SLAYERS FF「The Dragon’s PeakⅢ」
「あなた、そういや神官だって言ったっけ・・・」
夜の森。細い雨が降る中、血刀を引っさげたまま・・・柘榴石のような深紅の双眸を伏せ、疲れたようにその剣士は問うた。
「ええまあ、そんなところですが」
黒衣の神官は、いささか曖昧に答えた。
「そう・・・」
結い上げた緋色の髪が僅かに乱れ、雨に濡れた頬に落ちかかる。彼女はそれを無造作に払い、言葉を継いだ。
「・・・ならこいつら、一応弔ってやって。こいつらはこいつらで、自分の仕事をしたんでしょうから」
SLAYERS Fun Fiction 「The Dragon’s PeakⅢ」
雨はあがっていた。
彼女が目を開けたとき、薄明の青味がかった光が辺りを満たしていた。
夜明け前の静謐。朝の気配を察した鳥たちが遠く近く囀りを始めている。
ふと気づく。この光は、もっと近くで発せられている?
首を巡らせると、彼女の傍らに屈みこんでいる者の姿が目に入る。蒼い光がその掌から発せられていた。金瞳金髪、薄蒼い法衣らしいものを着込んでいる。歳の頃でいえば、自分より少し上、というところか。
「・・・治療してくれたの?」
身体が随分と楽になっている・・・あの状況から! 生半可な呪文ではないだろう。おそらくは、復活級の回復魔法。
「なんだか、どうも坊さんづいてるわね・・・最近」
「・・・・?」
「こっちのこと。とりあえずお礼を言っとくわ・・・有難う、助かった」
「急に動かないほうがいい」
「大丈夫。鍛えてるから」
身体を起こす。男の掌から光が消えた。
「私はクラウディア。クラウディア=ガブリエフ。見てのとおり傭兵よ。今は休業中だけどね。あなたは?どうして助けてくれたの?」
「・・・道を訊こうと思ったのだが、生きている者がおまえしかいなかったのでな。とりあえず、治療をさせて貰った」
「あら、そう?・・・もう一人ぐらいいたはずだけれど」
金瞳金髪の神官は、静かに頭を横に振った。
「そうなの。それじゃぁ仕方ないわね。・・・で? 道を訊きたいってことだけど、何処へ行きたいわけ?助けてもらったんだし、道案内ぐらいはするわよ」
「サイラーグという街だ。この辺りの筈なのだが」
「この辺り・・・っていうほど近くないわね・・・でもいいわ。一緒に行ってあげるわよ」
軽く言い放つ彼女に、その神官はやや戸惑ったように言った。
「・・・良いのか?方角と大体の距離だけ教えてもらえればいいのだが」
「方角と距離って・・・空でも飛んでいくつもり?無茶言わないのよ。構わないわ。・・・奇遇なことに丁度私もサイラーグに用があるの。心配しなくたって、命の恩人に護衛料よこせたぁ言わないから、ね」
暫く・・・その神官は言葉を失っているようだったが、ややあって彼女の申し出を首肯した。
「では、頼もう」
「私のことはクラウで結構よ。で、あなたは?さっきはどーにもはぐらかされた感じなんだけど」
「・・・ミルガズィアだ。今は仕える処をなくしたが、以前は神官をしていた」
クラウは蒼衣の神官が口を開くまでの、一瞬の逡巡を見逃してはいない。しかしそれが、旅行者としては至極当然な用心の域を出ないと判断すると、彼女は笑い、手を差し出した。
「よろしくね、ミルガズィアさん」
***
遡ること2ヶ月前、ラインソードの村。
「魔律装甲が?」
ミルガズィアが置いた香茶の椀は、やや高い音を立てた。
「・・・面目次第もない」
棟梁はといえば土下座でもしかねない様子で、それが却ってミルガズィアを困らせた。
「とりあえず頭を上げてくれ、棟梁。一体何が起こったのか話してもらわねば、判らない」
「管理を任されていたのはこちらだ。盗まれた、では済まされん・・・」
事の起こりは、ラインソードの村が盗賊の襲撃をうけたことによる。
そもそも竜たちの峰ほどではないがラインソードの村もかなり人里からは離れている。旅行者がうっかり迷い込む、という場所ではないのは明らかであるが、基本的にひとの好いエルフたちは、それを信じた。人間に対して好感情を持っていないとはいえ、行き暮れた旅行者を見捨てることができるほどでもなかったのだ。
・・・その夜のことであった。
村の中の数箇所に火がかけられた。消火作業の間にその「旅行者」たちは姿を消し、工房のいくつかが荒らされた。死傷者が出なかったのは幸いだが、エルフたちの手になる工芸品が持ち去られていた。
持ち去られた工芸品の中に、魔律装甲が含まれていたのである。
「・・・あのゼナファはまだ初期設定がされていない。だが、エルフを基本にした能力調整がなされているから、人間が装着したところで使いこなせはしない。・・・むしろ、装着した人間が具合が悪くなるのがおちだ。・・・問題は」
「人間の魔道士あたりに下手に弄られて制御を失い、ゼナファ単体で暴走されたら・・・」
「・・・そこだ」
棟梁の言葉は、唸り声に近かった。
「判った、私が捜しに出よう」
ミルガズィアの返答は早かった。
「ま、待て、お前さんだって今は長老の一人だ。そうそう出歩くわけにもいくまい。大体、うちの不始末なんだから・・・」
「長老の一人に過ぎない。私一人暫く留守にしていたところで特に問題はないし、あのゼナファの波動を追えるのは私だけだ」
棟梁が言葉に詰まる。前半については竜族から文句が出そうだが、後半については棟梁も反論できなかったからだ。盗品なぞ、まともなルートで流通するわけがないし、漠然と捜すといっても砂漠で石を探すようなものだ。この場合、探し物は魔法道具なのだから、ゼナファの魔力波動を魔法で捜す、というのが一番効率が良い。ただし、この場合探索者が魔力波動を知っているというのが前提である。
件のゼナファの装甲を、物理攻撃に対しても比類ない強度にしているのは培養した竜の表皮組織である。その元を提供したのはミルガズィア自身だ。ミルガズィアにしてみれば自分の一部を捜すようなもので、確かに他に適任者はいない。
「まあ待てというのに。お前さん一人に押し付けるわけにもいかん。わしがついて行っても足手まといになろうが、うちの若いのをつけるから・・・」
「大丈夫だ」
言うが早いか、立ち上がる。
「・・・聞いちゃいないな。わかった、こちらでも何か判ったら知らせるから、所在だけははっきりさせておいてくれ」
「話が早くて助かる。定期的に連絡は入れよう。それと・・・さしあたり、剣を一振、貸してくれないか」
「どれなりと、好きなのを持っていけ。しかし、お前さんの腕力についていけるような代物、あったかな」
「構わない。丸腰で街道を歩いていては怪しまれるというだけのことだ。何、私が全力で剣を振り回すような事態にはならないだろう。捜しものをしにいくだけだ」
淡々と言うが、黄金竜ミルガズィアが人形のままとはいえ、その全力で真剣を振るうような事態など・・・棟梁ですら、あまり考えたくない。伝説の光の剣でもない限り、剣のほうが一振りで木っ端微塵になるのは火を見るより明らかだ。そもそも、純魔族相手に白手でどつきあうも辞さぬという見た目よりもはるかに過激な男である。一歩間違えば大陸全土を巻き込む大戦になるのではないか。
「そうだといいんだが・・・」
僅かに頭を振り、棟梁は嘆息した――――――――――
しかし、人界で捜し物というのも存外骨が折れるものであった。結局、盗賊団は扱い損ねて魔法道具屋へ売ったようだが、そこからどうやら、サイラーグに本拠を持つ魔道士に買われたらしい・・・ということが判ったのが、ようやく半月ばかり前のことだった。
そこからサイラーグとやらへ赴いたのだが、やはり本来翼持つ身が地上を歩くと要領が悪かったものか、名の知れた大都市だというのに散々迷った挙句、道を尋ねようにもどうやら街道からも外れてしまって人家すら見当たらない。
さて、どうするかなと考えていたところ、森の中で死屍の山に行き当たったのである。
骸ではものの尋ねようがない。おまけに、転がっているのはどう見ても夜盗・山賊、よく言って傭兵の類だ。その中で、僅かにでも息があったのがクラウディア=ガブリエフ、彼女であった。
この場合、傭兵同士の衝突なら関わるのは却って面倒の種になる。そうは思ったものの、放って置けばおそらく朝までもつまい。・・・・さして手間の要ることでもなし。
あの時はそう思ったのだが、やっぱり面倒の種を拾ってしまったのだろうか。
自分で「鍛えている」というだけのことはあって、回復の度合いとしては7割程度の筈だが全く感じさせずにミルガズィアの五歩ほど前で律動的な歩みを進めている。
あそこに転がっていたのがすべて彼女の敵であったとしたら、傷を負いながらとはいえあの人数を一人が片付けたことになる。それはそれで、大した技倆というべきではなかろうか。
もうひとつ言えば、彼女があれだけの人数に襲撃を受ける理由とは?
物盗りの対象として択ばれたとは考えにくい。リスクが高すぎる。そこいらの盗賊が狙うとしたら、もっと戦闘力が低く略奪甲斐のありそうな隊商のはず。・・・あの人数なら尚更。
他に考えうるとしたら・・・怨恨、もしくは彼女が何か狙われるようなものを持っていた場合。下手をすれば護衛どころか、面倒に巻き込まれる確率が跳ね上がるだけではなかろうか。そんなことを考えながらも、これ以上くだらないこと――――要するに道に迷う――――で時間をとりたくなかったので、おとなしくついていくことにしたのだった。
そのはるか後方、二人を見失わないぎりぎりの距離を、黒衣の神官が歩いている。
***
「何か早速、ごたごたとやってらっしゃる・・・」
黒衣の神官は、文字通り高処の見物を決め込んでいた。彼が尾行ていた二人は、まだ陽は高いというのに、早速次の客に見舞われていたのである。
さて、護衛になっちゃったのはどちらでしょうね。
クラウの傭兵、剣士としての技倆は、どう低く見積もったとしてもそこいらの盗賊の手に負えるものではあるまい。だが、いまは万全の体調とは言いがたいのだ。だから今朝は、いつもなら負うこともなかったであろう傷も受けた。しかし、結局それが縁で意外な連れを得ることになってしまったのだから、世の中はわからない。
しかもこの連れが、多少浮世離れしているから・・・気の毒なのは盗賊というところだろう。
・・・あ、獣王様の呪文なんか使って。
案の定、クラウがいくらも剣を合わせないうちに、連れのほうが本来人間が使おうものなら一発で魔力がカラになりそうな大呪文を発動させてしまう。盗賊すべてを薙ぎ払うのに数秒も要らなかった。クラウのほうが唖然としている。
・・・まったく、人間のふりするつもりじゃなかったんですか?この御仁は。手加減って言葉、ご存知なんでしょうか。
梢に腰掛けたまま、黒衣の神官は目尻に涙すら浮かべて笑いを堪えていた。
どうやら今回は本当に物盗りだったらしく、一瞬で仲間の大半を伸された賊は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
思わぬ幕間狂言を手を打って賞賛しつつ、再び歩き出した二人を見送った。
サイラーグまで、普通に歩いてあと2日というところだった。
***
「念のために訊いてみるんだけど、手加減って言葉知ってる?」
「・・・一応」
おそらくは自分でもやりすぎたと思ったのだろう。ミルガズィアはややばつが悪そうではあった。
元とはいえ神官というなら、呪文をいくつか心得ていたところで不思議でも何でもないが、レッサーデーモンさえいとも簡単に掃討できそうな、しかも黒魔術系の攻撃呪文ときては。大体、神官と言うくせに杖でなく剣を提げているあたりで(結局抜いていないが)既に怪しい。
「・・・ひょっとして、本当は揉め事起こして神殿なり寺院なりを放逐されたとか」
「・・・そういう事実はない」
思わず口が滑ったので、クラウとしては同行者の機嫌を損ねてしまったかと一瞬冷汗をかいたのだが、言われたほうは憮然としてそう応えただけだった。
「あ、そう。まあいいわ、人それぞれ事情があるんだし。・・・ところで、サイラーグには何の用?サイラーグが魔道都市っていったって、あなたほどのひとがいまさら修行でもないでしょ」
「捜し物だ。古い友人から頼まれたのでな」
「ふうん・・・」
クラウはそれ以上追及しなかった。詮索されるのを決して喜ばないタイプとは思ったので、話題として振った以上のことを根掘り葉掘り訊くつもりはなかったのだ。人それぞれ事情がある。それはクラウとて同様だった。
***
サイラーグまで、普通に歩いてあと一日半だという。
野宿をするつもりだといったら露骨に不審がられたので、そういうものかと思ってクラウと同じ宿屋に部屋を取った。正直、森の中で休んだほうが楽でもあるのだが、クラウに「朝っぱちから森まで探しにいかせる気か」と詰め寄られたので仕方なかったのである。
考えてみればあらかた道は判ったのだし、何が何でも同行しなければならない義理はないはずだった。しかし結局、クラウのペースに乗せられた格好である。ミルガズィア自身、どうにも解せないのだが。
窓を開ける。十三夜ばかりの月が清かな光を降らせていた。寝むためというよりその光を浴びるために、寝台へ腰を下ろす。
眼を閉じ、静かにゼナファの魔力波動を追った。クラウの言った方角に、確かに反応があった。街に入ってからもう一度探査すれば、かなり正確な位置がつかめるだろう。今のところ、制御機構が破られたような波動の乱れは感じない。だれか人間が装着していないとはかぎらないが。
地べたを歩いていく、というのも存外疲れるし効率が悪いものである。そのための縮地だったが、高速移動ゆえに街道の里程標を見落とす、という意外な弱点がわかったのでとりあえず使用を中止していた。どうにも間の抜けた話だが事実だから仕方ない。いずれ暇があったら改良するつもりではあった。
・・・・・旅塵を洗い落とすが如き月光が心地好く、ついうとうととしたものらしい。首筋にチリチリとした不快感を覚えてミルガズィアは跳ね起きた。
隠れもない殺気。廊下へ出るのも面倒なら、閉められているであろう宿の玄関を開けさせるのもさらに面倒だったので、文机の上に置いていた剣を取ると開けたままだった窓から外へ飛び降りる。
傾きかけた月。その朧な光の中で、クラウがやはり窓を蹴破るようにして飛び出すのが見えた。既に軽装鎧を着込んでいる。あるいは、状況を想定して最初から着ていたか。
クラウが体勢を整える、その僅かな間に彼女へ向けて炎の矢が殺到する。ミルガズィアは彼女の前へ降り立ち、その動作のまま炎の矢を叩き落した。
「・・・敵が多いようだな」
「恩に着るわ」
立ち上がったクラウが抜剣する。クラウが出てきた部屋の窓枠を乗り越え、数人の獣人が姿を現した。いずれも狼か爬虫類の頭部。そして手に様々な得物を携えている。
「・・・ったく、あんな無粋な連中に夜這いかけられたって、ちっともトキメかないわよ!」
「減らず口を叩ける余裕があるのは結構だが、どう見ても連中、お前を殺す気だぞ」
「判ってるわよ。ミプロスからこっち、このテのご一行が何件目ってこともないんだから」
「・・・成程。早めに片付けないと、休むものも休めないか」
体力的にかなり消耗しているらしいのは、そういう事情であったらしい。
「・・・では、片付けていいか」
「は?」
ミルガズィアはクラウの返事を待たなかった。ラインソードの村から借りてきた剣の柄に手をかけると、一気に踏み込む。
ほとんど音もなく、淡い月光の中に数個の首級が飛んだ。湿った音を立ててそれらが地上へ落ちるのと、首を失った獣人たちが折り重なるようにして倒れるのがほぼ同時。
田舎の宿場町とはいえ、この街中、しかも夜にあまり騒ぎを大きくするのは良くない。その程度の分別はあるつもりだった。・・・が、振り返るとクラウは剣を抜いたまま硬直している。
「・・・・何か、まずかったか?」
念のために訊いてみる。あるいは、情報を引き出す必要性でもあったか。
クラウは大きく吐息して剣を納めた。
「いいえ。構えた私が莫迦みたいに思えてきただけ」
「・・・なら、休むがいい。刺客より先に、消耗して倒れてしまうぞ」
「重ねがさねどーも。・・・でも、ああいうのに踏み込まれた跡で、休むも何もねえ・・・」
クラウが今出てきた部屋の方を眺めやり、頭を掻いて嘆息する。ミルガズィアは部屋の中まで見てはいないが、獣人たちが団体で押し込んだ跡である。まあ、確かに落ち着いて休める環境とは言い難いだろう。
「私の部屋を使っても構わんが・・・」
「・・・え・・・」
微妙に硬直したクラウを見て、生じた誤解に気づく。
「結界を張っておくから、今夜はちゃんと休むことだ。・・・私は月の光を浴びることが出来る処のほうが落ち着くのでな。朝になったら戻ってくる。別に、森まで探しに来なくてもいい」
「ますます、どっちが護衛されてんだか判んないわね。・・・まぁいいや。ありがと」
クラウがすこし視線を外しながら、そう言った。
結局、ミルガズィアは自分がいた部屋を明け渡して、簡単な結界を張った。簡単とはいっても、レッサーデーモン程度なら簡単に撥ねつけることができる。とりあえずクラウを休ませなければならないと思ったから、多少大仰なとは思ったが敢えてそうした。
部屋を出ると、先程の獣人の骸のところへ戻った。幸いというか、起き出して来た者はいなかったから騒ぎが大きくならなくて済んだが、こんなものを朝まで往来に転がしていたら、騒ぎになるのは明白だった。
短い呪文と共に手を軽く振る。小さな蒼い炎がその指先から緩やかな放物線を描いて落ち、骸のひとつに触れた一瞬で燃え上がる。音もなく、熱もなく、炎は広がって獣人の骸を灰燼に帰し、一陣の風が灰すらも運び去った。嫌な記憶と重なるので、極力使いたくない術ではあったが、この際好き嫌いを言ってはいられない。
何事もなかったかのような夜の街並へ、清かな月光は相変わらず降りそそいでいた。
結界があるとはいえ、再度の襲撃がないとも限らない。あまり離れないほうが無難だろう。結局、宿屋の屋根へあがり、幽かな風と、月の光を感じながら・・・ミルガズィアは静かに眼を閉じた。
人間の娘などにかかずらっていられる場合でもないのだが。
クラウが命を狙われているのは確かだったが、彼女とて決して戦うことの出来ぬ身ではない。むしろ、剣士としては女ながら当代一流の技倆であろう。彼女が一方的に弱い立場というわけでもない以上、本来ならば人間の争いには干渉しないのが竜族の基本姿勢だ。仮にも長老に名を連ねる身であれば、深入りは避けるのが良識というものであった。
そう思いながら、放っておけない。そのことが自身でも不思議ではあった。
***
やれやれ、傭兵の面目が丸潰れだわ。
クラウは緋色の髪を解き、今度こそ軽装鎧を外して身を横たえた。
おそらく、ただの防御結界というより負傷者の治療を行う場合に張る、一種治療・回復系の機能を併せ持った結界なのだろう。魔法についてさほど詳しいというわけではないので、よくは判らないが・・・じっと身を横たえているだけで、楽になっていくのがわかる。
お陰で今夜は眠ることが出来そうだった。・・・というか、眠りに引き込まれていく感じがして、抗えない。
刺客の送られてくる間隔が短くなっている。サイラーグがもう目と鼻の先だから無理もないか。だが、負けられない・・・決して!
枕の下へ横たえた剣の柄に手を触れ、誰かの名前を紡ぎかけて・・・やめる。・・・今は、休まなければ。
眠りに引き込まれるといっても、決して不快な感じではない。静かな水の中をゆっくりとたゆたい、沈んでいく感覚。・・・クラウは、そっと意識を手放した。
***
翌日の客は少なかった。獣人たちをああいう形で「片付けて」しまったことが、ある程度牽制にはなったのだろう。
「それにしても、意外とのんびりしてますねえ」
監視されているほうが聞いたらいきり立ちそうな台詞をさらりと吐いて、黒衣の神官は相変わらずの距離につけていた。
連中を刺激するには十分な筈だった。だが、出てくるものはといえば野盗紛いばかり。クラウを消耗させる程度のことはできただろうが、同時に十二分に怒らせてしまっている。
先日になって、ようやく本腰をいれたか魔法も心得た獣人を送り込んできた。ある程度尻尾がつかめるかと少し期待もしたのだが、それもあの物騒だが多少浮世離れした同行者に瞬殺されてしまっている。
見世物としてはなかなか面白かったが、手がかりも途切れてしまった。
「サイラーグも近いことですし、そろそろ次のリアクションが欲しいところですよね」
***
「あ、やっぱりここだ」
夜の風に、昼間のように結い上げず、背で緩くまとめただけの緋の髪が踊る。
身を乗り出していたベランダから無駄のない動作で跳躍したかと思うと、クラウは屋根の上に瓦ひとつ軋ませずに立ちあがった。その流麗な動きにミルガズィアは素直に感嘆する。
「身が軽いな。・・・夜目も利く。エルフの血でも入っているのか?」
「まあね。何代か前の当主がエルフと結婚したらしいし、故郷の奥のほうには、ほんとか嘘か知らないけどエルフの集落があるって聞くから・・・・まだ少しは混じってるかも。飲む?」
「・・・貰おう」
宿屋の屋根の上である。本来、くつろぐ場所でも酒宴を開く場所でもないはずだが、この際は二人とも頓着しなかった。
深い碧の硝子杯が、宙を舞う。杯は過たずミルガズィアの手に収まった。
酒瓶がクラウの手の中で翻り、葡萄酒の紅が杯を満たす。何処に隠し持っていたものやら、もうひとつの酒杯に残りを注いだ。
「明日の午後にはサイラーグに入れると思うわ。・・・捜し物、見つかると良いわね」
「ああ。・・・・そういえば、傭兵は休業中といったが、サイラーグでのお前の用を聞いていなかったな」
「こっちは人捜し。まあ、たぶんミルさんも見当ついてるでしょうけど、私がサイラーグに近づけば本人が出てきてくれると思うわ。・・・結局道案内がてら巻き込んじゃって、悪いわね」
「やはり確信犯か」
「そうとも言うかな」
悪戯っぽく笑い、酒杯を呷る。
「そっちは別に構いはしないが、ひとの名前を勝手に端折らんでくれるか」
「だって長いし」
「言えた義理ではないと思うが」
「だから最初から言ってるでしょ。クラウでいいって」
「そういう問題か?」
「かたいこと言いっこなし」
どうやらここへ上がってくる前に一本開けてでもいるのか、クラウの頬はやや赤い。背で緩く結んだ布を解くと、炎と紛うばかりの緋の髪が冷涼な風に流れた。
月光に透ける、緋色の髪。・・・既視感にとらわれ、ミルガズィアはその光景を金色の双眸に映したまま、暫し杯を傾ける手を止めていた。
「・・・いい風ね」
クラウの声で我に返り、見惚れていたことに気づく。
「そうだな。月も好よい。建物の中にいるには勿体無い夜だ」
中天に懸かる月へ目を逸らせた。だが、炎のような緋色は灼きついたまま離れぬ。
「だからって屋根の上を寝台代わりにするのもどーかと思うけど・・・まあ、こればっかりは習慣ってのがあるだろうし」
「言っておくが・・・別に常住、屋根の上を巣にしているわけではないぞ」
クラウは一瞬鳩が豆鉄砲をくったような顔をして、直後に噴きだした。
「いやそりゃわかってるけど。・・・つくづく面白いね、ミルさんって」
杯を取り落としかねない勢いで爆笑されては、ミルガズィアは憮然として酒杯を傾けるしかない。
「・・・時々そう言われる」
百歩譲ってもほめられているわけではないことぐらい理解る。だが、こんな処まで来て言われなければならないことなのだろうか。
「でも・・・愉しいよ。最近あんまりいいことなくてね。何だか久しぶりに笑った気がする。今度から愉快なミルさんって呼んでいい?」
「・・・とりあえず熨斗つけて返す」
苦虫を噛み潰しながら、ミルガズィアが唸った。クラウは笑うばかり。多少の酒が入っている所為もあるのかもしれないが・・・だとしたらこの娘、結構酒癖が悪い。つきあってはいられないと、ミルガズィアは眼を閉じた。全く、何の因果でこんな娘と付き合う破目になったものやら。
しかし、結局自分が面倒の種かも知れないと思いながら、道案内を頼んだところに端を発しているのだから・・・自業自得を絵に描いたようなとはこのことだった。
「・・・でも、本当に感謝してる。あなたがいなかったら、ここまで来られなかったよ。ありがとう・・・それと、ごめんなさい」
俄かに神妙な声音になる。少しだけ驚いて眼を開けると、クラウは清しい笑みを浮かべて立ち上がるところだった。
「・・・それから、さよなら」
「クラウ・・・」
彼女は流した髪を結い上げながら、足下の街へ視線を落としていた。先刻の顔色は既になく、蒼褪めているようにすら見える。言葉を継ごうとして、ミルガズィアは強烈な感覚に身を硬くした。
「本当に、巻き込んじゃってごめんなさい。でも、ここから先は私がやらなくちゃいけないから」
クラウが決然と剣の柄へ手をかける。彼女にしては、何か力が入りすぎているように見えた。
周囲に、有効範囲の広い魔法の波動が広がりつつあった。眠りだ。・・・・人払いか。月光に沈む通りを、異形の影がこちらへ歩を進めている。
「そうもいかん」
ゆっくりと立ち上がり、ミルガズィアは歩き出す。当然、黄金竜にはこの程度の術は効かぬ。
「こういうこともあるのだな・・・・」
月明かりの中、こちらに歩いてくる人影。それを異形に見せているのは、白銀色の鎧であった。
「捜し物が向こうから出向いてくれたようだ」
クラウが弾かれたようにミルガズィアをかえりみた。
「まさか、ミルさんの捜し物って・・・!」
白銀色の鎧を纏うのは、やや線の細い金髪の青年であった。まだ何もはじまっていないというのに、憔悴の色が濃い。状況の察しがついたミルガズィアは僅かに眉を顰めた。
だが、今なら間に合う。
クラウが動きだすより早く、ミルガズィアは屋根から降りた。
青年は人払いした筈の場所で起きて動く者があることに、僅かに驚いたようだった。ミルガズィアの動作に呪文のラグがないことを訝いぶかしみ、身構える。
ミルガズィアが青年の前に降り立つ。
「・・・子細は問わぬ、返して貰おう」