Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」
「・・・・で、遺体も回収できなかったの?」
「彼らが言うには、4、5ヶ所は被弾してるはずなんだがね。そのプラントの中で足取りがぷっつり」
「たかが民間人にプロが寄ってたかって4、5発打ち込んだ挙げ句、逃げ切られたわけね。保安諜報部が聞いてあきれるわ」
「まあそう言うなよ。事後処理の方は巧いことやっといたんだからさ。それはそうと、あんな過激な命令だしちゃってよかったの? このコト、司令には内緒なんだろ?」
「・・・・・何故そう思うの?」
「だって、そうでもなきゃリッちゃんがオレを通す理由がないでしょ。いくら浅間の件で忙しかったって言ってもさ」
「わかっててやらせたの?あなたも狸よね。あなたこそ、あっちもこっちもいそがしいくせに」
「MAGIへのハッキングを看過してきた以上、失敗したら保安部の失点って読んだうえで、あえて強硬手段に踏み切ったリッちゃんもね」
「・・・・・・」
返事はない。リツコは無言で水割りの残りを呷る。
「・・・・リッちゃんは、どう思ってるんだい?」
「私が自分から喋らないことを訊いても無駄って、長いつきあいでわからない?」
「・・・・・失礼しました」
大仰な仕種でカウンターに平伏してみせる加持に目もくれず、リツコは席を立って言った。
「・・・・・・・・彼の件は誰にも喋ってないわ。私の独断よ」
後で病院に担ぎこまれた保安部の二人は、統合失調症の診断のもとに入院となった。技術局一課の人間が見たら「精神汚染」と呼ぶであろう症状ではあったが。
彼らは何を見たのか?
自宅にあるHDの中身をすべて初期化し、社のホストコンピュータのデータの一部を消去した榊タカミの真意に、加持は興味を持っていた。
無論、保安部に踏み込ませる前にある程度の探りは入れてみた。しかし、さすがは人格移植OSについてもスペシャリストと言われた榊博士のガードは固かった。もっとも、収穫ゼロと言うわけではなかったが・・・・・・・・。
ハッキングの件をすべて不問に付し、榊タカミは「失踪」として処理された。原因不明。捜索も打ち切り。・・・・・そういうふうに、第2東京市で存命している榊の父親には通知される。
これは裏切りだろうか?
赤木リツコは自問する。
榊タカミ・カーライルという人物に注目したのは、そう昔の話ではない。SIS最重度症例の刻印に屈することなく自ら決めた道を進む、一人の科学者。彼女にとって、その存在が殊更に注目に値するわけではなかった。
きっかけは、些細なものだ。
使徒の侵攻が始まったばかりの頃だ。M.B.C.I.本社へ出向いての資材耐久実験。明かりを落とした実験室で、色の入った眼鏡を使っていた。見えにくいものを、何故?
変わった人だ、と思えばそれで済むことだった。事実、その時はそう思った。・・・・・闇の中で、眼鏡の奥の双眸が緑色の光を放つのを見るまでは。
虹彩の色を隠しているのだ。
幼い頃に色の淡かった瞳が加齢に伴って濃くなって行く、というのならばまだありうる。だが、その逆は。
そのうち、彼のたどってきた道に思い至る。SI症候群に関連するものか?・・・・・そこから疑問は始まった。しかし、 この段階では、使徒の爆発が人体に与える影響で、今までに確認されていないものがあるのかという程度の認識だった。
ところが。
14年前からの医療データは、葛城ミサトのそれと同様トップシークレットに属していた。しかし、彼女の立場から閲覧できないものなど、ことセカンドインパクトに関するものについてはありえない。むしろ、彼のデータについては何者かが意図的な隠蔽を行っているもののようだった。
意図的な隠蔽?
それには何らかの理由がある筈だ・・・・・・・・。疑問が疑惑に変わったのも、このころだ。
あまりにも突飛だと、彼女も最初は自分の思いつきを一笑に付した。しかし、ありえないことではないのだ。彼女は現に、もっと手の込んだ実例を見ているのだから!!
ゼーレが把握していない「使徒」。それも、人間と酷似した容姿の――――――。
やがて医療データについては入手できたが、それは巧妙に改竄されたものであることが分かった。これはもう、病院ぐるみの隠蔽であることは間違いない。病院ぐるみ・・・・・つまり、榊の父親が意図したものだということだ。
そうだ、疑惑が真実だとして、1986年に生まれた榊タカミはどうなったというのだ?遺伝子パターンその他、すべてのデータは彼が榊タカミだと示している。ただ、多少の体質的な変化は見受けられるにしても。
ヒトが使徒になる?そんな莫迦な。
このあたりで、調査は挫折を余儀なくされた。元来、何の確証があって疑っているというのだ。瞳の色?そんなもの、彼女の記憶違いだとしたらそれまでなのだ。
しかし、NERV内各部署のメイン情報バンク検査で保安諜報部のバンクが随分前から不正なアクセスを許可していたことに気づき、その手口の巧妙さから再び彼を疑うに至った。
しっぽを掴むためにMAGIに罠を張らせた。その罠にハッカーがかかったのが、浅間の件が持ち上がる4時間前の話である。解析の結果、ついに彼の名が出た。
しかし技術局一課が首を突っ込む訳には行かなかった。パターン青の確証はないからだ。しかし、ハッキングの件で引っ張ることは可能だろう。NERV内のコンピュータへのハッキングは、NERVに処置の権限がある。
報告は、パターン青と出てからで良い。メインバンクへの侵入を許したのは、アクセス管理が杜撰だった保安諜報部の手落ちだ。引っ張るのは保安部に任せればいい。それとなく情報を流せば、保安部は慌てて飛びつくだろう。その、「それとなく」にまさにうってつけの人材を、リツコは知っていた。
後は、身辺が危うくなって、彼が本性を現すか、否か・・・・。
だが、マグマの中で繭にくるまっている存在よりも御しやすいという保証はない。下手をすれば、第3使徒襲来時の 二の舞、いや、警戒体制を敷く暇もなかった場合はそれ以上の大惨事にもなりかねない危険をはらんでいた・・・・。
――――――――こんな大事なこと、何故私は司令に黙っていたの?
結果的に疑惑については灰色のまま、MAGIに対するハッキングをしていた榊タカミという人物が消えただけだ。
何も起こらず、何も変わらなかったのだ。・・・・・・少なくとも、このときは。
シャワーを流しっぱなしにして佇み、カヲルはすこし熱すぎる湯に頭や肩を打たせるままにしていた。
白い手から、紅の飛沫が洗い落とされてゆく。
泣いてはいない。ただ、その目は虚ろだった。
何か、答えに近づいた気がした。しかし、掴む前に砂のように崩れて消えてしまった。残ったのは、いつも自分の裡にある・・・胸腔に霜が降りるような感覚だけ。何も変わりはしない。
――――――――何をしに行ったのだろう。
空しい問いだった。
イスラフェルが残したヴァイオリンを渡されたときも、カヲルは何ら感情の動きを見せることはなかった。
「そう。ありがとう」
そう言ってあっさりと踵を返したカヲルに、サハクィエルが問うた。
「サンダルフォンの件は・・・・・・・?」
カヲルは、振り向くことさえしなかった。
「知ってる。彼女の声を聞いた」
いたましげな沈黙があった。が、その後へサハクィエルが継いだ言葉に、カヲルは始めて感情を伴った表情で振り向いた。
「・・・・幸福だな。ある意味・・・」
揺り椅子にかけ、窓外の景色を漫然と目に映すサハクィエル。その所作は、到底外見的な年齢にはそぐわないものだった。
「・・・・・幸福?」
思わず、聞き返していた。
「・・・・・・少なくとも彼女は、自由だった」
一瞬、紅の瞳に険がこもる。だがそれは、本当に一瞬だった。すぐに虚無的な、冷めた眼差しに変わる。
「何を以て自由か。弱いものには、死を選ぶ自由しかないというのに」
「君に向けて自由を説く舌は持たないよ。・・・・そう思っただけさ。他意はない」
そう言ったきり、口を閉ざす。
カヲルは不思議なものでも見るような眼差しでサハクィエルを見た。
ややあって、問う。
「・・・・マトリエルは」
答えは、即座に帰っては来なかった。
「・・・・・・・・今朝、行った。君が帰ってくる2時間ばかり前のことだ」
「・・・・・・・」
カヲルは、何も言わなかった。そして再び踵を返す。今度こそ、振り返ることもなかった。
静謐が、またそこを埋めつくした。
「・・・・・・・・わかっていたことだと言うのに・・・・・」
サハクィエルは、天空を仰いだ。