傷だらけになるのこと

傷だらけになるのこと

 赤ちゃんの爪というものは、紙のように薄くしかも鋭利である。たいがい気をつけて切るようにはしているが、なにせ熟睡しているときを狙ってそぉ~っと切るわけだからなかなかに捗らない。しかし、そんなことは本人お構いなし。お目覚め一発「ばりばりばり」とおでこやほっぺたを撫で回すものだから、男前が台無しである。
 おまけに治りきらないうぶせ1の上を引っ掻くのだから被害は甚大。何とかしなければと思っていたところへ、旦那がどこからか「ガーゼで手袋をつくってはめてやるといい」という話を聞きつけてきたものだから、早速試してみた。(殊更に「ガーゼ」なのはしゃぶっても大丈夫なように、ということらしい)
 言ってみればガーゼ製ミトンだから、多少の余裕は持たせてあるもののみっちゃんのおててはドラえもん状態になるわけである。最初は焦れたりもしたが、寝入ったところをかぶせることで問題はクリア。おかげさまでめっきり向こう傷が少なくなった。(完全に消えないのはみっちゃんが暴れてミトンを吹っ飛ばした上で「ばりばりばり」とやってしまうためである。器用なヤツ・・・)

 しかし。ミトンが吹っ飛ばないようにマジックテープを縫い付けてみたり、洗い替えを作ったり、いろいろと苦心してみた翌週に買い物に出たところ、赤ちゃん用のミトンが100円で投売りされていたときにはさすがにショックだった・・・(涙)

首がすわるのこと~ あるいは子守帯についての一考察

 みっちゃんも満3ヵ月を迎えた。ぼちぼち3ヵ月健診の頃合いなのだが、「首のすわったころを目安に受けてくださいね」といわれた手前、満3ヵ月だからといってあわてて受診するわけにも行かない。

 頚定3ヵ月、と教科書はいう。これを3ヶ月目にはもう首がすわってなきゃおかしい、と心配されるお母さんもおられるらしいが、実際3ヵ月でいきなりすわるものではないのである。
 柳も一応co-medical2の端くれであるからには、首のすわりをみる検査法を習うには習った。しかし就職後はまったく畑違いにいるものだから、恥ずかしながらきれいさっぱり返上してしまったのである。およそ何年ぶりかで教科書をひっくり返したり、拙い記憶を発掘しつつみっちゃんの反応を見た結果、「どーにもまだ完全にはすわってないな」と思いながらも3ヵ月半で受診に踏み切ったのは、保健センターでもらった健診票の「該当月に受診できなかった場合はご連絡ください」という注意書きに背中を押されてしまったからである。

 かくて、小児科のお医者さんから「完全にはすわってないけど月齢相応ですね」といわれ、「7ヶ月健診はおすわりができるようになってからでいいですよ」とクギを刺されて赤面する羽目になる。7ヶ月健診は、日が過ぎようと月が変わろうと完全におすわりができてから受診しようと心に誓った柳であった。

 それはさておき、首がすわってくるとだっこはもとよりおんぶが安心してできるようになる。

 いわゆる「子守帯」という代物も各社いろいろ出ているようだが、昔ながらの形態の子守帯は少ないようである。かく言う柳、「首すわり前の横だっこ、すわってからの縦だっこ、おんぶの3wayで使える!」というのがウリのア@プ△カ製品を通販で求めたのだが、大して変わらないシロモノが約半値で売られていたときのショックは半端ではなかった3。ベビー用品は慌てて買うものではないといういい見本である。
 その上、これが意外と使えない。横だっこはみっちゃんが嫌がる(<窮屈らしい)し、縦だっこはともかくおんぶはこっちが苦しくて連れ歩くどころはない。挙句ばぁちゃんズ(<祖母&曽祖母)からは「子守半纏が着せられない」とクレームぼろぼろ。子守半纏云々はさておき、背負ってやることもできぬでは今後に差支えるので頭をひねっていたところ、業を煮やしたばぁちゃんズが遂に昔ながらの子守帯を捜し出してきた。(<やっぱり柳が購入したものの約半値であった・・・(泣))
 最終的にはこれが一番使い勝手がよかった。これまでみっちゃんが完全に寝入るまで家事が手につかなかったが、かくも大時代的な、しかし最も有益なツールの登場で「子守しつつ家事」ということが可能になった。つくづく、昔の人は偉かったのである。

哺乳瓶に挑戦のこと

 年明けから柳が復職するため、みっちゃんは少しずつ哺乳瓶からお乳を飲む練習をはじめている。
 今までが完全に母乳onlyだったので、哺乳瓶はみっちゃんにとってまさに未知のもの。吸うにも勝手が違うらしい。
 哺乳瓶の中身は母乳(<要するに搾って凍結しておくのである)4なのだが、出産前に買っておいた哺乳瓶では乳首の孔が小さいらしく(<Sだからあたりまえ)「一生懸命吸ってるのに出ないぞ!」とばかりに癇癪を起こす始末。なめてはみるものの、舌で乳首を押し出してしまう。楊枝で乳首の孔をひろげてみたり、違うメーカーのものに取り替えてみたりもしたが、どうも結果が芳しくない。

 そこで、再びエキスパート5にご登場願った。
 最初こそ乳首が逃げてしまって舌で押し出してしまっているようにも見えたが、深く咥えられるよう哺乳瓶をしっかりホールドしてやると、ものの見事に全量摂取。曰く、「赤ちゃんは舌で乳首を巻き込みながら搾って飲んでるから、乳首が逃げると舌で押し出したように見える」とのこと。最初から人工乳首で馴らしていれば別だが、お乳を飲むにもそれなりの要領が必要らしい。赤ちゃんには赤ちゃんの苦労があるようだ。

余談:飲ませられない苦労について

2019.12.3

 哺乳瓶つながりで18年目の追記。今だから言えるオハナシについて少々。
 母親がついて母乳を飲ませられる間は実にラクでいいのだが、その母親が仕事に出始めるとなると、赤ちゃんは人工乳にするとしても母親は別の苦労がある。
 乳が張るのだ。
 飲ませる間は飲ませるだけ出る。よくできたものである(ただし水分補給は必須。水分が足りないとお乳の出は当然悪くなる)。しかし、赤ちゃんが吸ってくれなくなるとさぁ大変。飲んで貰えないお乳は当然乳房の中に溜まる…これがオソロシク痛い。だから復職して暫く、昼休み時間にはせっせとお乳を搾らねばならなかった。場所の確保6もさることながら、お乳を搾るための道具7を職場に毎日抱えて行かねばならない。搾ったお乳は凍結して赤ちゃんの為にストックせねばならないから空気が入らないように袋詰めする。準備、搾乳、後片付けで昼休みなんぞ吹っ飛んでしまう。
 オマケに夕方にはまた張ってくるから、職場帰りに預けた赤ちゃんを迎えに行ってまずやることといったら我が子に乳を飲ませることである。赤ちゃんも喜ぶが母親としても搾乳器で搾るよりずっと楽だ。第一痛くない。
 ようやく赤ちゃんに乳を含ませることができて、張った胸が楽になるのを感じながら…あーきっと、こういうふうに愛着形成ってされるんだな~などと、小児発達とか心理学の講義を思い出したものである。
 まこと、経験にまさる学習はない。経験で学習するのは愚者ないし凡人という。賢者は歴史に学ぶそうだが…やっぱり柳は愚者なので、本で読む知識では実感を伴わなくてそれまでよくわからなかった。

 今にしてみれば、よくも乗り切ったと思う…
 だがそれもばあちゃんズの、そして旦那の支援あってのこと。実直に、たったひとりの子育てなんて頭でっかち現代人の傲慢ではないかと柳は思う。支え合う、という理念なしにやってのけようと思えば、どうしたって無理がくる。それをも乗り越える力があるという向きは良かろうが、柳如き凡人はとても耐えきれない。
 周囲まわりとの折り合いをつけつつ、皆で育てる。だからすべて思うとおりにはならない。だが、それでよいではないか。子供は人間の中で最も自然の領域に近い存在である。そんなもの、コントロールできるわけがない。理屈にはめるのは、もっと後でいい。

 改めて、今も子育てに頑張る母親諸姉に申し上げる。くれぐれも、ひとりで頑張らないで。使える人的資源は積極的に使ってください。

お風呂にはいるのこと

お風呂に入るのこと

 赤ちゃんのお風呂というのは気を遣うものである。一応入院中に沐浴指導なるものも受けてはみたが、本当にできるのかと実に不安であった。
 しかし退院してみると、家にはエキスパートが控えていた。他でもない、お祖母ちゃんたるわが母上様である。現役バリバリの看護婦で、産婦人科勤務の経験もアリ。…これは強い。同じ医療職でも小児と縁がない柳とはエライ違いで、流石の手際。昔執った杵柄とはよく言ったもんである。お陰様で随分楽をさせていただいた。

 いわゆる新生児期は、通常ベビーバス1という盥の親類のようなものを使う。臍脱3前のお腹をちゃぽちゃぽやるわけだから、大人と同じお風呂はよろしくないということらしい。(ちなみに、みっちゃんは入院中にあっさりと臍脱が済んでいた。光線治療で程よく乾燥が進んだらしい…)それだけでなく、お風呂から上がった後は臍の消毒を行う。考えてみれば新生児のお臍なんて、ついこの間まで血液の通り道だったのだ。気をつけるに越したことはない。

 ベビーバスでのお風呂は入れるほうにしてみると結構姿勢がきついのだが、幸いにもみっちゃんは存外お風呂好きであった。暴れたり泣き出したりする赤ちゃんは多いらしいが、みっちゃんは実におとなしい。いい湯だな~♪とばかりにほけーっとしていてくれるから、へたくそ柳のお風呂番でもどうにか一通り洗ってやることができた。母上いわく、「耳に水をいれさえしなきゃ大丈夫」…実に軽く言ってくれるが、素人にとってはそれが難しいのである。

 現在はベビーバスを卒業、湯舟に浸かるようになっている。支えるのも洗うのも実に楽になった。ひとつ困ると言えば、みっちゃんを洗う間ずっと浸かっていることになるのでしばしば自分のほうが茹ってしまうということか。

赤ちゃんファッション事情

ファッション事情 夏の陣

 先日おむつカバーを買い足しに出かけた時、新生児用を握ってふと考え込んでしまった。もう新生児でもないし、ひょっとしてすぐに使えなくなるのではと思ったのである。しかし、その上はもう6ヶ月サイズ。これはいくらなんでも大きいのでは、と思いながらもそちらを買ってみたら、さほどがばがばというわけでもなかったのには仰天した。
 ここから導き出せる教訓は…「乳児の衣類は大きめに買って損はなし」。ゆめ、ぴったりサイズにこだわってはいけない。赤ちゃんが大きくなるのなんて、本当にすぐなのである。

 衣類といえば、8月生まれのみっちゃんは衣類に関しては実に世話がなかった。オムツと下着一丁でも家で過ごすぶんには十分事足りるのである。腹だけは冷やさないように気をつけたが、それにしたってタオルを腹の上に巻くか掛けるかすればよい。
 柳が産前の鬱解消のために針仕事にいそしんだ結果、いわゆる短下着に相当する服は山のようにあった。お陰で汗をかこうが裾を汚そうが洗い替えにだけは不自由しなくて済んだ。「そんなに要らないよ」といわれつつも、作っておいて正解である。お世辞にも男の子用とは言い難い配色の服が半数を占めているのは…まあ、ご愛嬌ということで。

夢をみるのこと


 眠っている赤ちゃんが、誰があやすでもないのに、不意に「にこーっ」とすることがある。ばば様に言わせると「産神うぶがみ様がくすぐる」のだそうだ。どうやらうちのみっちゃんは産神様がよく面倒をみてくださるらしい。

 みっちゃんの「にこーっ」をみていると、まるで夢でも見ているように思える。勿論楽しい夢ばかりでもないようで、すやすやと気持よさそうに眠っていたかと思うと突如として泣き出すこともある。度肝を抜かれて駆け寄ると、二声三声泣いたところでそのまま寝入ってしまったが、あるいは怖い夢でも見たのかもしれない。
 またあるときは、眠ったまま口をもぐもぐさせていることもある。丁度お乳を吸う具合に断続的な動きだが、よく眠っているのでそーっとその場を離れると、これがまた突如として「うわーん!!」。
 夢の中でお乳を飲んでいたのかも知れない。しっかり飲んだはずなのに、目覚めてみると腹ペコ。「一体何なんだぁぁ!腹減ったぞぉぉぉ」という次第であろう。

 「乳児が夢を見るか」という問題は、大学のエラいセンセイがたも研究中らしいので、いずれも根拠はなく莫迦話の域を出ない。だが、想像するぶんにはなかなか楽しいものである。

ファッション事情・秋の陣

 10月ともなれば夏のように短下着とオムツ一丁というわけには行かなくなが、問題は冬場に多い「着せすぎ」である。世話をするほうとしてはとにかく風邪をひかせては大変、とついあれもこれもと着せたくなるが、かえって汗をかいて身体を冷やしてしまうこともあるらしい。なかなか難しいものである。

 夏場にあまり問題にならなかった就寝中の保温もなかなか頭が痛い。みっちゃんは気温に関係なく布団を蹴ったくってくれるので、困ったことに掛ける方がおいつかないのである。
 そこで登場するのが、いわゆる掻巻<かいまき>と呼ばれる夜着である。裾は登城できそうなほど長く、当然足先まですっぽり入るので、いかに足掻こうが決してめくれたりすっ飛んだりしない。着せた上から布団をかければ当然蹴飛ばされずに済む。出産祝いに一着頂いたものが実に便利がよかったので、洗い替えに2着ばかり作ってみた。
 裏起毛のパジャマで首周りがくたびれてしまったものが出てきたので、これをリフォームしたのである。両袖を切り落として端を三つ折で始末し、前を開いてファスナップを縫い付けただけの実にお手軽なシロモノだが、なかなかに重宝する。(余談ながら、切り落とした袖で帽子を作ってみた。なかなか笑えるファッションになったが、少々小さくて使い物にはならなかった)

 本来の掻巻は綿入れだったりするそうだが、パジャマやトレーナーなどの布地ならそれなりに着まわしもきいてお得である。柳の手作りゆえ、見てくれは威張れたものではないが、大事なのは実用性ということで(^^;;;;