Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」
「君は本当に役に立ってくれた」
「そして高階もな」
「おかげで、約束の日が至るまでに量産機開発も最終段階に漕ぎ着けた」
居並ぶモノリスを、カヲルは感情のない眼で眺め渡した。
生きることに固執することは決して醜い行為ではない。それなのに、この老人達の真の姿を思い出すにつけ、カヲルは嘔気に近いものすら覚えるのだ。
「高階はもういないが、契約に基づいて・・・君に機会を与えよう」
「君たちももう先刻承知のはずだな、君たちの目指すものがジオフロントにあることを」
「ターミナルドグマにあることを」
「我々は協力の代償として、君に機会を与える」
「君がターミナルドグマにたどりつき、君の目的を果たすことが出来れば君の勝ち」
「君の同胞ことごとくを滅したEVAに、君もまた滅ぼされる結果となれば我々の勝ち」
「神は我々にも等しく機会を与えられた」
「だから君にも機会を与えよう」
そう、これが契約。
ゼーレは、出来損ないの群体として既に行き詰まっている人類を、完全な単体へと人工進化させる・・・・・いわゆる人類補完計画をかなり前から立案していた。
そして、死海文書をツテにその手段を探していた。
手段・・・神の初子、アダム。そして堕ちたるリリス。
ゼーレはアダムを発見しながら、回収に失敗した。それがセカンドインパクト。再生過程を捻じ曲げられたアダムは自我境界を保てずに四散、南極を原始の海に還して消えた。
アダムの予備実験として行われたサキエルやアルミサエルのように、うまくは行かなかったのだ。
そして、その予備実験の所産であったサキエルがまさにそこに自身と同胞の生き延びる道を見いだしたのだった。
サキエルは南極で死亡した高階博士の姿をとって調査隊に紛れ込み、同胞のコアを回収した。そしてヒトの遺伝子をダイブさせ、人型をとらせてゼーレの目から隠したのである。が、ただ一つタブリスのコアがゼーレの手に落ちた・・・神の後裔となる素因を持った唯一のコアが。
だから取引を仕掛けた。リリンが神の後裔となるための第一歩である補完計画・・・・その準備を手伝う代わりに、ただひとり、タブリスに平等な条件でチャンスを与えよ、と。
そして、ゼーレが何度も失敗していたタブリスの覚醒を、「渚カヲル」を誕生させることによって叶えて見せたのだ。
リリスの子らとアダムの子ら、互いに時が熟すまでの停戦条約。カヲルはいわばその人質と言えたかもしれない。
だがサキエルが消え、碇ゲンドウの背信により、ゼーレは予定表を大きく書き替えた筈。それに、ゼーレの「契約の履行」を額面通り信じるほどカヲルも人が好くはなかった。
だが5番目の適格者の名を与えられ、第3新東京市に送り込まれるという決定を、カヲルはひどく静かに聞いていた。
リリスの子らとの衝突を、再生の拒否という形で拒み続けたタブリスを、サキエルは敢て再生させた。・・・タブリスだけが、アダムの子らのただ一つの希望だったから。タブリスの魂のうえに、「渚カヲル」という模擬人格を置いて記憶を封じたサキエルを、今更恨む気もない。・・・これが運命だったのだ。
――――――――すべては流れのままに。
「さぁ、行くよ。おいで、アダムの分身。・・・そしてリリンの下僕」
アンビリカルブリッジに立ち、カヲルはアダムの複製・・・エヴァンゲリオン弐号機を仰ぎ見た。
振り返ってゆっくりと歩を進め、赤い冷却液の海の中へ一歩を踏み出す。しかしその足先は沈むことなく空中にとどまっていた。
巨人の目に火が点る。
「EVA弐号機、起動!」
「そんな莫迦な! アスカは!?」
「303病室です。確認済みです!」
「じゃあ一体誰が・・・!」
「無人です!弐号機にエントリープラグは挿入されていません!」
「セントラルドグマにATフィールドの発生を確認!」
「弐号機!?」
「いえ・・・パターン青、間違いありません、使徒です!」
モニターの「17th ANGEL IDENTIFIED」の文字が、MAGIの一致した見解を表示していた。
『嘘だ嘘だ!! カヲル君が使徒だったなんて・・・そんなの嘘だ!!』
「事実よ。受け止めなさい。・・・・・・・出撃、いいわね」
プラグの中のシンジが沈黙する。
リツコの言葉の意味を、明確に取り損ねていたことに今更歯がみしても仕方がない。おそらく、リツコの言葉を額面通り信じて彼を拘束した所で、結果は同じだった。
結局、シンジに一番つらい役目を振ることになる。
今までのどんな使徒とも異なる特性――――人型の使徒。それもシンジが存外打ち解けていたことをミサトは知っていた。
シンジの沈黙が耳に痛い。だが、彼女は出撃命令を撤回することなど出来なかった。
「・・・遅いな、シンジ君」
セントラルドグマを降りながら、カヲルはふと上を見た。
ファーストチルドレンは健在だが零号機は既に消滅している。カヲルが弐号機を持ち出した以上、追撃にあてられるのは初号機であるはずだ。・・・そして、専属パイロットである碇シンジ。あの少年。
彼は自分に似ている。カヲルはそんなことを思った。だが次の瞬間、ぶつけられた怨嗟、怒りと困惑がないまざった思念は、物理的衝撃と紛うほどの力を以てカヲルを撃つ。
『裏切ったな!僕の気持ちを裏切ったな!!・・・父さんと同じに・・・裏切ったんだ!!』
しかしカヲルの表情に浮かんだのは、悲しみでも絶望でもない、一種憑かれたような笑み。僅かに俯いて額を押さえ、くっくっとくぐもった笑声を漏らしてもう一度上を振り仰ぐ。
紫の機体・・・初号機!
「・・・待っていたよ、シンジ君」
そして、涼やかな微笑を浮かべて弐号機に命令を下す。組み合う初号機と弐号機。埒があかぬとプログナイフを出したのは、どちらが先だったか。
苦悶に首を捩じ曲げながら互いを刺しあう二体のエヴァ。それをひどく冷えたまなざしで見つめながら、カヲルが呟く。
「エヴァシリーズ・・・・アダムより生まれし、人間にとって忌むべき存在。それを利用してまで生き延びようとするリリン。・・・・・・僕には分からないよ」
生き延びようとするのは生きとし生けるものの本能。それは我らアダムの子らとて同じだ。事実、この15年間は、アダムの子らにとってもいかにして生き残るかという模索の日々だった。
なぜならば、彼らの前にはレールが敷かれていたから。父なる方によって敷かれたレール・・・時が至れば、アダムへと還ろうとするプログラム。
父なる方にすべてを預け、あるいは様々な形で抗いながら定められた径を辿った同胞達。彼らに、選択肢などなかった。
リリン。あなたがたが歩もうとしている径の先に、何があるのかを知っているのか?
老人達は補完という。だが、それがすべてのリリンの望みなのか?
例えば、彼・・・・碇シンジ。
彼もまた、あんなものを希望むのか?
プログナイフ同士のぶつかり合いが、カヲルの銀の髪をそよがせる。
「カヲル君!やめてよ、どうしてだよ!?」
怒りと困惑。痛いほどに伝わってくる。
「エヴァは僕と同じ身体で出来ている。僕もアダムより生まれしものだからね。魂さえなければ同化できるさ。今、この弐号機の魂は自ら閉じこもっているから」
これはおそらく彼が望んだ答えではあるまい。彼が問いたいのは何故カヲルが弐号機を動かせたかなどではなく、何故戦わなければならないかということなのだ。
分かっていながら、カヲルは彼に答えを与えようとはしなかった。
不意に、噛み合ったプログナイフが力の均衡を崩され、初号機の刃先がカヲルに向かう。
「あっ!!」
シンジが狼狽える。
・・・この期に及んで!カヲルは、僅かな苛立ちすら憶えた。
プログナイフが黄金の八角形に阻まれ、火花を散らす。
「・・・・ATフィールド・・・!」
シンジの声に、畏怖が混じる。
「そう・・・君たちリリンはそう呼んでいるね。何人にも侵されざる聖なる領域。心の光。リリンもわかっているんだろう、ATフィールドは誰もが持っている心の壁だと云うことを」
カヲルの言葉は、淡々を装って挑発していたのかもしれない。
決定的なものを見せられ陥った一瞬の呆然。それからさめたとき、シンジは叫ぶと言うより吼えていた。
「・・・・そんなの、わからないよ!!」
―――――――何を考えてる?
別に、何も。
投げかけられた問いに、カヲルはぞんざいにいらえた。
―――――――・・・君ひとりが犠牲になってすべてを良しとする結末なんか、僕は納得しないよ。
僕は何者の犠牲にもならないよ。そんな立派な者じゃない、僕は・・・
カヲルは顔を上げた。
傷つけあう初号機と弐号機。意味のない戦い。・・・・誰の所為?
カヲルは、自分が囚われかけていたものに気づき、その死闘に背を向けた。
「ひとの運命か・・・ひとの希望は悲しみに綴られているね・・・・」
アダムの子らと、リリスの子らの間に置かれた憎しみ。自分もまたそれから自由ではなかったと気づき、カヲルは僅かに俯いて目を伏せた。
――――――――その時、発令所が揺れた。
「どういうこと!?」
「これまでにない、強力なATフィールドです!」
「光波、電磁波、粒子も遮断しています。何もモニターできません!」
「・・・まさに結界か!」
「目標及びエヴァ弐号機、初号機ともにロスト!パイロットとの連絡も取れません!」
「・・・・待って!!」
シンジの声に、確かにカヲルは振り向いた。
紅い瞳が、確かに自分を見たとシンジは思った。
だが、カヲルは瞳を閉ざして歩み去ってしまう。
「待って!・・・・・・・ッ!」
落下の衝撃で体勢を崩した初号機を立て直そうとしたシンジは、後方からの力にモニタを振り返った。そこには弐号機が、見慣れた筈の四ツ目にいっそ禍々しいほどの光を湛えて横たわる。
その手が、初号機の足首をさながら枷のように捉えて離さない。
シンジの口から、幾度目かの絶叫が迸った。
ゼーレがなにも仕掛けていない筈はない。
しかし、確かに存在を感じる。この扉の向こうに何かがあるのは確かなのだ。
―――――――罠だね
そんなことは分かってる。
―――――――それでもあえて身を投ずると?
細く赤いガイドランプだけが照らす暗い廊下。そこを音もなく進みながら、カヲルは突き当たりの扉を見つめていた。
Heaven’s Door。
開けて。あなたになら造作もないことだろう。・・・それともあなたも僕の邪魔をするのかい?
声でない声が沈黙した。
カヲルが扉のロック部分のパネルを一瞥する。だが、カヲルが行動を起こすより早く、パネルは小さな電子音と共にOPENの青い文字を表示した。
―――――――・・・・・!
投げかけられた声を、カヲルは遮った。
再び発令所が震撼する。
「状況は!?」
「ATフィールドです!」
「ターミナルドグマの結界周辺に・・・先刻と同等のATフィールドが発生!」
「まさか・・・・新たな使徒!?」
「結界の中に侵入していきます!」
「だめです、確認できません!・・・・あ、いえ、消失・・・消失しました!」
「消えた・・・・使徒が!?」
巨大な空間。
駆逐艦が浮かぶほどのLCLのプールの中に佇立する、紅い十字架。
再生過程を捩じ曲げられ、無様に膨れあがったヒトの形に似たものが、そこへ打ちつけられていた。
サキエルから数えて14。それだけの数の同胞が、ここにたどりつくために、それだけのために消えた。
父なる方の意志、よりよい後裔を得るための試み。それだけのための試み。
そのために、父なる方はご自身の子供たちの間に憎しみを置かれた。
―――――父はわたしを愛さなかった。わたしもまた父を。
そう言ったリリスは、子供たちに神の子に抗う術を教えた。
神の子を滅ぼす術を。
来るべき日に、アダムの子らを退け神の後裔となる術を。
そして起こったセカンドインパクト。
15年の猶予期間。
四散したアダムはリリンの手に落ちた。そしてリリンの最後の砦に保管されている。・・・それが、アダムの子らの認識。それを裏付ける気配は、確かに存在した。
そしてそれが今、カヲルの前にある。
「アダム・・・我等の母たる存在。アダムに生まれし者は、アダムに還らねばならないのか?・・・・人を滅ぼしてまで」
LCLの中に不完全な下肢を浸し、顔には隠封、両手は巨大な釘によって十字架に打ちつけられたそれに近づき、カヲルはふと眉を顰めた。
「・・・違う・・・これは、リリス」
瞬間、綾波レイの名を与えられた少女の映像が閃く。
「渚カヲル」と同じ存在。
リリスの魂はあそこに。では彼女の肉体は?
そしてまた閃く映像。紫のエヴァ、これまでに一番多くの同胞を葬ったエヴァ。あれは、カヲルが同調した弐号機とは違うモノではなかったか?
いくつかのピースが嵌め込まれる。
「・・・・そうか、そういうことか・・・リリン」
直後、背後の壁が砕かれる。
頭部にプログナイフを突き立てられた弐号機が、LCLのプールの中に倒れ込み、動かなくなる。
その後ろから、ゆらりと紫の機体が現れた。
動かない弐号機を一瞥し、そして初号機へ向き直る。初号機がその巨大な手を伸べてくるのを、カヲルは笑みすら浮かべて見ていた。
―――――――――――嫌な、音がした。
だが、カヲルはその機体に直に触れて確信した。アダムの複製というエヴァ。弐号機は確かにその通りのモノだった。だがこの初号機が何を元に造られたのか。
折れた骨が脆い器官を刺し、気道を鉄の味が駆け上げるのを感じる。
だがカヲルはそれを呑み込んで言った。
「ありがとう、シンジ君・・・弐号機は君に止めておいてもらいたかったんだ。・・・そうしなければ、彼女と生き続けたかもしれないからね」
そう、不可能ではない。この程度の衝撃で簡単に死に至るヒトの身体よりも、たとえS2器官を備えていなくとも、エヴァの身体のほうが余程生存率は高い。
だが、そうして生き延びることに、今のカヲルはもはや価値を見いだしていなかった。
「カヲル君・・・・どうして・・・・」
「僕が生き続けることが、僕の運命だからだよ。結果、人が滅びてもね。・・・・・だがこのまま死ぬこともできる。生と死は等価値なんだ、僕にとってはね。・・・・自らの死、それが唯一の絶対的自由なんだ」
そう、父なる方のさだめ給うた運命に、ただ一つ逆らう術がある。
死すべき運命を負わされた同胞達。・・・・そう、彼らはアダムのもとに還っても、完全な後身たることはできない、不完全な子供。アダムだけから造られた生命は、結局アダム以上のものを作り出す要素とはなり得なかった。
死すべき運命を負わされたリリン。父なる方によらず、自らを完全な後身たらんとしたリリスが生んだ子供たち。彼らもまた、「不完全な群体」にしかならなかった。
当然だ。父なる方は、最後の最後まで子供たちを信じてなどいなかったのだから。
自身と同じモノをつくれば、自身の存在が危うくなる。だから二つに分けた。それがアダムとリリス。
すべての終わりの日に、救われる魂などありはしないのだ。
選ばれたものが存在できるのではない、すべての魂は父の御許へ還るだけ。存在できるのは、必要とされたのは器なのだから!
第17使徒タブリスという存在。
父なる方が、敢えてリリスに親く造った子。・・・この自分!!
父なる方は、何を託したか?
「カヲル君・・・君が何を言ってるのか、わかんないよ・・・カヲル君・・・」
「・・・遺言だよ」
哄笑と血泡を呑み込んで、カヲルは哀れなリリンの子に微笑んだ。
「・・・・さあ、僕を消してくれ。そうしなければ君等が消えることになる。滅びの時を免れ、未来を与えられる生命体は一つしか選ばれないんだ。
・・・・そして君は死すべき存在ではない」
視線を上げる。ターミナルドグマ上方の通路。見下ろす紅い瞳。
いたましいほどの戸惑いをのせた瞳。
これは僕らにとっての終わり。
しかしすべてはこれから始まるんだ―――――。
自らの手で自らの未来を切り開こうとした、リリスの子らよ。
見ておられるか、父なる方よ。
あなたが造った最後の子は、あなたが与えた自由意志を以て、あなたに背く!
あなたの完全な後身となりうる因子は、今ここで消える!
―――――――僕を、赦して。
父に背くことよりも、託された命が重い。
サキエル、シャムシエル、ラミエル、ガギエル、イスラフェル、サンダルフォン、マトリエル、サハクィエル・・・・・・・
僕を、希望そのものだと言った・・・・・・。
―――――――僕を、赦して。
―――――――僕を、赦して。
―――――――僕を、赦して・・・・・・・・・・!!
「君達には、未来が必要だ」
そして、カヲルは少年に微笑みかけた。
君に、未来をあげる。
僕は、自由を得る。
それはひどく残酷な事なのかもしれないけれど―――――――――。
最初で最後に、自分の意志を形にすることが出来たのは・・・君がいたから。
「・・・・ありがとう。君に逢えて、嬉しかったよ・・・・・」
そして祈るように瞼を閉じた時、世界はただ闇の底に消える。