第Ⅴ章 ”Absolute Terror”


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」


『・・・何、口喧嘩しとんのや、あのふたり』
 そう思いながら、鈴原トウジは視線を電車の窓から見える夕焼けに戻した。
 誰かが、目の前に立っている気がしたのだ。
 ああ、お前か。
 その人物を認め、そう言おうとして、それが全く見たことの無い人物であるような気がして口を噤む。
『誰や、お前』
 しかしその人物は、形のよい唇を笑いの形にゆがめ、穏やかに問い返した。
『・・・本当に、分からない?』


第Ⅴ章 ”Absolute Terror”
B Part

 さながら部屋いっぱいに満たした水を、窓を打ち破って流し出した後のようである。部屋はあらかた乾いていたが、内装は剥がれ落ち、調度は何一つまったきものはない。それらをカヲルはひとかけらの感慨もない眼差しで一瞥し、身を翻した。
 ―――――ここでもない。
 いつからだろうか?アルミサエルの姿がない。
 件の部屋にはまだ存在を感じる。ならばまだアルミサエルに時は訪れていないはずだ。
 何処へ?
 彼女の存在自体にさしたる関心を持っていたわけではない。ただ、この家にいた者達は、無意識のうちにこの家とその敷地内だけを生活圏としていた。それはおそらく、一歩そこを出ればリリンの領域であることが理屈でなくして判っていたから。皆、ここから出ることを・・・言ってしまえば忌避していた。
 ここから出たのは、出入り自由であったらしいサキエルを除いては、カヲルひとりであった。・・・・これまでは。
『・・・・おそらく、私が知ってるのはほんの一部だけよ・・・・・』
 だが、その「ほんの一部」が、カヲルの知らない領域をある程度含んでいることは間違いなかった。
 カヲルはふと、件の部屋の前へ足を向けていた。
 部屋の窓が見える庭ではなく、あのカギのかかった扉の前へ。
 やり切れない隔絶感をもたらすあの扉を見ることが、カヲルは好きではなかった。だから、しばらくあの扉へは近づかなかったのである。それが何故突然足が向いたのか、カヲル自身にも説明はできなかったに違いない。
 だが。
 扉が視界に入った一瞬、違和感に眉を顰める。・・・・・近づいて、その正体に気づいた。
 ノブに巻きつけられた鎖を繋いでいた錠は、完全にはおりていなかったのだ。正確には、ひっかかっていただけと言ってよい。
 故意か、偶然か。
 カヲルはひどく緩慢な動作でその錠に触れた。ゆかしさと一緒に感じる、抵抗。絶対の禁忌を破るかのような・・・・
 錠の動きに鎖がたるみ、錠から鎖の片方が外れる。その音に思わずびくりとして、カヲルは手を離した。しかし、一方が外れた鎖は錠の重みにつられて床へと滑り落ちる。
 重い音が、カヲルの鼓膜を打つ。
 扉の下にわだかまった鎖と錠、そしてドアのノブを見つめたまま、カヲルは暫く硬直していた。
 おそらく、これは恐怖。
 それは彼自身が、この扉の奥に何が待っているかを知っているからに他ならない筈だった。
 知っている? ―――――――――何故、そして何を?
 紅瞳を見開いてドアを見つめながら、自分の鼓動が軽い頭痛すら伴って響くのを感じていた。
 自分の中の何かが、鋭い警鐘を鳴らしている。
 『開けてはいけない』と。
 しかしカヲルは、その扉に手をかけた。
「・・・・・・・――――――!!」
 さして、広くもない部屋。落ち着いた色のカーペットの上には、大小様々な硝子玉が転がっていた。それぞれ異なった色の影を落とし、あるいは陽光をはねてきらめいている。
 硝子玉の一つが、カーペットに広がった青銀の髪の間で陽を集めていた。
 低い椅子にかけ、窓枠に凭れた背中を、これも眩しいほどに陽をはねる青銀の髪が流れている。おそらく踝を越えるほどの長さを有しているであろう。
 窓にも、その下の床にも、小鳥達が思いおもいに羽根を休めていた。
 窓枠に硝子玉を並べ、また並べかえる。小鳥達が長い髪に悪戯するのへも、無邪気に笑うばかり。だが、扉の開いた音に、ゆっくりと首をかしげてこちらを見た。
 小鳥達も悪戯をやめて、一斉に彼を見る。
 頭の中が、熱い。瞬きもせずにその光景に釘付けになっていたカヲルは、緩慢に歩を進めた。
 彼女が、笑う。それが何かを得心したような笑みと見えたのは、カヲルの気の所為か。
『―――近づいてはいけない』
『―――触れてはいけない』
 頭痛とまがう程の鼓動は、あるいは警鐘か。あのサキエルが、扉に錠をおろしてまでカヲルに逢わせまいとしたその理由―――――――。
 それでもカヲルは止まらず、ゆっくりとその手を伸べた。
『―――触れてはいけない!!』
 彼女もまた、微笑んで両腕を伸べる。その指先が、カヲルの頬に触れた。
 どちらがともなく、頬を寄せる。
「――――――!!」
 瞬間、瞼の裏が紅くなり、物理的衝撃とまがうほどの大量の情報がカヲルの中に入り込む。否、入り込むというより、彼自身に生じた亀裂から溢れ出したのだ。
 カヲルがカーペットに膝をついた。低い椅子にかけた彼女と、カヲルの視点の高さが重なる。近づく、同じ紅瞳。その中に、カヲルが映っている。
 紅瞳と銀色の髪をした、15歳の子供の姿―――――。
 あのとき。サキエルが彼の裡へ封じ込めた古い記憶。
 カヲルがカヲルとして生存するためには封じておかねばならなかったもの。
 彼女アラエルは鍵。彼女の能力は心の壁を切り崩し、あらゆることをさらけ出す。ATフィールドに似て非なる可視光。
 忘れるから、皆生きていける。
 でもその仕組みすら根底から覆す危険な能力――――――。
 抑制のかからない彼女の能力は、ある程度以上のATフィールドを自在に展開できる者でなければ遮断できない。それが出来たのは、僅かな者達。ゼルエルには、それが出来なかった。
 カヲルは・・・・・無論。
 だがヒビの入った壁が衝撃を受けたとき、一番脆い部分が崩れ落ちるのだ――――――

***

『一つの仮定として・・・生命が、それ自体が存在理由ではなく、もう一段階高度な存在にとっての目的であると解釈したとき、いくつかの物事が解決する。
 ドーキンスの利己遺伝子理論を引き合いに出すまでもなく、個々の生物が一生かけて蓄積した膨大な経験情報はすべて白紙に返り、次世代に受け継がれるのは遺伝子のみであることを考えたとき、生命とはつまるところ遺伝子の乗り物に過ぎないのではないかという仮説に容易に到達することが出来るのである。
 つまり、進化とは、生命の間で起こる様々な形での遺伝子のシャッフルにより、誰かにとって「より好もしい」遺伝子(の組み合わせ)が出現する経過とも考えられるのである。
 その「誰か」、あるいは「もう一段階高度な存在」とは何者か。それについては非常に短い単語で表しうると思うのだが、これについては明記を避ける。
 問題はそれよりも、生命の進化それ自体が経過であるならば、必ず終着点があり、最終形態が存在する筈だということだ。人類は自らを以て進化の頂点、そして最終形態を任じているが、実のところその確信に根拠などない。そう信じたいだけのことなのだ。
 しかし、結果の出てしまった物事にその後の展開などあろうはずはない。人類もまた進化の途上にあるからこそ、存在を保っているのではないか?
 進化の完結した生命体が仮に存在できるとしても、それはおそらく時間と隔絶された存在であるに違いない。もはや繁殖というかたちで新たな遺伝子の組み合わせを試みる必要もなく、ただおのれを修復・複製し続ければよいのだから。
 個体という概念も通用するかどうか。必要なのはたった一つの個体であり、他者を必要としない。故に無限に近い寿命を有することもありうる。それは一体何者であろうか・・・・・?』

 榊タカミ・カーライル博士は失踪直前に自宅のHDだけでなく、職場のサーバ上に置いていたファイルにいたるまできれいさっぱり消去していた。
 加持リョウジは彼の履歴を辿るうち、彼の所属していた大学のサーバに学生時代に書いたと思われる分類不能なファイルがいくつか残っているのを偶然見つけたのだ。だが、これがまたえらく示唆的ではある。
 『無限に近い寿命を有する』『高度の複製あるいは修復能力』・・・・その資質は、『使徒』と呼ばれる者達に援用できるものだ。
 MAGIへのハッキングを試み、そしてかなり長期にわたってそれを成功させていた彼が、何を知っており、何を目的としていたのか今となっては確かめる術はない。そして技術一課の赤木博士が彼に対して抱いていた疑念もまた、彼の失踪によって宙に浮いた状態であった。
 しかし加持の興味は、それよりも何ゆえに赤木リツコが榊タカミに対して「疑念」を抱いたかということにあった。人の形をした、使徒。巨大生物兵器とでも言うべき使徒の形態を見慣れてしまった者なら、一笑に付しただろう。
 …言い出したのが、他でもない赤木リツコ博士でなくば。
 あまりにも突飛と見える疑念には、あるいは根拠があるのではないか。想定される可能性ではなく、たとえば<実例>が存在したとか。
 ――――――だが本当に<実例>が存在したとしたら? そんなものを隠しとおせるのはゼーレをおいて他にないだろう。
 それとは別に、あの一件に関する限り、リツコの態度が妙だったことも加持の勘にひっかかっていた。
 リツコが15年前の真実に一番近い者の一人であるのは確かだ。しかしそのリツコが、司令にすら内密に行動を起こしたのは何故か? 知られては困るからか? その根拠を?・・・・榊タカミはそれに近づいたから消されたのか? しかしリツコは殺すつもりではなかった筈・・・・・・。
 そもそも、司令すら知らないレベルの情報などありえない。あるとすれば、それはゼーレの領域だ。
 ゼーレは碇ゲンドウを有能と認めながらも警戒している。ゼーレが碇ゲンドウの独走を制御するために、ジョーカーを隠し持っていたとしたら?

 まさか。
 そんなものがあるのなら、ゼーレがあえて自分のような人間を使うだろうか?
 伝言をいれて受話器を置いたあと、公衆電話がやかましい電子音とともにTELカードを吐き出すのを漫然と見ていた。

 UN NERV   RYOJI KAJI

 ネームの入った赤いTELカードを抜き取る。NERVマークを反転させた、まがまがしい赤。
 真実か。あともう少し時間があれば――――――。
「最後の仕事か。・・・・・・まるで血の色だな」
 おそらくは、今度で用済みということだろう。二重ダブルスパイの末路はお定まりとはいえ・・・・・・・。

 伝言を聞いたら、彼女は怒るだろうか・・・・・?

第Ⅴ章 ”Absolute Terror”