約束の刻 第五夜


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「Promised Night」

 この付近に療養所などなく、無論そこに渚カヲルという少年がいたという事実もない。
 それどころか、ここが林間学校であったのも、はるか20年近く前の話。
 管理記録を調べていて、ミサト達が突き当たった事実はそれであった。
「じゃあ、一体何なの、ここは!? あの子は誰だったの!?」
「最後の記録を見て。・・・・・ここは、ある研究所に接収されてるの。山の奥で、人目を憚る実験をするには絶好のロケーションだったのね。・・・・迂闊だったわ・・・」
「リツコ! あんた何を知ってるのよ!?」
「・・・外の空気でも吸ってくるわ。こう長いこと建物の中じゃ、息が詰まるし・・・」
「リツコ!!」


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「Promised Night」
約束のとき 第五夜

 気がつくと、シンジは闇より他は何もない空間を漂っていた。
「怪我はさせていないつもりよ。ちょっと混乱はあると思うけど。何ならしばらくついてあげれば?」
 少し大人びた声が、そう告げて消えた。
 ふわりと、温かい感触。誰かの腕・・・・?
「・・・綾波?」
 匂い? いや、そんなものではない・・・・もっと直感的な何かかが、シンジにそう言わせた。
 月が姿を現すように、闇の中からレイの姿が浮かび上がる。
「ここは何処? 僕は、死んでしまったの・・・・?」
「そんなことはさせないわ」
 優しい、だが確固とした言葉。
「もうすぐ、みんな終わるわ。それまで、ここで待っていて」

***

 リツコは、校舎一階の東端・・・理科室の前に来ていた。
 鍵は、あの少年が置いていっている。鍵穴に差し込み、捻る。10年近く開けてないにしては軽いものだ。
 ひんやりとした空気と、嗅ぎ慣れた薬品臭が彼女を包む。
 教壇側の続き部屋は、理科準備室。軋る扉を開く。彼女が想像していた通りのものが、そこにあった。
 それだけ確かめれば十分。忌まわしい扉を閉じ、彼女は古びた机と椅子の間をゆっくりと歩き始めた。
 戸棚の実験器具は、20世紀末の小学校にはありきたりのものだった。当然だ。あの時使われた器具は、一つ残らず運び出されている筈だから。
 そして、あの子達だけが残ったのだ・・・・。
 リツコはノートパソコンをその古びた机の一つに置き、軋る椅子の一つをひいて座った。
 彼女は簡易エディタを起動し、何かを打ち込んでいた。そう長いことはかからない。
 ややあって、打ち込みを終えた彼女はディスプレイを閉じた。
 再び、月だけの明かりに戻る。
 ふと気づくと、教壇と反対側の壁に、大きな鏡があった。
 まだここが小学校として使われていた時からあるものであろう。周囲は錆ついていたが、まだまだ綺麗なものだ。
 疲れた顔が、こっちを見ている。
 苦笑し、視線を逸らしかけたとき、彼女の肩にするりと白い腕が回った。
「やっぱり、あなただったのね。・・・・嘘吐うそつきさん」
 鏡越しに、彼女はその白い腕の持ち主を見た。
「はは、ごめん」
 カヲルは笑った。
「でもあなた、やっぱり憶えていてくれたんだ」
「あの噂、本当だったのね。約束の刻が・・・・来たの・・・・?」
「そうだよ・・・」
「許してなんて言えないわね。今更どんな償いもできないことを、私たちはやってしまった・・・・。そしてまた、同胞すら踏み台にする醜い行為が、今行われようとしているのね、あなたたちの目の前で・・・・」
「・・・僕たちは、レイを取り戻したいだけなんだ・・・・・」
 リツコは目を閉じ、深く吐息した。
「殺したいなら殺して。いいえ、そうしてくれると嬉しい・・・」
 カヲルは、困ったような、悲しげな表情をした。
「あなたの目はいつも悲しみを湛えていた。苦しんでいた。罪を罪と知るがゆえに。・・・・・それだけで十分だよ。逆らえる立場に、あなたはなかったんだ」
「・・・それは免罪符にはならないわね・・・私一人で数が足りるものなら、私一人で済ませてほしかったわ。ミサト達は、何も知らないのに」
「これだけは信じて。・・・あなたたちを苦しめたり、怖がらせたりするつもりなんかなかったんだ。・・・だから・・・」
「・・・・だから、あなたが来てくれたの?」
 暫時の、沈黙があった。
「・・・・・・・・・・・・・・・ごめんね・・・・」
 閉じたままのリツコの目許から、水滴が零れ落ちる。
「ありがとう・・・・・・さよなら、優しい嘘吐きさん」
 カヲルの腕の中で、リツコの身体が黄色い液体に変わる。カヲルの手の中には、菱形のピアスだけが残った。
 ややあって、リツコがいた空間から、針の先程の紅い光が現れる。ゆっくりと成長し、やがて掌ほどの大きさになったそれを、カヲルは大事に抱きしめた。

***

 カギの開いた理科室で、リツコの衣服とサスペンド状態のノートパソコンを見つけたとき、ミサトをはじめ、皆言葉を持たなかった。
 残ったのは3人。ミサトと、日向、そしてアスカ。
 アスカ。気丈な子だ。泣き喚いても決して恥にはならない年代なのに。
「・・・葛城さん、これ」
 日向はノートパソコンのディスプレイを起こし、サスペンドを解除した。現れた画面には、デスクトップのひどく目立つ位置に、一つのテキストファイルへのショートカットが張りつけられていた。
「・・・・・なに・・・・?」
 アイコンをクリックする。現れたテキストにざっと目を通したミサトは、椅子を蹴って立ち上がった。
「何・・・・何なのよ、これは!?」
 声が上ずっている。あわてて日向もそれにかじりついた。いくらも読まないうちから顔が青ざめてゆく。だが、ミサトが一人で出ていってしまったことに気づくと、慌てて追いかけた。
 一人残されたアスカが、泰然と椅子にかけ、ファイルを最初から読み始める。
「・・・ふん、二人単位で動いたってどうにもならなかったじゃない。いまさらじたばたしないわよ・・・・」

***

「莫迦にしてるわ!! 私達をなんだと思ってるのよ!?」
 ミサトは怒りに任せて渡り廊下の側面を覆うトタンの一枚を蹴破った。
 全て仕組まれていた。この合宿も、場所も、メンバーさえも。
 15年前、ここで17の命が生まれた・・・いや、永い眠りから覚まさせられた。それは、現生人類とは異なる種の者達だった。
 彼等は永遠に近い寿命を持っていた。ゆえに、ひとときの休息を得るべく休眠に入っていたのだ。我ら人類は、彼等が眠るほんの僅かの間、地上を譲られたにすぎない。
 しかしヒトの探究心はとどまるところを知らぬ。ある研究者グループが、彼等を研究することで彼等の寿命を得ようと試みたのだ。
 結果は失敗。一人の研究者が量子状態に還元され、彼等のうちの一人が不自然なかたちで眠りにつき、計画は破棄された。
 この建物から全ての物資が撤去され、全ては闇に葬られた筈だった。
 眠りを妨げられた、17人の子供たちとともに。
 しかし一人の男…量子状態に還元された研究者の夫が、子供たちと契約を交わした。
 研究者と、彼等のうちの一人の犠牲の上に生まれた一つの生命。時満ちるまでそれを育て、しかるべき日に供犠を行えば、研究者は再生され、彼等の仲間は不自然な眠りから解放される。
 そして、ヒトの世は終わる。
 契約は成立し、その小さな生命は、男のもとで育てられた。綾波レイという名で。
 供犠・・・用いるはヒトの魂。ガフの部屋の鍵、生命樹のセフィラに等しい数の、ヒトの魂!
「葛城さん!」
 追いついてきたのは日向だった。
「単独行動は危ないって言ったの、葛城さんじゃないですか。危ないですから戻ってください」
「今更ひとりでも二人でも関係ないわよ。・・・と、じゃ、アスカが一人なの!?」
「ああっ!!」
 日向が慌てて身を翻す。が、走り出そうとした一瞬に、それは横合いからトタンを破って飛び込んできた。
「うわぁっ!!」
 想像画で見た三葉虫とアノマロカリスを組み合わせたような、醜怪な生物。それは、一瞬で日向の右腕に食らいついた。既に肩口までがその鋸のような歯を備えた円口のなかへ消えている。
「日向君!!」
 ミサトはとっさに流しの下に置かれていた、補修用の金属パイプを握りしめた。
「駄目です、逃げてください!」
「莫迦言ってんじゃないわよ!」
 だが、次の瞬間日向は突き破ったトタンの破れ目から外へ引きずり出されていた。
「これを・・・」
 なりふりかまってはいられない。ミサトも破れ目から飛び出し、日向に向かってもう一本の金属パイプを放った。
 受け取った日向が、地面に転がる。右腕を咬みちぎられたのだ。
「はやく・・・はやく逃げてください、葛城さん!僕と心中する気ですか!?」
「莫迦いわないでよ。あなたも私も死なないわよ。あんたこそ下がりなさい、左一本で何が出来るって言うの!!」
「・・・・・・!」
 次に日向がしたのは、金属パイプを放り出して怪物の前に走り出ることだった。
「日向君!!」
 奇怪な腕に取り込まれ、日向が消える。
 呆然と立ち尽くすミサトの前で、怪物は紅の光を抱き、闇の奥へと消えていった。

***

 ついにバッテリーが寿命を迎え、警告灯が点滅しているパソコン画面の前で、アスカは身動きもせずに座っていた。
「日向さんは?」
 足音が一つなのを、明敏に聞き取ったのだ。
「・・・・・・・」
 ミサトには、返事が出来ない。
「いなくなっちゃったんだ・・・・。莫迦シンジも、やっぱりそうなのかな」
「・・・・・・」
「あいつ、要領悪いもの・・・・・・・・」