約束の刻 最後の夜


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「Promised Night」

「あいつ、要領悪いもの」
 努めて静かにそう言ったアスカを、ミサトは抱きしめた。
「・・・・ごめんね、守ってあげられなくて」
「私は守ってなんか貰わなくたっていいわ。自分のことは自分でできるもの」
「・・・・・・・・そうね、そうだったわね」
 ミサトが取り乱した自身を嗤う。
 その時、二人の背後にひとつの気配が現れた。
 今更見苦しい真似はしない。だが、どうしても納得行かないことがある。
 二人は、毅然としてその気配のほうへ向き直った。


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「Promised Night」
約束のとき 最後の夜

「そうなんだ、父さんが・・・そうか・・・・・・・」
 シンジはもう、驚く気力さえ失っていた。
「冷静ねえ」
 レリエルの名で呼ばれていた、闇色の髪の少女。
「あなたの父親は、あなたも贄にと差し出したのよ。ショックじゃないの?」
「やめて、レリエル」
 彼女にしてはきつい調子で、レイが言った。
「・・・ごめんなさい」
「いいんだ、綾波。・・・研究の邪魔だからって、何年も子どもを人に預けるようなひとだもの。・・・意外でも何でもない」
「碇君・・・・・・・・」
「みんな、みんな死んでしまうんだね・・・・・僕も・・・・」
「碇君、聞いて・・・・」
「でもそれでいいのかもしれない。誰も僕を要らないし、僕がいなくったってなにもかわらないんだから」
「・・・・・・・・・・・」
「ただ、みんなは・・・・・アスカ達は・・・・」
 青ざめた頬を、水滴が転がり落ちる。

***

 長い物語を終えて、カヲルは少し疲れたように軋る机に腰かけた。
 アスカとミサトは身じろぎもしなかった。
「それを、信じろと言うの」
 ようやくミサトが言った一言に、カヲルはゆっくりと顔を上げた。
「信じて貰えなくても、容認して貰わなくても構いはしない。いずれ、最初の幕が上がったときに決まっていた結末だからね。あの男は自らの手で時計を進めたにすぎないよ。決まっていた結末に、自らの目的を重ねたにすぎない。
 破局はもはや、既定のものだったのだから」
「あんた達はそれに従容としたがうだけだっていうの」
「契約は契約だ。僕らはレイを取り戻したかっただけなんだ!」
 カヲルの掌に力がこもる。白い指先から、紅の滴が伝い落ちた。掌の中には、菱形のピアス。
「・・・・・それについては、私達は今更なんの言い訳もできないわ。やったのが私達じゃないからではなく、今更何を言い繕っても無益だからよ。それは受け入れましょう。でも、あの男一人が笑って終わり、ってのは納得行かないわ。・・・・絶対に!」
「・・・あなたは本当に、僕たちがそれで納得してると思っているの?」
 掌と、刺さっているピアスを見つめながら、カヲルが静かに言った。掌から血は滴り続ける。手首を、肘を伝い、カヲルの膝や、朽ちかけた床を染める。
「・・・・渚君・・・・・」
「生命樹が構成されるとき、ガフの部屋が開き、全てが終わる。残るセフィラはケテル、ティファレト、そしてイエソド」
「・・・・三つ?」
 カヲルはその紅瞳を上げた。
「しかし、イエソドは遥か昔に準備されている。あとは、レイの裡で全てが揃う」
 最初にアスカが、そしてミサトがはっとする。
 ややあって、ミサトは掌を握りしめた。
「――――――いいわ。あなたを信じましょう」

***

 リリス。
 彼女はヒトの基となり、ヒトの世の続く限りの眠りを宣して眠った。
 ヒトの世の終局に目覚めるために。
 全ての終わりの日に、全てのヒトの魂を救うために。
 かつてアダムという生命体が、何度もそれを繰り返したように。
 過去15回、同じ事が繰り返されてきた。
 その度に、たった一人が残されてきた。
 ヒトの生きた証に。

***

 碇ゲンドウは、書斎の窓から不気味な月を見ていた。
 6日ほど前から、月が欠けなくなった。天文学会は大パニックとなり、世のオカルティストやカルト教団の一部が世の終わりを叫んで新たなパニックの火種を振りまいている。
 騒ぐがいい。それも今のうちだ。
 研究者グループは都合17の生命を復活させた。彼等の興味の対象となったのは、ヒトの基となったリリスと呼ばれる生命体。それから彼等が作り出した新しい生命体は、接触実験中に同じ研究者だった彼の妻を取り込み、自壊した。
 それと引き換えるようにして生まれた、小さな命。彼にとっては、再生した妻に他ならなかった。たとえ姿は違ったとしても。その命の中にある魂は、妻のもの。・・・・そう信じた。
 それはある意味で正解であり、誤解であった。
 そこにいるのは妻だけではない。眠りについているリリスの魂も、また。
 一つの身体に、複数の魂。
 そう、それはリリスの複製だから。
 無限の魂を抱くことのできるリリスのうつわだから。
 リリスの目覚めが人の世の終わりと同義でも構わない。
 もう一度、彼女に会えるなら。

***

「・・・・レイはどうした」
 月を背景に、白い翼の天使が舞い降りる。優美に笑んで、彼は言った。
「ちょっと取り込んでいるので。お迎えにあがったんですよ、代わりにね」
「おまえがか」
「不足ですか?・・・・でも、あなたが知っているレイはもういない」
「・・・・・何?」
「ガフの部屋は開かれた。彼女は自由になり、魂なきものは己の身体を維持できずに自壊した」
「何だと!? あれの中には・・・!」
「彼女は基盤イエソド。鍵の役目を負えて、今リリスの中であなたを待っているよ」
「何故だ、ユイは・・・・・・」
「彼女が望んだ。あなたより、あなたの息子の生存を」
「・・・・・・・・!!」
 ゲンドウは膝をついた。
 ベランダに舞い降りた天使が笑う。
「願い事っていうのは、正確にするものだよ。あなたは、彼女との永生を望んだ。何処でとは言わずにね。さあ、契約を果たしに来たよ」
 カヲルは手を伸べた。
 背後の空で、月を覆い隠し、巨大な白い影が浮かび上がる。
 レイ・・・否、リリスか。
 眼下の街から、無数の紅い光が蛍火のように舞い上がった。
「望みもしない再生を押しつけ、挙げ句まともに戸外へも出られないような脆弱な身体を与えた癖に、恩着せがましく贄を送る。世の中が全て己の思うが儘になると思ったら大間違いだよ。僕らが嬉々として彼等を殺したとでも思うのかい?」
「・・・その結果がこのありさまだと言うのか」
「本当は、あなたの魂なんか粉々に砕いてやりたいよ。・・・しかしこれも契約。魂は彼女の所へ連れていくさ」
 見えざる手が粘土を潰すかのように、ゲンドウの身体が圧壊した。ぼろくずのようになった身体から、首だけが無傷に転がり落ちる。
 ゆっくりと舞い上がる紅い光を捉え、カヲルは身を翻す。
 ベランダから、無数の光がリリスの許へ帰ってゆく姿が見える。
 その壮大な流れに、カヲルは捉えたものを放した。
「・・・父さんなの?」
 カヲルは振り向いた。部屋の入り口に、シンジが立ち尽くしている。
「そうか、いっちゃったんだね。かあさんのところへ」
 かつてゲンドウであったものの側に跪き、唯一無傷なそれに手を触れる。
「・・・あっけないんだね。こんなに簡単に、いなくなっちゃうんだ・・・・・・・?」
 シンジは笑っていた。涙を零しながら。
「おいで、シンジ君」
 カヲルが再び手を伸べた。
「レイは君を選んだ。今夜、全ての人々が彼女のもとに帰るけど、君はヒトの生きた証として残る。同じように残された僕らと、さだめなき刻までの時間を、共に」
 血で汚れた手を拭おうともせず、シンジは呆然とカヲルを見ていた。
 その背の、白い翼を。
 カヲルはシンジに歩み寄り、血の泥寧の中へ座り込んだままのシンジの側へ片膝をついた。
「そんな重たい身体はもう要らないね」
 目を見開いたまま、瞬きもしないシンジの額に口づけた。
 言い知れない熱さと共に、シンジの背を突き破って翼が出現する。
 翼が広がりきったとき、シンジはばしゃんという音を聞いた。
 シンジが・・・・、目を見開いたまま、泥濘の中へ倒れている。
「僕は・・・・・」
 己の手を見る。白い手。ふと気がついて、窓に映る自分の姿を見た。
 それは間違いなくシンジだった。しかし、その両眼にあるのは血の紅。その背にあるのは純白の翼。
「・・・・あ・・・・」
 もはや叫び声もでない。カヲルに導かれるまま、ゆっくりと立ち上がる。
 心なし赤い月の下で、無数の光が乱舞している。
 その中央にはリリスが。
 周囲にはやはり翼を持った子供たちが。

 カヲルが厳かに呟く。

「ひとつの終わりと始まり、そして新たな仲間に祝福を」

―――了―――