Scene 6 Stay the night forever

星の軌跡

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world Ⅱ」


「状況了解だ。ユキノ、おつかれさん。今ユウキ達を迎えに回してるから、合流してくれ」
 コテージ前の砂浜。マサキはヘッドセットを軽くタップして通話を切った。
 風は止み、空は晴れて星が瞬いている。
 星明かりと、コテージの周囲にいくつかあるガーデンライトだけでやや仄暗い波打ち際では、ぷかぷかと浮いていたり、打ち上げられた兵士達をタケルが引っ張り上げては桟橋へ放り上げている。放っておいて満ちてきた潮で溺死されても寝覚めが悪いというのだ。
 ほっときゃいいのに、と言いながらもタカヒロが辛抱強くそれを手伝っていた。
 裏山にはもっと凄惨な光景が放置されているのを知っているマサキとしては、苦笑いを禁じ得ない…のだが、実際そこまで面倒は見切れない。考えただけでも憂鬱になるが、これでも比較的穏当な手段を択んだつもりだった。
 実際、イサナはよく切り抜けてくれた。
「最後の最後に一番派手なところを持って行ったな、サキ」
 そのイサナが、コテージから出てきた。
「なぁに、一番派手といったらあの玉藻前碇ユイ博士だろう。本当に舌先三寸で軍艦を追っ払うんだからな。とても真似はできんよ。
 …ご苦労だったな、イサナ」
「俺は言われたようにやるだけだからな。然程苦労はない。イレギュラーはあっても想定内で済んだしな…と」
 イサナが振り返る。カヲルが立っていた。
「…言い訳はしない。持ち場を離れた僕が悪かったよ」
 ややふて腐れて、視線を逸らしながらではあったが…カヲルははっきりとそう言った。イサナがほう、というように常は黒眼がちな両眼を軽くみはる。そして、マサキの反応を見た。
 マサキは怒るでなく嘲笑わらうでなく、すれ違いざまにカヲルの頭に軽く手を遣って言った。
「わかってりゃいいさ。ま、誰も怪我しなかったしな。…さ、家に入って窓を開けよう。風を通したい。夜半には晴れてくるらしいしな」
 コテージは既にユカリが鎧戸をあげるのに走り回っているようで、窓という窓に次々と灯火が見え始めていた。
 叱言こごとを覚悟していただけに、何か躱されてしまったようで拍子抜けしてしまったカヲルは、そのまま暫く立ち竦む。ややあって、傍に立っていたレイに袖を引っ張られ…苦笑してコテージに足を向けた。

【状況終了、回路切断を確認】
 声でない声がふっと遠去かる。ノートパソコンの画面を注視していたリエは、身を横たえたままのタカミがうっすらと両眼を開いて深く一呼吸するのを見た。
「おかえんなさい、タカミ。…大丈夫?ちゃんと戻ってきてる?」
 殊更に目の前で手を振ってみせる。
「…大丈夫ですよ。ごめんなさい、面倒かけちゃって」
 緩慢に身を起こしたタカミに、リエがデカンタからグラスに冷水ミネラルウォーターを注いで渡す。
「サキの声をトリガーにしてるとはね。どんだけ甘えてんのよ」
「そんなんじゃありませんってば。声の認識とか、そこまで面倒なことしませんよ。条件が整ったあと、仕事タスクが発生したら再起動が掛かるように暗示をかけてただけです。だから、言ったのが誰であってもトリガーとして機能したはずですよ。実際、タイミングとしては間違ってなかったでしょ?」
「ひょっとして、『お前の仕事だ』ってあれ? …後先考えずに余計なコトして事態をややこしくしたとかいって叱られたの、やっぱり根に持ってたのね」
 それは結局、その台詞を一番言いそうな誰か・・・・・・・・・をアテにしていたということではないのだろうか。まあ、それをつつけばムキになって反駁するのは火を見るより明らかだったから、リエはそこに関しては口を噤むことにした。
 それについては、なにもタカミに限ったことではないし。
「それにしたって…再起動ってアンタ…やっぱりまだ十分にAIと分離出来てないんじゃない?言語機能が微妙なカンジよ?」
「他に言葉が見つからないだけですって。マギタイプに撒いたウィルスに条件を整えさせたって、自分がその信号を受信出来なかったら意味ないし…それまでに侵入されたらコトだから意識はシャットダウンしとかなきゃいけないし、仕方ないから信号受信のために定期的に感覚だけ回復させて…って、結構手間隙てまひまかかったんですよ、これでも。
 最終的には、覚醒タイミングのトリガーをタスク発生と認識できる数パターンのフレーズとして暗示で刷り込んでたんです。
 …あ、再起動rebootじゃなくて覚醒awake、でいいですね。この場合。言ってて思い出しました。
 リエ姉、いつも叱るじゃないですか。コンピュータを接触テレパスで説得するようなやり方なんて邪道だって。一応気にしてたつもりなんですけど」
 半ば呆れた様にタカミの説明を聞いていたリエだったが、頭痛を抑えるように眉間を撫でてからぽつりと言った。
「タカミ、アンタやっぱり少しピントずれてるわ…」
「そうですか?」
 タカミが釈然としない顔でグラスを傾ける。懇切丁寧に説明しているつもりなのにわかって貰えなくて困惑している。自分にも経験のあるそんな戸惑いを眼前にして、リエはとりあえず天を仰いだ。まこと、コミュニケーションとは難しい。精神感応者同士でさえこれだ。言葉に依存する場合のもどかしさときたら。
 艶の良い黒い前髪を掻き回して、リエは呟くように、あるいは自身を説得するように言った。
「ま、結果オーライかなー…」

 ユキノとカツミがユウキ達のクルーザーで到着したのは、砂浜から転覆した上陸用舟艇と兵士達が這々ほうほうていで撤収した1時間ほど後のことだった。
 コテージはちょっとしたパーティになっていた。ユカリはサキの現着を見届けると、早々にクッションを放り出して夜食の準備にかかっていたらしい。テーブルというテーブルの上はサンドイッチやおにぎりといった軽食から、茶菓子、酒肴の類が所狭しと並んでいる。
「これを、買い出しに行くでもなく1時間やそこらで揃えちゃうのかー…」
 もはや白旗を掲げるよりほかないといった態のミサトが、缶ビール片手にぐるりと見渡して呟いた。加持は足を捻ったらしいといって、サンドイッチとジュースだけをせしめると早々に引き上げてしまった。
「凄いなあ、これなんて美味しそう。今度教えてもらおうかな…」
 小皿に並べられた色とりどりのディップに取り囲まれたポップオーバーをひとつつまみ、主夫根性まるだしで賞玩するシンジを苦々しげに見遣るアスカ。
「ア、アタシだってその気になればこのくらい…」
「ほら、アスカも貰いなよ。わ、これなんて不思議な味。何だろ」
「これはカッテージチーズとたらこね。こっちの緑色はアボカド。おんなじ緑でもこっちはキュウリとマッシュポテト。実は私、手伝ったから知ってるの」
 嬉しそうに説明するレイ。アスカとしてはここにきて完全に主導権を取られているのが微妙に面白くないのだが、呼ばれもしないのに来て居座っていることを一応気にしたのか、形の良い眉を微妙にひくつかせるにとどまる。そんな平和な光景を、カヲルが一歩離れたところから静かな微笑で眺めていた。
 それら全体を、さらに退いたフレームに収めているのはマサキだった。
「…ま、悪くない傾向かな。副産物としては上々か」
 上陸用舟艇をひっくり返しただけでなく、その直前に例によって水脈みちを渡ってきたため着替えている。淡色のダンガリーとジーンズという格好は、いつもより更に年齢を判らなくさせていた。
「…サキ、一寸若くなってませんか?」
「莫迦言え、お前じゃあるまいし。いくら俺達でも、そう易々と年齢を進めたり遡ったり出来るもんか。服の所為だ服の。俺はお前と違って見栄を張る必要がないんでな。これが素だよ、文句あるか」
「…なんでそう、一々古傷を錐で刺すようなことを付け加えるんですか…」
 アイスティのグラスを下ろして静かに沈むタカミを鼻先で嗤って、マサキがアイスペールから自分のグラスへ氷を足した。こちらは色合いは似ていても紛れもない酒精アルコールである。
「…で、結局?ひょっとして俺達は今回、あの玉藻前にいいように利用されたということか?」
 ボトルを手にしているところへマサキが抜け目なくグラスを差し出したので、イサナはそれへも琥珀色を注ぐ。ただし、自分のグラスは丁寧なウィスキーフロート 1 に仕上げておきながら、マサキのグラスへはステアもせずにハーフロック 2 になるような勢いで注いだものだから、余った勢いがグラスの中で奔騰した。
 マサキが苦笑して軽く手を翳す。
「…そう尖るな、イサナ」
 飛散するかに見えた中身が中空で綺麗な琥珀の珠を成して行儀良くグラスの中へ戻る。マサキはそれを手にして静かに揺らした。
「一方的に、というわけじゃない。碇博士は連中の介入を前々から疎ましく思っていたし、俺達は降りかかる火の粉を払わにゃならん。利害が一致したというべきだろうな。…碇博士は確かに、この機に面倒臭い勢力をまとめて一掃してやろうと画策してた。そしてカヲルと嬢ちゃんをいつまでも実験体扱いにしている連中に、明確にしてやろうと考えていたんだ。
 あの二人に手を出そうとすることは、碇ユイじぶんを敵に回すということだ…とね。
 あとは、簡単な話のすり替えだ。あの坊や碇シンジをここに来させたのも、万が一…本当に人質にとられて身動きが出来なくなる事態を憂えたのがひとつ、もうひとつは連中に対する威嚇と牽制、最後の詰めとしては他のヴィレメンバーを言いくるめる材料。全く無駄のないことだよ。坊やのガールフレンドまで巻き込んだのは全くの予定外イレギュラーだったな。こっちを信用して貰えるのは有り難いことだが」
「…無茶苦茶ですよね。その、時田とかいう日本重化学工業共同体の幹部に少しだけ同情しますよ」
「…いやほんと、怖いなあのオバサン」
 ソファの後ろで俄に声がしたものだから、タカミが思わず腰を浮かせる。
「…カツミ、そんな処で何してるんだい? …ところで、まだその頭なんだ」
 ソファの後ろで静かにレモンと炭酸水の入ったピルスナーを傾けながら、カツミが白銀色の頭髪を掻き回してすこし拗ねたように言った。
「ミスズにみつかるとまた面白がって染めに来るから逃げてるだけ。染料ヘアダイってあのニオイがイヤだし」
「ナオキにあまり匂いのキツくないの調合して貰えば?」
「そういうテもあるけど…ナオキに任すとミスズの注文通り物凄い奇抜な色にされそうだから」
「…大変だね。そういえばカツミ、軍艦に乗り込んでいった碇博士のガードに回ったんだっけ?」
「ユキノ姉が心配だって言うから、当たるわけないのに物騒なモノ携さげさせられてね。まったく、周りは自動小銃抱えた敵がごっそりいるってのに、あのオバサンったら丸腰でよくやるよ。上の方の話は決着してたとはいえ、絶対に撃たれないって保証はどこにもなかった筈だろ?こちとら胃が灼き切れそうだったよ。
 幾らタカミが艦の武装は全凍結してたって言っても、兵隊さんが持ってる小火器まで管制できるわけじゃないんだし。ま、そのために随行おともしてたっちゃそうなんだけど…あれだけの銃口がホントに向いてたらと思うとぞっとするね」
「…まあ、肝の据わった御仁ではあるな」
 イサナが満腔の同意を込めて深く息を吐いた。
「だが、勝算のない賭博バクチもしない」
 グラスに口を付けて、マサキが苦笑いを隠す。
「無茶苦茶を押し通すためにはそれまでに相応の損害ダメージを与えなければならなかった。交渉に持ち込むなら一戦して勝利をあげてから、というのが定石だからな。見込まれる利益より現段階での損害が大きければ、そりゃ企業としては手を退きたくなるさ。
 生物兵器関係は奴らにとっては元々あまり得手な領域ではないから、ある程度の損害が出ればあまり固執はしないだろうと踏んでたしな」
「それってイサナ達が防衛に成功してればの話だろ?結局、いいように使役つかわれてる気がするよなぁ。
 …なぁサキ、やんなきゃならないことがあるのはわかるけどさ、あんな怖ぁいオバサンとこに身売りなんかしちゃって大丈夫なのか?」
「カツミ、お前な…」
「サキがオーレリアさん3 みたいな肝の据わった女傑にヨワいのは知ってるけどさぁ…。あのオバサンは危険だぞ。身体はともかく心まで売っちゃ…痛てっ!!」
 カツミの台詞が最後まで続かなかったのは、マサキの拳が真上から入った所為だった。
「この阿呆、言うに事欠いて何を抜かす。誰がいつ身売りしたってんだ?」
「サキ、何の話です?」
 タカミが怪訝そうに問う。マサキは少し面倒臭そうに色の淡い頭髪を掻き回していたが、ふとグラスを置いて立ち上がった。
「まあ、いずれちゃんと説明しておくべき話だからな」
 キャビネットの扉を開けて、小さなトレイを出す。そこには濡らしてしまった服のポケットに入っていたものを纏めて入れていた。その中から、身分証を出してテーブルに置く。
「大学の…学生証? うちの大学じゃないですか。形而上生物学部? そんなのありましたっけ…あ…」
 かつて、碇ユイ博士が所属し人工進化研究所に設立母体として関わった学部である。現存しているとは知らなかったが。
「ついでに、これもな」
 もうひとつは、医師としての身分証だった。大学病院の研究棟所属の医師、アーネスト・ユーリィ=高階。
「俺は当面、この名前でここに籍をおくことになる。…ありていに言えば、碇ユイ博士の助手扱いだな。…そこで、振り出しに戻った研究の手伝いをすることになった」
「研究…?」
「使徒と呼ばれた地球外生命が、どこから来て、現生人類リリンとどう関わり、これからどうなるのか…そんなところだ」
「…そして、俺達自身がこれからどうなるのか、ということだろう?」
 イサナが、ウィスキーフロートを丁寧に傾けながら言った。それは、ネフィリム達すべての関心事でありながら、今まで手が着けられなかった領域。
「どーもこーも、なるようにしかならないと思うけどね~」
 カツミが痛む頭を擦りながら天井を仰ぐ。
「俺達にしたところで、これ以上逃げ回るのは意味が無い。ある程度は存在を明らかにした上で、こっちの立場を認めさせなきゃならない時期に来たと考えるべきだろう。
 その為に、ある程度の協力は止むを得ない。だが、皆がそれに関わる必要も無い。俺一人で十分だ」
「…そーゆう発想を、俺は『身売り』って言ったつもりだけど?」
 半眼で睨むカツミを、マサキがもう一度肘で小突く。
「『取引』と言わんか。とりあえず、碇ユイ博士がカヲルと嬢ちゃんを実子同様に思っているって事については嘘はない。彼女だって人間だから、先で何が起こるかわかりゃしないが、今暫くは…信用してみるという選択もあっていいだろう。少なくとも、あの二人が学生の間くらいはな。
 それから先は…あの二人だけは、俺達とは少し事情が違う。俺達のように時間を止めてしまうのかどうかさえ、今のところわからないんだ。もっと言えば、俺達の時間がいつまで止まってるのか、もな。…その為にも、ある程度の研究は必要だ。…場合によっては、『観測』だって俺は辞さんよ」
 マサキが自身の胸の上に手をあてる。その下には、彼等が『仮面』と呼びならわす鳥の髑髏にも似た瘢痕がある。それは、『使徒』と呼ばれる生命体が星を渡るにあたり…自身が何者であるかを正しく知るための、時間と空間を越える感覚器官。
 殆どのネフィリムには発生しなかった。ただ、サッシャと呼ばれていた頃のマサキが…アダムの現身であったシュミット大尉によってそれを得た。
 マサキの覚悟の程を理解して、カツミもイサナも沈黙する。
「先で何かが起こったら?」
 不意に降ってきた声は、カヲルのものだった。
 パーティ会場の様相を呈しているリビングには隣からダイニングテーブルが運び込まれ、ソファは階段ぎりぎりまで寄せられていた。吹き抜けの2階廊下へ上がる階段の途中まで上がれば、会話は丸聞こえだったに違いない。
 踊り場から2段ほど降りたところで、手摺に凭れて、カヲルは訊いた。
「先で何かが起こったら…どうするつもりなの、サキ? もしあなたが、碇博士の意図に反して使徒殲滅に傾いたヴィレの手におちるようなことになったら?」
 マサキは、返答までに僅かな間を置いた。
「…皆が所在を明かしてしまったら退路がなくなるだろう。その為に、ミサヲには所在をくらましてもらってる」
「そんで、何かがあったら…自分一人の始末を付けてあとは皆ミサヲ姉んとこへ送れば安泰、とか考えてる?」
 カツミの問いに、一瞬…マサキが返答に詰まる。タカミの顔から血がひいた。
「…サキ、始末を付けるって…」
「誤解するな、俺一人ならどうとでもできるって意味だ。お前らみたいに手の掛かる奴、ミサヲに預けっぱなしにしてみろ、ミサヲに何て言われるか。
 …ふん、そうなったらなったであの時七十年前と同じさ。今度はヴィレからも姿をくらまして、またどこかで静かに暮らす。それでいい。何処であろうと、生きていこうと思えばそこが俺達の楽園エデンだ。この惑星ほしは広い。俺達を容れる場所なんて捜せばいくらでもあるさ。違うか?」
「…違わんよイエス総領ボス…」
 イサナが静かに吐息した。
「俺達はお前に従うと決めた。それはあの時から何も変わっていない」
「サキみたいに面倒見のいい奴、世界中捜したって他にいるもんか」
 カツミが呆れたようにぱたぱたと手を振る。
「…あなたを縛っているのは、『シュミット大尉』との約束?」
 カヲルがやはり静かに問うと、マサキは返答をしないまま緩やかに瞑目する。ややあって些か眠たげに眼を開き、幽かに微笑った。
「…もしそうだとして、お前に何か関係があるのか、カヲル?」
 そして視線をあげると、グラスを揺らす。
「俺は俺が正しいと思う方向へ歩いて行くだけだ。来たいと思ったら一緒に来い。強要はせんよ」

 うたげがお開きになったのは日付が変わってからだった。
 片付けもそこそこにユカリが真っ先に沈没したあとは、もうドミノ倒しである。矢継ぎ早にコテージの灯は消えてゆき、物音が途絶えるまで1時間とかからなかったであろう。
 先に部屋へ戻ったものと思っていたレイの姿がなくて、カヲルは静謐に沈むコテージの中を捜した。
「…まだ、起きてたの?」
 ベランダのデッキチェアに身を預けて星を眺めていたレイは、カヲルの声に身を起こした。
「一人で部屋に居るの、イヤだもの。それに、今日はお昼寝たっぷりしちゃったから…全然眠くならなくって」
 そう言って、笑う。
「降ってきそうなくらい…いっぱいの星だね」
 カヲルがベランダのフェンスにもたれ掛かると、レイはデッキチェアから立ち上がってそのかたわらに身を寄せた。
 レイの額にそっと手を触れ、そして自分の額を寄せる。自身と変わらない体温を感じて、カヲルは少し安堵する。
「あれから、熱は出てないね?」
「うん…実は、測ってないけど。眠たくないし、だるくないし。むしろ何だかすっきり?」
「久し振りだね、熱なんか出したの」
「そういえばそうかなぁ。何だったんだろ、一体?」
 レイが自分の手を額に遣って言った。
「…サキは…心配しなくていいって。でも、繰り返したり痛みや寒気があったら連絡するようにって言ってた」
「高階さん…暫く日本こっちに居るの?」
「そうらしいね。皆も結局、何だかんだで第3新東京市の近くに居るみたいだよ」
「…まだ何か、危ないことがあるの?」
 少し不安げなレイの髪を軽く撫でて、カヲルは笑った。
「いや…こっちでやりたいことがあるんだってさ。とりあえず今回の件で、しばらくは静かだろうから、安心していいって」
「良かった」
 レイが笑った。
「…それと…えっとねカヲル。今日はごめんなさい。ちゃんと指示通り待ってれば良かったのに、コテージ飛び出しちゃって。高階さんにも迷惑かけちゃった。…どういう訳か怒られなかったけど」
「それは僕も同じだよ。ごめんね、レイ。ひとりにして」
 カヲルは苦笑する。レイが叱られる理由いわれはなかっただろうが、明確に指示に逆らったカヲルとしては、叱責を受けなかったことのほうが却ってこたえていた。
『俺は俺が正しいと思う方向へ歩いて行くだけだ。来たいと思ったら一緒に来い。強要はせんよ』
 カヲルが示す微妙な反発に対する、あれがマサキの答なのだろう。絶妙な距離感というべきだった。突き放すでもなく、縛り付けるでもなく。自分が護りたいもののためにどうすべきかを、あくまでカヲル自身に択ばせるつもりなのだ。
 ああいうのを、年季の入りが違うというのだろうか。
「それでね、私、思ったの。ひとりでいるのがイヤだったんじゃないなって。だって、あの時…ひとりって訳じゃなかったんだもの。ユカリちゃんもリエさんもいたし、碇君や惣流さんもいたの。ただ…ね、待ってるだけっていうのがとっても苦しかった。
 だからカヲル、今度から黙ってどこかに行ったりしないで。私、カヲルの行くところなら何処だって行くし、足手纏いにならないように頑張るから…ね!」
 必死な表情でカヲルのシャツの袖を掴み、紅瞳がひたと見上げる。
「…そうだね…」
『結論から言うと、変化が始まっていると考えるのが妥当だ』
 高階マサキは、発熱の原因を問われてそう答えた。
『俺達ネフィリムは、現生人類リリンの器に、彼等が【使徒Angel】と呼ぶ地球外生命体がかなり強引な方法で融合した姿だ。融合直後は勿論、能力の発現や身体的な変化が起こる前後で、俺達にも似たようなことがあった。
 俺達は…アダムと呼ばれる始祖生命体が自ら作り上げた17th-cellから成るお前渚カヲルとも違うし、それを模す形で2nd-cellから、碇ユイ博士の卵細胞をベースに組み上げられたMixed-2nd-cellとも違う。…が、それを踏まえた上で、今回の発熱を考えるなら…個体の成熟に伴って、嬢ちゃんの身体が現生人類の段階フェーズを越えて、始祖生命体としての変化を始めていると解釈するのが妥当だろう』
『それは、あなたがたネフィリムのように…時間に置き去りにされると考えて良いのか』
『すべては可能性だ。…だが、身体の成長が止まっているといった兆候が見えるなら、それに近い状況があると考えて良いだろう』
 同年の碇シンジに追い越された身長。それが、性差や個人差に類するものなら無視しても良いのかも知れない。…しかし。
『判ってると思うが、嬢ちゃんに限った話じゃない。お前の場合はアダム自身がかなり長い時間をかけて組み上げたものだから、もっと緩やかに変化が訪れる可能性はあるだろうが』
 いずれカヲルの時間も止まる。シュミット大尉がどのくらいあの姿で生きていたものかは判らないが。
『まあ、カツミの言いぐさじゃないが…そのあたりはなるようになるし、なるようにしかならん。
 ただ、俺達はある程度恣意的にATフィールドを行使できる…それは、自身の姿をある程度コントロール出来るということだ。滅法極端な奴がそこにいるが、俺にしたところで、サッシャ高階マサキの姿が同一じゃないことはお前にも判るだろう』
『…「サッシャ」があなたほどスレてなかったのは確かだ』
 カヲルの反応リアクションにカツミが腹を抱えて笑い転げた。
やかましい、話を逸らすな』
 マサキは笑い続けるカツミの襟に氷塊を放り込んで黙らせると、すこし憮然として自身の掌を見る。
『俺の場合、おそらく高階博士の影響だろう。斯く在りたいと思う者の形質に似てくる。…似せられたのは姿だけってのが、あのひとには非常に申し訳ないがね』
 何も訊かずにネフィリムたちを保護し、この国での生活を整えてくれた高階夫妻。
高階マサキが高階の後継という立場を維持するのに、ある程度形質を引き継いでいた方が都合が良かったといえばそれまでなんだが、理詰めの都合ってのは動機モチベーションとしては弱いものさ。数年にわたってブレずに維持するってのは結構骨が折れる。多分、どっちかっていうと俺自身があのひとのようになりたかったんだ。
 話が迂遠で悪いが、要はお前さんが斯く在りたいと心から願うなら、姿形なんて結構どうにでもなるもんだってことさ。
 お前は時間に置き去りにされる、って言い方をするが、それはあくまでも現生人類リリンの時間が基準の場合だろう。
 お前がこれからずっと一緒に居たいと思う者の時間にあわせてやれば、それでいいとは思わんか?』
 要は、停まるにしても進むにしても、カヲルがレイの時間にあわせてやれば何も問題は無いだろうというのだ。
『よくもそんなにさっぱりと…』
 半ば呆れて、カヲルはグラスを傾けるマサキの横顔をまじまじと見た。
『ただ…な、カヲル。朝日と夕陽を一度に見ることは叶わない。…自分にとって一番大切なものが何かってところを間違わないことだ。
 俺に言えるのはそのくらいだ。あとは自分で考えろ』
 ―――――考えたさ。考えるまでもないことだったって、判っただけだったけど。
 カヲルは、目の前の見開かれた紅瞳に…些か情けない顔をした自分が映っているのを見た。
 同じ過ちを繰り返すばかりだ。大切にしたいと、護りたいと思うのに、心配させて、不安にさせて。加持にはわかったようなことを言っておいて、その日のうちにこれだ。口惜しくて、情けなくて、言葉が巧く出てこない。
 だから、ただ抱きしめた。
「苦しーよ、カヲルってば。何、どうしたの?」
 レイが笑いながら、ぽんぽんとカヲルの背を叩く。
「あ、ああ、ごめんね。レイ」
 カヲルが一度身体を離して少し不思議そうに見上げるレイの頭を撫でた。そしてそのままもう一度抱き寄せる。

「そうだね。ずっと一緒に居よう。一緒に歩いて行こう」

  1. ウィスキーフロート…氷を浮かべた水の上から、ウィスキーをマドラーやスプーンに伝わらせてそっと注ぐと、比重の差から水とウィスキーがきれいに分かれる。(水が下)呑む毎に水とウィスキーの比率が変わるという特徴を持つ。
  2. ハーフロック…オン・ザ・ロックスのスタイルの一種で、ウイスキーと水が1:1。
  3. オーレリア・ブリジット=高階…高階博士の細君、Scene 2 参照