第Ⅸ章 そして御使は神の前に立つ

Full Moon

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」


「・・・きっと、帰ってくるから」
 まだ意識の戻っていないアスカの傍らで、シンジは半ば自身に言い聞かせるように言った。
「一番辛い時に、なにも出来なくてごめん。僕、今からできることを頑張ってみるよ。なにかが、変えられるかもしれないから」
 そんなシンジをすこし複雑なまなざしで見ていたカヲルは、ふと振り返って問うた。
「・・・・回復するのか?」
 タカミが吐息でいらえたので、カヲルが少し怪訝な顔をする。
「生きながらにして引き裂かれ、喰われる感覚を味わって・・・まだ、眼に光が残ってる。彼女は強靭だよ。ただ、相応の時間をかけることは覚悟したほうがいいだろうね」
「・・・・・・・・」
 物言いたげなカヲルの視線を目を伏せることで遮り、自身の掌を見つめながら呟くように言った。
「自分で癒さなきゃならない傷もあるんだよ。刻み込まれた恐怖を拭い去ることがすべてを解決するわけじゃない。かえって、心のバランスを狂わせてしまうことだってある。・・・カヲル君、僕らは決して万能じゃない」
 穏やかな微笑で晦ました苦さを、カヲルは察した。
「・・・・わかってる・・・」


第Ⅸ章 そして御使は神の前に立つ
D Part

 もはや、EVAを格納できる大きさを持った空間というだけのケイジで、初号機は膝をついたまま沈黙している。今にも崩れ落ちそうなアンビリカルブリッジに二人は立っていた。
 電源は投入されていないが、S2器官を搭載した初号機には意味のないことであった。ただ、シンジがここにいないことが初号機を沈黙させているに過ぎない。
 レイの思惟を初号機は・・・・というより、初号機の中のヒトの魂―碇 ユイ―は理解したようだった。いくばくかの戸惑いはあったにしても。
 破滅へ向かおうとするヒトを何とか残したい。それがゼーレで活動した碇ユイの想いであった。ただ、それは人類全体をリセットしようとする他のメンバーと完全に合致するものではなかった。

 ――――――それが我が子の願いならば。

 その思惟を受け取った時、レイはかすかに切なげに睫をふるわせた。
「“綾波レイ”が、貴女の細胞を使って造られたことは・・・・偶然ではないのかもしれない」
 レイがその言葉を唇にのせたとき、白皙の頬を涙が伝い落ちる。カヲルは何も言わずにその肩を抱いた。

 ――――――太陽と月と地球がある限り、ヒトはまだ生きてゆける。
       さまざまな苦しみもまた是とするなら、躓いたとしてもまた歩き出すことができる。

 では、貴女はどうするのか・・・・そう問いかけようとしたとき、ケイジわきのボックスから予備のプラグスーツに着替えたシンジが出てきて、会話は中断された。
 タイムリミットのことを思ってか、シンジは勢いよく走ってきた。だが、レイの頬に涙痕を見止めてうろたえたように立ち止まる。
「・・・・・どうしたの・・・・綾波・・・・」
 カヲルは宥めるようにレイの肩を軽く叩き、立ち尽くすシンジへ顔を向けた。だが、返された言葉は先の問いへの答ではなかった。
「・・・皆で、地球へ帰ろうね。シンジ君」
 穏やかな微笑は、かすかな愁いの翳りを纏っていた。シンジはその言葉の意味を問い返すこともできずに立ち尽くしていたが、ややあって頷いた。
「勿論だよ!」
 殊更に大きな声と明るんだ表情は、戸惑いと不安をかき消すためのものであったに違いない。だが、それを見たカヲルは莞爾として言った。
「・・・・・・行こう」

***

 黒い月の表面に、突如として光点が出現したように見えたであろう。
 本部施設がリリスの卵の外へ転送された時、中にいる者達にはかすかな振動だけが伝わった。
 いい加減に慣れそうなものだが、衛星を通じて投影された非現実的な光景に発令所の面々から吐息が漏れる。
 発令所の下半分はさながら野戦病院のような様相を呈していた。機材も人材もスペースも十分ではないのだから無理もない。そんな中で、生き残ったセンサがかき集めた情報を技術部長とMAGIが整理・統合し、作戦部長自ら陣頭指揮を取って生存者救出を続けている。
 司令席でただ事態を傍観するかのように見えた冬月副司令は、いつの間にか階下へ降りて黙々と収容された負傷者の治療にあたっていた。
 伊吹マヤは実働部隊のナビゲーションをする傍ら、時々気遣わしげに敬愛する上司のほうを見ている。生存者捜索という急務を前にすると、それまでの茫洋とした表情は消え、いつもの厳格な技術部長がそこにいた。だが、先刻のようにふとまた元に戻ってしまうのではないかと思うとそれが怖かったのだ。
 戦略自衛隊の生存者もぽつぽつと白旗をあげて発令所へ集まりつつあった。
 ―――――そして、使われていないコンソールに腰掛けたままの鈴原トウジには・・・・・これといってやることがなかった。
『へたに動き回って君にもしものことがあったら、本部施設なんてすぐにスクラップだからね。とにかく君はどんと構えてたらいいんだよ』
 最終調整だかでプリブノーボックスへ行ってしまった―例によって空間を渡って行った―榊タカミにそう言われたものの、さりとて端然と座しているのも芸がない。漫然と階下の様子を見ていたが、ふと思いついて顔を上げた。
「――――なあ、榊さん。聞こえるンやろ」
 ――――――声に出さなくったって大丈夫だけど
「喋らんとしゃべるなんて器用なマネ、俺にできるわけないやろ」
 ――――――いや、別にいいけど・・・何か?
「俺って、どれくらい生きられるンや?」
 ――――――どうしたんだい、いきなり
「使徒ってな、べらぼうな寿命があるンやろ? どうかしたら寿命なんちゅうもんは関係あらへんかも」
 ――――――そうだね
「俺の場合はどうなんやろ。使徒でも人間でもあらへんのやったら、どのくらいの寿命があるもんなんやろ。人間並なんかいな。それともダラ長いんかい。浦島太郎みたいになってしまうっちゅうのも、救いがないで」
 ――――――さてねえ・・・こういう事例の長期フォローアップ記録って存在しないしなぁ
「この期に及んでまぜっかえさんといてんか?」
 ――――――冗談だって。それはさておき、僕の経験則でいくなら・・・・・成長が止まるくらいまでは普通に歳をとっていくだろうね。
       それから後は・・・よくわからない

「あんたはどないやったんや?」
 ――――――僕の場合は、成長が止まると同時に使徒としてのプログラムに身体が引きずられていたからね。
       君は、多分そんな事にはならない。使徒としてのバルディエルはすでにプログラムから解放されているから。

「・・・そうやろか」
 ――――――ヒトと同じさ。好むと好まざるとに拘わらず、自分で自分をかたちづくっていくんだよ。
       ・・・・とまあ、偉そうな事を言ってるけど・・・本当のところは僕自身がそう信じたいだけの事かもしれないね。

 トウジははっとして呼吸を呑んだ。トウジが発した問いは、そのまま榊タカミにも援用される事に気づいたのだ。
 ――――――ま、そう深刻にならないで
 あんたがカルすぎるんや、と言いかけて口を噤む。無論、口を噤んだところで思惟は伝わってしまっているだろうが。
 ――――――今はとりあえず生き残る事さ。それでいいんじゃないかな
「・・・・正論やな」
 吐息して、頭髪を掻きまわす。
「悪い、邪魔したな」
 ――――――That’s OK! じゃ、あとよろしく
 遠ざかる声を聞き、天井を見上げた。
「そうやなぁ・・・・・」
 洞木ヒカリイインチョーの手製弁当を食べる、という約束を反故にしたままである事を、トウジは何の脈絡もなく思い出した。

***

 プリブノーボックスの水面には、ちょうど水鏡のように青い惑星が映し出されていた。
 青・・・・・・・海の青。茫漠たる水の世界。サキエルの領域。
 軽く目を閉じて、タカミは10年以上前の光景を思い出していた。
 素っ気無いブルーの病衣だけを着せられ、白い部屋に閉じ込められている子供。身体の傷は殆ど癒えていたが、色の判然としない両眼は、やはり焦点も判然としなかった。
 連日、白衣を来た人間が押しかけては意味のわからない問いを繰り返す。情動も乏しかったのか、子供は耳元で騒ぎまわる蚊の羽音ぐらいにしか感じていない。
 ただ一度だけ、その人物は現れた。
 とくにこれといって特徴のない人物だった。白衣の人間達と一緒に現れ、やはりその日も繰り返された子供にとっては意味不明な質問と、あるかなきかの反応を冷静に見ていた。やはり白衣を着ていたから、その時はとくに意識していなかったかもしれない。
 収穫なしと見て白衣の人間達が部屋を出るときになって、その人物は近づいてきた。
 子供は頭に載せられた掌を、不思議そうに見つめる。そして、おそらくはその部屋にいる間で最初で最後の、意味のある言葉を聞いた。

『君は、生きろ』

 ただ一言。他の白衣達に訝られるほどの間はなかった。何事もなかったように踵を返し、部屋を出ていった。そして二度と、白衣達の中にその人物の姿を見ることはなかった。
 そのときは、何か呪文のような響きを記憶に刻んだだけであったが、その人物が、高階マサキの名で呼ばれる科学者であったことを知ったのは、かなりあとのことであった。当時のタカミの記憶はかなり危ういものであったが、おそらくその時、高階マサキ・・・・サキエルはその子供の裡にイロウルの魂と遺伝子があることを看破していたのだ。
 だからこそ、無関係を装った。
 おそらく彼は既に、自身の15年後を知っていた。そして繰り返されるであろう惨劇から一人でも多くの同胞を救うために、打てるだけの手段を打っていたのである。
 そして父なる方のプログラムが追いたてる死地へと赴き、自爆して果てた。プログラムがいずれ逃れられぬものなら、せめて一体でもEVAを減らそうとしたのかも知れない。

 タカミは、眩しさを増す青に目を細めながら、今まさに重なり合おうとする月をモニターへ出した。

「――――――見ていますか、サキ・・・・・あなたが遺した最後の天使が、今・・・父なる方の前に立ちます」

***

 アダムの卵とリリスの卵の衝突。それはヒトだけでなく、すべての命をリセットする父なる方の再生の時。だが、それは同時に父なる方を永遠に封じ込める千載一遇のチャンスでもあった。
 アダムの卵の内部には、セカンドインパクトの際、特殊な空間が形成されていた。ディラックの海と呼ばれる虚数空間への入り口である。
 ディラックの海に位置はない。入り口ゲートだけが、位置を与えるのだ。かつてカヲルを導いたレリエルの指先のように、現実空間に存在する位置がなければ、何人たりともディラックの海から現実空間へ干渉する事はできないのだ。そしてそれは、父なる方とて例外ではない。
 セカンドインパクトでアダムに宿っていた父なる方はディラックの海へ押し込められた。だが、卵が存在する限りはそのことが何の掣肘になることもない。逆を言えば、卵を消滅させてしまえば、父なる方を永遠にディラックの海へ沈める事も可能なのである。
 アダムの卵を破壊し、そのひとかけらも遺さず無の海へ流す。
 それがたったひとつの方法やりかただった。
「衝突の瞬間、僕とレイで二つの月を呑み込めるだけのゲートを開く。タイミングを誤れば僕も、レイも、そしてシンジ君、君も父なる方に飲み込まれる」
 闇だけがあるリリスの卵の中で、カヲルは静かに説明を続けた。
「タイミングはタカミが計算中だけど、問題はゼロ・アワーまでに衝突でダメージを受けてしまったらそれどころじゃないということだ。・・・だから、シンジ君にはそれまでの防御を頼みたい」
「いつかと逆だね。今度は、僕が盾になればいいんだ」
 そう言って、シンジがレイに笑いかけた。レイは笑わなかったが。
「レイ・・・・・」
 俯いたままのレイを、カヲルが顧みる。
「もう、悩まないで。今は、みんなで生き残ることを考えて」
 リリスとしての記憶を取り戻した今は、レイにとってこの一年あまりのEVA搭乗者としての記憶は辛いものであった。
 ・・・同胞を、殺した。彼女自身、決意の上で臨んだ途だとしても。そして父なる方のしくんだ事だとしても。
 迫り来る巨大な意思体・・・・・彼らが父と呼んだ者。
 すべての始まりに存在し、存在しつづける為に、変わりつづけるために、今ここにあるすべてを具現した者。
 そしておそらくは、この宇宙でもっとも孤独な者。・・・・・憎むのは愚かなことか?
 暗いあなの底で、気が遠くなるほどの時間・・・・ただ、再生の日を待ちつづけた。その為に流された血など、意に介すほどのものではなかったというのか?
 否、とカヲルは断ずる。意思を持った以上、自分は別の存在だ。

 父よ、僕はあなたではない。

 ――――――Are you OK? 

 トーンを押さえた声が聞こえた。否、声というのは不適当なのかもしれない。口にしかけた言葉を飲み込み、カヲルはただ、繋いだ手に力をこめた。

***

 プリブノーボックスに、突如としてアラームが鳴り響いた。発令所からの通信である。
『・・・・大変な事になったわ』
 ミサトの、押さえたトーンの声にタカミはかえって緊張した。
『12分ほど前にD-レベルに入った区画に、生存者の反応があったの』
 D-レベル・・・外壁の崩壊が始まっており、すでに人間の生存圏ではない。タカミはタイムテーブルを参照して、即断した。
「無理だね。諦めるしかない。一人の救出に固執して、突入のタイミングを失ったら目も当てられないよ」
 冷酷なようだが、それは真実でもあった。だが、ミサトは更に声を抑えて言葉を続ける。
『・・・・・反応があったのは、ターミナルドグマよ。この意味、判るでしょ』
 流石に、一瞬の空隙があった。
「・・・だから?」
『それだけなら私だって慌てやしないわよ。いまさら司令がどうなろうが、私の知ったことじゃないわ』
 ミサトの苛立ちを感じ取る。皮膚が粟立つような不吉な予感と一緒に。
『・・・リツコがいないの。いなくなったのよ』
 搾り出すような声音。予測不能ではなかったにしても、およそ最悪の答えであった。
「・・・・何分前?」
 なにかが喉につかえたような沈黙の後、タカミはゆっくりとそう言った。
『10分前に、マヤがちゃんと席にいるのを見てるわ。5分前に事態が判明してるから、その間』
「・・・・まだ、D-レベル区画までは到達してないね。どんなに急いだとしても・・・」
『本部内はリツコの庭みたいなもんよ。抜け道の一つや二つ、知っててもおかしくはないわ』
「・・・・・・・・!」
 二つの月の接触まで、あと3分を切っていた。最悪のタイミングだ。今度こそ、タカミは沈黙した。
『・・・・こんな事頼める立場じゃないのはよく判ってるわ。卑怯だって判ってるわよ。身勝手なのよ。・・・でももう、他にどうしようもないの・・・・』
 通信は音声だけであったにもかかわらず、唇を噛み締め、拳を震わせるミサトの姿が目に見えるようだった。
『・・・・今のリツコはまともじゃないわ。状況がわかってない・・・いいえ、完全に無視してしまっている。なにも見えてないのよ。・・・・お願い、リツコを助けて!』
「・・・僕は・・」

 ――――――迷うことはない

「・・・・カヲル君・・・」

 ――――――今動けるのはタカミだけだろう。何を迷う事がある? 

 カヲルの、凪いだ水面のような静かな思惟が伝わる。
 かつて、戒厳下の第3新東京市で・・・戸惑いと、疑問と、不安をぶつけてきた少年。あれから、一年と経ってはいないのに・・・・・。
 タカミは深く息を吐いて瞑目し、3秒後に顔を上げた。
「カヲル君、よく聞いて。今から2分後、ここにある模擬体の残りをそっちに転送して自爆させる。自爆のタイミングは接触に同期させる。・・・・一種の、リアクティブシールドと考えてもらっていい。無論、衝突の衝撃すべてを相殺するだけのエネルギーは作れないけど、君達が離脱するための時間ぐらいは稼げる。・・・・これが、僕にできる精一杯だ」

 ――――――十分だ

「葛城さん・・・僕が行くよ。ただし、タイムテーブルに変更はなしだ。いいね?」
『・・・りょ、了解・・・』
 通信を切る。槍を横たえ、ゆっくりと息を吐いて目を閉じた。
 その姿がゆっくりと薄れていく。

 ――――――先刻の言葉、そっくりあなたに返すよ。・・・“その手を離しては駄目だ”

「ありがとう。でも・・・僕の場合、まだ差し出した手を振り払われるって可能性がのこってるんだけどね・・・・」
 タカミが苦笑する。・・・・・・その苦笑もまた闇の中へ溶けた時、振動しはじめた模擬体の狭間で、銀色の髪をしたタカミが目を開けた。

***

「ありがとう・・・・」
 誰にも聞こえない呟きを物言わぬコンソールに逃がし、両手の震えを爪を掌に押し当てることで鎮めながら、ミサトは低く言った。
「もう・・・・泣くのは止めなさい、マヤ」
 マヤはリツコを見失った事を自身の咎と思いこんで惑乱し、周囲が宥めるのも耳に入らない状態であったが、その言葉はさすがに届いたらしい。
 頭を抱えていた両手を下ろすマヤに、そしてアクシデントに浮き足立つスタッフに、ミサトは宣言するかのような力強さを持った声で言った。
「泣いてる場合じゃないのよ。・・・・・わたしたちは、絶対に生きて地球に帰るんだから!!」

***

 ターミナルドグマ。
 もともと機密性など考慮に入れられるはずもない建造物。それを、ATフィールドで覆うことで内部に地球上と似た環境を具現していたにすぎない。その加護を失えば、とても人間の生存圏たり得ないのは明らかであった。
 その広い空間に、黒い翼が姿を現す。翼がひらかれた中に、タカミの姿があった。
「・・・・こんなところで、まだ生きているとすれば・・そりゃもう人間じゃないよ」
 ある程度以上のATフィールドを行使することができるなら、話は別だが。・・・ここでまみえた人物を思いだして静かに毒づき、ゆっくりと降下する。
 無傷の端末を探して、ここに至るルートが幾つあるのかを確認しなければならない。本部施設はMAGIと共に成長したといっていい。MAGIの持つ情報を最高機密レベルまで検索すれば、発令所からここまで、取りうるルートが絞りこめるだろう。
 重力があやふやになっているのだろう。小さな建材のカケラが宙に浮いている。そうかと思えばプールになみなみと湛えられたLCLは波立ちはしても辺り構わず散乱してはいなかった。
 さしむき無傷な端末を見つけ、動作を確認しようとそれに手を伸ばした時、不意に後ろから強い力で突き飛ばされ、コンソールに両手をついた。
 ・・・・・・・手をついたコンソールは、紅く染まっている。
「・・・・・え・・・・」
 一瞬その光景が信じられなくて、呆然とする。だが、ようやくのことで自身の左肩に口をあける傷に触れた。
 脈打つように紅が溢れだし、サイズの合っていないNERVの制服と目の前のコンソールを汚していく。
 傷口を押さえ、ゆっくりと後ろを振り返った。その先には、向けられたままの拳銃。
 喉奥からこみ上げる鉄の味を押しこめ、タカミは皮肉な笑みを浮かべて毒づいた。
「・・・・人間とは思えないくらい非道い人だってのは知ってたつもりでしたが、まさか本当に人間やめてたとは知りませんでしたよ」
 倒れた建材に挟まれ、身動きがならないまま・・・・その男は銃をこちらへ向けていた。

「・・・・碇司令」

***

 父なる方はただ二人のこされた子らをめがけて無形の腕を伸ばしてくる。それをぎりぎりまでリリスの卵にひきつけ、衝突の瞬間にディラックの海への道を開き、離脱する。離脱に失敗すれば自らも父なる方と共に虚無の海に呑み込まれてしまう。
 タカミから送られる情報が途絶えたため、土壇場の誤差修正がきかない。だが、計算上のタイミングと実際のそれにわずかなずれがあったとしても、リアクティブシールドがそれを埋める。

 ――――――父なる方よ、あなたの世紀は終わる。

 繋いだ手の、わずかな震えと一緒に不安が伝わる。・・・・不安、畏れ・・・・そしてあるいは、希望とないまざった悲しみ。それが、数秒後に起こることだけに対する感情ではない事を、カヲルは知っている。
 父なる方は、寿命という概念のない二人に終わりを与える者。それを消し去る事がどういう結果を導くか。
 カヲルは何も言わず、ただ、青銀の髪に縁取られた白い頬に唇を寄せた。紅瞳がわずかに見開かれ、ゆっくりと閉じられると、零れた珠が闇の中へ散る。
 飛散した涙が闇に呑まれた時、カヲルはリアクティブシールドの作動を感知した。

「・・・・・・いくよ、レイ」