腹ぼて阿蘇紀行

 悪阻があって臨月の身動き不自由な状態になるまでには一応安定期という代物があるわけであって、不肖柳もどうにかその期間に突入したらしい。そんなわけで、一泊二日の阿蘇紀行と相成った。

 それというのも母が旅行券などという代物を貰ったことに端を発する。研修旅行は柳も羨むほどあっちこっち行ったひとだが、個人旅行の計画立案などやったことがない(<そもそも、計画性とは無縁な御仁・・・)。とどのつまり、柳にお声がかかったのは態のいいツアコン代わりなのである。どうにか安定期に入ったからいいようなものの、立案時点ではまだまだ嘔吐との戦いであった。とんでもない話である。腹ぼてをツアコン代わりに酷使するかや、とツッコんだら、孫をつれてってやるんだと切り返された。つくづく、勝てない。・・・かくて涙ぐむ旦那をおっぽり出し、腹の子を含めて三人旅に赴いた次第である。(<今更だが・・・我儘を聞いてくれた旦那に感謝)

 列車の旅を選んだのは、免許持ち二人が揃って知らない道を運転するのが好きでなかったという些か間抜けな事情による。これが大いなる誤算であったことは後に知れた。阿蘇というところは、車がなければまず身動きが取れないのである(<まるで柳ん家の周囲のやうだ・・・)。仕方なく二日目はレンタカーを借りたが、道はダウンロードした地図でも十分ナビゲーションできるほど単純明快で、立往生の心配は無用であった。おまけに皆さんおっそろしく安全運転なので(<ホントに制限速度プラス10km/h)、交差点近くで殊更に減速する必要もない。見ず知らずの土地でありながら、実に快適なドライブであった。

 しかし、列車の旅も悪くない。この旅で、柳は生まれて初めてスイッチバック(折り返し型停車場)の現物にお目にかかった。豊肥本線立野駅は、我が国最大のZ型スイッチバックなのだとか。さて発進と思いきや、突然後退をはじめるので一瞬慌てたが、少々早口だが親切な車掌さんがすかさず車内放送でフォローしてくださった。(<母はといえば、西村京太郎の世界だと喜ぶ始末・・・(–;;)

 阿蘇の外輪山を越えるためには、マトモに線路を引っ張ったのではケーブルカー並の傾斜をよじ登ることになってしまう。それをクリアするための機構なのだ。よく考えたもんである。

 旅行の間というもの腹の子はいたって静かであった。安定期とはいえ、不意に吐きそうになったり腹部が張って身動きがつらくなることは決して珍しくない。列車の旅にした理由のひとつがここにあったのだが、列車はもとよりレンタカーでのドライブ中も快調であった。ききわけがいいのか単に現金なのか、俄かには判別し難いところである。