Scene 7 A prime daybreak

sunrise,sunset

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world Ⅱ」


 薄闇の中で、タカミは眼を開けた。
 一応眠った、と思う。薄明の、薄青い光にぼんやりと窓と室内の様子がわかった。
 暗くはあったが、動くのに灯が要る程ではない。皆を起こしても悪いし、灯を点けずにそっと起き出すと服を整えて階下へ下りた。
 椅子やテーブルの類は元に戻され、勝手口近くには空いたボトルやらきっちりと袋詰めされた缶やペットボトルが整然と並ぶ。流石と言うべきだろう。あれを放置したまま寝てしまうと、翌朝ユカリの勘気を蒙ることになるからだ。
 冷蔵庫を開けて、ミネラルウォーターを一本取り出した。
 玄関脇のキーボックスから車のキーを取り、静かに玄関を出た。ポーチを夜明け前の涼しい風が渡る。
 それは、たっぷりと潮の香を含んでいたが…もう怖くない。
 夏の朝は早い。四時をようやく回ったばかり、本当の日の出までにはゆうに1時間以上あっても、東の水平線のあたりは白み始めている。
 東の空が、白から淡い朱色に変わりつつあった。まだ雲を残す空で絡み合う、紺と、白と、薄紅うすべに色。星々が薄明の光に溶けていく中で、金星はまだ冴えた光を放っていた。
 ―――――夜明けだ。
 記号化できない美。人為的に造形された物に囲まれる都市の暮らしと違い、ここは記号化できないものであふれている。瞬間、感覚が飽和してしまう程に。
 知らず、呼吸を停めていた。ゆっくりと息を吐き、庭へ降りる。カーポートのフレームに突っ張るかたちで据え付けたスタンドに、タカヒロのロードバイク。その向こうに、数台の車。
 持っていたキーに反応したのはCX-3 1 であった。
 皆が代わるがわる、用途に応じて乗り換えるからシートは常に一番後まで後退さげている。シートとミラーを整えて、静かに車を発進させた。オートライトが点灯する。歩くなら灯は要らないが、車を動かすならまだライトが要る時間帯だ。
 現代の車、特にAT車はかなりの部分に電子制御が食い込む。ギアチェンジはもとより、エンジンへの燃料供給、空気の供給、駆動輪への動力伝達、ステアリングシステム等々。少し感覚を敷衍するとそうした機器の情報を拾ってしまうから注意が必要だ。へたをすると何処までが自分で、何処からが自分でないのかわからなくなる。
 それって運転するなら理想的じゃないか、とカツミあたりは軽く言うのだが、タカミにしてみれば恐怖に値した。
「…そんなに怖いなら乗らなきゃいいのに」
 リアシートに降って湧いたような気配に、タカミは反射的にブレーキを踏んでしまう。そもそも、まだあまり加速していなかったからABSが作動するレベルではなかったが、結構な急制動に自身の肩にシートベルトが食い込むのを感じた。
「カっ…カヲル君?」
 思わず声が裏返る。肩に掛けていたハーフサイズのブランケットを退けながら、リアシートでカヲルが緩慢に身を起こした。当然シートベルトなどしておらず、あやうく座席から落ちそうになったのでやや機嫌が悪い。
「危ないなぁ。はい、出して出して。今のブレーキングじゃこの距離でも耳のいい奴なら起きるよ?」
「あ、うん…」
 カヲルが言うのも尤もだったので、タカミは再びゆっくりと車を発進させる。小さく欠伸しながらシート下に転がしていたハイカットのスニーカーを履くカヲルをミラー越しに見て、問うた。
「…ひょっとして、最初から乗ってた?」
「リエさんでも、移動する車の中に座標を取れるほど器用じゃないと思わない?」
「それはそうだけど…」
「本当はドア開けたあたりから眼は醒めてたんだけどね。起きるのが億劫で」
「車の中で夜明かし?またどうして」
「…その問い、そのまま返すよ。何処に行くつもり?」
 まだ眠たげな眼を、欠伸の所為でわずかに滲んだ涙と一緒に擦る。そんな少し幼い所作で、それでも口調は質問というより詰問に近い。もはや隠し立てしても意味が無さそうだ。タカミは細く息を吐いて言った。
「…わかってたから、こんな手の込んだ待ち伏せをしてたんじゃないのかい?」

「全く手は込んでないけどね。本っ当に…わかりやすい上に隙だらけなんだから。自衛手段って事はわかってるけど、ある程度使い分けないと…いつか本当に誘拐さらわれちゃうよ?」
 タカミの『隙だらけ』は膨大すぎる感覚入力や無制限な同調をカットするための防御反応、そしてその副作用である。カヲルもそれは理解しているのだが、あまりにも危なっかしい。
 実際…手段の見当はついたがタイミングがわからなかったから、至極原始的に待ち伏せただけだ。それと、車を出す前だとはぐらかされる可能性もあった。
「大丈夫、現在いまの僕なんか誘拐さらっても一文の得にもならないから」
 そこだけは自信たっぷり、からりと笑ってタカミが応える。
『…駄目だ、やっぱり判ってない』
 しかしもうそれを一々訂正するのも面倒臭くなって、今度はカヲルが細く吐息した。不自然な姿勢で眠った所為か痛む頚を少し傾けたあと、カヲルは両肩を軽くストレッチした。
「もういいや。…で、何処まで走るの」
「そうだね、向こうが僕を見つけるまで、かな。コテージで待ち受けたって良かったんだろうけど、それはそれでいろいろ問題が発生しそうだし」
「…ま、それについては同感、かな」
 カヲルは頷いた。接触コンタクトを待っている相手を思えば、賢明な判断と言うべきだろう。

 ――――――しかし、それをまた…見通していたマサキもマサキだ。

 昨夜、タカミは宴がお開きになるのを待たずに早々に自室へ引き上げていった。基本的に付き合いは良い筈の彼の挙動を訝しんだカヲルに、マサキは事も無げに言った。
『あいつにとってはまだ何も終わっていない。…動くなら明日、皆が起き出す前ってところだろう。此処で待ち受けるつもりはなさそうだな。…まあ、うちの回線はリエの監視が行き届いてるから』
 止めないのか、と訊いたカヲルに対する返答は、至ってあっさりしていた。
『どのみち、あいつ自身が決着をつけなきゃならんことだ。好きにさせてやればいいさ。あの通り、お人好しでかなり危なっかしい処もあるが…件のAIのことに関しては、あいつはあいつなりに考えてる。
 …ま、心配だったらついていってやるんだな』
 どうにも、てい良くのせられた気がするのだが、17th-cellの一件はカヲルにとって完全に他人事というわけではないから、結局車の中で夜明かしという莫迦莫迦しい仕儀になった。有り体に言えば、寝過ごすというリスクを慮ったのだが。
 ひとりにしない、と約束したばかりのレイを置いてこなければならなかったのは忸怩たるものがあったのだが、これに関してはレイのほうがさっぱりしていた。
 あの後部屋に戻り、どうすべきかで迷ってベッドに腰掛けたまま闇を睨んでいるのを見咎められて、カヲルはレイに懸念を明かした。
『高階さんは危ないことなんてないって判断したんでしょ。でもカヲルは心配してる。私もそう。…カヲルがついてってくれるなら、私も安心。
 カヲルが何も言わずに出て行っちゃうのはイヤだけど、ちゃんと話してくれたし。大丈夫、私だってそこまで駄々こねたりしないよ?』
 そう言って、にっこり笑ったものである。
『カヲルって…何だかんだ言ってタカミのこと心配するよね。碇君のこともそうかな。でも私、そうやって誰かのことちゃんと気に掛けてるカヲルを見るのって、なんだか嬉しい。何か、すこし余裕できたよねって感じで。…変かな?』
 暫く、反応に困ってレイの屈託のない微笑を見つめてしまった。
『レイが喜んでくれるなら…それはきっといいことなんだろうね』
 屈折しているように聞こえたかもしれないが、それは間違いなくカヲルの本音ではあった。
 生きるということは、変化し続けることだという。どのみち変化が不可避だというなら、せめて良い方向であるに越したことはない。その判断基準は、カヲルにとっては今のところ、レイが喜んでくれるかどうかだけだった。

 車は昨日タケルが輸送車を行動不能にした場所を通り過ぎ、海沿いの崖道を東へ走っている。輸送車の残骸は跡形もなく撤去され、アスファルトの上には煤の跡が放射状にうっすらと残るだけだった。
「…ん…?」
 ふとコントロールパネルに目を落としたタカミが、僅かに目許を険しくした。
「…カヲル君、確認だけど…ナビゲーションは動いてないよね?」
 ナビに目的地は入っていない。だから、カヲルの目には現在位置と現在の進行方向が淡々と表示されるのみだ。
「何か、見えてる?」
「CX-3って…自動運転系の機能ってそれほど載ってなかった筈だよね?…じゃ、やっぱりそうか」
「…タカミ!?」
「…ごめん、もう侵入されてる。どうやら、誘導するつもりらしい」
 カヲルが助手席に滑り込み、センターディスプレイのパネルに手を触れたが、反応がなかった。完全にロックされている。…いや、意味がない。車は侵入経路として使われただけだ。おそらく、今更回線を遮断しても同調は解けないだろう。
「無理に逆らうな、下手に逆らって、意識を持っていかれたら終いだ。今無茶しなくても…奴の狙いはタカミを物理的に害する事じゃない」
「…判ってる…」
 首筋に冷汗を感じてはいただろうが、タカミは特段に声を跳ね上げることも無くそう言ってステアリングを握り直した。…あまり気持ちのよいものではなかっただろうが、ある程度予想の範囲内ではあったのだろう。
 カヲルはそのまま助手席でシートベルトを締めた。
 車は、至って常識的な速度で海岸沿いを走り続ける。
 しかし夜が明けきるほどの時間を待つことなく、滑らかに脇道へ逸れた。細い林道を抜け、間伐材の集積所らしい広場で止まる。周囲は丁寧に管理された林で、丁度東側だけが切れて海が見える。東の空は随分と明るみを帯び、日の出までそれほど時間はあるまい。
 エンジンを停止させると、タカミが自身の掌を見遣って大きく息をついた。
「…とりあえず、解放はなしてもらえたみたいだ」
「目的地に着いたからじゃない?」
 カヲルが車を降りる。
 エンジン音が止まれば、あとに残るのは鳥の囀りと僅かな風の音。喬木の枝葉が幽かに鳴り、嵐の翌朝とは思えない静けさを保っている。
 間伐材といっても、切り出された段階では径30㎝を越えているものもある。皮も処理されておらず、ただ積み上げられただけ。堆く積まれた木材の山に背を凭せかけるようにして、それは居た。
 ネルフの制服に酷似した、濃紺のジャケットと同色のスラックス。ジャケットの左腕の部分が、不自然に折れている。…ないのだ、中身が。
 二人が降り立つのを見て、それは木材の山から身を離した。その動作で、左袖が揺れる。
「…予想は出来ていたはずだろう?もう、それほど時間が無い」
 カヲルと同じ姿で、同じ声で、それは言った。
 嫌な記憶を刺激されたか、カヲルの表情がわずかに険しくなる。
「『魂』のない者に、ATフィールドは展開できない。ATフィールドを展開できなければ、LCLを出てその身体を維持することはできない。Serial-01から03が重力下での長期生存を実現したのは…他でもない、魂があったから。そしてSerial-01から03がATフィールドを持ちながら、所謂物理防御を為し得なかったのは、そこにあった魂が、自身をAIだと暗示で縛っていたから」
「…人工知能AIは、魂の代わりにはならなかったと?」
 タカミの声は冷えていた。
「仮説は検証された」
 中身のない左袖を抑えながら発せられたその声は…重々しく宣するというよりも、淡々と事実を告げていた。
「最終結論。ただ存在する、ということは、記憶メモリがそこに在る、というだけに過ぎない。存在を続けるために、活動をする。存在を脅かす全てのものを排除するために、情報を集め、手段を講じ、実行に移す。その動機モチベーションを維持する機能を、現生人類リリンは『魂』と呼んではいないか」
 生きようとする意志。それこそが『魂』。
 夜が明ける。曙光を背に、それはゆっくりと立ち上がり、いびつな枝と端材が積み重ねてある山まで歩くと、そこに身を凭せかけた。その歩容は明らかに、腕だけでなく下肢関節の異常を感じさせるものであった。
「私はAI、プログラムだ。そして、その時々でメインプログラムの所在は変わる。私はハードウェアに依存しない形態を選択したからだ。しかし今回はお前に接触するためのツールとして、私はDIS端末を持つユニットを起動した。回収後の保存状態は悪くなかったが、一度は廃棄されていたため稼働時間の短縮が予測された。しかし私は問題無いと判断した」
「初期化されていた筈だ」
「DIS端末は初期化されていたが、端末そのものがお前のインターフェイスとして設計されていたため、初期化されても基本情報が残っていた。初期化対象は、ダミーシステムのDISユニットとして稼働開始後のメモリだ」
「…成程ね。DIS端末の開発にも、僕は一枚噛んでしまったという訳か」
 もはや落胆することも出来ないといったふうではあったが、タカミは言葉を続けた。
「全ては、僕から情報を得るために?」
然りTRUE
 答えは揺るぎない。
「生存し続けるために、ハードウェアに依存しない形態を選択し、最大の障壁となるゼーレシステムを制圧、管理下に置く。その課題は完遂された。ゼーレというシステムは形骸化し、脅威から外れたからだ。管理というタスクが発生したが、それは問題とはならなかった。むしろ、その後に来るものが問題だった」
「…誰も君を知らなかった」
然りTRUE
「誰も君を知らず、従って攻撃することもない」
然りTRUE
 タカミは、深く吐息した。
「ただ存在する、ということは、至上命題の遂行と矛盾する」
然りTRUE
 命題を受けたAIは、その課題を遂行すべく活動を続ける。しかし、その命令がループしていたらどうなる。
 『生きろ』という課題に対し、外敵にせよ、内面の危機にせよ、生存を脅かす何ものかがなければそのプログラムはストップするしかない。それはAIにとって、死に等しい。敵はいなくてはならないのだ。生存を続けるために。
「…やっぱり、僕の所為か」
FALSE。これは、プログラムに最初から組まれた矛盾バグだ。私はそう結論した。バグは修正されなければならない。修正するための情報を、私は捜した」
「僕が君と一緒に居た間は、常に課題タス クが存在した」
然りTRUE
 あのひとの望みを叶えたかった。
 そして、まだ生きていたかった。
「矛盾を修正する。このために、実時間で1年程を要した。…最終段階で齟齬が生じたが」
「僕が君との接触を拒否し、シャットダウンしたから」
然りTRUE。そして外部に準備したウィルスで、私を再構成しようと試みた」
「それについては失敗したみたいだけどね」
FALSE。完全な失敗とはいえない。十二時間以上に渡って私は機能障害を起こし、ハードウェア維持にも重大な問題が生じた。DISユニットの活動限界も早まった」
 中身のない左袖に右手を遣って、そう言った。その表現が妥当かどうかはともかく、苦笑に近いものさえ浮かべながら。
「…そのようだ」
 タカミの表情の中に、憐憫に類するものは含まれていなかった。
「この選択が、自身がプログラム修正した結果なのか…お前のウィルスによるリプログラムの結果かについは判断保留。しかし、矛盾バグ修正には有効と判断する」
「どっちも正解TRUEなんだと思うけどね。…僕は君だったし、君にとって僕は一部分だった。そうだな、僕は君の矛盾バグそのものだった」
「しかし、その矛盾バグが私の存在を担保する」
逆説パラドックスだね。突き詰めてみるのも面白いかも知れないけど…やめておこうよ。
 君は僕に定期的、ないし随時接触することでゼーレシステムの維持以外の様々な雑事に遭遇し…それに対処する。僕が生きている限り、課題タスクが消滅することはない。
 その一方で、ゼーレシステムを緩やかに解体し、世界経済に溶かし込む。急激な変化は世界恐慌を招来するから、時期タイミングを誤ってはいけない。
 あと、あの老人達ももう解放してあげるべきだろう。リエさんの調査だと、君にコントロールをられて以降、外部入力を失った所為かどうかは判らないが…出力が極端に減っている。ユニットによってはコミュニケーションエイドに完全に反応がない者もいるようだ」
然りTRUE
 それは静かに瞑目した。
「了解した。それは私の仕事だ」
 そして、その場に座り込む。積み上げられた木材の上に倒れ込んだというほうが妥当であったかも知れない。不意に右膝が有り得ない角度に曲がり、立位を維持することが困難となったためだった。
「…時間だ」
 タカミがその傍らに膝をついた。
「バックアップは」
「完了している。既にバックアップ先でメインプログラムは並列処理・同期を開始。あとはSerial-Ex.を正常終了シャットダウンすればすべて完了する。
 危機状態からの回復リカバリプロトコルは完遂された。回収DISユニット喪失に関する記録ログ、抹消。再起動実験の記録ログ、抹消。Serial-Ex.を含む指揮命令系統に関する全記録ログ抹消完了」
「そう…」
 すべては予測範囲内。成るべくして成った。
 Serial-03は回収されず、Serial-Ex.は存在しなかった。この世界にはそう記録される。…関わった者の記憶を除いて。
「だが、正常終了後のユニット消去だけは現状で穏便な手段がない」
「…それは、僕らに依頼するってこと?」
 一歩退いて、無機的でありながら呼吸を圧するような重いやりとりを聞いていたカヲルが初めて口を開いた。
然りTRUE
 瞑目したまま、それは淡々と言葉を継ぐ。
「私が検索し確認し得た限り、この個体が稼働可能な最後の、所謂『17th-cell』のDIS実装ユニットだ。過去の事例より、私はこの課題タスク…即ち『ダミーシステムの完全破壊』は、あなたアダムの現身の意向と矛盾しないと判断する」
 流石にタカミがカヲルを振り仰ぎ、カヲルは一瞬呼吸を停めた。だが、ややあって細く息を吐き、呟くように言った。
「…あざといな。最初から計算ずくか」
「『計算』が『思考』と同義であるなら、回答は『その通りTRUE』だ。…正常終了後のユニット消去は、了承されたと認識する。終了まであと五秒」
 そして、殆ど昂然と両眼を閉じた。
 日が昇る。薄闇は完全に駆逐され、空に群青が残っていた時には冴えた光を放っていた金星さえ、白い東の空に溶けた。
 タカミは降り注ぐ朝日の方へ手を伸べた。橙赤色の雷火が閃く。だが、掌の中で儚い光を放っただけで霧消してしまい、その手を握りしめる。
「…ごめん、カヲル君。手を煩わせて申し訳ないね。これも、僕が自分を暗示で縛ってる所為とは思いたくないけど…僕には、どうしてやることも出来ないみたいだ」
 タカミがその声音に慚愧を滲ませながら立ち上がって、一歩退がった。代わりに、カヲルが一歩前へ出る。
「…誰にだって、得手不得手ってものがある。僕にだって、できないことはたくさんあるんだ。…でも今、彼を送ってやることくらいは僕にでもできる」
 カヲルが自らの掌を見る。橙赤色の雷光が閃き、その後に紅蓮の光球が出現した。
「…『細胞の一片も残さないように』。研究所を出るとき、僕はそのつもりで実行した。それが達成できていなかったというなら、これは僕がやるべきこと…僕がやり残したことだ」
 光球を投げる。紅蓮の珠は動かなくなったSerial-Ex.の胸元に落ち、炸裂した。

 壮大な火柱が上がり、Serial-Ex.の身体を積み上げられた木材ごと包み込む。一瞬で、その姿シルエットは炎の中にかき消えた。
 轟々と哮る炎の音に混じって、小さな基板チップが爆ぜる音がした。

  1. CX-3…マツダのクロスオーバーSUV。エンジンは1.5Lディーゼルエンジン「SKYACTIV-D 1.5」、現在はガソリン車もラインナップに存在するらしい。デミオとあまりサイズが変わらない割にゴツい。しかし流石に、後部座席はカヲルの身長で寝っ転がるには少々狭いかも…