地下迷宮奇譚 Ⅲ

 

 子供達の絶叫は、当然ネフィリム組の居る場所まで筒抜けた。
「…何かみつけたらしいな」
「そだねー…」
「やべ、こっち戻って来るわ」
「後ろの方からも誰か来るよー」
「ち、やっぱ発報してたか。きっと警備会社とかだぜ」
「とりあえず明かり消せ、それから散開spread out! 見つかるなよ?」

 程なく…散開し機材の陰で息を殺していたネフィリム組の前で、子供達はめでたく警備会社から派遣されてきた警備員に確保された。
 当然こっぴどく叱られたあと、有無を言わさず連行されてしまう。表の電子錠の無断解錠については彼ら(リリン組)にしてみれば完璧に冤罪だったのだが、ネフィリム達はとりあえず心の中で手を合わせつつ、それを見送ったのだった。
「悪いことしちゃったかな」
「ま、保護者に通報する手間も省けたし、結果オーライ?」
「ついでに解錠したのも誤魔化せた」
「それにしてもすごい叫び声だった…」
「警備会社の人、奥は確認せずに行っちゃったねえ」
「杜撰だよなぁ。まあ、入り込んだのがガキばっかりだったし、みんな怯えきって何を見たとも言えなかったみたいだから…奥を開けちまったとは思わなかったのかも知れん」
「…チャンスだな」
 タカヒロがにやりと笑って奥を指し示す。
 ナオキが「言うと思った…」という表情を隠しもせずに頭を掻く。
「ここまで来れば毒喰らわば皿だ。いいさ、行ってみよう」

複数の投光器が焦点を結ぶ一点にあるものを、ネフィリム達は嘆息とともに眺めやった。
 奥行きで言えば体育館ほどの空洞。下は入ってすぐの辺りはむき出しの土だが、大半が暗い水面で覆われており、どれほどの深さとも知れない。天井部分はこれもむき出しの土、というより岩盤で、ねじ曲がった大小様々な鋼材がいくつも顔を出している。
 水面も同様だが、リニアレールの残骸と思しきひときわ長く大きい鋼材がやや斜めに突き出ており、天井まで貫通していた。これがこの空間を支える補強材代わりになっているのかも知れない。やはり途中で折れている一回り細い鋼材がレールに対して垂直についているから、いびつな十字架のようにも見えた。
 その十字架に架けられているのは…やはりというか、量産機の成れの果てであった。変な具合にねじ曲がった両腕が、十字架の横木に当たる部分に絡んでいる。
 しかも、上半身のみだった。胸から腹のあたりでたった今ちぎられたような断面を晒している。たぶん、それが発する臭気だろう。…腐臭というよりは鉄血臭。薄暗い水面が一体どんな色になっていることか、考えると薄闇が幸いというべきだろう。
「…これはまあ…叫ぶわなぁ…」
 ナオキが満腔の同情を込めて呟く。予備知識があっても、さすがにこの薄闇で対面するには心臓に悪すぎるオブジェだった。
「量産機って…タカヒロ達が全部燃やしたんじゃなかったっけ?」
 ユカリが小首を傾げて言うと、タカヒロがぱたぱたと横に手を振った。
「俺たちでやったのはαアルファ1のほうで…でっかい量産型はレミ姉とカツミで操縦システムを壊してジオフロントに埋めちゃっただけさ。まさかこんな浅いところに埋まってるとは思わなかったけど」
「そーいや、α型を処分するときに勢い余ってタケルの片足ミディアムレア2にしちゃったのはタカヒロだよな」
 カツミが意地の悪い笑みをする。当のタケルが一度ゆっくりと天井を仰いでから、向き直って問い返した。
「…そーだったか?」
「お前は無頓着すぎだって。タケルじゃなきゃ死んでたぞ?」
「…ま、タケルじゃなけりゃふつうその前に飛び退くけどな」
 ナオキが苦笑しながら背負っていたビジネスリュックを下ろすと、A5サイズの硬質なケースを取り出した。中から数本のスピッツ2取り出す。
「仕事だぞ、タカヒロ。ちょっと行ってアレ削って来い。体組織、場所変えて3本な。こっちは真空だから、取れるもんなら血液。乾涸ひからびてたら無理だろうが、良くも悪くも保存状態よさそーだから取りあえず刺してみろ。これ針な」
「えー、俺!?」
 心底嫌そうに、タカヒロが呻く。
「お前ならザイル伸ばしてターザンすりゃいいだろ。俺は嫌だぞ、こんなとこで水に入るのは」
 そしてまたリュックの中からM793を取り出し、照明弾と一緒にミスズに渡す。
「ミスズ、タカヒロがあっちへついたら照らしてやってくれ」
「りょーかいっ♪ …と、レミントン4も持ってきてるの?」
 ミスズが目をきらきらさせてナオキのリュックを覗き込む。
「さすがにこの洞窟の中で狙撃はないだろ。ベレッタ5ぐらいしか持ってきてないよ…てか、そんなもん持ち出す事態なんて起きて欲しくないな。一応だ、一応…」
 放っておけば手を突っ込みかねないミスズをナオキが微妙に押し戻しながら、リュックの蓋を閉める。
「しまったなー…こういう事態は想定してなかった」
 タカヒロがスピッツの入ったケースを抱えてぶつぶついいながらも、天井部分に向けて右手から黄金色の光条を伸ばす。光条が天井から突き出た鉄骨の一つに巻き付き、タカヒロの身体が宙に浮いた。
 ミスズが装弾したM79を構えた。タカヒロが歪な十字架に降り立つタイミングで発射する。パラシュートは巧い具合に鋼材に引っかかり、空間の高い位置に数十秒間の固定照明を現出する。
「ミスズ、ナイス…うわったった!」
 量産機の残骸が絡みついた鋼材に降り立ったタカヒロが足を滑らせかけてばたつく。器材の入っているケースを落とさなかったのは感心だが、些か格好良くない着地ではあった。体勢を立て直したあと、滑った原因を見つける。
「うわー、鋼材伝って水が落ちてる。結構な水量だ」
「タカヒロー、追加照明要りそうー?」
 ミスズが岸から声を張り上げる。
「いや、こんなキモチワルイもの…あんま明瞭な照明下で見たくない。ちゃっちゃ終わらせて帰るからいーよ」
「りょーかい!気をつけなよー」
 ミスズにしては殊勝な一言を付け加えたことに、カツミが少し驚いて振り向く。
「…何、何かいるの?」
 カツミに言われて、初めて自分が何か・・を警戒していることに気づいたミスズがユカリを振り返る。入り口の一番近くに立っていたユカリがこころもち青ざめて水面を見ている。
「何か、いるよね?」
 ユカリがこくんと頷いた。
「ミスズ、照明弾もう一回。角度変更」
 ナオキがそう言うのとほぼ同時に、ミスズはM79を構えていた。
「Roger!」
 もう一発の照明弾が初弾と十字架を挟んで丁度反対側の鋼材に着弾する。ナオキは双眼鏡を目に当てたが、ミスズはそのままキッと量産機を睨んだ途端、血相を変えてM79を放り出す。
「ベレッタ出して!それとサポートお願い!」
 今度はナオキが双眼鏡を放り出した。リュックからベレッタを出してミスズに投げると、姿勢を屈める。
「…いくら何でも有効射程6外だろ?50…80はあるぜ?」
 カツミが指摘するがミスズは頓着しない。ナオキの左肩にベレッタを構えた腕を載せて叫ぶ。
「タカ、伏せて!」
 ナオキが左耳を塞ぐとほとんど同時に遠慮なく引き金を引いた。伏せたタカヒロのすぐ横…水が流れ落ちる鋼材の表面をゆっくりと這っていた何か・・が吹っ飛ぶ。
「うわ、何こいつ」
 白というより淡いピンク色の魚。眼らしいものは見当たらず、大きく発達したヒレで水の流れ落ちる鋼材の表面をゆるゆると這い寄ってくる。胴回りは細いが、その体長は1メートルを超えていた。ミスズのベレッタで先頭の1尾は吹っ飛んだが、後続が鋼材の表面をびっしりと覆うようにして這い上って来る。
「…おーい、何かいたよぉ…」
 タカヒロが情けない声を上げた。
 どこぞの博物館で、Waterfall climbing cavefishウォーターフォール・クライミング・ケイヴフィッシュという魚が「洞窟の滝を登る天使」というふれこみで紹介された事はあるらしい。一時期流行ったウーパールーパーのような色合いといい、外見としてはまさにそんな感じだが…このサイズになってしまうともはやそんな愛嬌はない。
「たしかそいつらって…洞窟内の微生物とか有機物を餌にしてるんだよな? …ってことは、別段キバもツメもないだろ」
 対岸の火事とばかりにカツミが落ち着き払って論評する。
「なくったってキモチワルイもんはキモチワルイって!」
「タカヒロ、叫んでないで戻ってこい!」
 ナオキの意見はもっともだった。タカヒロは検体を回収すると、再び天井から突き出た鋼材の一つに光条を絡めて量産機の残骸を蹴る。
「そっかぁ、噛みついたり引っ掻いたりはしないのかぁ…なんだかお魚さんに悪いことしちゃったなぁ…」
 ベレッタの銃口を見つめて、ミスズがしょげる。ナオキがその頭を軽く撫でて言った。
「まぁミスズ、危ないと思ったからそうしたんだろ?ミスズは悪くないって」
「そうそう、噛みつかれないとしても丸呑みされるって可能性はあったわけだし」
 あくまでも他人事なカツミが笑いながら賛同する。だが、余裕もそこまでだった。
「カツミ、カツミ、足元っ!」
 真っ青になったユカリが完全に裏返った声で叫んだ。
 カツミが立っていた場所のすぐ下に広がる暗い水面は、微妙に波立っていた。それがただの波ではなく、水面直下にいる何かの輪郭フォルムであることに気づいてカツミが慄然とする。
「…っ…!」
 声にならない。ほとんど反射的に半歩退き、カツミが能力を全開する。澄んだ音がして、水面がカツミの足元を中心に放射状に凍結した。…今にも水から上がろうとしていたピンク色の魚群ごと。
 岸から量産機の残骸がある地点の約半分までが氷に覆われ、それまで生温かかった空気が一気に冷却される。
「お、凄いねー、久々に見たな。絶対零度の地平アヴィオンデルセロアブソルート2ってかー?」
「…それそのネタはいろいろ問題あるからヤメロ」
 さっきまでタカヒロの慌てっぷりを笑っていただけに多少ばつが悪いのか、カツミは凍らせた水面に降り立ったタカヒロが着地し損ねて3メートルばかり滑走スケーティングしても笑わずにただ苦虫を噛みつぶした。
 そのとき、轟音がした。鋼材の一本が天井から抜け落ちて水面に突き刺さったのだ。
「今度は何だよ!?」
 タカヒロが天井を振り仰ぐ。頭上からぱらぱらと微細な小石や土塊が降ってくる。落ちそうになっているのは1本だけではなかった。数本がぐらつき、小石や土塊を降らせていたのだ。
「…カツミ、おまえいくら吃驚びっくりしたからってやり過ぎだ」
 ナオキが呻いた。
「ええ、俺!?」
「大量の空気が急激に冷却されたんだ。そりゃ、圧も下がるさ。壁面のバランスが崩れて崩れやすくなっちまったんだ。おまけに見ろ、扉が閉まっちまった」
 タケルが閉まったまま動かなくなった扉に手をかけて、「壊した方がいいのか?」と問いたげな目でこちらを見ている。
「どうしよ。とりあえず温めとく?」
 掌の中で「奥の手」2の閃光をちらつかせながらタカヒロが尋ねる。
「阿呆、今度こそ天井が崩落するわ!」
「みんな、早く集まってっ!」
 蒼白になりながらもユカリが叫んだ。彼女のATフィールドは最強である。崩落から皆を庇うことは出来るだろうが、生き埋めは免れない。
「ユカリ、無理だ」
「そーじゃなくて。座標、ここにとってもらったから。来るよっ!」
 忽然と、闇が降りる。直径3メートルほどの、空間に開いた穴だ。こんなことが出来るのは…
「えっ…」
 これにはナオキも二の句がなかった。
 それとほとんど同時に、数本の鋼材が同時に落下して氷原へ突き刺さる。弾丸のような勢いで氷が派手に飛び散り、壁面を叩くことで一気に崩落が進む。飛んでくる氷片をタケルが片っ端から砕き、タカヒロが光条で切り刻むが、一刻どころか半瞬の猶予もない。
 全員が穴に飛び込んだ0.5秒後。その空間から穴は消え失せた。

  1. α型EVA…ダミープラグの核に装甲を着せた量産機の試作機。ダミーシステムでコントロールされ、「すべて世は~」第8話「使徒、襲来」で危うくサキを膾にするところだったが、割って入ったクラッシャーコンビ(タケル&タカヒロ)に徹底的に畳まれた。サイズとしては素体がダミープラグの核なので2m程度、人間とそう変わらない。
  2. ミディアムレア…ステーキの焼き加減。表面はちゃんと火が通すが中は赤みが残った状態。
  3. M79 グレネードランチャー…40mm擲弾銃の一種。40x46mmの榴弾・対人榴弾・発煙弾・散弾・フレシェット弾・焼夷弾などを発射出来る。
  4. レミントンM700…アメリカの名門銃器メーカー、レミントン・アームズ社が開発した、ボルトアクション方式のライフル。ミスズのお気に入り。 
  5. ベレッタ92F…米軍の制式拳銃。
  6. 有効射程…諸説紛々ですが、「弾丸が届く距離」と「弾丸で敵を倒せる距離」には開きがあるのは確かなようで。ハンドガンの場合20~50mというのが通り相場のようです。