第Ⅱ章 ”Fill my heart with song・・・”

fill my heart with song

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」


 ―――――――優しい・・・
 ―――――――哀しい・・・
 ―――――――暖かい・・・
 ―――――――せつない・・・

 かつて持っていた感情の記録を手繰るように、カヲルはヴァイオリンを手にする。
 からっぽの心に、それは何かを満たしてゆくのだ。
 だから、ヴァイオリンを弾く。
 審判の日が近づいている。だからこそもう一度逢いたいのだ。
 コアに還元された彼を抱き、泣き叫んだあの子に。

B Part

 メイルの送信者「榊タカミ」の本当のアドレスは巧妙に隠されていた。サハクィエルの探索も無駄だった。どうやら、コンピュータに関しても向こうに一日の長がありそうだと、サハクィエルは言った。
 今のところ、メイルの件を知っているのはサハクィエルとカヲル、そしてマトリエル。イスラフェルはそのことをカヲルから聞いたが、よく理解できないようだった。他の者に至っては、興味を示すことすらしない。
 ここのメイルアドレスは、この家の前の持ち主、つまりこのパソコンの持ち主が持っていたものだという。前の持ち主とやらが何者であるのか、知るものは勿論いないのだが。
 しかし、最初の一通の着信から数日と経たないうちに二通目が来た。しかも、今度はバイナリである。これを解凍して出てきたファイルが、何を用いてデコードしても正体が掴めない。
「いたずらかな?」
 マトリエルあたりは簡単にそう片づけるが、ここまで手の込んだことをして、ただの悪戯もあったものではない。
 しかしそれが、サハクィエルの「ないものねだり」をある程度満たす代物であることに気づいたのは、カヲルだった。
 一見意味もない記号の羅列は、キーだったのだ。
「MAGIへの直接の介入は困難みたいだ。しかし、市議会のホストコンピュータのように、MAGIの直接支配があるコンピュータへは楽に入れる。タイミングさえはかれば、ある程度NERVの情報も得ることができるみたいだね」
「こんなもの、誰が・・・」
 鍵を手に入れた満足感が半分、見透かされたような気味悪さが半分。動きの少ないサハクィエルの表情は、名状しがたいものになっていた。
 NERVのアクセス可能範囲から記録を読んでいたカヲルは、不意に手を止めた。
「カヲル?」
 マトリエルが不思議そうに覗き込む。とたんに、カヲルはまた凄じい勢いで指を動かし、回線を切ってしまった。
「おいおい、何だってんだ」
 ディスプレイ上に残っている文書ヘッダには、「Ope. YASHIMA」とあった。
「・・・・ラミエルが・・・」
 言いかけて、口を閉ざす。
 ふいっと席を離れ、階下へ降りる。あとはサハクィエルが引き継ぐ。
 文書を斜め読みしたサハクィエルは、ゆっくりと時計を見た。
「・・・・・あと30分足らずか」

 満月の下の森。
 月の光が強いほどに、闇は濃く、深い。
 耳障りと感じる限界の旋律が、闇をすり抜けて森へ染み透ってゆく。
 カヲルはその中を走っていった。裸足のまま、その場所をめざして。

 ――――――これは何!?

 胸が苦しい・・・いや、痛い! ・・・何故、どうして!?
 やみくもな全力疾走に耐えかねた心臓が上げる悲鳴?・・・嘘だ!
 森を抜ける。かつての陽光と新緑の舞台は、闇と暗緑色、そして蒼ざめた月光の中に沈んでいた。
 椅子も、譜面台もそのまま。そして奏者もまた、真昼と同じ場所にいた。
 しかし、その表情は別人。優しげな双眸の深い色は凍てついていた。カヲルを認め、弓を下ろす。
「・・・ラミエルが・・・・」
 言いかけて、カヲルは口を噤んだ。自分の声が、うわずっているのに気がついたのだ。
「ラミエルが、どうしたの・・・・・?」
 その言葉は優しい。だが、その問いかけは。ヴァイオリンを椅子の上に置いて、カヲルに歩み寄る。
「・・・・・・・ア・・・」
 喉が詰まる。それでもなお声を出そうとしたとき、カヲルの頬を水滴が伝った。
 彼女はそれが顎の線にたどり着く前に、指先で止めた。
「…カヲル…あなた、泣いている・・・・・の?」
「・・・・!!」
 紅瞳が見開かれる。思いもよらないことだった。
悲しい・・・の?・・・・だから・・・泣いている・・・・・の?」
 カヲルは、首を横に振った。そんなことじゃない。そんなものは知らない・・・。
 実際、彼の表情に悲しみの要素はなかったのだ。しかし、その動作で紛れもない涙が再びカヲルの頬を伝った。
 そのとき、天を閃光が奔った。
 光の中で、カヲルは彼女の目に自分と同じ水滴が溜っているのを見た。しかし、その表情は全く違っていた。

 ”悲しみ”。

 再び、闇が戻る。
「・・・あなたも、消えてしまうの?」
「ええ、たぶん。サキエルや、シャムシエルのように。そして、ラミエルのように」
「・・・・・・・!」
 紅の双眸が、動揺する。それは怯えに似たものを宿していた。無防備に立ち尽くしたまま、落涙する。
 二度目の光が奔る。今度は長い。その光の中で、カヲルは全てを否定するように頭を横に振っていた。
 ―――――理解らない!そんなことは、知らない!!
 サキエルの時も、シャムシエルの時も、確かにカヲルはそれを認識していた。しかしその認識とは、記号でしかなかった。そこには、感情の介在はない。・・・・しかし今、はっきりとした喪失の予感がカヲルを混乱させていた。
『可哀相なカヲル・・・・。あなたの罪ではないのに』
 滂沱たる涙。初めて”死”を理解した子供。なまじ聡いがため、気づかなくてよいことまで気づいてしまう。背負い込んでしまう。
『何故こんな残酷なことを?』
 彼女に答えは与えられない。
 ”仕組まれた子供”。その残酷さを、大人たちはどれほど認識しているのだろう?
 ・・・・・・・かけるべき言葉もない。今はただ、両のかいなで包みこむことしかできなかった。

 サハクィエルは、心をはるか天空へと飛ばしていた。
 重い肉の殻を地上に残し、天翔あまかける風と合一する。
 ・・・高く、高く。雲のあわいを抜け、彼方へ。
 この惑星の大部分を占める海。かつてこの惑星には空と海しかなかった。彼の眼下には、その原始の姿のとおり、海だけが広がっている。
 海。サキエルの領域。おそらく彼らのうちで一番秘密に近かった者は、その秘密を封じるかのように真っ先に出撃し、自爆して果てた。
 その意味を、その理由を、彼らはまだ捜し当てていない。
 しかし、今このひとときは考えるのをやめよう。心を休めたい。
 気流のままに、漂う。エデンを懐かしむイスラフェルを嗤うことはできない。自分とて懐かしいのだ。あの、共生の時代が・・・・。
「・・・・・!!」
 ある気配に驚いて、注意を集中する。
 そんな莫迦な。
 自分の位置を確認する。では、あれはどこだ。・・・欧州?
 次の瞬間。動揺は、彼を天空から突き落とす。降りるというよりは、墜落。
 その感覚は、一瞬だけ彼を惑乱させた。
「サハクィエル!!」
 それは、雲間を貫く光。サハクィエルは、自分がソファの肘掛けを握りしめていたことに気づいた。
 ゆっくりと、両目を開ける。
 目の前には、イスラフェルがいた。
「・・・・大丈夫?」
 大丈夫だ、とサハクィエルは言った。言ったつもりだった。喉が完全に渇ききっていて、むせてしまったが。
「・・・・彼らは、何をするつもりなの?」
「何のことだろう」
 冷めきった紅茶を含み、ようやくのことで声を発する。
「あの子のことよ。何故あんな残酷なことを?」
「・・・・こっちが知りたいね。君こそ何を知っている?」
「知っているわけじゃない。・・・感じるだけよ。私にはあなたのような理詰めの推測なんて向いていないわ」
 イスラフェルの口調は、決して彼を責めているわけではない。だが、やり場のない怒りが、彼女の言葉を鋭角的にしていた。
「あの子はタブリスだけどタブリスじゃない。渚カヲルの名を与えられた、生まれたばかりの子供。・・・ただの子供だわ。あの子に一体何をさせようというの!?」
「・・・・・・」
「あの子は笑い、そして泣き、”感情”を備えようとしている。リリンのような”感情”を。・・・いずれあの子にも時が来るわ。そうしたら”カヲル”は引き裂かれる」
「・・・我々に何が出来る?」
 冷然と言い放つ。突き放すつもりはない。他に言いようがないのだ。
「時を待つという事以外、自分がここに在る理由も知らず、過去も、そして未来も知らぬ我々に何が出来る。・・・いずれ、誰かの掌の内。父なる方かもしれないし、それ以外の誰かかも知れない。だがそれすら突き止められない我々に、彼に対して何かできることがあるとでもいうのかい?」
 そこまで言って、彼はいったん口を噤んだ。
「・・・・済まない。言い過ぎた」
「いいえ。私こそ悪かったわ。声を大きくしたりして」
「・・・・泣いたのか、カヲルが」
「”あなたもまた滅ぶのか”・・・と言って。いつか私に時が来たら、また泣いてくれるかしら・・・・?」
「・・・・そんな日が・・・こなければいいが」
サハクィエルは身を起こした。
「・・・・・・・ガギエルは何処に?話したいことがある」