第壱話 ”Ordinary but Happy Days” 


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

週が明けて、月曜日。
 HRホームルーム前の空白時間に、間近に迫ったドライブの話でトウジやケンスケたちが盛り上がっている。およそ、行き先の話ではなくて持ってゆく機材のことだが。
 機材・・・無論、写真である。アスカやミサトの生写真は結構高く売れるのだ。トウジはケンスケの片棒をかつぐ程度なのだが、そのケンスケの手広さときたらもはやサイドビジネスとして十分に成り立つ。植物園という絶好の撮影場所が行き先であることを、一番喜んだのは何を隠そうこのふたりである。
 ちなみに、完全に目的が違っているのがふたり、生真面目に(?)南洋の植物鑑賞を楽しみにしているのがひとり。ピクニックにかこつけて呑むのを楽しみにしている者、ひとり。
 そこへ、変化は突然に現れた。
「楽しそうね、何の相談?」
 そう言ってシンジの机の前に現れたのは、綾波レイだった。
「う、うん。今度皆で植物園に行くんだ」
「相談の途中で悪いんだけど、トウジ君、先生から呼び出しかかってるよ」
「へ? うぁっ! アンケート持ってかないかんやった!!」
 トウジは飛び上がって自分の机に戻り、机の上に投げ出されていた封筒を引っ掴むと飛び出していった。
「トウジったら・・・もうHRはじまっちゃうよ」
 シンジは呑気に呟いたが、このときケンスケの頭の中は全く別のところで高速回転していた。すなわち、高額で売れる被写体がもう一人増えた場合の利益・・・。
 チーン!
 計算がまとまったとき、ケンスケはシンジの襟首を捕まえて耳打ちする筈だった。しかし、一瞬の差でシンジが(彼にしては)信じられないことを言い出したので、さすがのケンスケもその場で石化した。
「そうだ、ねぇ、植物園は今度の日曜日の話なんだけど、綾波も行かないか?」
 石化したのはケンスケだけではなかった。言われたレイ、そして隣でヒカリとくっちゃべっていたアスカである。
「・・・あ、なにか予定あるのかな」
 さすがに差し出たことを言ったと思ったのか、シンジが顔を赤らめる。それでようやくレイの石化が解けた。
「あ、そんなことないよ。あいてる。でも、いいの?」
「だって、人数多い方が楽しいだろう?」
「そう?うれしいな。じゃ、喜んで」
「詳しいこと決まったら、また知らせるよ」
「ありがとう。楽しみにしてるね!」
 その時ちょうど、ミサトが入ってきてレイが席へ戻る。レイは心なし足取りが軽い。で、誘いを快く受けて貰えたシンジはというと、まだ僅かに顔を赤くして嬉しそう。・・・・で、そのシンジをアスカが物凄い形相で睨んでいたのは、この際ヒカリしか気がつかなかった。
 HRが終わり、ケンスケがシンジの肩に両手を置いて曰く。
「偉いっ!シンジ、よくやったっ!! おれはお前を見損なっていたよ。まさかこれほどの甲斐性があろうとは!!」
「な、なんのことさ」
 うろたえるシンジ。しかしまだ、アスカの眉が引き攣ったことに気づいていない。
「綾波だよ!惣流アスカと人気を二分する美少女・綾波レイ!南洋の花をバックに彼女を撮る機会なんて、滅多にあるもんじゃないぞ!! いやぁ、持つべきものは友達だねぇ」
「・・・はぁ」
 いまだによく自分の置かれた立場が分かっていないシンジ。隣のアスカが髪の毛を逆立てんばかりにボルテージをあげていることなど、いまはまだ意識の外なのだ。
「天気だといいね、日曜日」
 とりあえず、罪のない笑みで方向があさってへ向いた返答をするシンジ。
 状況を半ば喜び、半ばおもしろがっていたケンスケは見事なばかりの肩透かしをくって突っ伏す。
「おまえ・・・ん、まあいいさ」
「なんだよ、ケンスケ。何が言いたいのさ」
 どうやら自分が知らないところで事態の急転があったことを悟ったシンジが不安そうに訊く。自分が原因であることなど全く思い至ってないのだから、もはや処置なしである。
 アスカの手元でシャープペンが砕けた。芯が、ではない。プラスチックの部分である。
「アスカ、アスカ」
 ヒカリがなんとか方向を変えようと横からつつく。
「いいじゃない、別に。綾波さんって、いい子だよ」
「そんなこと、知ってるわよ!」
 そうだ、別にアスカとて綾波レイの参加に異議はなかったのだ。誰とでもよく話す割には、意外と特定の友人というのはいないらしい。でも気の好い子だというのは知っているつもりだった。人数もまだ余裕があったし、誘ってみてもいいかもしれない・・・・とまで思っていたのである。
「あ、あのねアスカ、碇君もきっとアスカとおなじこと考えてたのよ。ねっ?」
「うう~~~~っ!!」
 ドーベルマンが血相を変えて逃げ出しそうな唸りを発して、アスカがようやく黙る。きっとヒカリの言う通りだと思う。思うのだが・・・・・
『ぬぁあんでよりによってあの・・シンジが、声なんかかけるわけぇぇ~~~?』
 素直になれない女の子と言うものは、かくもよけいな悩みが多いものなのである。

 人工進化研究所――――――――――
 それはいわゆる、表看板でしかない。
 第3新東京市の一隅、大学や病院等、学術分野の建物が密集する一郭に、何の衒いもない外観とともに佇むその建物は、地上建造物の数倍の地下施設を有していた。
 所長は碇ゲンドウ――――――。シンジの父親である。
 その研究所最大のプロジェクト・・・・「E計画」。その研究主任である赤木リツコがいつも通り研究所の敷地内に車を乗り入れたとき、目の前を黒いものが過ぎった。
「きゃ・・・・!」
 慌ててハンドルを切り、停止する。衝撃はなかったようだが・・・。
 リツコは車を降り、恐々タイヤの前を見る。そこには身体を丸めて毛を逆立てた黒と灰色縞の子猫が蹲っていた。
「ごめんなさい、びっくりさせちゃったわね。・・・おいで」
 子猫はすこし警戒していたようだったが、ややあってリツコが差し出した手の方へ歩み寄ってきた。喉をなでてやると、機嫌のよい喉声をたてて目をつぶる。
「おまえ、ノラ・・・・・・・じゃ、ないみたいね」
 深い青の首輪。まだきれいな代物である。
「早く家にお帰りなさい。こんなところでうろうろしてると轢かれちゃうわよ」
 そう言いながら抱き上げ、思わずぐるりと周囲を見回した。こんな、大学関連施設ばかりの街区にどうして飼い猫なんかがいるのだろう?
「・・・おまえ、何処の子・・?」
 彼女のアシスタントたちの間では有名な話だが、リツコは無類の猫好きだった。ペット禁止のマンションはともかく、実家は猫屋敷との噂もある。一見コンピュータと結婚しているかのような彼女のデスクは猫グッズがひしめき、猫と見ればやたらと構いたがる。
 このときも多分に漏れず、時間に余裕があるをよいことに子猫の相手をしていた。

 ―――――――――その時。

 子猫がやおら身をくねらせて地面へ降りる。一目散に彼女が今通ってきた通用門の方へ駆けてゆく。その姿を目で追うリツコの視界に、通用門のところに立っている少年の姿が入った。
 子猫はその少年の足元まで突進すると、身体をぎゅっと縮めて飛び上がった。一跳びで、少年の腕の中に収まる。
「・・・あなたの猫?」
 第一中の制服。それとはおそろしくアンバランスであるはずなのに、見てしまった者にその存在を納得させずにはおかない、憂世離れした銀の髪。・・・・そして、紅瞳。

 猫を抱いた少年が、僅かに口許をほころばせる。
 その微笑に、リツコは凍りついた。