Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」
蕭蕭と、雨が降る。
赤いEVAがポジトロンライフルを乱射する様を、彼女はビルの屋上から黙然と見ていた。
雨に濡れるのも構わず、憎みさえするような眼差しで苦悶するEVAを突き刺す。
クリーム色のロングタイトとジャケット。それほどに目立つ器量というわけでもなく、平時はどこかぼうっとした印象すら与えるだろう。しかし避難勧告の出た第3新東京市の、兵装ビルの上に立つ彼女の表情は・・・いつもの静穏を圧する峻厳に覆われていた。
ややあって、青いEVAが地表に姿を現した。その手にあるものを認めた彼女の表情が、さらに硬さを増す。
組み合わされた螺旋状の、奇怪な槍。
リリンはそれを「ロンギヌスの槍」と呼びならわしている―――――。
彼女は、雨の中に佇立するその家をふと仰いだ。
かつてここにひしめいた気配は、もうほとんどなくなっている。
残るのは、ただ静寂。
開け放たれたまま、硝子の破れた窓が蕭然と濡れている。
深く吐息し、鍵の掛かっていない、重厚な玄関扉を開いた。
泥で汚れた白いヒールを無造作に脱ぎ捨て、視線を上げれば暗い屋内。
二階へすぐに上がることが憚られて、ひとまず玄関を戸締まりしてからリビングへ足を向ける。
棲む者もなく、水も換えられなくなって久しい水槽。薄く埃が積もっているリビングテーブルでは、白い花が硝子の一輪挿しの中で枯れていた。
雨に濡れそぼつジャケットをそのリビングテーブルの上に投げ出し、ショルダーバッグを半ば放り投げるようにその上に置いた。
ソファに身を沈め、吐息する。
色の判然としない瞳は、組んだ指先越しにテーブルセンターの文様を映していた。・・・が、それが突如として焦点を結ぶ。
テーブルの一隅で埃を被っている、パソコンの起動音。
彼女ははっとして画面に目を向けた。明るい起動画面が不意に乱れ、黒一色になる。
―――――Please don’t cry.
ピリオドの後で、カーソルが点滅している。
「・・・・・やっぱり、生きていたのね」
彼女の唇に浮かんだのは、苦笑だった。その言葉が聞こえたかのように、カーソルが動いて次の行に移った。
―――――Well……Yes. ……I’m alive. But I’m not what I was.
「それでもいいわ。・・・・生きているなら」
―――――You are still alive,too.
「ええ、そうよ。でももう時間がない」
―――――I’m alive,You are still alive,too.
「あなたが言いたい事は判るわ・・・でも、私には無理よ」
―――――You should survive,should you?
―――――Never say die!
「・・・ありがとう。なるべくならそうするわ。でも、私は私のできることをやるだけよ」
彼女は今度こそ微笑んだ。・・・苦笑ではなく。
暫時の、空白。
―――――Sorry…………
―――――See you later…………
低い唸りと共に、画面が灰色に戻る。
「・・・・ええ、そう願いたいわ。私に、“後”があったらね・・・・・」
呟いて、ゆっくりと立ち上がった。
鍵は鎖共々床の上に落ちたままだった。
深く息を吸い、意を決したように扉を開く。
湿った風が彼女の顔に吹きつけた。
開け放たれた窓。風に揺れるままのカーテン。吹き込む雨にさらされたカーペット。そこに、カヲルはいた。
カーペットを染める紅に、彼女はさして驚かなかった。
「・・・・カヲル」
名を呼ばれ、ゆっくりと、紅瞳が彼女を捉える。その涙痕鮮やかな目許には、もはや感情はなかった。
「・・・・NERVは“槍”を使ったわ。おそらく、“シナリオ”は修正されるでしょう」
殊更に冷然としたもの言いを、彼女はした。おそらくは、自身の感情を抑えるために。
「私に出来ることはもうほとんどないわ。あとはあなたが決めるのよ。誰の助けも借りず、一人で」
カヲルの表情が僅かに曇り、俯く。
「・・・だから、誰もその決定を責めたりしない。でも、心のスミでいいから気にかけていてほしいの。・・・・サハクがいいこと言っていたわね・・・あなたは私達の“希望”そのものなのよ。
でも・・・いいえ、だからこそ、私達のためにする選択ならばそれはやめて欲しいの」
そこまで言ってふと、声と顔を和らげる。それは、いとおしさというよりいたましさであったのかも知れない。
「今は何も聞かないわ。いまここであなたに決断を迫るつもりはないの。あなたには、もっとつらいことが待っているから」
「・・・・僕は・・・・!・・・・」
「・・・・・・あなたに一番つらい役目を振ることになってしまって、申し訳ないとは思っているわ・・・・・」
かつて聞いた科白。それを口にしたのは・・・・・。
その時、雨を突いて不粋なエンジン音とブレーキ、複数のドアが開けられる音が窓から飛び込んできた。
彼女の表情がこわばる。
「・・・・ここにいて!」
階段を駆け降り、リビングに投げ出したままのショルダーバックからオートマチック銃を出す。
弾倉を確認し、それを握る手の震えを抑えるように、左手を添えた。
「・・・・守ってね、兄さん」
――――彼女がホールまで出たとき、玄関扉が荒々しく叩かれていた。
「・・・そんなに叩かなくたって、聞こえてるわ」
インターフォンに向かってそう告げた後で、右手を銃把にかけたまま、扉の鍵を開けた。
彼女が開けるより前に、扉は無遠慮に向こうから開けられた。
「・・・・・・・高階 ミサヲだな」
「・・・初対面の人間にたいして口をきくときには、呼び捨てにするものじゃないわ」
彼女は毅然としてそう言い放った。いかにも威圧的な黒服に微塵も動じないことに、かえって向こうがたじろぐほどに。
「・・・・・・失礼。その様子なら、Dr.高階から我々の目的も聞いておられると思って良いのでしょうな?」
とってつけたような丁寧さは、この際礼儀とは無縁だった。
「・・・・ええ」
そのとき、不意に彼女の顔色が変わった。先刻車から降りた人数と、目の前に居る人数が違う。
――――――――銃声。東棟のほうだ。
「あなたたちは・・・・!!」
玄関の男たちに構わず、彼女は身を翻した。
東棟の、締め切った筈の勝手口の鍵が撃ち抜かれ、こじあけられている。階段を駆け上がり、その部屋に飛び込んだ。
「汚い手でその子に触らないで!!」
ロックを外して、一喝。カヲルの両腕を捉えていた二人が思わず凍りつく剣幕だった。
「・・・・放しなさい、今すぐ!! 私は本気よ・・・何なら試してみる?」
撃てるわけがない、当たるわけがない・・・・そんな判断すら駆逐されたと見え、男たちが動きを止める。カヲルが昂然と男たちの腕を振り払った。
「・・・・今更、逃げも隠れもしないわ。兄はそう約束した筈よ」
銃をおろす。そして、階段を上がってきた、先程玄関に姿を現した男たちへ言った。
カヲルが指示された黒い車に乗り込む時に、その音がした。
破裂音と共に、窓が吹き飛んだのだ。直後、ある種のハ虫類の舌を思わせる炎が窓から空へ向かって伸びた。
「・・・・・・!」
窓は熱で次々と吹き飛び、中で燃え盛る炎がそこからでも見えた。
さすがに動作をとめるカヲル。
「・・・乗るんだ」
銃を突きつけ、黒服の一人が唸るような声で言う。
拳銃など恐ろしくはなかった。だが、カヲルはそれに逆らうことはせず、黙って車に乗り込む。
座席に座ると、目を閉じた。
エンジンがかかり、車が動き出す。身体にかかる加速度。
カヲルはただ、聞こえるはずのない音を・・・・家が焼け落ちる音を聴いていた。
焼け崩れてゆく家の前で、彼女は炎を見つめていた。
皆、出て行ってしまった。
それはとても辛いことだけれど、役目の終わりも示していた。
この十数年。・・・・・辛くもあったが、楽しくもあった。イスラフェルが言っていたように、エデンが戻ってきたようで。なによりもまだ、サキエルがいたから。
サキエルの消滅は、悲しみの始まり。
しかし彼女に逃げることは許されなかった。同胞達を時が来るまで守るのは、残された彼女の役目だったから。
一つ一つ、この家から気配が消えてゆくのを身を切られるような思いで見送ってきた。しかしもうそれも終わり。この家も、「高階ミサヲ」も必要なくなった。
しかしこの苦しみも、カヲルがこれから直面するであろう事に比べたら、どれほどのことでもない。
だから、残された力で出来るだけのことをしてやりたい。
いずれ運命に逆らうことが出来なかったとしても。少しでも、あの子が生き延びる可能性を増やすことが出来るなら。
アルミサエルとしての自分に出来ることは、僅かなものだ。
一体でも多くのエヴァを道連れにすること。ただ、それだけ。
ろくに動きもしない赤いエヴァは、青いエヴァに足止めをくって破壊できなかった。・・・・・ならば、せめて。
融合をすすめるうち、青いエヴァの搭乗者の意識の片鱗が触れてくる。
『あなた、誰?』
『使徒。あなたたちが使徒、と呼んでいる者』
『使徒?わたしたちが使徒、と呼んでいるヒト?』
『あなた、誰?』
『私は私。あなた、じゃないわ』
『そう。でも、だめ。もう遅いわ。私の心をあなたにも分けてあげる。
この気持ち、あなたにも分けてあげる。
・・・・・痛いでしょ。ほら、心が痛いでしょ』
『痛い?いいえ、違うわ・・・・・サビシイ・・・そう、寂しいのね』
『サビシイ?わからないわ』
『ひとりが嫌なんでしょ。それをサビシイというの』
『・・・・・・・それはあなたの心よ』
『・・・・・・・悲しみに満ち満ちている、あなた自身の心よ』
――――――――何ということ!!
もう何処までが自分か、何処からがパイロットなのか、エヴァなのか判然としない。朦朧とした意識の中で、彼女は自分が泣いていることに気づいた。
「・・・これは・・涙?泣いているのは、私?」
しかしそれは彼女の呟きではない。彼女と融合しかかっている、パイロットの少女の意識。
――――――――憐れな子。そう、ここにいたのね・・・・・・・・・。
その時、後背に紫のエヴァが出現した。
アルミサエルが反転して紫のエヴァに突進したのは、一体でも多くのエヴァを破壊するためであったのか、それとも。
「これは私の心?碇君と一緒になりたい・・・・? ・・・・だめ!!」
少女はATフィールドを反転させた。・・・その意味が、彼女にも判る。
――――――――いい覚悟ね。いいわ、リリンたちの望み通り、私は消えてあげる。でも、それはあなたも一緒によ・・・・!!
――――――――私と一緒に、あなたも消えるの。
『・・・構わないわ。私が死んでも、代わりはいるもの』
第3新東京市が、閃光に包まれた。
――――――――・・・・・・・・・どうか、生きて・・・・・・!!