Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」


 特務機関NERV作戦部長・葛城ミサト一尉が、退勤途中で買い物のためにアルピーヌ・ルノーを降りた時のことだ。
 向かいのカフェに知人の姿を見た気がして振り返ると、やはりリツコだった。
「あれま、珍しいこともあるもんね」
 リツコは一人ではなかった。なんと男と一緒だ。
 白っぽいスタンドカラーのシャツと、地味な色のスラックス。さてはリツコと同じ畑の人間だな、というのは容易に想像がつく。上からはおるなら白衣しかないだろう。
 こころもちむこうを向いているので、顔までは分からない。しかし、妙な感じにとらわれてミサトは首を捻った。
 ――――――あれ?知ってる人だっけ?


intermezzo.Ⅰ
生存者たち

「リーツコ!珍しいじゃない」
 不意に後ろから肩を叩かれ、リツコは振り返った。これほど遠慮会釈のない声のかけようをする者が、他にいるはずもない。
「あらミサト。買い物?」
「まぁねん♪ シンジ君ばっかりに負担かけらんないし。それよかリツコ、今の誰?」
 無論、ついぞ30秒前にレシートを持って席を立った人物のことである。露骨に興味深々といった表情のミサト。しかし、リツコはこの程度で動じはしない。
「ああ、彼? M.B.C.I.の技術者よ。プリブノーボックスのことで、ちょっとね」
「・・・ってぇのは最初だけでしょ?あんたがこんなとこでプリブノーボックスの話なんかするわけないじゃない」
 EVAは最高機密だ。関連部品材質の話とはいえ、こんな街中のカフェでしていい訳がない。
 リツコはいかにも面倒だといわんばかりに脱色した前髪をかきやった。
「・・・昔話よ。ミサトも知ってるでしょ。榊君よ。彼。気がつかなかった?」
「・・ さかきぃ・・・?」
 ミサトは暫く頭の中の人名帳をひっくり返していたが、リツコの言う”昔話”でようやく思い至った。
「あぁ榊!! 榊タカミ・カーライル!? っと、今は博士だっけ。彼、M.B.C.I.なんかにいたの!?」
「そうよ。いっそのことNERVに欲しいくらいの人材だけどね。宮仕えがいやなんですって」
「はあ、宮仕えねぇ。そんな偉いもんかしらん」
 国際公務員という職を、いわゆる公僕としては理解していない葛城一尉だった。
「それにしても・・・・大学以来だっけ。なんだか随分印象かわっちゃったんじゃない?」
「そう? 私は仕事の関係上、時々顔は合わせてたから・・・何とも思わなかったわ」
「ま、あたしは結局、リツコを通しての知り合いって感じだったし・・・。会ったことがあるったって、ほんの数回だもの。思い違いかもね」
 そう言いつつ、アイスコーヒーを啜るミサト。いつの間に注文したものやら。
「・・・まあ、ミサトの指摘が当たってるかもしれないわ。彼、一時はSI症候群の最重度例だった訳だし。ミサトと違ってまだ、医療機関と縁が切れないみたいよ」
 初めて、ミサト表情が冷える。SI症候群・・・・Second Impact Symdrome.その最重度症例。他でもない、葛城ミサ ト本人がそうだった。
 西暦2000年9月13日に南極圏にいて、かつ生存した者に起きた後遺障害。それがSI症候群の定義である。広義には、セカンドインパクト後の天変地異や内戦が原因と思われる、心理面と深い相関の見られる内部障害を指す。
 しかし狭義のSI症候群はほんの数例しか存在しない。葛城ミサト、および榊タカミはその希少な症例だった。
 無論、当時はお互い一面識もあるわけではなく、後日たまたま赤木リツコを介して知り合う機会を得たのだったが・・・。
 確か同い年のはずだが、飛び級だか大検だったかで大学は一期上だった、日英クォーター。色白で端正な顔立ちだったように記憶している。教授連期待の秀才だとの噂だったが、少しも偉ぶったところがなく、逆に言えばちょっと  影の薄い印象が拭えなかったが・・・・・。

***

 M.B.C.I.・・・本栖バイオケミカルインダストリー社。第3新東京市、ひいてはジオフロント、NERV本部の建設にも関わる複合会社である。元は製薬会社かなにかだったらしいが、現在は経営陣が総入れ替えとなった後、株のほとんどをNERV上層部が所有しているという。
 それもその筈、M.B.C.I.はEVAにかかわる部品の数々を受注生産する会社なのだ。NERVの出先、といっても差し支えはない。事実、あるクラス以上のM.B.C.I.社員はNERVのIDを持っている。
 榊タカミもまた、そんな中の一人だった。
 ミサトが榊と再会する機会は、意外と早くやってきた。シュミレーションプラグの実験場の壁面に使う材質について、詰めの話し合いをするためにM.B.C.I.の技術者数人が本部に来たのである。その中に榊も入っていた。
 タンパク壁の劣化防止は切実な問題だった。EVA関係のセクションはどうしても水に漬かることが多くなる。それでいて、雑菌をはびこらせるわけにはいかないのだ。条件が厳しいことは分かっている。それでもなおかつ完全を期することを要求されるのだから、使う方も作る方も必死だ・・・とはリツコの弁で、実のところミサトには畑が違い過ぎてよくわからない、というのが本音である。
 かくて、ロビーで待っていたミサトの前に現れたリツコは、討論の真っ最中であった。相手は無論、連れの榊である。
「・・・なぁんか大変ねぇ・・・・」
 そう言いながら立ち上がったミサトを認め、肩をすくめて見せるリツコ。
「でもねえ、私たちがどれだけ一生懸命やっても、肝心の施工段階で気泡がぼろぼろはいっちゃうんだもの。やってられないわよ」
「”使徒”が現れてからの工事なんか、目を覆うばかりだよ。工期の圧縮も問題だと思うね」
「そういうことは総務部へ言って頂戴」
 使徒が現れる度、施設を傷モノにして工期圧縮の遠因を作っている作戦部長としては、ひたすら耳が痒かった。
「久しぶり・・・葛城さん、元気でした?」
 榊が穏やかに笑み、右手を差し出した。薄く色の入ったシルバーフレームの眼鏡は、昔はかけていなかった。そうか、とミサトは思った。その瞳の印象だ。
 笑顔につられるようにしてミサトも右手を差し出す。
「憶えててくれたの?」
「それはもう。あの日、あの南極で生き残った者同士、もはや他人とは思えないね・・・・・なんて言うと、君の恋人に睨まれるかな」
 リツコが笑う。加持の件はリツコが洩らすまでもなく、周知の事実だった。
「あーのーねー!!もうあいつとは何の関係もないの!!」
 むきになるミサトを見て、榊は嫌味のない笑いをした。
 その眸は、生きている。
 昔・・・・まだ大学にいた頃。リツコを通じて紹介された「榊タカミ・カーライル」という名の人物は、ミサトが5年前はこうだったろうか、というような瞳をしていた。
 だからこそ、好きになれなかった。5年前の自分と向き合うようで。

***

「へえ・・・じゃあ、セカンドインパクトの時はお母さんについて?」
 ジオフロント内の、とあるバー。
 抑えめの照明は、ガラスの向こう・・・闇の中に林立するビル群を青く浮き立たせている。ジャズ系のピアノが低く流れて、取り留めのない話をするにはいい環境だった。
「母が鳥類学者でね。フィールドワークによく連れていってくれていたんだ。何ともカッ翔んだひとだったけど・・・・さすがにあの天変地異ではね」
 無論、あの日に亡くなったのだろう。そんなことまで訊きはしないが。
「ジュリア・カーライル博士といえば、極地の渡り鳥の研究では第一人者だったのよね」
 これはリツコ。博識もここまでくればイヤミである。
「これ以上ないってくらい影響されちゃってね。今でも鳥は好きだよ。暇があれば出かけて観る事もあるけど、最近はダメだね、忙しくて」
「でも、だいぶ生態系が戻ってるって言うし・・・ここら辺でも結構いるんじゃないの?」
「はは、それがね。お天道様が空にあるうちに出歩ける生活をしてないのさ。へたすりゃ一週間丸々研究所から出られない時だってあるしね」
「何処も同じよねぇ~」
 頷くミサト。使徒が現れてからの多忙さを考えたら、全く他人事ではない。
「さてと。じゃ、そろそろおいとまするよ。明日からまた例の素材の耐久テスト、追試が始まるし、たまには家に帰って 寝ないとね。マンションがゴミと洗濯物だらけの廃屋みたいになっても困るし・・・・・・」
吹き出すリツコと、笑いが引きつるミサト。実際、家庭管理能力に長けた被保護者がいなければ、ミサトとて今ごろ廃屋住まいである。
 榊が去った後、ミサトは呟くように言った。
「やっぱ彼、変わったわよ。目が生きてるもの」
「そうかもね。あれから10年近い年月が経ってる訳だもの。人も変わるわ。まあ、年月だけが人を変える訳ではないけれど・・・・」
「全っ然・・・・かわんない奴もいるけどね・・・・」

***

 榊タカミは、マンションのエレベータの壁に凭れて深く息を吐いた。
 自分の部屋がある階までの、数秒。
 エレベータが止まる。扉が開ききってようやく、目を開けた。
 廊下を数歩踏み出して、立ち止まる。
 自分の部屋の前に、客がいた。
 中学校の制服。それとはあまりにも不釣り合いな、銀の髪。そして紅瞳。
 彼は、凭れていたフェンスから背を離してこちらを向いた。

 「Dr.榊 タカミ・カーライル?」