約束の刻 第四夜

Full Moon

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「Promised Night」


「・・・・この空間は、既に閉じられているわ」
 リツコの言葉に、ミサトは思わず聞き返していた。
「・・・莫迦いわないでよ、SF小説じゃあるまいし・・・・何が言いたいのよ?」
「言ったままよ。この空間は・・・この学校の周囲500メートルほどの空間は、周囲から完全に切り離されているわ。電波も届かない。電力供給だって、ここは自家発電よ。発電機がいってしまったらそれでアウト。無論、歩いて行ったって、空間の端まで辿り着いたときに反対側へ転送されるか、さもなければ・・・・・・」
「青葉君みたいになるって訳・・・・・?」
「違うわ。あれは何かに、外力を加えられて引き裂かれたものよ。おそらく彼は、そこへ行くまでに襲われたんだわ」
「襲われたって、何によ!? 熊でもいるっての!? 莫迦ばかしい!!」
「あなただって素人じゃないでしょ。あれが何の傷かぐらい見当がつくんじゃなくて?」
 ついに、ミサトが黙る。
「状況についてはそれだけ調べるのが精一杯だったわ。持ち込んだノートパソコンじゃそれ以上の解析は無理。・・・・外部との連絡は不可能よ。外からの救援を待つしかないわ」
「そんなものが来るって、本気で思ってるわけ・・・?」
 そう問われ、リツコは視線を逸らした。


約束の刻とき

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「Promised Night」


第四夜

 ――――――その日から、夜明けがなくなった。
 風雨は熄んだ。しかし、時計がとっくに日の出の時刻を過ぎても、空は明るみを帯びようともしない。
 夜の世界に取り込まれたかのように、星もなく、巨大な月だけが空にあった。

「月の下は僕たちの領域」
 セレストブルーの髪の少年がさも可笑しそうに言う。
「いまさら何に気づいたって無駄よ」
 青銀の髪の少女が笑う。
「気づくなら、もっと早く気づいてくれればよかったのさ。もっと別のことにね・・・」
 いつもの微笑もなく、カヲルがそう言った。ピアノの音が止まり、それに合わせていたビオラの音が止まる。
「もう、決めたんだね」
 レイはビオラを膝の上に降ろし、カヲルを見上げた。
「わかったの。私は、もうずっと前から決めていたの・・・・」
「君の決めたことならば、異存はないさ。君が戻ってきてくれるなら、あの男の思惑なんか知ったことじゃない」
 再生の代償として要求されたもの。それは彼等と同じ、永生を可能とする生命。しかしそれは確かに契約だった。現に向こうは既に贄の数を揃えて差し出してきているのだ。
「最後の決定権は君にあるよ、レイ・・・」

 他の者はともかく、ヒカリは自宅へ一日一度の電話を欠かした事はなかった。それが途切れたことで、ヒカリの家族が不審を感じてくれることがいまや唯一の望みである。
「先生・・・私たちどうなるんですか・・・・?」
 ヒカリが泣きそうになりながら問う。
「大丈夫よ。これだけヘンなことが起こってるんですもの。かならず外側でもなにかあるはずよ。あなたの御両親だって、連絡がなければきっと気づいてくれるし」
 前半は嘘だ。リツコの探査結果を信じるなら、外側からの異変はほとんどない筈。ただ、この場所へ入り込もうとしても、キツネに化かされたように他の場所へ出てしまう。それだけのことだろう。
「とにかく、何が起こってるのか判らない以上、単独行動はとらないこと。いいわね?」
「おい、そういえば綾波のやつ、何処いったんや?」
 不意に、トウジが言った。
 思わず立ち上がるシンジ。その時、からりと音がして、教室の戸が開いた。
「私はここよ。何か用?」
 一同、思わず大きく息を吐いた。
「いいえ、何が起こるかわからないから、絶対に単独行動はとらないでねって話」
 ミサトが笑って言った。どうやらこれもほっとしたものらしい。
「わかりました」
 淡々と席に着き、ビオラを取り出すレイ。
 もの言いたげにそれを見るシンジ。その視線に気づいて、レイがシンジを見た。
 簡潔な、一言。
「・・・私のことなら、心配しないで」
 つっけんどんともいえる調子だったが、シンジはそれがいつもと違うことに気づいていた。どう違うのか、といわれれば、シンジ自身、返答に窮しただろうが・・・・・。

「いやぁすまんなァ、シンジ」
 単独行動絶対禁止、というミサトの厳命のため、校舎の外にあるトイレすら連れ立って行かねばならない。アホらし、女じゃあるまいし・・・と言いかけたトウジも、ミサトの厳命では逆らえない。
 西玄関と講堂の丁度中心に位置する西トイレへは、一応屋根があり靴を履かなくても桟板を渡って行けるようになっている。目隠しに植えられた常緑樹を透かし、巨大な月を観ていたシンジが応えた。
「しかたないよ、何が起こるかわからないんだから」
「それにしてもや・・・・ん?」
 手を洗っていたトウジが、ふと中庭を見た。
「なんや、アレ」
「え、何?」
 中庭に何かを見つけたらしく、不意に中庭へ向かって走り出す。
「ちょっとトウジ、それ上履き・・・!」
 止める暇もあらばこそ。仕方なくシンジは、玄関へ取って返して靴を履き、トウジの靴を持ち出した。そして池のほとりに蹲み込んでいるトウジの後ろ姿を視認した直後、トウジの靴を持っていた手を何かに抑えられる。
「―――――――!!!」
 シンジの真後ろの空間が、縦に裂けていた。
 その真っ暗な裂け目から、細い手が伸び、シンジの手首を掴んでいたのだ。
 声を上げようとした一瞬、もう一方の手がシンジの口を抑えた。
 なす術もないシンジを呑み込んだ後、裂け目は出現したときと同様、音もなく消える。
 シンジが持っていたトウジの靴が、桟板にぶつかって派手な音を立てる。その音に、トウジが振り返った。
「シンジ、これケンスケのカメラと違・・・・・おい?」
 異変を感じ、トウジが立ち上がる。その時、トウジの頭や肩にばらばらと何かが落ちかかった。
「なんや・・・・うわっ!」
 それは、彼の頭上を覆う木斛モッコクの枝・・・そこにいる何かから滴り落ちていた。
 触れた途端に、トウジの皮膚を侵食して入り込む。
 悲鳴を上げることもかなわず、その場に倒れ伏した。
 眼球を上転させ、全身痙攣を起こしているトウジの身体の上へ、その滴は少しずつ量を増しながら、静かに降り続ける。

「鈴原! すずはらったら!!」
 もはや悲鳴のようなヒカリの声がとどいたのか、トウジがゆっくりと目を開いた。
 畳と、教室の壁が目に入る。
「よかったわ。背中、何だかものすごい火傷に見えたから・・・・。リツコがあとは冷やしとけばいいって言うから、洞木さん、後お願いね」
「はい」
 立ち上がりかけたミサトだが、不意に顔を曇らせて問うた。
「鈴原君・・・シンジ君は?」
「シンジ・・・? 姿、みえへんのんですか・・・・・?」
 ぼんやりした記憶を手繰るように、トウジが訊ねかえす。ミサトは表情を隠した。
「いえ・・・何でもないわ。休んでいて」
 ミサトが部屋を出ていく。
「委員長・・・ワシ、どないしたんや・・・」
「・・・中庭の木の下で、倒れてたんだよ。壊れた相田君のカメラ持って。上履きのまんまで。靴、渡り廊下のところまで持ってきてた癖に」
「靴ぅ・・・・?」
 背中の火傷があっては仰向けにすることもできず、トウジの身体は丸めた布団で側臥位を保てるようにしてあった。それに気づかず、仰向けになろうとして痛みに飛び上がる。
「莫迦、背中を火傷してるのよ!」
「火傷・・・?なんでや・・・?」
「私が知るわけないでしょ。もう、みんなに心配かけてばっかり・・・!」
 ヒカリが泣きそうになる。理由は良くわからないが、トウジがしたことが悪かったのだいうことらしい。
「すまんなぁ、委員長・・・・・」
「私に謝ったって、知らないわよ・・・・」
 そう言って、顔を背けてしまう。トウジは、ぼうっとした頭で懸命に何があったのかを思い出そうとしていた。
「そうや・・・・ワシ・・・・ケンスケのカメラを見つけたもんやから・・・・中庭へ出ようとして・・・・そうしたらシンジの奴、靴はいてけっちゅーてわざわざ持ってきたんや・・・」
「彼、几帳面だものね・・・」
「そうやなぁ・・・で、ワシが振り返ったら、シンジの奴もうおらんかったんや。ワシの靴だけそこに転がっとった・・・せやから、おかしいと思うて・・・・それで・・・・」
 トウジの目が限界まで見開かれる。
「そうや・・・ワシは・・・・ワシは・・・・・」
「鈴原・・・・!?」
 ヒカリは、ざわりと全身の鳥肌が立つのを感じた。次の瞬間、ヒカリの口から絶叫が迸る。
 トウジの顔が一瞬で裂け、中から薄桃色の粘塊が流れ出す。トウジの身体はそのかたちを失い、残された衣服の中から黄色い液体が染み出るばかり。
 薄桃色の粘塊は、しばらくそこにわだかまっていたが、不意にあるかたちをとりはじめた。
 まず頭。そして細い肩。手足。はっきりしなかった輪郭が徐々に固まってゆき、見る間に華奢な少年の姿をとる。ペルシア猫の毛のような髪までも。
 くすくす・・・・・。
 血のような唇から、細い笑いが零れている。
 少年が顔を上げる。その眼窩には、同じく血のような紅い瞳。
「・・・―――――――!!」
 立つ事もできず、いざるようにして後ずさる。
 その時、彼女の頭上に出現したモノが、光を遮った。
 見上げて、ヒカリは呼吸を停める。
 黄金色の太い紐のようなものが、そこへ浮いていた。
 残りの皆で管理室の記録を調べていたミサトは、ヒカリの絶叫に弾かれたように立ち上がった。
「・・・・何て事!」
 状況は同じだった。二人の着衣だけが残り、その場は黄色い液体が濡らしている。
「なんなの!一体何で私たちがこんな目にあわなきゃならないのよ!?」
 アスカの叫びは、ミサトの心情をを完全に代弁していた。
「二人単位で動いても無駄って事・・・!? だとしたら・・・・・」
 先刻までトウジが横たえられていた布団に膝をついて、ミサトは唇を噛み締めた。
 自分には何が出来る?何か、方法はないのか・・・・・!?
 膝の上で握りしめた拳が小刻みに震えるのを、リツコはなかば痛ましげな表情で見守っていた。

「あと五人」
「なに、もうすぐさ」
「そうね・・・」
 カヲルはその楽章を弾き終え、顔を上げた。グランドピアノの黒い鏡のような蓋に、レイの白い裸身が映っている。
 その背にあるのは純白の翼。
「もうすぐだよ、レイ」
 カヲルの言葉に、黒い鏡の中のレイが微笑む。
 そして、カヲルの傍らに立つ制服のレイも、また。