第拾話 希望の空へ


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

「さーて、荷電粒子砲でも陽電子砲でも好きにしろって言ってもらったことだし、ここはひとつ派手に花火ぶち上げてもいいんだけど…とりあえず侵入しないと始まんないから、最初は地味に行こうかしら」
物騒な予告を呟くレミの傍にカツミが頬をかきながら立っている。場所は人工進化研究所の敷地から2街区ブロックほどを隔てた路地、共同溝の直上。レミは電源供給器の入ったボックスに両肘をつき、組んだ指先の上に形の良い顎を載せたまま軽く目を閉じている。爪先で軽くタップを踏む仕草は、先の台詞が無ければヘッドフォンで音楽でも聞き入っているかのようにも見えた。
ふと目を開けて、愉しそうに呟く。
標的ターゲット確認インサイト点火ファイア!」
研究所の周辺で、一斉に青白い火花が散った。一瞬遅れて爆発、火の手が上がる。
「うわ、レミ姉!何処が地味なんだ何処が!」
「細かいこと言わない。戦闘開始の合図としてはわかりやすくっていいでしょ。さ、いくわよ!」
もはや何を言っても無駄、とカツミは諦めてレミに続く。電子や陽子の流れを制御できるのはレミの『特技』だが、ネットワークに対しては『邪魔な機能を持った基板丸ごと過電流で灼く』というかなり荒っぽい使い方しかしないのが玉に瑕であった。
この場合、本来は地上からジオフロントへ入るためのルートを塞いでいる電子錠の基板が標的となったのだが、おそらく…研究所地上施設、内外を問わず殆どの電子錠を灼き切った格好だろう。
一番近い外壁まで走ると、レミが壁に触れて呪詛柱の結界とやらが作動していないことを確認してから跳んだ。塀の高さは5m弱はあるが、二人とも全く頓着しない。助走すら付けなかったが、塀の天辺に触れることもなく飛び越えてしまった。あちこちで白煙が上がり、電気火災特有の臭気の立ちこめる所内を走り抜けながら、カツミが呟く。
「うわー…研究所ぜんぶ丸裸だよな、これって。あとで大変だろうなぁ。泥棒とか入り放題…」
「なに間抜けなこと言ってんのよ。私らが真っ先に侵入してんじゃない。ま、こんなとこ盗るモノもないけど?」
「なんかいろいろ問題ありな発言のよーな気がするのは俺だけか?」
「はい、つべこべ言わずに 弾丸タマ準備して頂戴。なるべくたくさんね。どうやらお出迎えよ」
「了解」
速度を落としたレミにあわせて減速すると、カツミが両手を広げた。抱え込むようにした空間に、無数の輝点が出現する。それは瞬く間に数十個のゴルフボール大の氷塊に凝縮された。
「はいよっと!」
「さーて、派手に行くわよっ」
レミ自身は殆どノーモーション、ただその周囲に蒼い火花が飛び散る。刹那、氷塊は猛然と加速して行く手の通路から出てきた警備員数人を薙ぎ倒した。
流れ弾が涼やかな音を立てて通路の壁に衝突し飛散する。急激に蒸発するため後には何も残らない。靄が晴れた後には気絶した警備員が累々と転がっていた。
「あら、手応えないわね」
「こんなとこで引っかかってる場合でもないだろ。先いこ、先!」
「そうね、捜し物もあることだし」
エレベーターホールに到達すると、カツミが地下階へのボタンを押す。だが、反応がない。
「エレベーターの電源は生きてる筈なのになー」
首を傾げるカツミ。
「IDよ。タカミにカード、もらったでしょ」
「あ、そーだった」
ポケットからカードを出すと、スロットに通す。今度こそボタンが点灯した。
「やー、便利だよな。エレベーターシャフトぶち抜かなきゃならないかって一瞬焦ったぞ」
「莫迦いわないの。何百メートルも 自由落下フリーフォールなんて願い下げよ」
その時、建物が揺れた。二度、三度。天井から建材の細片が降り注ぐ。思わず顔を見合わせる二人。
「…レミ姉、俺いますごくイヤな想像しちゃった」
「とりあえずほっときましょ。 私たちは・・・・、エレベーターで降りるわよ」
そう言って、レミが悠然と扉の開いたエレベーターに乗り込む。
もう一組の陽動班は、タケルとタカヒロだ。彼等も同じようにエレベーターをクリアするための偽造IDカードを受け取っていた筈だが…どうやら使用しなかったらしい。

「…無茶しやがる」
エレベーター、であったものの残骸を眺めながらタカヒロはちいさく嘆息した。
「慌てなくったってID偽造つくってあるから今度はエレベーターとかモノレールも使えるって…聞いてただろ、お前」
「そうだったか?」
タケルはあっさりしたものである。扉の残骸を乗降口の枠から引きちぎりながら、こともなげに応えた。
「前回は時間なかったから、レミ姉が 大技メテオストライクかまして天井ぶち破ったけどさ…今度はある意味時間稼がなきゃならないんだし、慌てて降りなくていいのに」
「でも、まっすぐ降りればいいんだろ?」
「そりゃそうだけど…」
「じゃあ、これが早い」
ぽっかりと不整な口を開けてしまった乗降口からエレベーターシャフトを覗きこみ、下へ向けて指向性の衝撃波を放つ。
止める暇もあらばこそ。途中で辛うじて引っかかっていたと思しき構造物が、止めを刺されて落下していく音と…その残響がした。
「…おまえ、 他人ひとん家だと本当に遠慮が無いね」
「だって、サキの カタキ
「死んでない死んでない」
タカヒロが苦笑いしながら横手を振る。全く、タケルは大きな図体に似合わず常は大人しいのだが、身内に危害が及ぶと感じたらとことん容赦が無くなる。
「そーっと入ったらエレベーターからモノレールでジオフロントまで降りられたのにさぁ…今度は本部ん中に入って捜し物するんだぞ。陽動は派手な方がいいとは言われてるけどさ、やり過ぎると俺達だって捜し物がしづらいだろ」
「派手にやれば、捜し物が向こうからやってくる」
「おぉ、無茶苦茶だけどわりと正論! すごい、タケルが考えてる!」
「どういう意味だ」
「いや、なぁんも含むところ無くそのまんまだけど。…そーだな、でもあんまりあっちこっちぶっ壊して他のチームを行動不能に陥れるとあとでサキに叱られるぜ」
「わかった」
そう返事してタケルが何の躊躇もなくエレベーターシャフトに身を投じる。いや、絶対理解ってないだろう、というツッコミを呑み込んで、タカヒロはやれやれといったふうにそれを見送った。そして両手から黄金色の光条をきだす。右手から抽きだした光条で扉の残骸をさくさくと切り払い、左を乗降口の枠に絡ませると、タケルに続いた。

【地上施設より侵入者! 少なくとも2体を確認。パターン青!】
発令所に警報が響き渡る。
「また、複数同時展開か…」
「この間、動けるエヴァはほとんど大破してるじゃないか?」
「通常兵器、効かなかったよな?」
不安に満ちたさざめきが低く流れる。それを圧するように、声は発せられた。
「出せる機体はいくつある」
人材に余裕はない。作戦部長不在のまま、碇司令が作戦指揮を執る形が続けられていた。だが、その組織効率はあまりよいとも言えない。
「技術部。出せる機体は」
元々不機嫌を音声化したような声に、さらに急かされて技術部担当官が震え上がる。
「はっはい、α型が3体、制式の四号・五号は出せます。α型なら300秒でスタンバイ。制式は540秒」
「すべて出せ。使徒は殲滅せねばならん」
出撃させるには数々の困難が存在したが、それを報告に上げる勇気のある技術部員はいなかった。
「迎撃システムの稼働率は」
「30%を切ってますが」
「構わん、攻撃開始。所詮は足止めだ」
「はい」
作戦部スタッフのほうがなべて割り切りはよかった。話を判ってくれそうな作戦部長を失った今、司令相手に何を言っても無駄という空気が流れていた所為もある。初戦の悲惨な結末から、早くも先行きを危ぶむ者も少なくなかった。
有り体に言えば、士気は決して高くなかったのである。

 一瞬地震かと思うほどの揺れに、タカミが額に手を遣って静かに瞑目した。普通のエレベーターなら安全装置が働いて停止してしまうところだが、さすがに本部の建造様式は要塞仕様で、僅かに速度が落ちただけであとは何事も無かったように降下を続ける。
「これって…」
「タカヒロがタケルを抑え損ねた、に茜屋のアフタヌーンティーセットを賭けてもいい」
イサナが至って真面目に明言した。
「オッズが低すぎて賭けが成立しませんね。ちなみに何ですかそれ」
「あ、私知ってる」
はたと手を拍ったのはレイであった。ジーンズとセーターはミスズからの借り物だが、体格が大差ないのであまり違和感がない。
「一度、惣流さんたちと行ったことあります。ちょっと引っ込んだところにあるけど、いいお店」
言ってしまってから、そんな場合でないことに思い至って思わず口を覆う。そんな仕草にタカミが柔らかく微笑み、レイの頭を軽く撫でて言った。
「じゃ、カヲルくんが戻ったら、皆で行こうか」
―――――あの後、レイは高階邸で点滴を受けながら大まかな経緯いきさつを聞きはしたが、まだ何か別の夢を見ているような心持ちがしていた。それでも、カヲルのために自分が出来ることがあるなら、とついてきたのである。
不思議な感覚であった。そうすることが自然な気がして、何をどうしたらよいかもわからないのについてきたのである。何をどうしたらよいかわからない、という状況は、以前なら恐怖の対象であったのに、それが怖くない。自分に出来ることをしよう、という思いが、レイを動かしていた。
カヲルが傍にいない、という不安は根強い。だが、その状況を自分が変えることが出来るかも知れないという希望は、レイを逃避衝動から自由にしていた。
たぶん、このひとの所為でもあるな、とレイはカヲルと似た面差しの、既知だが初対面の人物を見上げた。
あの夏の日、カヲルを除けばただひとり…自分とおなじ存在だと感じた。十分に理解り合えたとはいえないままに決別することになったが、こうしてまた再会できた。しかも、今回はカヲルを助けるために力を貸してくれるという。
カヲルと似ているというので学校では一騒ぎ二騒ぎあったが、レイにしてみればそれほど判別に苦慮するほど似ているとも思えなかった。似ていないとは思わないが、纏う雰囲気が別物なのだ。
強いて言えば、余裕だろうか。MAGIの繰り出した槍にその身を晒しながら、それでも彼は笑っていた。カヲルが笑わない訳ではないが、タカミには常に出所でどころ不明な余裕があった。
ああ、似てるのか、と思うのは、彼がひどく哀しそうな顔をしたときだった…。
―――――陽動部隊の突入直前、3人は警備システムを騙すという手段以外は至極まっとうにエレベーターとモノレールを乗り継いでジオフロントの本部施設内へ侵入していた。
ATフィールドを物理防御として行使しない限り、ネルフ側に存在が感知されることはないというのがマサキの見解で、それは正しかった。先日マサキが侵入した際、葛城ミサトとの邂逅に驚いてフィールドを展開してしまったことで居場所がバレて追い回される羽目になりはしたが、それまでは内部を走査スキャニングしていても感知されることはなかったのである。
『まあ、経験から学ぶしかないことってのはあるもんだ』
追い回された本人はそう締め括ったが、それで落命していたら目も当てられないとミサヲに突っ込まれた。
地下へ向かって降りていくエレベーターの中では、動いていく数字を眺めるより他にすることもない。その空隙に、ふとイサナが口を開いた。
「…それにしても、良かったのか、本当に」
タカミの反応は、一瞬遅れた。
「…はい?」
その遅れをどう採ったのか、イサナは続けたものかどうか少し躊躇したらしかった。
「絶妙なタイミングで 急患・・が入って、手負いのサキを置いて来られたのは僥倖としても…本当は、お前が付き添っていたかったんじゃないのかって話。…あの 女性ひとだろう。MAGIの開発者」
イサナの言葉に、タカミはレイの目にもはっきり判るほどの動揺を見せた。
数秒、呼吸すら停めていたが、タカミは握りしめた指先をゆっくりと緩め、小さく息を吐いた。
「…否定はしませんけど」
そしてエレベーターの無機質な天井を仰ぐ。
「医者が…それも職歴50年オーバーの超ベテランがついててくれるっていうんだから…あそこで僕に出来ることは何もないでしょう。
まあ、居たたまれないってのもあったのかなぁ…」