Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」


 それでも鼓動は、また動き出す。


intermezzo.Ⅲ
“Prologue de Refrain”

 EVA参号機の頸部に、初号機の手がかかっている。
初号機の手を引き離そうと、もがく参号機。奇怪な苦鳴。
『父さん、やめて!やめさせて!!』
シンジの握るインダクションレバーの動きに、初号機はついてきてくれない。それどころか、なおも参号機の頸部を締め上げてゆく。

『人が・・・僕らと同じくらいの子供が・・・・』
シンジは半狂乱になって叫んだ。
『やめてよぉぉっっ!! トウジが死んじゃうよっ!!』
叫びは報われない。嫌な音がして、参号機の頸部が奇怪な方向へねじ曲がった。数秒遅れて、参号機の両腕がだらんと落ちる。
『やめて――――――――――!!』
血塗れの肉塊にかわってゆく参号機。そうしているのはシンジの両手。血に汚れた―――――。
握り潰されたエントリープラグ。助け出されたトウジの左足は、完全に挫滅していた。
駆け寄ろうとしたシンジは、泥濘ぬかるみに足を取られて転倒した。
泥濘の中から立ち上がったシンジの服は、真紅に染め替えられている。
シンジの喉が、壊れた笛のような音を立てた。
血の泥濘。シンジが躓いたのは、ハイカットのスニーカー。血に染まった制服に包まれた白い身体には、頭部がなかった。
声にならない声を発して、シンジはそこを飛び退いた。足は縺れ、背中からまた血の泥濘の中へ倒れ込んでしまう。
そのとき、シンジの頬に柔らかい何かが触れた。
柔らかな、銀色の髪。
シンジはもはや、声も出なかった。
それは彼が殺した少年の頭部。
白い貌に、唇と、頬を汚す血の色ばかりが紅い。
その唇がゆっくりと笑みの形をとり、こころもち青ざめた瞼が開かれる。
―――――――そして、あの時と同じように微笑むのだ・・・・・・・・

***

「うわぁぁぁぁぁ――――っ!!」
ミサトは自室でデスクについたまま、シンジの部屋から聞こえる今夜何度目かの絶叫をやりきれない気持ちで聞いていた。
起きている時は一見平静とさえ見える。それは沈黙を装った茫然。夜が訪れるたびに、眠りに落ちるたびに、彼の苦しみはリフレインされる。
そして、ミサトにできることは何もなかった。
『・・・違うわ。生き残るのは、生きる意志を持った者だけよ。彼は死を望んだ。生きる意志を放棄して、見せかけの希望に縋ったのよ。・・・・シンジ君は悪くないわ』
あるいは、シンジを弁護しようとしたのかもしれない。だが、それは常に彼女の裡にある、偽らざる言葉でもあった。
第17使徒とされたあの少年。自らの死を願い、そしてその遂行をシンジに求めた。シンジは逡巡の末、それを叶えた・・・・・。
第15使徒の件以来、使徒が人間の思考を理解しうるのではないかという議論が、出るには出ていた。だが今回のように露骨に人型の使徒に出現されれば、これはもう人間に類似したメンタリティの存在を疑うわけにはいかない。
何のゆえあって、彼は自らの死を願ったのか。
そこには人が死を選ぶときに似た・・・心的危機が存在したのだろうか?
ミサトは頭を振った。・・・今こんなことを考えても、感傷にしかならない。確かに最後の使徒は消えた。だが、ある意味で使徒よりも始末に悪い難物が控えているのだ。
――――――人類補完委員会・・・否、ゼーレと云うべきか。
加持が遺した「真実の一部」の中には、加持が――おそらくは時間的制約によって――手をつけられなかったと思える手掛かりも含まれていた。
ミサトは車のキーをとり、ジャケットを羽織った。出がけにふとシンジの部屋の前で足が止まる。
『・・・冷たいね、ミサトさん』
シンジの言葉はもっともだと思う。だがおそらくは、自分が百も千もの慰めの言葉を並べたとしても、シンジは決して救われることはないだろう。
生き残るのは、生きる意志を持った者だけ。最後に自分自身を救いうるのは、結局自分自身なのだ。状況がどうあれ、そのための決断を自分でしてしまった以上、結果は自分で受け止めるしかない・・・・。

 生きる意志のある限りは、進み続けなければ。

 もう一度キーを握りしめ、ミサトは玄関へ出た。

***

 ・・・・・シンジはまだ、闇の中にいた。
シンジは起き上がり、荒れた自分の手を見つめた。
どれだけ洗っても、血の匂いが取れない。あの感触が消えない。
あの後、狂ったように手を洗い続け、ミサトに両手をはたかれるまで自分でそれを意識することさえ出来なかった。
はたかれた痛みで我に返り、消毒剤の過剰使用ですっかり皮膚を荒らしていることに初めて気づいた。
薬を塗られ、また同じ事を繰り返すのを防ぐ意味で巻かれた包帯を解いて貰えたのはつい昨日のことであった。
暫くそうして両手を見つめていたが、また不意にベッドに伏せる。すべてを閉ざすように・・・・。

***

 暗く、冷えきったその空間の一隅で、苦しげな呼吸が低く続いていた。
暗がりに視覚の慣れた者は、巨大な水槽の存在に気づいたかもしれない。
そして、その水槽の中に漂うモノの、おぼろな形を知り得たかも。
かつて、ヒトの形をしていたもの。
苦しげな呼吸・・・呼吸そのものは深くゆったりしているが、ともすれば切迫しそうな呼吸を、意志の力でコントロールしているようにも聞こえる。
非常灯の淡い光をはねるのは、銀色の髪。
脇腹には酷い切創。まだ塞がるどころか押さえる指の間から紅いものが染み出していた。
闇の中に浮かび上がる、炯々たる双眸。放つ光は、まだその色彩を定めてはいない。
彼は、粗い壁に縋るようにしてゆっくりと立ち上がった。そのシルエットは長身だが、まだまだ少年と言われる年代と見えた。
すこし呼吸を詰める。傷口を押さえた手が淡く発光した。
それは、この暗闇でなければ分からなかったであろうほどに弱いものだった。しかし、その光がおさまったとき、指の間から染み出す流れが止まった。
痛み。これが痛み。身体が感じる苦痛。危険信号。
彼は脇腹を押さえていた掌を、指にまとわりつく紅を、不思議なもののようにみつめた。
いたみ、という感覚・・・・・・・・。
それはかつて、確かに味わった筈の感覚。だが、今の彼にとっては妙な違和感を伴うものだった。
何故?
当然だ。そんな記憶などあるはずがないのだから・・・。
違う、確かに自分は・・・・・。
軽い混乱。自分?自分とは誰? あるいは何?・・・・そんな問を続けようとする彼を、ふとあるものが醒めさせる。
暗い硝子。その向こうでこちらを見ている者。
最初、水槽の中のモノかと思った。
しかし、それは違った。似ていても、違う。そこに映っているのは自分。かつて水槽の中のモノと同じであったかもしれない。だが、今は別の存在。
ゆっくりと、硝子に触れる。
色彩の定まらなかった眸が、その時、不意に希少な緑柱石の光を放つ。
「・・・・・そうだ、僕だ」

***

 初号機の右手についた紅が、頭から離れない。
綾波レイは、廃屋と見紛うアパートの一室に閉じこもったまま、言い知れない不安に揺られていた。
『君は僕と同じだね』
謎めいた言葉と、向けられた微笑。
第17使徒と呼ばれた者は、あのターミナルドグマで、初号機の掌に捕らえられたまま・・・確かに自分を見た。
まるで、レイがあそこへ来ることが分かっていたかのように。
そして穏やかに微笑み、最後の瞬間を受け容れた。
――――――――――あなたは誰。私を自分と同じだと言う、あなたは誰。
レイの問いに、彼が口を開くことはついになかった。
その沈黙が、なぜかレイ自身がもうその答えを知っているからだという気がして、怖かった。だが、その答えを探し当てなければならないという奇妙な衝動もまた確かに存在したのだ。
事実、ターミナルドグマで彼が微笑みかけたとき、何かが分かりかけた気がした。それは答えではないのかも知れない。でも、とても重要な何か・・・・。
もどかしくそれを探す。手掛かりが消えてしまうことを、心のどこかで恐れながら。だが、「使徒は殲滅するもの」という認識が、彼女に手出しをさせなかった。

 ―――――――レイは、その瞬間を見届けた。
銀と紅に彩られたものが、LCLの海へ波紋を描いて没する様も。
その凄惨な光景に、以前の彼女なら何の感慨を持つこともなかっただろう。だが何かが断ち切られたような感じに、彼女は自分の裡に生まれようとしている何かに気づいた。
窓の外で、薄い雲を被った月が、冷たく光っている。

***

 鈴原トウジは、曖昧な記憶を懸命に手繰っていた。
『何でや・・・・・俺は、あいつを知っとるで・・・・・!?』
渚カヲルを名乗ったフィフスチルドレンとは初対面であったはずだった。だが、確かに会ったことがある。・・・話したこともある。
いけすかない奴。
その印象すら、記憶にある。
何故?
三号機の事故以来、体調がおかしい。片足を切断したのだから当たり前だと思っていた。でも、何かが違う・・・
意味深長な微笑をうかべたフィフスチルドレン。彼は何か知っているのか?

***

 赤城リツコ博士は、独房の中で漫然と闇を見ていた。
裁きの天使は、ヒトを裁かなかった。
生きてのたうち回れと言うがごとく。・・・あるいはそれも裁きなのか?
彼女の頬から、涙痕が消えていた。