し付けていたが、ふと顔を上げた。
「日向君、全館放送に繋いで」
「は、はい・・・・」
 日向がコンソールに飛びつく。
「・・・・準備完了」
 ミサトは頷き、ヘッドセットを手に取った。周囲が固唾を飲む。
「・・・・こちらは、NERV作戦部長葛城三佐。本部施設内に残留する全職員に通達します。一時間以内に、発令所に集合。なお、5番エレベータ以外のすべての通路は封鎖されているため、ルート32を使用のこと」
 そこで、一旦言葉を切る。
「また、戦略自衛隊各部隊に勧告・・・・。死にたくなければ直ちに一切の戦闘行為を中止し、指示に従いなさい!」
 それだけ言って、接続を切る。日向がもの言いたげにミサトを仰いだ。
「葛城さん・・・・・」
「判ってるわ。でも、戦自の連中だけ選って宇宙空間に放り出すわけにも行かないでしょう。日向君とマヤは生き残ってるすべてのセンサで施設内をサーチ。生存者を探して。加持、あんたまだ動けるでしょ。収容に出るわよ」
「あ、ああ」
 見えた目標に向かって発令所が動き出す。その中で、カヲルがタカミに数歩あゆみよった。
「・・・・考えって・・・まさか」
「そう。もし、対消滅の余波で君たちが出て来られなくなったら、僕が模擬体の残りを放りこんで空間に干渉をかけてみるよ。僕の切り札って、もうこれしか残ってないしね。対消滅のタイミングを計算できたらもうあれに用はないし、本部施設の軌道くらいMAGIが計算してくれるさ」
「そういう問題じゃない。・・・・・一歩間違えば、存在自体が吹き飛ぶ」
「君たちが冒す危険に比べたら些細なものだよ。それでも、君たちはやるって決めた。だったら僕も付き合うさ」
 そう言って少し身を屈め、両腕でカヲルとレイを抱き寄せる。
「生き残 るんだ。何としてもね。君たちはもう二人きりなんだ。その手を・・・離しちゃ駄目だよ?」
 その腕にこもる力を、カヲルは不思議な感触と共に受けとめた。
「・・・・タカミも・・」
「ありがとう」
 タカミは腕をほどき、手を二人の肩に乗せた。
「じゃ、気をつけて」
 カヲルは頷き、レイの手を取った。
「・・・行こう」
 レイもまたこくんと頷く。タカミは微笑み、小さく手を振った。
「ま、まって!」
 呼びとめたのはシンジだった。
「僕も・・・僕も行くよ。初号機で出る・・・・! 僕にも、何かさせてよ。僕、結局何も出来なかった。カヲル君の足を引っ張っただけだった。・・・お願い、僕にチャンスをくれない?」
 これには、レイが驚いたようだった。タカミに至ってはわりあいさめてしまっていて、成り行きを見守っている。カヲルは少し厳しい顔でシンジを見つめ返していたが、ややあってもう片方の手を差し出した。
「・・・・いいよ、行こう」