Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」
あなたは、御自身に似せて我らを創った。
御自身の後裔とするために。
選ばれるものはただひとり、あとは要らぬと仰せあるか?
さればこの問いをお許しあれ、父なる方よ
全能なる御身が、何ゆえに要らぬものを創られたか―――――――――?
【エクタ64よりネオバン400。前方航路上に積乱雲を確認】
【ネオバン400確認。積乱雲の気圧状態は問題なし。航路変更せず、到着時刻を遵守せよ】
凍りついたドアの前で佇むカヲル。誰の業かはひとに聞くまでもない。
「・・・・カヲル?」
声をかけられ、カヲルは振り返った。
「・・・・・・・アルミサエル?」
彼女の姿を認めてそう問い返すまでの時間は、僅かなものだった。
「そうよ。会うのは初めてね?」
カヲルは頷き、凍りいたドアに視線を戻して言った。
「彼は、行ってしまったのかい?」
今度は、アルミサエルが頷く番だった。
「・・・そう・・・・」
このときのカヲルの表情を、彼女は読み取り損ねた。無表情なわけではない。かといって・・・・・
だから、彼女が口にしたのは別のことだった。
「・・・・・・東棟の奥・・・・・・見たの?」
カヲルは頷いた。自然のものでない氷に触れて赤くなった手を見つめながら。
「怒らないの? 酷いことするって」
顔も上げず、紡がれたのは淡々とした言葉。それは暫し、彼女から声を奪った。
「・・・・・・理由があるから、でしょう」
エヴァ。人がアダムから作り出した、人の形をした、人に近いもの。
それは確かに生きている。だが、魂が無い。
魂の無いものが、何故生存している?
答えはすぐに出た。・・・・人は魂を生み出すことはできなかったが、既存の魂を宿らせることには成功していたのだ。
その魂は怯えていた。何故自身がそこに居るのかがわからず、パニックに陥っていた。
――――――憐れだ。
彼はおそらく、その幼い魂に自身の惑いを重ねていた。
いずれ時が来てしまったら、こんな感情も失ってしまうのだ。
かつて迷い猫に興味を示したカヲルを嗤ったこともあったが、今、それと類似した感情をこの憐れな魂に持っていることを・・・・・・・否定しようとは思わない。
ひとつになればいい。
エヴァ本体の機能のほとんどを、彼は既に掌握していた。彼と一つになることは、とりもなおさず彼女が与えられた新しい身体・・・・エヴァに目覚める早道でもあるはずだ。
おそらく、そのこと自身は彼女にとって何の意味もないことだろうが・・・・・。
自我を確立しきれていない魂にとって、あるいはそれは、自身の消滅に近いことかもしれない。まったく別の、エヴァという生き物になってしまうことかもしれない。・・・・しかし、この恐怖を和らげてやる手段は、他に無かった・・・・・。
【初期コンタクト問題なし】
【ハーモニクス、全て正常位置】
【了解。作業をフェイズ-Ⅱへ移行】
【絶対境界線、突破します】
「・・・・ゼルエルは、彼女に触れてから、おかしくなったの」
二人は庭へ出ていた。その部屋の窓は今日も開かれており、いつものように、そこには様々な小鳥達が集う。
アルミサエルは、いたましげな目でその窓を見上げた。
「もう、ずいぶん前の話よ。勿論あなたが来る前・・・・・。皆、何が起こったかわからなかった」
その横顔を、不思議なものでも見るようにみつめるカヲル。
「ここに来た当初は、あそこまでじゃなかったの。このかたちをとるときに、何らかの事故があったんだろう・・・・と、サキエルは言っていたわ」
「・・・・サキエルが?」
初めて、感情らしいゆらめきを浮かべる。だが、それも一瞬。
「彼女の処置も、彼が決めたの・・・・・彼の所為にするつもりはないわ。私たちも、そうするしかなかったんだもの」
そして、悲しげに俯く。
「以来彼女の世界は、あの部屋と、あの窓から見えるものだけになったの」
「そして貴女ひとりが世話をしている?」
「イスラフェルがいたころは、二人で、だったわ・・・・・・・」
「彼女も知っていた?」
「そうよ」
「・・・・・・・・」
「悪く思わないで。これも彼女の意志じゃないの」
カヲルの沈黙に、彼女ははっとしたようにつけ加えた。だが、カヲルはそれについては何の感慨も持たなかったようだった。
「・・・あなたやイスラフェルは、ゼルエルのようにはならなかった。何故?」
向けられた問いと、ひどく透明なまなざしに戸惑う。思わず目を逸らし、彼女は答えた。いや、それは答えになっていたかどうか。
「私やイスラフェルは、そういう者なの。・・・・説明しにくいのだけれど、ATフィールドの強さだけが全てを決定する訳じゃないわ。あるいは、レリエルも似たようなことを言っていたかもしれないけれど・・・」
カヲルは態度でそれを肯定した。
「・・・・・・お願い。あともう少しだけ、待って頂戴。サキエルはあの子をあなたに会わせてはいけないとは言わなかったわ」
その言葉は、沈黙で報われた。紅は、ただその窓だけを映していたから。それでもややあって再びカヲルが口を開いたとき、彼女は僅かに返答を躊躇った。
「あなたは、サキエルが何を考えていたか知っていた?」
アルミサエルは俯き、呟くように言った。
「・・・・おそらく、私が知ってるのはほんの一部だけよ・・・・・」
このときを待っていた。
リリンが、自ら作り出したこの巨人に命を吹き込む瞬間を。
外部電源によらないタイプだということはわかっていた。ただ、エネルギー伝達系は強力にブロックされており、彼自身にはそのブロックを解除できなかっただけのこと。
【だめです!! 体内に高エネルギー反応!!】
【――――まさか!?】
【使徒!?】
無人の地下ケイジが火を噴く。
全てが融解した坑の底で、エヴァ参号機が咆哮をあげていた。
【エヴァンゲリオン参号機は現時点を以て破棄。目標を第13使徒と識別する】
『パンドラの箱に手がかけられた』
カヲルが鍵のある部屋に気づいたらしいことをアルミサエルから聞いたとき、バルディエルはそう評した。
カヲルが何処まで「タブリス」の記憶を受け継いでいるのか、正直なところ彼女も知らない。今何処まで思い出しているのかさえも、外からは分からないのだ。
かつてイスラフェルとの接触で一度その危機に瀕したことを、アルミサエルは知っている。その時は、カヲルとイスラフェルと、双方が気づいてどちらからともなく離れてしまった。
明確な意志を持ってそうしたのかどうかはともかく。
カヲルが第3新東京市に赴いた直後、イスラフェルには時が訪れたのだった・・・・。
あるいはカヲル自身も、それに薄々気づいているがために、あえてひどく曖昧な態度をとっているのかもしれない。
―――――――――一歩間違えば、「カヲル」は消えてしまうのだから。
カーペットの上には、色とりどりの硝子玉が散らばっている。陽を集め、あるいははねて様々な陰影を投げかけるそれを、少女は無心に転がす。その手元に、肩に、鳥達は羽根を休め、戯れる。
「じゃあね、また来るから」
声に出した言葉が理解されないことは分かっていたが、アルミサエルはそう言って立ち上がると重い足どりで部屋を出る。
無邪気な顔で手を振るのへ、精一杯に微笑みかえす。
しかし、その無邪気さがつらい―――――――。
ドアを閉めた。そしてノブをつないで錠を下ろす。
がちり、という硬い音が、耳を打った。
ゆっくりと扉の前に膝をつき、ノブの冷たさを額に感じながら、彼女は深く吐息した。
箱を開けることは恐ろしい。しかし、パンドラの箱のなかには「希望」が残される筈なのだ・・・・。
死にたくない。
まだ、死にたくない。
生きていたい。
死にたくない。
まだ、何も知らない。何も分かってない。
何も知らないまま、ただ殺されていくのはイヤだ。
死にたくない―――――――!!
カヲルが異変に気づいたのは、その日の夕刻であった。
あの、嫌な気配。
夕闇が迫る中で、カヲルはその感覚に縛られて立ち尽くした。
氷の軋るような音。
氷が裂けていく音。
その意味するところを、カヲルは知っていた。
ややあって部屋の中で暴れ回る音が聞こえ・・・・窓が破られた音を最後に途絶えた。
吐息して、ベッドに身を横たえる。
闇が、部屋の中を満たしていた。