『奥さん』な生活

 目出度く産休に突入して10日余が経つ。時間が自由になるとつい、あれもこれもと欲張って用事を済ませようとし、夕刻から夜になって腰痛に呻吟するという不毛なパターンにはまりそうになるのだが、昨今ようやくペースが掴めてきた。
 下肢のむくみも腰痛も仕事に就いている時のことを思えば楽なものだが、浮腫に関して言えば運動量が減った分、症状が進んでいるような気がする(<当然と言えば当然なのであまり心配するにもあたらないが)。早朝、暑くなる前に散歩すると良いらしい。ひたすらパワフルなうちの番犬の散歩に付き合うというテもあるが、ついてけないことは明白である。まあ、のんびり夏の朝の空気を楽しんでみるのも一興か。

 朝の空模様を見ながら洗濯機をまわし、新聞広告を見て買い物の算段を立て、いつもより多少の手間をかけて食事を作る。間で掃除をしたり、柄にもなく針仕事にいそしんでみたり(<母からは「不思議なことがあるものだ」と評されたが、一応ベビー服なぞ縫っている)、花壇の草を毟り鉢植えを手入れする。臨月近い身でなければ3日で飽きそうだが、こういう生活も穏やかでいいものなのかもしれない。とかく単価を低く見積もられがちな主婦業だが、なかなかに奥深いと思う昨今である。

 血液検査で貧血とでたため(ヘモグロビンはともかく血小板が少ないらしい。それって出血傾向アリって事でわ(汗))、鉄剤の処方を受けたり、子宮口の緩み(<本来は月が満ちるまでしっかり閉じていなければならない)を指摘されたりと冷汗の材料には事欠かないが、さしあたっては平穏そのものな日常である。通常、37週目以降の分娩は正常範囲内だそうだから、月半ばにもなれば一応の入院仕度は完了しておく必要がある。渡されたリストに従って一応仕度はしたものの、いざとなるとばたつきそうな気がしてならない。

 一足先に無事に男児をご出産なさったNちゃん(おめでとうございます♪)は陣痛で丸二日呻吟なさったそうである。初産というものはえてしてそういうものらしいが、さてどうなることやら(汗)

Count Down

  労働基準法第65条の規定で、予定日から起算して6週前から産前休暇という代物が取れることになっている。1柳も6月下旬からようやく産休に突入するわけだが・・・・・あと20日足らずがひどく長い(^^;;

 それというのも、今までは吐気その他多様な不調に悩まされてなかなか身動きとれなかったのが、今度は文字通り身重なもんで動きづらいのだ。体重で言えば悪阻で落ちた分もまだ戻ってないくらいなのだが・・・まあ、想像しにくい向きは腹に5キロばかり重垂を巻きつけて一日過ごされてみるとよい。立ち仕事なんぞした日には半日経たないうちに腰痛で身動きできなくなること請け合いである。おまけに妊娠も後期になると、さすがに下肢の浮腫がでてくる。だしぬけに足が攣ることもしばしば。なかなかに難儀である。

 胎動も顕著になる。椅子に落ち着いているならいざ知らず、歩行中や仕事中は時に一瞬動作が止まってしまう。「トントン」などという可愛いものではない。強いて言語化するなら「ゴトンゴトン」あるいは「ゴロンゴロン」といったところか。実際、これほどにキョーレツな代物とは思わなかった。(<胎児が元気ということなのだから、心配するには当たらないのだが)
 但し、柳の場合腹部の張りが結構頻繁に出るので(<これ以上回数が増えるようなら投薬も考慮とおどされている・・・・)その時の胎動が特に凶悪に感じられているという事情もある。自宅なら適宜座って休むということもできるが、就業している身ではなかなかそうもいかない。こっちが冷汗たらして腹を抱えていても、男性諸氏にはのーくれている(<怠けている、の意)ようにしか見えないらしいから、身体の事よりこのほうが難儀。つくづく・・・母性保護や女性労働者の権利という概念を、戦前引きずってる世代に理解させるのは、ネコにお手を教えるようなもんである。まだまだ男女共同参画社会とやらはお題目に過ぎないことを思い知る昨今だが、チクチクと何を言われようが建前は建前として一応通用するのが今の時代の有難いところか。

 そんな具合でなかなか仕事のほうがツラくなっているので、柳としては産休突入を指折り数えて待つ次第である。あぁ、最近どうもこのページも愚痴っぽいなぁ・・・・・

腹ぼて阿蘇紀行

 悪阻があって臨月の身動き不自由な状態になるまでには一応安定期という代物があるわけであって、不肖柳もどうにかその期間に突入したらしい。そんなわけで、一泊二日の阿蘇紀行と相成った。

 それというのも母が旅行券などという代物を貰ったことに端を発する。研修旅行は柳も羨むほどあっちこっち行ったひとだが、個人旅行の計画立案などやったことがない(<そもそも、計画性とは無縁な御仁・・・)。とどのつまり、柳にお声がかかったのは態のいいツアコン代わりなのである。どうにか安定期に入ったからいいようなものの、立案時点ではまだまだ嘔吐との戦いであった。とんでもない話である。腹ぼてをツアコン代わりに酷使するかや、とツッコんだら、孫をつれてってやるんだと切り返された。つくづく、勝てない。・・・かくて涙ぐむ旦那をおっぽり出し、腹の子を含めて三人旅に赴いた次第である。(<今更だが・・・我儘を聞いてくれた旦那に感謝)

 列車の旅を選んだのは、免許持ち二人が揃って知らない道を運転するのが好きでなかったという些か間抜けな事情による。これが大いなる誤算であったことは後に知れた。阿蘇というところは、車がなければまず身動きが取れないのである(<まるで柳ん家の周囲のやうだ・・・)。仕方なく二日目はレンタカーを借りたが、道はダウンロードした地図でも十分ナビゲーションできるほど単純明快で、立往生の心配は無用であった。おまけに皆さんおっそろしく安全運転なので(<ホントに制限速度プラス10km/h)、交差点近くで殊更に減速する必要もない。見ず知らずの土地でありながら、実に快適なドライブであった。

 しかし、列車の旅も悪くない。この旅で、柳は生まれて初めてスイッチバック(折り返し型停車場)の現物にお目にかかった。豊肥本線立野駅は、我が国最大のZ型スイッチバックなのだとか。さて発進と思いきや、突然後退をはじめるので一瞬慌てたが、少々早口だが親切な車掌さんがすかさず車内放送でフォローしてくださった。(<母はといえば、西村京太郎の世界だと喜ぶ始末・・・(–;;)

 阿蘇の外輪山を越えるためには、マトモに線路を引っ張ったのではケーブルカー並の傾斜をよじ登ることになってしまう。それをクリアするための機構なのだ。よく考えたもんである。

 旅行の間というもの腹の子はいたって静かであった。安定期とはいえ、不意に吐きそうになったり腹部が張って身動きがつらくなることは決して珍しくない。列車の旅にした理由のひとつがここにあったのだが、列車はもとよりレンタカーでのドライブ中も快調であった。ききわけがいいのか単に現金なのか、俄かには判別し難いところである。