隻腕の黄金竜

Full Moon

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅴ)
SLAYERS FF「The Dragon’s Peak」

怖いからだ。奴が。


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room (Novel-Ⅴ)
SLAYERS Fun Fiction

竜たちの峰《1》隻腕の黄金竜

 聞こえるのは、同胞たちの消え入りつつある苦鳴。血臭と、それが灼かれる匂いが朦朧とした意識を引き戻す。
傷つき、累々たる同胞たちの死屍に押し潰されそうになりながら、その若い竜は人形じんけいを取ることで僅かにできた隙間から脱した。
若いといっても、人形を取れること自体が相応の年齢であることを示してはいた。ただ、動員された竜たちの中でもかなり若い部類に属していたことは間違いない。
まともに受身をとれる状態でもない。死屍の山から滑り落ちた竜は、剥き出しの岩肌に半ば叩きつけられて小さく呻いた。血臭は自身のものでもあった。・・・呪文で爆砕された右腕。他にも、空から叩き落された時に受けた傷が数え切れぬ。どこか臓腑も傷つけているらしく、口の中にも血臭が溢れていた。
エルフやドワーフたちがそうであったように黄金竜ゴールドドラゴン族もほぼ総力戦であった。・・・そして、たったひとりの魔族によってかくも壊滅的な打撃を被こうむることとなった。
なんと脆い。水竜王アクアロードを守護するどころか、かくも無様な戦となろうとは。しかし戦術・戦略もなく、魔族に対抗するための技術を集約することもなく、ただおのれの強さのみをたのんだ結果とあれば、訪れるべくして訪れた結末なのかも知れない。
黄金竜族は、滅んだ。この惨状を見る限り、そう思うより他なかった。
戦はどうなったのか。神と魔と、どちらが勝ったのか。我らが荒野に死屍を累かさねた意味はあったのか。彼に知る由もなく、ただ痛みをこらえながら残った左腕で身を起こし、落日の朱に染まったカタートの山稜を見上げた。
耳が痛い程の静寂。頭を巡らせると、凍ったような昏い空に月が出ていた。

 そして、呼吸を停める。

 冴えた月光の下に、死が佇立していた。

 神官の旅装に身を包み、ごくありふれた神官杖を手にしていた。月光は切り揃えた黒髪を滑り落ち、白皙の面を片側だけ照らしている。そこには穏やかといっていい微笑があったが、双眸の青紫には永遠の闇が棲んでいた。
殺される。
圧倒的な力。戦というより一方的な殺戮。それを目の当たりにした直後である。他の結末など有り得なかった。だから、神官杖が振り上げられるのを見たところで、何も反応できなかった。・・・絶望が、傷ついた身体を地に縫い付けていた。
だから、熱を伴わぬ炎が月光を圧して荒野を照らした時、彼は一瞬、起こったことを理解し損ねた。
理解した時には、それはほとんど終わりかけていた。
折り重なる黄金竜と黒竜の屍。山容を変化させるほどに積みかさねられた同胞のむくろが、蒼い魔力の炎に包まれていた。炎の中で、数秒で無に帰していく。彼は激しく軋むわが身を忘れ、弾かれたように立ち上がった。
まだ、息のあった者もいた・・・!
上げかけた声は急な身体の動きでせりあがった血液で塞がれ、咳き込んだために若い竜は再び地に伏した。
その動きで、殺戮者はようやく彼の存在に気づいたようだった。
次は、彼が炎の中へ呑み込まれる筈だった。事実、神官杖が再び振り上げられるのを彼は見た。
しかし、殺戮者は何を思ったかもう一度月を見上げ・・・そして、あっさりと杖をおろしてきびすをかえす。数歩を行かぬうちに姿を消した。アストラルサイドへ身をうつしたのだ。
辛くもながらえたことを喜べるような状況ではなかった。月は煌々と戦場を照らしたが、彼以外の同胞はすべて炎に呑み込まれて痕跡すらない。
ただ、痛みと眩暈をもたらす血臭だけが、たった今の悪夢が現実であると教えていた。
耳が痛いほどの静寂が戻っていた。
残った左拳を乾いた岩肌に打ちつける。朱が散って、岩盤は亀裂を生じた。
岩を割り、山を砕くほどの力があったとて、たったひとりの魔族に成す術もない。・・・彼は吼えた。

***

 降魔戦争。後に、そう呼ばれることになった戦である。
七つに分かたれたという赤眼の魔王ルビーアイの欠片が、人間の身体うつわを借りて顕現した。仕組んだのは冥王ヘルマスターフィブリゾ。水竜王の聖地カタートは死の山となり、水竜王アクアロードラグラディアも滅ぼされたが、魔王は水竜王の氷の封印によりカタートに繋ぎ止められ、水竜王攻略の先鋒となった魔竜王カオスドラゴンガーヴも敗れて人界での転生を繰り返す身となった。
痛み分けとでも言うべき結末であった。・・・世界全体の均衡バランスとしては。
黄金竜族は辛うじて絶滅を免れた。あくまでも辛うじて、であるが。守護すべき水竜王を失い、聖地たるカタートを魔族に蹂躙され、それでも彼らが竜たちの峰ドラゴンズピークに留まり続けたのは、何も過去を懐かしんでのことではなかった。
竜たちの峰ドラゴンズピーク。それは人間たちがそう呼ぶだけであって、竜たちはあえてその地に名をつけてはいない。死の山となったカタートにほど近いが、まだ水もあれば緑もある。加えて、人間の生活圏からは深い森で隔てられているため人界の喧騒とも無縁だ。
人の世でも数世代を経るほどの時間が過ぎており、竜たちの社会でも徐々に幼い竜たちの産声が聞かれるようになった。戦を生き延びた長老たちも当然ながらほとんどが手負いであり、若い世代の成長を見ながら安逸の日々を送る者が大勢を占めていた。
竜王ドラゴンロードと呼ばれる彼らでも、生まれたての時から強大な魔力を行使する訳ではない。成年に達するまではそれなりに手がかかるものだし、当然、身動きのしづらい年長者たちにはいわゆる「子守り」という役回りが当たってくる。
最長老とてその肩書きで役が免除されるほど、黄金竜の社会は余裕を取り戻してはいなかった。
その老いた竜は日当たりのよい崖の上に寝そべり、滝壷から上がる清爽な風を感じながら、尻尾の先で猫でも構うように子供たちを遊ばせていた。
周囲は簡易な結界で保護されているから、転がりまわる子供たちがうっかり崖下へ転落するようなこともない。老いた竜は片目だけ時々開けては、子供たちの様子を見ているだけでよかった。彼ほどの年齢になれば、大概の黄金竜は手足を動かすよりも魔法でコトを片付けるほうが容易く感じるようになる。
・・・そして、起きているときよりも外見的には眠っていることのほうが多くなる。
「ミルガズィア、戻りました」
かけられた声に、最長老は頭をもたげ、久しぶりに両眼を開いた。それは声の主を視認するというより、任地より戻った若い同胞をねぎらうためであった。
峰を降りるために人形をとったその若い同胞は、かつて水竜王の神殿に仕えた神官の衣服を纏っていた。しかしその右袖は虚ろで、風に揺れるがままになっている。年齢不相応とも思えるほどに落ち着いた挙措の割には、その双眸の光はつよい。
「ご苦労だったな。・・・暫く休むがいい」
「有難うございます」
ある程度の年数を経た黄金竜ならば、必要なことは任地からでも報告できる。帰着は気配で判る。だから、交わされるのはいたって形式的なやりとりに過ぎない。・・・だが、形式が必要な場合もあるのだった。非の打ち所のない礼を施し、青年はその場を去ろうとした。・・・その時。
「・・・エルフの村で、義手を作っているそうだな」
最長老の問いに、青年は応えるまでに僅かな間を置いた。
「・・・はい。隻腕の神官が、たった一人で街道を歩いていては怪しまれます」
身体に障害を負う者が、神職の道を選ぶことは珍しくない。しかし盗賊が珍しくないこの時勢に、満足に剣も揮えない者が護衛もつけずに街道を歩いていれば、只者でないことを大声で喧伝しているようなものだ。確かに、彼の言うことは筋が通っていた。
「その為だけに、魔道技術を用いた義手が必要なのかな?」
長老の言葉は詰問ではなかった。むしろ、諭すような響きを持っていた。だから、それに対する答えを口にするまでには、先ほどよりも少し長い間を必要とした。
「・・・・・隻腕では、戦えません」
「そうか・・・」
長老は、それ以上追及しなかった。そして、ある種のいたましさをのせた視線で彼を見送り、再び両眼を閉じる。
戦う。その相手が、街道の往来の妨げとなっている盗賊のたぐいを指しているのではないことは明らかだった。
この若い竜は、まだ諦めていない。

***

魔竜王ガーヴと相撃つかたちで滅んだ水竜王の記憶。それが激烈な死闘が生んだ空間の歪みの中にエネルギー体のようなかたちで残存し、そこへ到る道が竜たちの峰にある。今となってはその知識がいたらぬ人間の手に渡らないよう管理し守るのが、彼ら水竜王に仕えた黄金竜族の、ただひとつの使命のようなものであった。
異界黙示録クレアバイブル。人界ではそう呼ばれているらしい。
実際には竜たちの峰よりほかにもいくつかの出入り口―というより空間の歪みとの接点―があり、そこから水竜王の記憶に触れた者が不完全な写本を作っては騒動の種となっている。その接点を見つけ出し、抹消ないしは封印してまわる任に、彼は就いていた。
紙や羊皮紙に描いた文字ではない。記憶に直接触れ、感じ取るものだ。当然その場で写しが取れるようなものでもないし、解釈が僅かに異なっても後で文字として書き起こせば意味がずれてくる。元々、伝承を目的として作られたものでもなく、あくまで水竜王の記憶の無秩序な集積体でしかないのだから、そうなるのは当たり前とも言えた。それでも異界黙示録が人間の魔導士の間でもてはやされるのは、その知識があまりにも膨大で、しかも魅力的だということなのだろう。
そこの部分については、理解できなくもない。ミルガズィア自身、長老方から与えられる任をこなしながら、峰に戻るたびに足繁く通いつめていた。
それが、一部の長老からは過去への耽溺と見られていることも承知していた。凄惨な戦で回復できない傷を負った者の中には、確かにそうして異空間の中から出てこなくなった者もいる。単に迷って出られなくなった可能性も絶無ではないが。しかし、ミルガズィアは過去の記憶に縋りたいわけでも、況して厭世観にかられて世界を拒絶したいわけでもない。
さしあたって魔道技術に関し、義手を完成させるための有益な示唆となるものを探していた。
いかに強大な魔力を身に備えようと、上には上がいる。それをいやというほど思い知らされた。闇雲に魔力を振り回しても、それを上回る容量キャパシティを持った相手には通用しない。だから、戦うための技術が必要になる。
長老にも言上した。「隻腕では、戦えない」
嘘ではない。しかし失くした腕に拘ることが、必ずしもよいことだと思っているわけでもない。ただ、完膚なきまでに叩き伏せられたあとでは、立ち上がるためにはある程度明確な目標が必要だった。
竜を滅せし者ドラゴンスレイヤー。竜族を絶滅寸前に追い込んだ高位魔族を、最初にそう呼んだのが何者であったのかは定かでない。獣神官・ゼロス・・・獣王ゼラス=メタリオムがただひとり創り出した直属の部下、魔王の5人の腹心に次ぐ実力者。
あの夜、月下に佇んだのは、死そのものと見えた。・・・「死」に抗うことができるか。ミルガズィアは自問する。あれ以来、答を捜し続けているが・・・右腕の痛みが邪魔をする。
「捜しものは、みつかったかい?」
おそろしく不確かな空間に浮かぶ、神々しい光を纏う球体。その光を眼に映しながら、いつものようにひたすら魔術構成の模擬実験シュミレーションを繰り返していた彼に、すこししゃがれた、しかしひどくのんびりとした声がかけられた。
「・・・水竜王アクアロードさま・・・」
「だから、それはよしておくれと言っただろう」
球体の上に忽然と現れた、銀色の髪と紺碧の眼をしたドワーフの老婆。韜晦するにもほどがあると思うのだが、困ったことにこの姿がそれなりに気に入っているようだから始末に悪い。ミルガズィアは小さく吐息して組みかけた魔術構成を握りつぶした。
「無茶を言わないで下さい、ラグラディア様。ほかにどうお呼びしろと」
「そうは言われても・・・記憶のかけら、影法師風情が大仰な名を名乗るわけにも行かなくってね」
「ではアクア様。これ以上は譲れません」
「依怙地なところはぜんぜん直らないね、この子は」
笑いを隠そうともせず、ふわりと球体の上から降りた。世界の始まりを知る赤の竜神スィーフィード、その分身たる水竜王ラグラディアからすれば、ミルガズィアとて子供扱いである。しかしそれについては反論のしようもないから、ただ黙って先程放棄した魔術構成を最初から組みなおす。
ふと、尋ねた。
「・・・我々は、魔族に勝つことはできないのでしょうか」
「どうしてそう思う?」
「高位魔族は物質世界に実体を持ちません。顕現した高位魔族に物質世界こちらでいかに深い傷を負わせようと・・・たとえ倒したとしても、完全に滅ぼさない限り時間が経てば復活します・・・」
「・・・・“我々は、失くした腕ひとつ再生させることはできないのに”?」
瞬間、ミルガズィアの呼吸が停まる。集中が乱れて組みかけた魔術構成が再び霧消した。視線を落とし、残された左手でゆっくりと虚ろな右袖を握り締める。
「・・・済まない。由無よしないことを」
「いいえ・・・アクア様の仰るとおりですから」
右袖を握る指先の微かな震えは、関節が白くなるほどにこめられた力で打ち消された。表面は何もなかったように、ミルガズィアはみたび構成を組み始める。その様子を見守り、老婆はゆっくりと言葉を択んだ。
「・・・この世界は光と闇の狭間に生まれ、物質世界と精神世界アストラルサイドを以って表裏を成す。彼ら魔族は精神世界アストラルサイドに根ざし、お前たち黄金竜は限りなく神族にちかいが、それでも根本的には物質世界に根ざす生命だ」
「・・・はい」
「物質世界に存在することに、力はほぼ必要としない。そこに在る・・・ただそれだけ。しかし、在るがままだ。絶えず変転し続ける。石は砕かれて砂になるかもしれないが、存在し続ける。生命もまた然り。だが、アストラルサイドの生命はそうは行かぬ。・・・否、彼らを生命と位置づけるのが妥当なのかどうかも、本当のところはよく判らぬが」
不確かな空間の向こうを透かし見るように顔をあげてから、言葉を続ける。
「彼らは存在することに力を必要とする。・・・自身が自身であることを維持するために力を要する、というべきだろうね」
「自身が自身であることを維持する・・・・」
「破格の魔法許容量キャパシティは生きるための必然ともいえる。意思体である彼らにとって、変化するということが、死と同義なのだよ。自分が変わってしまうことが容認できない。だから滅びる。ゆえに、自分を変化させ得る外的なもの・・・お前 たちが日常に行使する借力系の魔法が、彼らにとっての禁忌となる」
「逆に我々は、変化し続けることを運命づけられている・・・・」
「そう・・・そして変化を続ける存在には、強大な魔力は却って邪魔になることもある。・・・変化を拒絶してしまうから」
その結果が、あの凄惨な光景ということだろう。ミルガズィアの脳裏を昔日の光景が血臭とともに甦ったが、今度は組みかけた構成を崩すことはなかった。・・・導かれるように、彼は呟いた。
「変化を拒絶することは、物質世界の生命にとっては行き詰まることと同義となる。変化を続ける存在が、根本的に変化を拒絶する存在に対抗できる方法があるとしたら・・・・」
絡まった糸が、あと少しでほどけそうな・・・・そんな感覚。
「・・・その変化を受け入れ、自らを新化・・すること・・・」
だがそれは唐突に断ち切られた。
義手を制御するための魔術構成が、組みあがったのだ。
それを察してか、老婆は莞爾として立ち上がった。
「わたしに出せるヒントはこれくらいだね。あとは宿題ということにしようか、ミルガズィア。どうやら用事ができたようだし」
何か、大切なことが理解わかりかけた気がしていた。もう少し考えてみたかったが、自身の中をすり抜けた何かはもはや追う術がない。何より、義手の魔術構成が出来上がった今、気が逸はやって集中が難しい。まだまだ修養が足りないな、と思いながら、ミルガズィアは思索を諦めた。
「ありがとうございます、アクア様。・・・ラインソードへ行ってきます」
ラインソード。エルフの工匠たちが住まう村である。

***

エルフもまた、降魔戦争で少なからず打撃を受けた種族であった。ラインソードの村も、元はといえば生き残りのエルフたちが興した比較的新しい集落であり、その住人は魔道技術を応用した細工物を得手としていた。
細工物、といっても多岐に渡る。お遊びの域を出ない魔法道具マジックアイテムから、至極一般的な護符アミュレット、武具、防具の類まで。黄金竜族とラインソードの棟梁とは以前より交流があったが、戦後にお互いの生存を確認できたのはかなり時間が経ってからのことで、エルフや竜族の時間感覚からすれば比較的最近のことであった。
エルフたちの中にも、戦いに倦んでひたすら安穏な生活を求める者から、再戦を睨んで武具、防具の開発に着手する者まで様々。その中で、ラインソードの棟梁を務めるエルフは後者の急先鋒と言えた。ゆえに、ミルガズィアの注文にも嬉々として応じてくれたものだが、義手としての駆動系はともかく、制御系に関しては困難が多く、誇り高いエルフの匠がついに降参した。結局制御のための魔術構成ソフトウェアはミルガズィア自身が組むことになり、任務の間にラインソードの村に立ち寄っては試行錯誤を繰り返すため、とりあえず義手本体が出来上がるまでにもかなり長い時間を要することとなった。
人形じんけいの時にも、竜身に戻ったときにも、形態を変化させて違和感のない操作性を保ち、しかも黄金竜族の魔法許容量キャパシティで行使する呪文に耐える。もはや補装具というより兵器というに相応しい性能を実現したが、外見的にもよくできていた。おそらく、外して見せねば義手とは判らないであろう。
制御する魔法を発動させ、初めて装着した時、棟梁は笑って言ったものである。
「お前さん、純魔族相手に白手すででどつきあいでもするつもりかね?」
そう・・できるような代物を、頼んだつもりだがな」
冗談とも本気ともつかないことを、真顔で言い放つのが、この若い竜族の困った癖だ。大概本気で言っているから怖いのだが、時々冗談であるらしいので更に困る。例によって反応リアクションに窮した棟梁が、頬を僅かに引きつらせながら話を変えた。
「時にミルガズィア、お前さんの組んだ精神世界アストラルサイドへの干渉力を変化させる機構システムだが、鎧にも応用できそうだな」
「面白いものが造れそうなら、試してもらって構わない。制御機構の組み換えが必要なら言ってくれ」
「有難い。是非造らせてくれ。・・・俺達も、今度のことで身を守る術は必要だということが身に沁みて解ったからな。この村を守りたい。そのためには、今までのようにただ受身でいては駄目だ」
「そういえば、奥方はそろそろ臨月か。家族のためにはりきるのもいいが、傍に居てやることが必要な時期だってあるだろう」
にわかに話の風向きが変わって、棟梁は冷汗三斗。
「・・・木石のようなフリして意外と細かいことに気がつく奴だな」
「やっぱりそうか。最近、剣や防具に混じってどう見ても赤ん坊のおもちゃと思しきものが工房に転がっていたからな。・・・何となく」
「ひっかけたな?」
「さて、私はそろそろおいとましよう」
棟梁が睨むのをさらりと躱し、ミルガズィアは立ち上がった。
「・・・また寄らせて貰うよ」
後日、この約束が魔律装甲ゼナファアーマー呪霊鎧リチュアルアーマーとして具現する。そしてそれらがディルス王国で実用に供されたとき、ラインソードの棟梁はミルガズィアの言葉が冗談でも修辞レトリックでもなく、掛け値なしの事実であったことを知った。

***

 降魔戦争から700年以上が過ぎていた。
異界黙示録への道・・・空間の歪みとの接点が報告されることも疎らとなり、ミルガズィアもラインソードの村に出向く以外ほとんど峰を降りることはなくなっていた。彼自身も中堅と呼ばれる世代に属する年齢となり、若い竜を鍛える役回りを負うようになっている。
その日、ミルガズィアはラインソードの村からの帰りで、峰に到る深い森の中を歩いていた。
竜の翼を以ってすれば一瞬の道程だが、竜身で空をけばおそろしく目立つ。人里離れているとはいえ、この森を抜けるまでは竜身を晒さないのが暗黙の掟であった。
「ミルガズィア様!」
茂みの向こうから、転がり出るようにして黄金色の髪をした少年が姿を現した。歳の割には上手く化けているが、ミルガズィアあたりから見るとまだまだあらが目立つ。
「何事か」
かなり慌てているようで、その若い竜はミルガズィアの前までたどり着く間にもう2回ほど転倒してから、年長者に対する礼をとった。
「・・・最長老様が、お隠れになられます」
荒れる呼吸を宥めながら、ようやくそれだけ言った。瞬間、ミルガズィアの顔から血の気が引く。
「・・・戻る。縮地ロラーザロード
咄嗟に正体を現してしまわなかっただけ、まだ自制がきいたと言えただろう。ほとんど何の前触れもなく術に巻き込まれた若い竜はその場でもう一度転倒してしまったが、起き上がったときにはもう峰へ戻っていた。
最長老は、いつもと同じように日当たりのよい崖の上に寝そべり、滝壷から上がる清爽な風を受けていた。しかしその身体はもう動かない。そればかりか、薄れかかった霧のようにその輪郭がぼんやりとしていた。
『・・・戻ったか』
その声も、目の前の竜身からではなく、何処か違う場所から聞こえてくるようであった。
「最長老様・・・」
『やれやれ、間に合わないかと思ったぞ。ミルガズィア』
「申し訳ありません」
遷位シフトが起ころうとしていた。
歳経た黄金竜の寿命が尽きるとき、時として遺骸を残さず消滅してしまうことがある。物質世界の生物の中で一番神族に親い黄金竜が、修養によって更に強大な魔力をつけることで、精神アストラル体の比率が高くなってしまった場合、物質世界での存在を維持できなくなって起こる現象であると言われる。しかし、還ってきたものがいないため本当のところはよく判っていない。最長老クラスの黄金竜でも滅多に起きることではなく、文字通りの消滅でないという証左もいまだ見出されていない。このため、概ね一般の竜たちには寿命と同義に理解されていた。
『ミルガズィア、お前を長老の一人として任ずる』
予測できた言葉だった。今まで何度となく、辞退してきたから。しかしここにきて、今までと同じ答が返せる筈もなかった。
「・・・微力を尽くします」
目の前の消えかかった竜身は微動だにしないのに、最長老が笑ったのがミルガズィアには判った。
『済まなかったな、ミルガズィア』
「・・・何でしょう」
『正直なところ・・・儂は、お前が義手を作り上げてしまったら、魔族との戦に傾くのではないかとおそれていた』
一瞬、返答ができなかった。
『だが、そうはならなかった。そして、お前はまだ諦めていない。己の力を知り、どうすればよいかを常に考え続けている』
「・・・生きるためです」
『良い。・・・それで良いのだ。お前ならば道を誤ることはあるまい』
最長老の気配が薄れていく。あるいは、それを引きとめようとしたのかもしれない。ミルガズィアは自分自身でも思いがけない言葉を口にしていた。
「・・・あなたは私を買い被っておられる。この数百年、良くも悪くも何も起こってはいないのです。この先、私があの竜を滅せし者ドラゴンスレイヤーにまみえたとき・・・私が復讐心に駆られて勝ち目のない戦いを挑むことがないとは・・・言い切れません。もしそうなってしまったら・・・」
今度こそ、竜族は絶滅の憂目を見るだろう。
『この世界に生きるものは、変わってゆけるのだよ・・・ミルガズィア。絶滅寸前まで討ち減らされた竜族に、もはや神と魔の抗争に関与できる力は残されてはいない。だが、魔の目的が世界の終焉であるなら、生存を賭けて戦わねばならぬ。それが、生きていくということなのだから。
戦うべきときは戦え。だが、それがいつなのかは、これからを生きていく者が考えなければならぬ。それはもう、年寄りの仕事ではないよ』
自分で考えろ、ということか。ミルガズィアは苦笑した。少し、気弱になったものらしい。この老いた竜は、降魔戦争で下肢の自由を失い、ほぼこの崖に座したままだったが・・・間違いなく一族の柱であった。
「・・・埒もないことを申しました」
また、最長老が笑った気がした。先程よりも気配がずいぶん薄れてしまって・・・というより、拡散したように感じる。所在は判らぬ。だが、存在する。
崖の上の竜身は、もう殆ど視認できない。眼を凝らすと、うっすらとそこに何かがあるというほどのもので、言われなければ気がつけないであろう。刻々と、それも判然としなくなる。
風が、吹いた。
最長老の気配を感じることができなくなった竜たちが、悲しげに哭いているのがミルガズィアの耳に届いた。声は谷じゅうに広がり、深く静かに峰を震わせた。
ミルガズィアが縮地ロラーザロードで連れ帰った若い竜も、人形じんけいのまま蹲って涙で顔をくしゃくしゃにしている。だが、ミルガズィアが歩き出すと、姿勢を正して長老格に対する礼をとった。
「急使、ご苦労だった。・・・驚かせてすまない」
それが先刻、何の前触れもなく呪文に巻き込んだことを指していると気づいた若い竜は、力の限り首を横に振った。
「滅相もありません。僕にも、ご教示いただければ幸いです」
「そうだな。もう少し、改良の余地があると思うが、それができたら教えよう」
「あ、有難うございます!!」
若い竜は顔を輝かせ、一礼して退がる。ミルガズィアは毬が跳ねるような勢いで坂道を駆け下る若い竜を見送って、長衣の裾から尻尾が覗いていることを忠告すべきかどうか迷った。しかし迷っている間に距離が開いてしまったため、放念することにした。
戦うべきときは戦え。だが、それがいつなのかは、これからを生きていく者が考えなければならぬ。
「・・・重いな」
滝壷からあがる心地好い風を受けながら、ミルガズィアは呟いた。

End and Beginning