INNOCENT SOUL Ⅰ

雲隠ることなく

「…あなたは本当に、今の世に古代魔法エイシェント・アーツが必要とお思いなのですか…?」
 いつものようにL-systemの運用について講義を受けていたクリスが、ふとそう漏らした。
 クリスの師にあたる人物は、答えまでに数瞬を要したが、少なくとも困惑はしていなかったようだった。
「ではクリス、在来魔法ネイティブ・マジックは今の世に必要と思うかい?」
 その答えは狡い、とクリスは思った。彼はいまだ在来魔法の何たるかさえ、師から学んでいる最中なのだ。
 とはいえ、彼は既に魔術者としては高位魔術師セオリカス・メイガスの階位にある。まだ10代半ばを過ぎたばかりだが、魔術司クラスに到達する日は遠くないとの師の折り紙付きであった。
 高位魔術師となると、本来ならもうとっくに魔術者として独り立ちするのがならいである。しかし彼は自分が歳不相応な力を身につけていると感じ、その力をコントロールするため、あえて師の元へ留まっていたのだった。
 そして修行のかたわら、古代魔法の研究をすすめる師の手伝いをしている。
 クリスの師…希代の大魔術者、魔法司レクサール=セレン。伝説の古代魔法を行使できる、現在大陸で目下のところただ一人の人物である。
 彼は言う、『古代魔法と在来魔法の違いを端的に…というか極端に言い表すなら、古代魔法は物質に依存し、在来魔法は魂に依存する』と。
 もっと明快に言うなら、古代魔法は一部の例外を除きここ…L-systemとよばれる施設の中でしか行使できないのだ。ただし施設内で得た情報を解析し得るなら、施設外環境に援用することは十分可能である。
 そしてその《一部の例外》というのが、L-systemが言うところのドールズの存在である。
 ドールズ…Dolls。システムが提示する情報に対するクリスの理解が正しいなら、彼らは人間の姿をしていながら人間ではなく、むしろシステムの一部分なのだ。ゆえに、施設外でも古代魔法を行使することができる。
 …だが、彼らは、あまりにも人間的だ。
 クリスは、それゆえに彼らを恐れていた。
「…もし、古代魔法が…」
 言いかけて、口をつぐむ。あれ・・が、部屋の外まで来ている。
「よろしいですか?」
「ああパラーシャ、済まなかったね、毎度面倒をなことを頼んでしまって…」
 手も触れず、ドアが開く。こんなものは、古代魔法のほんの一端だ。
「では、わたしはこれで」
 話が途中なのは重々承知していたが、クリスはあえてそう言い、外套を取った。
「うん、ご苦労様、クリス。今日のことは宿題ということにして、またよく考えてごらん」
「はい…では、失礼します」
 入れ違いに…あからさまに入れ違うようにして出て行くクリスを見る《パラーシャ》の目は、あまりにも困惑した人間のそれに酷似していた。…悲しみと、寂しさのないまざった困惑。あえて無視するためには、普通の感性を持った人間なら少なからず努力が必要な程の…。
 クリスがドールズに対して良い感情を持っていないことを、あのドールズは知っている。そして、それを悲しんでいる。まるで、人間のように。
 外見的には、自分といくらも歳の違わない娘。つやの良い黒い髪を短く切り揃え、衣服は外へ出るときのことを考慮して一応この国のものを着ている。…何を間違えてか男物だが。そして、深く…色の判然としない双眸はいつも優しげに笑んでいる。
 クリスが、こんな態度をとる時以外は。

 ────機械システムの一部である人間。そんな存在が、あっていいものなのか?

 クリス・クローソー=クーンツは、財力や閨閥によってではなく、おのれの才覚だけで十代にして宮廷書記官に名を連ねた。
 そして無論宮廷魔術者としても名を連ねるのだが、高位魔術師という高い霊階にありながら若年であるため、そして宮廷魔術者から忌み嫌われるレクサール=セレンの弟子であるため、こちらの中枢からは完全にはじかれているのが現状だった。
 しかし、クリス自身はそれで一向に構わないと思っている。実権のない宮廷内階級など、彼にとっては取るに足らないものであったからだ。
 彼が必要としているのは、国政に参画できる地位だった。弱い者への圧迫の上に成り立つ繁栄。そんな構造を、彼は正していきたかった。
 無位無官の隠者、それでいて当代最高の魔術者であるレクサール=セレンに師事したのは、そのための力を得んとしたからだ。
 だがクリスは、やがてこの師とも決定的にかみ合わない部分に突き当たってゆく。
 《古代魔法》の研究であった…。
「…どうした?」
 水の神殿を出て、神殿を取り囲む森の小径へ数歩踏み出したとき、クリスは木陰で濡らした手巾を額に乗せてへばっている弟弟子の姿を見つけた。
「あ、クリスさん」
 慌てて跳ね起きた拍子に、手巾が勢いよく吹っ飛ぶ。さらに慌ててそれを受け止めようとして、もう一度コケ直してしまう。全く、元気がいい。もっとも、10歳やそこらの子供はこれで当たり前なのだが。
「春神の下月に暑気あたりでもあるまい?」
「さっきパラーシャの遷移呪文でE-subsystemへ行ってきたんです。面白かったんだけど、遷移呪文の反動ってものすごく強いんですね。頭がくらくらして…」
 それはまだ遷移を司る精霊と波動を充分にあわせきれていないからだ、などとは言わない。それは本人もよく承知していることであるし、なにより無理もないことだからだ。
 この弟弟子…ナイジェルは、この年齢で既に無位魔術師の段階に到達している。師レクサールが森の外れで拾って育てたこの少年は、魔術者としての成長速度から言えば破格といわれたクリスをも凌駕する。
 当然クリス以上に過ぎた力に振り回されやすく、しかも彼の場合は実害が出るため、彼の場合はあるレベル以上の魔法を単独で行使することを師から禁じられていた。
 遷移魔法もその一つだ。
「…無茶をするなよ」
「はい!」
 屈託のない笑顔で見送る少年と別れ、クリスは再び歩きだした。
 師は彼を、光の子だという。光の領域のみに属す希有な存在だと。10代のうちに魔法司の段階へ到達するであろうと。

 ─────もあらん。
 光の子、という言葉の意味をクリスはいまだ明確には捉えきれていないが、その称号を至極もっともと思わせる資質が、彼には備わっている。
 では自分は? クリス・クローソー=クーンツは?
 その問いに、師は明確な答えを与えようとしない。謎めいた古い詩編を示してみせるのみである。

    汝 光に向かいて歩めば すなわち影を見ず
    己が身の 地へ落とす影を見よ
    そして尋け
    我らは何処いずこより来り、何処へ消ゆるかと

 師一流の謎掛けだ。師はクリスが魔術者としての階梯を極めることに頓着していないことをもう気づいているだろう。魔法を手段と割り切っていることも。やがて魔法司の段階まで昇り詰めるであろうナイジェルを羨むような気持ちはないことも。

 ──────では、自分は何を望まれているのだろう。

「…気を悪くしないでほしい。元来確かに人当たりがいい子って訳でもないが、決して悪意があってのことではないんだ。ただ…ちょっと戸惑っているらしくてね」
 レクサールはそう苦笑して操作卓コンソールを開いた。
「無理もないことです。ナイジェルのようにものごころついた頃から一緒にいるのでもなければ、私のデータを知ったうえで普通に接しようというのはまず困難でしょう。それだけに、あなたの存在は驚異です…レクサール」
「おいおい、それは随分つれないじゃないか…?」
 今度の笑いに先刻のような苦さはない。
「私は人より少しだけ割り切りがいいだけさ。私は単に小難しいことを考えるとすぐに混乱するタチでね。…君は君だ、パラーシャ。私をたすけてくれる、貴重な存在だよ。それで充分さ。…で、どうだい。E-subsystemは稼働までにどれくらいかかるかな」
「補修プログラムを起動しました。稼働可能になったら通信が入ります」
「ありがとう。これでユートラップ東部がすこし把握しやすくなるな」
「速度で1.44倍、最大精度が256ポイント上がることになります」
 レクサールは頷いた。
「…恐ろしいシステムだな。戦に援用すれば、相手の位置、数、陣形…すべてが筒抜けだ。これだけでも脅威だが…」
 言いかけてパラーシャの表情に気づき、おのれの迂闊さを呪う。システムの恐ろしさを一番よく知っているのはパラーシャだ。そしてその威力がいかに呪わしいものであるかということも。
 レクサールは手を止め、椅子をかえしてパラーシャへ向き直った。
「…そうさせないために君がいる。それを忘れないでくれ。君がその姿でここに在るということは、相応の意味があるんだ。
 パラーシャ、君はシステムの《心》の部分。私はそう解釈した。そしておそらく、この解釈は間違ってはいない。…いつかシステムを、心を持った人達に委ねることができるまで…一緒に守っていこう。いいね?」
 返事には、間が必要だった。
「…Yes, Lexal…」
 ようやく返した言葉は、僅かに揺れていた。
 そんな日は、いつくるか分からない。へたをすれば、数百年にわたる活動が可能なオペレーションドール・パラーシャはともかく、只人であるレクサールの寿命が先に尽きてしまう。それでも、その日の到来を心の底から願わずにいられないのだ。

 ──────しかしこの願いは脆く潰える。わずか数年後のことであった。

END AND BEGINNING   

すべての始まりの物語

2019.8.22

 L.A.W.は柳にとっていつか書いてみたいと思っていた剣と魔法の世界のきっかけをくれたように思います。魔法といっても「何でもアリ」はやはり面白くない。やはりお話にある程度の説得力を持たせるには一定の理論が必要で、実はその設定をぶち上げるのが結構楽しかったのです。(コラム「Lux Aeterna Worldにおける魔法」

 しかし実のところ、このシリーズを書いたのはプロジェクトの雲行きがかなりアヤシくなってきてからでした。あるいは陽の目をみることはないかもしれないと思いつつ、それでも書こうと思ったのは…とどのつまり、柳の基本スタンス「書きたいモノを、書けるだけ」のままに突っ走ったからなのですね。

 SS「白の審判」はゲーム中の小イベント用シナリオという面が強かったのですが、このシリーズはゲーム化というよりその世界観に厚みをつけるために書いた「読み物」です。登場するキャラクターとしてはなんだかどっかの誰かさんみたいだね~という御仁もちらほら見えますが、そこはそれ、勘繰りつつご笑覧いただければ幸い。