Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」
リツコの判断で、何とか使徒の勢いをそぐことは出来た。しかし、メルキオールがバルタザールをリプログラムしてしまうまで、自爆決議が可決されるまでの時間を2時間ばかり伸ばしたにすぎない。
「常に進化し続ける相手に対する手段は一つ、死なば諸共。MAGIと心中して貰うしかないわ。・・・・・MAGIの物理的消去を提案します」
「ムリよ。MAGIを切り捨てることは本部の破棄と同義なのよ」
「では作戦部から正式に要請するわ」
「拒否します。技術部が解決すべき問題です」
「なぁに意地はってんのよ!?」
声を荒げたミサトに、リツコは静かに言った。
「・・・・私のミスから始まったことなのよ」
そして、表情を隠す。
何か知っている、そして隠している。そう思ったが、さしものミサトも今ここで難詰する訳にも行かなかった。結果、語気の槍をおさめるしかない。
「あなたはいつもそう。いっつも一人で抱え込んで・・・・」
ため息混じりにそう言うしかなかった。全て自分で解決しようとする。誰もあてにはしない。それはある意味で立派かもしれないが、周囲から見てやりきれなくなる時がある。
暫時の沈黙ののち、リツコが決然と顔を上げた。
「相手が常に進化しつづけるのなら、勝算はあります…!」
もどかしい動作でバルタザールを食みつづけるイロウルをモニタしながら、カヲルは吐息した。
あるいは何らかのかたちで、「榊タカミ」として生きた14年間の記憶が保持されているのかもしれない。その存在の形態は違っても、イロウルには違いないのだから。
しかし、記憶は確かに人格を構成する部品であるが、それが全てではない。今のイロウルにかつてのタカミの人格そのものが保持されている訳ではないのだろう。
――――――――莫迦な、リリンたち。
あのまま・・・・・・・「榊タカミ」のまま、彼が無事その一生を終えていたら、こんな事態は起こらなかった。そして彼自身も、心からそうなることを祈っていたのだ。
それなのに。
『笑っちゃうよ、まったく。ひとつになったと思った。ずっとこのままいられるんじゃないか。そんな甘いことまで考えてた。・・・・・・とんでもないね。タカミの心も、身体も、記憶さえも喰らって、結局自身の破滅を導いただけだ』
皮肉な笑みを浮かべた、血に汚れた唇。
だか、あのときまで確かに、彼はイロウルであり、そして同時にタカミだった。少なくともカヲルはそう思う。それはひどく不安定な存在だったけれども、自らの居場所を自ら開拓しようとした、ひとつの新しい生命のかたちだった。
彼は確かに自ら掘った墓穴に落ちたのかもしれない。だが、追いつめたのは、リリンだ。
――――――――――何故。
今のイロウルはただ、タカミが持っていた記憶の断片を駆使して己の裡のプログラムを遂行しようとするだけの、ただの傀儡。もとを知っているだけに、その姿は直視に耐えぬ。
カヲルは回線を切った。
EVAの力を借りず、己で解決するがいい。身勝手なリリンたち。
榊タカミの専攻は生化学であったが、彼は人格移植OSに関してもスペシャリストの域にいた。その知識の全てが保存されているとしたら、到底勝ち目はないかもしれない。
しかし、<彼>がアダムの居場所すら掴むこともできずMAGIに固執するところをみると、その可能性は薄い。相手がただ適応し生存することを主眼に置くなら、その適応の過程・・・進化を促進してやればよい。進化の終着点、滅亡に至るまで。
相手がMAGIとの互換性を持つ生きたコンピュータなら、その手段はプログラムという形で送り込めるはずだ。
『・・・やってみたまえ』
無機的な許可の言葉が、リツコの隠し事をすべて見抜いた上での言葉のように聞こえたのは、リツコの考え過ぎか。
カスパーの内部にはびっしりとメモ紙が張りつけられていた。そのなかの数枚にまたがるようにして、それも紙を裂かんばかりの筆圧で書かれた一つの走り書き。まさに殴り書きと言うに相応しいそれに、リツコはなぜか口元をほころばせている自分に気づいた。
「ありがとう、母さん・・・・確実に間に合うわ」
MAGI・メルキオール、MAGI・バルタザール、MAGI・カスパー。東方より来たりし三賢者の名を冠したスーパーコンピュータ。そのOSのオリジナルは製作者たる赤木ナオコ博士・・・・・リツコの母である。
母はMAGIを三人の自分と言った。科学者、母、そして女。
科学者「赤木ナオコ」は、尊敬に値する存在だった。彼女の発想の柔軟性、実行力、それはリツコが斯くあれかしと思う科学者像により近いものだった。
母としての彼女は今でも判らない。なによりリツコは母親になったことはないし、これからもなれそうもないからだ。
――――――しかし、女としては憎んでさえいた。
今となっては、憎む資格もないが。
『男と女はわからないわ。ロジックじゃないもの』
知ったふうなことを言った。いまではそう思う。
――――――父についての記憶がそう豊富にあるわけではない。温和なひとであったと聞くばかりだ。
やはり同じ科学者で、学生時代に知り合い、ほどなく結婚したという。リツコが物心がついた頃には別居状態で、中学にあがるよりも前に正式に離婚れた。その理由も、その後父がどうなったのかも、リツコは知らない。
・・・・だが、父と離婚れたりしなければ、母は少なくとも発令所から飛び降りるようなことはなかったに違いない。
温和な人。科学者と言うより文人向けの、野心のために身を削るようなことはしない人だったという。時間も収入も安定した仕事につき、家族を愛し、適当に趣味の時間を持ち、友人も多かった。
そう言ったのは母だった。
誰かと正反対だと思ったのは、リツコだけではなかったようだ。言ってしまってから、彼女は笑った。
それでも、母はあの男に惹かれた。文字通り、身を滅ぼすほどに。利用されていると知っていても…。
「ロジックじゃない」男と女は、「幸福」の定義と別次元の問題なのかも知れない。
そうか、とリツコは思った。榊タカミは父に似ていたのだ。容姿の問題ではなく、その雰囲気が。
ミサトのように、リツコがそれに惹かれることは決してなかった。お互いの軌跡はクロスすることのない、捩れの位置にあったのだ。
―――――――それが、今更こんな形で対峙することになろうとは。
「きたっ・・・・・! バルタザールが乗っ取られました!!」
バルタザールのモニターが赤く点滅する。
「バルタザール、さらにカスパーに侵入!」
カスパーの内部でキーを叩き続けるリツコ。MAGIの自爆宣言を聞いたミサトが声を大きくする。
「リツコ急いで!」
「大丈夫。一秒近くも余裕があるわ」
「一秒って・・・・・!」
「ゼロやマイナスじゃないのよ」
その口調は平生と変わることはない。
「マヤ!」
リツコが初めて声を高くした。しかしそれは慌ててのことではなく、外にいるマヤに聞こえるように。
「いけます!」
「押して!」
二つのリターンキーが叩かれる。
【・・・・秒、一秒、零秒】
その一秒間、本部は異様な静寂に包まれた。
カスパーにのこった正常エリアの最後の一つが明滅する。直後、風が雲を吹き払うようにMAGIのモニタがブルーに戻った。
【人工知能により、自律自爆が解除されました。なお、特例582も解除されました。MAGI-System、通常モードに戻ります】
歓声が静寂に取って代わる。
リツコは初めて、大きく息を吐いた。その額を、汗が滑り落ちる。
それが悲鳴であったのかどうか、カヲルには判断がつかない。
一つになりたいという欲求と、無に還ることへの恐怖が絡み合った混乱は、聞きたくなくてもカヲルの心に飛び込んできた。
わからないのはその存在がまだ、消滅したように感じられないこと。
おそらくMAGIの自爆は回避されたのだろう。しかし、本当にイロウルが進化の果てに自滅したのかどうか。カヲルには判らない。あるいは自滅を免れ、全く別のものになってしまったとしたら、もうカヲルにトレースはできないからだ。
もしそうなら、彼は父なる方のプログラムから解放されたのだろうか?
東の空が、白みはじめていた。
「もう歳かしらね。徹夜がこたえるわ」
珈琲を差し出したミサトに、リツコはそう言った。
「また約束守ってくれたわね。お疲れさん」
礼を言って、受け取る。干上がっていた喉に、それは存外心地よかった。
「ミサトの入れた珈琲を、こんなに美味いと思ったのは初めてだわ」
正直過ぎる感想に、ミサトが反応を選びかねて苦笑する。
反応の消えた第11使徒。周囲はそれを殲滅ととったが、現実としてそれが正しいかどうかは、実の所もう確かめる手段がない。
自滅を回避するために使徒がMAGIとの共生を択んだとしたら、MAGIはもうそれを有害なものとして見なすことはないからだ。
相手は細菌。またぞろ活性化し、侵食を開始すれば別だが、その気になれば何処にでも潜伏は可能なのだ。
・・・・あるいはMAGIは、とんでもないものを取り込んでしまっているかもしれない・・・・・。
再度の侵攻があるとしたら、今度こそ勝ち目はあるまい。何せ、相手は自滅寸前、極限までの進化を遂げているのだから。
―――――――それでも私は戦うだろう。
もはや度しがたい莫迦だ、と自分で思う。
男と女はロジックではない。全てを理屈で割り切れるなら、リツコは今、ここにいない。
カスパーの本体がゆっくりと収納されていく。カップを抱えたまま、リツコは立ち上がった。