Scene 5 Transit in summer

嵐のあと

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world Ⅱ」


 面子にタケルが加わる。
 地図に記されたルートを指しながら、ミサトが言った。
「道は3つ。アスファルトで舗装された、車が通行可能な道が2本。これは岬の外縁を通るから、山を迂回する。入ったところで叩けたら、かなり時間を稼げるわね。山越えのルートは最短だけど、徒歩でないと無理か」
徒歩かちの奇襲部隊は可能性があるな」
 イサナの指摘に、ミサトが頷く。
「あるいはそれが本命かも。道路から陽動部隊の車両を突っ込んで、その迎撃に人員を割いたところを後背を衝く。面白味の欠片もないけど、定石ね」
 少し考えてから、イサナが言った。
「東側の道をタケル。西側はあなた方に任せる。寄せ手の車両爆破に成功したら後退。連中の足さえ潰してくれればいい。多勢に無勢だ、欲はかくな。
 俺は山越えルートにあたる。リエはここで情報統制コマンド&コントロール。姫さんとカヲル、タカミを頼む。ユカリは…預かりものもあるし例によって本陣防衛と伝えてくれ」
 リエとミサトが頷く。物騒な確認をしたのは、他でもないタケルだった。
「判った。…壊してもいいか」
「…相手の車両はいいが、地形を変えるな。ついでに、滅多矢鱈と樹木を倒すな」
「了解した。そうだな、樹齢のいった樹を倒すとタカヒロがやかましい」
 納得の方法に多少の問題があるのは明らかだが、イサナはそれをごく自然に黙殺スルーした。
「僕も出る。タケルが単独なのは判るけど、山越えルートをイサナひとりで止めるつもり?」
 カヲルの言葉に、イサナが言うと思った、というふうに額に手を遣る。
キング女王クィーンを下手に動かすと、有利な勝負でも足下を掬われて負ける。そこは基本だろう。
 大体、ゼーレの幽霊自律型AIの目的はタカミでも、ヴィレの跳ねっ返り共の目的は間違いなくお前達だぞ。援護はあるし、俺は身の程を知っている。…お前ほど無謀じゃないから心配せんでいい」
 1ミリの隙もない正論にカヲルが黙るのを、ミサトが面白そうに注視していた。
 古ぼけたピアノの傍らにあるキャビネットから、イサナがドライバー用の手袋とピアノ線のたっぷりとした一巻を取り出す。深い色の双眸が瞬間、深紫を帯びて閃いた。
 面子をさらりと見廻して、イサナが宣する。

Any questions?何か質問は OkeyよろしいOpen the mission!作戦行動開始

「…雨、まだ降ってるの…?」
 不意に、レイが物憂げに両眼をあけた。
「気分はどう?」
 カヲルはそっとその額に手を当てた。先程のような熱はもうないが、まだその瞼は重たげであった。
「頭痛い訳じゃないし、気分も悪くないよ。…ただちょっと眠いだけ…」
 額にあてられたカヲルの手に掌を重ねて、レイはまたゆるゆると眼を閉じた。そうしているうちに手を持ち上げているのも億劫になったようで、重ねていた掌も身体の横に戻す。
「うーん…だるいっていうより眠い? 折角、碇君や葛城先生達も来てくれたのに…ほったらかしで申し訳ないみたい…」
 その声も、弱っているというより普通に眠たげで…何らかの深刻な不調を疑わせる要素を含んではいない。だがカヲルはこの時、外の状況をレイに知らせるべきかどうかで逡巡していた。
 熱の原因は不明のままだ。イサナの指示がなくても、今この状態のレイを動かすことなどできないのは明らかだろう。…それなら、不安を誘うような話をわざわざすることもないではないか。
「…いいよ、もう一眠りしておいで…。何も心配要らないから」
 そう言って、青銀の髪を撫でた。
「うん、ありがと…」
 レイがまた眠りに落ちるのを見届けて、カヲルがそっと立ち上がった。
 ―――――レイが目覚める前に、すべて片付けてしまえばいい。

 時に騒がしくもあるが、決して居心地が悪いわけではない。
 その居場所を侵す者がいるなら、カヲルにとって手加減する理由など微塵もなかった。

 最初の烽火は、東側で上がった。
 私有地につき立ち入り禁止、と書かれた古びた看板を勢いよく撥ね飛ばし、高機動型の兵員輸送車が突っ込む。いくらも行かないうち…道路の真ん中に、がっしりとした体躯の青年が無造作に佇立するのに出くわした。
 明らかに道を塞ぐような格好で立ってはいたが、無手であった。
「隊長、誰か立ってますけど」
 ハンドルを握っていた傭兵が一応、確認する。仕事を受けた以上、敵が何であろうが文句を言う立場にはない…が、ここは紛争地帯ではない。平和な日本である。いくら作戦区域とは言っても、丸腰の通行人をはねたら普通は犯罪だ。
 言いながら徐々に減速すると、ナビシートの上官から後頭部をはたかれた。
「何を減速してる。構わん、突っ込め。作戦区域内で出会う者を、人間と思ってはいけないと指示が来ている」
「え、でも…」
「突っ込め、命令だ」
 ハンドルを握っていた傭兵は一瞬躊躇したが、眼を瞑ってアクセルを踏み込む。だが、接触した感触の代わりに遭遇したのはコンクリートの橋脚にでもぶつかったような衝撃だった。
 シートベルトとハンドルのおかげで辛うじてフロントガラスとの衝突は免れたが、ナビシートの上官は見事にフロントガラスへ頭から突っ込んだ。蜘蛛の巣のような打痕で前が殆ど見えなくなる。急停止に荷台の兵員からブ―イングが上がるのも聞いていたが、どうしようもない。
「…そりゃ流石に、露骨に装甲車なんて持ってこれないよな。それにしたってたった一台か。意外と質素じゃないか。それとも甘く見られたのかな?」
 その声は、存外近くで聞こえた。ひび割れたフロントガラスの向こう…道の真ん中に立っていた青年が、車のフロントグリルに軽く片手の掌を当てて立っているのが見える。まさかと思うが、先刻の衝撃はあの掌で強制的に停車させられたからだとでもいうのか。
 青年がひょい、とボンネットに飛び上がると、見た目は至極軽く…ボンネットをノックした。
 轟音がして、ボンネットの中央に迫撃弾が貫通したような孔があいた。ひびの入っていたフロントガラスは一瞬にして砕け散り、運転者はたったひとり、一応人間のように見える襲撃者と対峙する羽目になった。隣の上官は衝突以降、反応がない。
 襲撃者は、いたって穏当な表情で砕け散ったフロントガラス越しに内部を覗き込んだ。体躯こそがっしりとして、見た目強面こわもてと言えなくもない。だが、決定的に危機感と疎遠な表情であり、それが判断を迷わせる。
「わざわざわかりやすいように真ん中に立ってたのに、それでも突っ込んで来たってことは…やっぱりはねるつもりだったんだよな? 不慮の事故とか、なんかのマチガイとか、そういうんじゃなくて?」
 何の確認をされているのか咄嗟に判らなくて…というよりもたったいま目の前で展開した事象が理解出来なくて、ただ震えながらハンドルを握りしめる。
「…あ、しまった」
 だが、次の瞬間に青年は小さく呟いてボンネットから飛び退った。
 車両が火を噴いて四散する。
 漏れ出した燃料に引火したのだ、と気づいたのは、道路脇の喬木に叩きつけられた挙句、モズの早贄よろしく枝からぶら下がって暫く経った時のことだった。
とりあえず四肢が無事にくっついていること、身体に孔があいてしまったわけでもないことに安心して、轟々と音を立てて燃え上がる輸送車を眺めながら、呆然とぶら下がっていた。
 …一体何人脱出できただろう。
「おい、おっさん」
 卒然と、視界に先刻の青年の顔が割り込んできて傭兵の喉が奇妙な音を立てた。
「そんなとこでぶら下がってたら樹が折れちまう。降りろ。俺が叱られる」
 一体何の話だ。何も反応できなくて、口をぱくぱくさせていると…青年が焦れたように傭兵の襟元を掴みあげ、地へ叩きつけた。
「降りろって言ってんのに!」
 灌木の中に放り込まれ、うち続く理不尽にひたすら頭を抱えて丸くなる。…だが、いくらもしないうちにその茂みの中から襟首をつままれて引きずり出された。
「ゆ、許してくれ。投降する」
 もはや戦意なぞ霧消していた。子供二人攫うだけの仕事の筈だ。こんな訳の分らない状況で命を落とすなんて莫迦莫迦しすぎる。
「投降?…ふーん。ま、好きにしたら。俺、忙しいから自分達の仲間は自分達で助けてやれよ?」
 青年はそう言い放ち、傭兵を燃えさかる車両の前に放り出す。
「…えっ…」
 暫時の自失から解放されたとき、既に青年の姿は無い。とりあえず生命の危機は去ったと安心したが、眼前で燃えさかる車両とその周囲には、惨憺たる情景が広がっていた。

 トラップが発動した。
 イサナはピアノ線から指先に伝わる僅かな振動からそれを感知した。
 山道である。自動車どころか、単車バイクでも通行は困難だろう。突破を試みるなら徒歩しかない。それを見越した上での罠だった。
 タケルやタカヒロ、レミ達と違い、ユーリと呼ばれていた時から…鯨吉ときよしイサナはあまり攻撃オフェンス向きの能力に恵まれた訳ではなかった。だが別段、それを嘆いたことはない。感覚を研ぎ澄ませ、持って生まれた身体を鍛えることで…相応の戦闘力を手に入れることはできることを彼は識っていた。
 使わなければそれに越したことはないが…そう願いながら。しかし、同胞を護るために必要とあらば、自らに課した禁戒を破る用意はあった。
 地を蹴る。木立の中に、七つ…。吊られた贄の影が、残照を受けた雲の淡い光の中で蠢いている。
「…死にたくなければ動くな」
 張り巡らされたワイヤー。装甲服の上からならともかく、生身に触れれば容赦なく皮膚も肉も切り裂く。イサナの言葉は、吊られた贄たちに向けられていた。
 この程度の数ではないはず。敢えて身を晒すことで、罠で退いた後続を引っ張り出す。
 そして後退する。海へ!
 喰いついてくる獲物の足音を捉えながら、イサナはほくそ笑む。機動性を損なわないため、音を立てないために、火器の類は携行していない。腰と両大腿部に差したナイフがそれぞれ1本ずつ…あとは、ベストのポケットに入ったピアノ線の残りだけだ。
 まず3人。少し遅れて2人。その後3人。2人…2人…。思ったよりも多いか。
 狭隘なルートは寡兵での迎撃に最適。
 間違いなくついてきてくれなくては困る。至適の距離を保ちながら、イサナは後退を続ける。距離をはかっていると悟られてはいけない。そのための、反転・迎撃。
 鬱蒼たる木立は火線を遮る楯。フィールドを展開するのが確実だろうが、位置も確実に知れるから極力使わない。
 引き寄せ、回り込み、後背から仕留めて徐々に数を絞る。分断することで寄せ手全体に自軍のダメージを悟らせないのが最上。追い詰めていると錯覚させなければならない。
 タケルを山越えルートに配置しなかったのは山稜の地形を変えるほどの破壊を危惧しただけではない。いかつ外面そとヅラに似合わず、至って穏当な性格の所為だ。
 自分なり、身内なりが攻撃されれば我を忘れて暴走することもあるが、基本的に牛というか象のように穏やかで…有り体に言えば荒事に向いているとは言い難い。タカヒロあたりが巧く手綱をとっていれば攻撃力としては最強の部類に属するのだが、こういった意地の悪い仕掛けには向かないだろう。
 自分が向いていると思いたくはないが。
 ―――――イサナはそこに到達した。
 立木が途切れ、海を望める場所。広さとしては5m四方ほどもあろうか。刻一刻と暮色を濃くする海を背に立ち、追手に対峙する。海側は切り立った崖があるだけだ。
 いまだ空を覆う雲に残照の朱が映り、空全体が不気味に薄明るい。
 追い詰めた、と思ったのだろう。7、8…10人ほどが到達したところでイサナを包囲する。後続はない。
 兵士達は誰何の声すらなく、並べた銃口をイサナに向ける。イサナはそのままの姿勢で、酷薄といっていい笑みを浮かべた。朱を滴らせるナイフはまだ棄てない。装甲を着込んだ兵士を沈黙させるために、持っていた他のナイフはすべて潰してしまって、残りはこれだけだ。
 これとて、かなり傷めてしまったが。
 分隊長らしき兵士が声も無くただ手を掲げる。
 しかし、その分隊長は掲げた手を振り下ろすことなく後方へ仰け反った。乾いた銃声と分隊長が後方の灌木をへし折りながら沈み込む音が重なる。
「何処からだ!?」
 銃声が着弾のあとだ。目の前の敵ではありえない。うろたえだした兵士達がその間にも次々と撃ち倒される。身を隠すには今来た道を戻るしかない。だが、その暇もなかった。道を戻ろうとすれば絶好の的になり、道への入口は累々たる死屍がうずたかく積まれることになった。
「畜生、こんな奴ひとりのために…」
「…ひとりではないが」
 その声は高くはなかったが、揶揄からかわれたと思ったのだろう。激昂した兵士の一人が突進して戦闘用ナイフを抜き、イサナに迫る。何処から狙っているにしても、味方に肉迫していれば狙撃は出来ないはず。そう思ったのだろう。
 …しかし、意味は無かった。
 ナイフを抜いた兵士が後方へ仰け反り、手を離れたナイフが宙を舞う。そのナイフもまた、中空で銃弾に打ち砕かれた。
 その場に立っている者がイサナ一人になる。
 うち伏す者達のなかに、動ける者がいないことを確認して、イサナはようやくナイフから手を離した。

「イサナってば人使い荒いー!」
 入江に停泊したクルーザー。その甲板でPSG1 1 を構えていたミスズが顔を上げてぼやいた。
「あーんなにぞろぞろひきつれて来るなんてぇ!キンチョーしちゃったよ。そりゃ、この距離で外したりしないけどさ、あーんな至近でイサナに当てないでとかって結構無茶苦茶な要求って思わない?そんなに言うなら自分はフィールド張るとか、せめて伏せなさいよぅ!」
「伏せたら射線がバレるから動かない、お前なら出来るだろって即答だったよな」
「そりゃできるけど!意地にかけてやってみせるけど!」
「はいはい、お見事。さーて、次のマトは車両だったよな。バレット 2 ?ヘカート 3 ?」
 ナオキがPSG1用の実包を片付けながら片手でくしゃくしゃととミスズの青銀の頭を撫でた。
「うーん、へカート!」
「了解、出しとくから少し休んどけ」
「移動するぞ」
 操舵室からユウキが顔を出す。海側からの援護が必要なのは山稜ルートだけではない。そこが片付いたらすぐに移動しなければならなかった。

 目覚めた時に、その気配が感じられない…そんなことが、訳もなく悲しい。
 身体のほうは先程までの重たさが嘘のように、なにかがすっきりしている。しかし、カヲルを感じられないことで、訳もなく寂しくて、心細い。
 レイは起き上がり、ベッドを降りた。
「カヲル…いないの?」
 髪を撫でた手の感触がまだ残っているのに、コテージにカヲルの気配がない。感覚を研ぎ澄ますと、残った者達の気配を感じるのだが…微妙にざわついているのは判る。
 何が起こっているのだろう。
 少し汗で湿った服をかえ、ユカリの差配であろう、枕元にあった補水液を飲む。
 立ち上がって、廊下へ続くドアを開けたとき、二人して窓の外を見ているシンジとアスカに行き会った。
「あ、綾波?もう大丈夫なの?」
「あ、うん。心配かけちゃってごめんなさい。…カヲル、知らない?」
「…え?」
 二人の表情が微妙に引き攣った。

  1. PSG1…ドイツのH&K社が対テロ特殊部隊向けに同社のG3(G3SG/1)をベースに開発した、セミオートマチックの狙撃銃。
  2. バレット M82(Barrett M82)…大型セミオート式狙撃銃。
  3. PGM ヘカートII…重機関銃弾薬である50BMG(12.7×99mm)を使用するボルトアクション対物ライフル。