Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「und der Cherub steht vor Gott!」
カチリ、カチリという無機的な音と共に、無愛想なエレベーターの階数表示の数字が減っていく。
シンジはいまだ呆然から完全に立ち返っていたわけではない。ただ立ち尽くして目の前の、かすかに愁いを含んだ夢幻的な美貌を見つめていた。
初号機からフィードバックされてきた残酷な感触は、決してたちの悪い幻覚などではない。そして、ターミナルドグマでの出来事を・・・カヲルは否定しなかった。
訊きたいことは山ほど。しかし口を開けばまた泣いてしまいそうで、結局なにひとつ訊けないでいた。それでも気力を総動員して、シンジがようやく口を開いたタイミングは・・・世辞にも良いとは言えなかった。
「・・・あ、の、カヲルく・・・」
「・・・シンジ君」
切り出したものの、シンジが何か言いかけていたことに気づいて口を噤もうとしたカヲルを、シンジは促した。いずれ、まともな文脈を伴った問いにはなりそうもなかったから。
「・・・・シンジ君、もし・・・・」
言いかけてかすかに視線を俯かせる仕種を、シンジはカヲルらしくないと思った。・・・思って、ふと自問する。
《らしくない》?何を以てそう断じることが出来るだろう。自分は、どれだけカヲルのことを知っていただろうかと。
紅瞳がひたとシンジを捉える。
「・・・・もし、これからEVAで出撃して、何を見たとしても・・・・何を聞いたとしても・・・・絶対に、生きることを否定しないでくれるかい?」
「え・・・・」
シンジは、どきりとした。ついぞ先刻、ミサトにどやしつけられたことが脳裏を過ぎったのだ。そんなシンジの心中を知ってか知らずか、カヲルが静かに、だが確固とした語調で言葉をつぐ。
「世界中が君を否定したとしても、僕は君を肯定するよ。・・・だから、信じて。決して自分の存在を否定しないで。君自身の為だけじゃなく、レイの為にも」
「どういうこと・・・」
「それと、もう一つ約束。地表に出たら、君はすぐに弐号機とセカンドチルドレンを回収して撤退すること。量産機は、僕が何とかする」
「無茶だよ!」
「・・・無謀かもしれないけど、無茶ではないよ」
硬い表情のまま、カヲルは手の中の明るい色のポーチを握り締めた。見れば、拳をオレンジ色の放電が取り巻いている。
階数表示の色が変わる。最下層へ到着したのだ。
「・・・・いいね!?」
「待って、前半はともかく、君一人でなんて・・・!」
しかし、シンジの科白はドアが開いたとたんに眼前に広がった禍々しい赤で中断された。ベークライトだ。ケイジ内の初号機は、ベークライトで完全に固められていた。
「・・・・ひどいや、こんな・・・・」
シンジが数歩あゆみ出て、フェンスに縋るようにして呟く。
しかし、少し遅れてエレベーターから降りてきたカヲルはその光景にいささかも動じることなく言った。
「・・・シンジ君、すこしさがって」
はっとして振り向いたシンジは、カヲルの手の中のものに気づいて呼吸を飲んだ。
「何だって、そんな大事なこと黙って行かせたのよ!?」
語気だけで相手を吹き倒しかねない剣幕でミサトが怒鳴るのへ、タカミは一寸困ったように首を竦めた。
「そんな事言われたって・・・あの子がそうしたいと言うなら、僕に否やはないよ。多分、危険を理解ったうえであえて連れていった筈だからね」
「それにしたって・・・・!」
「どのみち、量産機は潰さなきゃならない。その上セカンドチルドレンの回収となると、いくら彼でも単独では手に余るよ。それくらい手伝わせてもバチはあたらないと思うね」
「・・・・・冷静ねえ」
今度はミサトが肩をすくめた。
彼らもまた移動を開始していたが、緊急エレベーターへの通路から発令所に至る区域には、すでに戦自が突入している。その真っ只中を強行突破しようというのだから、勇敢というより無謀に近い。
「焦ったって始まらない」
タカミが気楽に笑う。
「後にとんでもない大物が控えてるって時に、ゼーレの相手ぐらいでおたついちゃいられないよ」
「ゼーレくらい、ときたもんだわ。こちとらそれで精一杯だってのに」
ミサトの嘆息に、ゼーレとネルフの狭間を綱渡りしようとして見事に転落した男が、言葉にこそ出さないが満腔の同意を示して深く頷く。だが、言われたほうは平然としていた。
「そりゃ僕だってさんざっぱらえらい目に遭わされてるし、ゼーレだって決して一筋縄でいく相手じゃないよ。比較対象の問題だね」
「比較対象・・・・・?」
なおもミサトが詰問しようとしたとき、不意にタカミが顔色を変えた。
「・・・・・危ない、伏せて!」
警告は決して遅くはなかったのだが、伏せた程度でどうにかなるものでもなかった。鈍い音が急激に膨れ上がったかと思うと、横合いの通路から爆風が押し寄せたのだ。
伏せかけた姿勢のまま、ミサトは真横から爆風をくらって転倒した。爆砕された建材の欠片に身体を打たれてわずかに呻いたが、致命的なダメージを受けることはなかった。
「・・・・ったく、ひとん家だと思ってドカドカ遠慮なく爆破してくれるわ・・・・」
痛む身体をさすって起き上がると、加持が似たり寄ったりの格好で立ち上がるのが見えた。とりあえずは無事のようだ。
「・・・・・・で?ただ突っ立ってたあなただけがそう涼しい顔してられるってのは、いったいどういうことよ?」
正確にはそのすぐ後ろにいたリツコも煤ひとつ被っていなかったのだが、警告した本人が伏せる様子もなかったことに一応心配などしてみたミサトとしては、さすがに釈然としかねた。
「いや、ぼくはあれくらい平気だけど、葛城さんたちはそうもいかないだろうと思って」
そう言われて先刻ミサトの射撃を防いで見せた時のことを思い出し、脱力感に襲われる。
「爆風をキャンセルする方法があるなら、今度から全員に適用しなさいよ・・・・」
「はは、ごめん。加持さんがどうにかするかと思ったから」
「できるか!」
加持がぼやく。
「そうみたいだね」
「意外そうにいうな、意外そうに」
「いや、可能性がないわけじゃなかったし」
さらりと投じられた爆弾発言に加持が青ざめる。
「・・・・・どういうことだ?」
「可能性は否定されたわけだし、聞かないほうがいいと思うなぁ。それにどうやら声を聞きつけられたみたいで、今、向こうから結構な人数が押しかけて来てるんだけど」
「それを早く言いなさいよ!」
ミサトが銃を抜いた。
「榊君はリツコ連れて、先に発令所へ行って。どうせアンタ、銃は撃てないでしょ!?」
「よくご存知で」
「だったらさっさと行く! こういうのは私の仕事よ」
「志は有難いし、そうしたいのもやまやまなんだけど、残り10発もないのにどうやって応戦するつもりだい?」
「加持が持ってるでしょ」
「おいおい、俺だってそう幾つも予備はないぜ」
加持が慌てたように言う。タカミは少し考えるように視線を遊ばせ、合点がいったようにミサトに向き直った。
「・・・・要するに、武器が手に入って、当座の危機が回避できればいい訳だよね?」
「方法がある?」
もはや訝りもせず、直截に問う。
「本来、僕はあまり荒事向きじゃないんだけど、自分だけ逃げ回ってたとなるとカヲル君に会わせる顔もないしね。
・・・・・・・二人とも、退がって!」
軍靴の音が寄せてくる方を向いたタカミが手を滑らせたのは、何処にでもあるペンケースにまちがいなかった。だが、ケースの中身は。
「ちょっと、それ・・・・!」
ミサトが目を剥いた。加持はもとより、それまでまるで人形のように無反応であったリツコさえも、かすかに表情を動かす。
手の中に収まるほどの、小さな赤褐色の塊。形とサイズはまったく違うものの、彼らは同じ材質のモノを見たことがある。
タカミの手の中で、それは橙赤色の雷を纏って膨れ上がった。
「ロンギヌスの槍!?」
一瞬でタカミの身長に等しい長大な槍となる。通路の向こうに戦自の一隊が現れたのを視認すると、無造作とも思える動作でそれを投擲した。
槍は殺到する戦自の進路をまともに塞ぐ位置に突き刺さる。瞬間、その穂先を中心に橙赤色の波紋が空間を薙いだ。
「何!?」
まるで、目に見えない水の中。波紋だけが光の加減で見えたかのような、それは場違いなほどに幻想的な光景だった。
だが、光の波が戦自の一隊の中を音もなく通り過ぎた後に、恐慌は起こった。
脈絡もなく陥った静寂を、ヒトのものとも思えない絶叫が引き裂く。
耳を覆うばかりの濁声をあげて、あるものは伏せて頭を抱え、別の者はある種の小動物が天敵に襲われたときのように、擬死に陥る。阿鼻叫喚の惨状に、さすがにミサトが一歩退いた。
「何これ・・・・・何なの?何をしたのよ!?」
「と、いわれても・・・・」
タカミはわずかに首を傾げ、恐れ気もなくその地獄の光景の中へ踏み出す。伏して痙攣を続けている戦自隊員の鼻先から赤い槍を引き抜き、けろりとして言ってのけた。
「相手を傷つけず、こちらも傷つかず、安全に戦闘を回避して、しかも武器の提供までしてもらえる手段」
「説明になってない!」
容赦のない科白で一蹴したものの、緊張感のないやりとりはミサトを少し落ち着かせた。
倒れている戦自隊員を靴先で仰向けにひっくり返す。確かに一切の外傷は見当たらないし、呼吸もある。眉間に銃口を当ててみたが、反応はなかった。目は開いているものの、完全に正気を失っていた。
「・・・・・有効な手段であることは認めるわ」
遠慮なく自動小銃と弾倉を取り上げるミサト。
「やっぱり、説明が必要かな?」
だがその言葉は、一個中隊を文字通り一瞬で無力化してみせた者には不似合いな・・・やや頼りなげな翳りを帯びていた。飄然を装ってはいるが、状況が許すなら見せたくはない力であったのかもしれない。
・・・それを、あえて行使した・・・
ミサトは少し印象が変わってしまった古い知人の顔を見、何かを振り払うようにつやの良い黒髪をかきあげた。そして、極力そっけなく言って先を急ぐ。
「あとで、とっくりとね。今は時間が惜しいわ」
タカミが笑った。それはもう先刻までと同じ、悪戯っぽい笑みに戻っている。
「ありがとう」
ベークライトがまるで乾いた土塊のように砕かれていく。その亀裂が初号機の前まで届いたとき、不意に初号機の眼が光を放ち、奇怪な咆哮があがった。
「EVAが・・・・」
シンジは思わず後ずさり、転がっていたベークライト塊に躓いて転びそうになる。その背を、カヲルの手が支えた。
「カヲル、君・・・・」
カヲルのもう片方の手には、シンジにも見覚えのあるものがあった。
第15使徒が現れたとき、綾波レイが零号機で使用し、撃破した赤い槍。それが「ロンギヌスの槍」の名で呼ばれるものであったことを、シンジは後から知った。
今目前にあるのは、決定的に大きさが違う。だが、カヲルがそれを一閃させたとき、確かにあれと同質のものであると納得させるほどの力が、いとも簡単にEVAを封じ込めるベークライトを撃ち砕いた。
「さっき受け取ったのって、それだったんだね・・・・・」
「うん・・・・・」
EVAがまつわりつくベークライトをふるい落とす、すさまじいばかりの振動に些かも動じることなく、ひどく穏やかな口調でカヲルは言った。
「今地上にいる量産機は、おそらくこれと同じものを装備している。・・・・EVAには通常兵器なんかよりよほど脅威だ。・・・・だから、君はまともに戦っちゃいけない。
約束して。セカンドチルドレンを助けたら、すぐに撤退するって」
「でも・・・・・」
「いいね?」
それは決して高圧的とは言えなかったが、シンジには有無を言わせぬ迫力であることには違いなかった。
シンジがしぶしぶ頷くと、カヲルは微笑み、ついと顔を上げて言った。
「・・・・頼みます」
それがベークライトの拘束から脱した初号機に向けられた言葉であると気づいたシンジは、改めて初号機を見た。
無論外部電源は差し込まれていない。最初から、S2器官の出力で起動したのだ。技術部の人間が見たら、十中八九「暴走」と断じたであろう。
シンジが搭乗するのを見送り、カヲルは改めてEVA初号機の凶悪ともいえるフォルムを概観した。
こうしてまじまじと見るのは、実のところはじめてであるような気がする。エンパシーを通してその存在を関知する事はあっても、その外見までがわかるわけではない。自分が実際に対峙したときは、無論それどころではなかった。
切り上がった眼がカヲルを睥睨する。カヲルは槍をおさめ、機体に触れた。
『碇 ユイ・・・一万年に垂んとするリリンの営みの中で、最初に、そしておそらくは最後にリリスを理解し得た者、か・・・・・』
「・・・・僕を、憶えていますか?」
意地の悪い質問だ、とカヲルは思った。ターミナルドグマの一件がEVAの意思であったなら、シンジはあれほどまでに自身を追い詰める必要は無かったのだ。
案の定、動揺が伝わってくる。
「あなたには敬服する。でも、いますこしの時間をください。あなたの子は、自分の意思で戦いを択び取ろうとしている。リリスがあなた方を信じたように、あなたも子を信じてください。ヒトの補完が唯一絶対の答えであるのかどうか、見極めるのはそれからでもいいでしょう」
逡巡と、消極的同意を感じ取る。苦笑して、カヲルは手を離した。
微かに俯き、かるく目を閉じる。
『―――――残り時間は』
―――――残念だけど、もうマイナスだよ。最悪のタイミングで量産機の再生がかかった。
『―――――ソフトのほうは』
―――――気軽に無茶言わないでくれないかな。こっちは発令所にたどり着くのも一苦労なんだよ?
『―――――・・・・。』
―――――わかったわかった。善処するから。ま、怪我しないようにね。
声でない声がフェイドアウトする。一瞬だけ…少し拗ねたような、言ってしまえば至極年齢相応な表情をして、カヲルは顔を上げた。
【カヲル君!】
「行こう」
シンジの声に、カヲルはかるく床を蹴り、初号機の肩に降り立った。
ターミナルドグマが震撼する。碇ゲンドウは、今度は爆破によるものではないことを感じていた。
「初号機が動き出したか」
だが、レイの注意は活動を開始した初号機の気配よりも、そのすぐそばで振るわれた力に向いていた。
それが何者であるか、レイは知っている。
『君は、人形じゃないんだから・・・・』
そう言って、涙さえ浮かべているのではないかと思うような紅瞳で微笑んだ。その意味を、レイは取り損ねた。ただ、苛立ちにも似た感情が残っただけ。
報告しようのない胸苦しさを、レイはついに「メンテナンス担当者」に告げることはなかった。
そう、このターミナルドグマでも会った。
初号機の掌に捕らえられたまま・・・確かに自分を見た。まるで、レイがあそこへ来ることが分かっていたかのように。・・・・・・そして穏やかに微笑み、最後の瞬間を受け容れた。
第17使徒ハ殲滅サレタ。
その出来事を処理する一文を反芻する。
殲滅サレタ。
だが、レイの感覚はそれを否定した。
イキテイル。
その存在が、何らかの「感情」をひきおこしている。レイはその不可解な何かに意識を向けた。多分、それは大切な事。今、自分に与えられた「意味」と同質のものではないかもしれないが・・・・。
「時間がない」
ゲンドウが手袋を外す。引き攣れた火傷の中心に、明らかに異種の組織があった。その組織の中には一筋の亀裂。それがかすかに痙攣したかと思うと、ぱっくりと口をあけた。・・・否、裂け目から現れたのは、奇怪な眼。
それを認め、レイの動きかけていた表情が再び消える。
「もう見れません・・・・見たくありません!」
そう叫んで、マヤが口許を押さえる。ディスプレイから顔をそむけ、いざって離れようとさえするマヤに代わって、日向がその画面を見た。
「こ・・・これが、二号機!?」
そのあとはもう、絶句するしかなかった。
内部電源が切れた弐号機に群がるのは、彼女が倒した筈の量産機。弐号機が電源残り数秒というところで、突如として奇怪な修復能力を見せ、活動限界に達した弐号機に襲いかかったのだ。
それは凄まじい光景であった。量産機がその翼をはためかせて次々と弐号機に襲いかかり、かつて初号機が第14使徒にそうしたように、四肢を引きちぎっては貪り食う。EVAのコンディションを表示する画面はアラームサインで埋め尽くされていた。
「やめて…もうやめて…!」
もはや啜り泣きとも呻きともつかない声をあげながらマヤが頭を抱えて床に突っ伏す。
その時、まったく別のところからアラームが鳴り響いた。
「なんだ!?」
「リニアレールの作動確認音だぞ!?」
青葉もまたポータブル端末に飛びつく。それと一緒に、内線の呼び出し音。
「か、葛城さん!?」
このときの日向の行動力は、賞賛に値した。3コール目を半分も鳴らさず、通話がオープンになる。
【初号機が出撃するわ。射出口チェック!】
一切の前置きはなく、ただそれだけ。だが、発令所の3人はほとんど条件反射のように持ち場へ帰っていた。
「進路、オールクリア」
「7番ゲートの稼動を確認!」
だがもうその時、パネル上ではEVAを示す光点が猛スピードで上昇していた。青葉と日向が快哉を叫んだが、冷静なミサトの声が再び彼らを硬直させた。
【説明している暇がないわ。全員、衝撃に備えなさい!】
問い返す暇はなかった。発令所全体が震撼し、小規模な爆発音が随所で上がった。
発令所スタッフはもとより、発令所に進入していた戦自隊員も床に這いつくばる。
「な・・・・!」
跳ね起きた日向が見たのは、防火シャッターで完全に封鎖された発令所。本隊と分断された戦自隊員は、状況をつかみかねて呆然としているところを次々と取り押さえられ、あるいは殺されていった。
「一体、何が…」
額を打ったのであろう。赤くなったそこをさすりさすり、青葉が起き上がった。その時、後方のエレベータの扉が開く。
「ごめん!待たせたわね」
「葛城さん!」
制服を血で汚してはいたが、いつもと変わらない調子で彼女は宣した。
「みんな、反撃するわよ! いつまでも連中の好きにさせとくわけには行かないわ!」
今度こそ本物の快哉があがる。
「リツコと榊君は作業に入って。マヤはサポート。後は階下へ降りるわよ。発令所内のゴキブリ共を追っ払うわ」
「先輩!」
エレベータの中からリツコが姿を現したとき、泣きながら抱きついたのがマヤ以外の誰であろうはずもない。だが、当のリツコは、そのはずみでよろけてしまう。
「・・・先輩?」
さすがに一瞬で醒めて恥ずかしくなったのか、飛びのいたマヤが不安げにリツコの顔を覗き込む。だが、その怜悧な美貌にいつもの覇気はなかった。
「じゃ、僕はこっちの端末借りていいかな?」
なんの前振りもなく姿を現した銀髪の青年にコンソールを占拠されかかり、青葉が説明を求めるような視線をミサトに送る。それで気がついた日向も、また。
「・・・・」
視線を向けられたミサトが言葉を選ぶ間、いくばくかの空隙があった。
「あぁ、僕ですか?通りすがりのSEですよ。怪しい者じゃありません」
自分の存在が問題にされていると見たか、にこやかに手を振ってそう言った。一層混乱してしまった面々を見て、ミサトが腕組みのまま渋面をつくる。
「片っ端から話をややこしくしてんじゃないわよ。後から説明するわ。今は発令所の制圧が先」
「あ、はい」
不満というより頭がついていかない所為で、青葉と日向の返事はいまひとつ精彩がない。だがともかくも、彼らは再び武器を手に立ち上がった。
「うわぁあああああ!!」
シンジの絶叫がカヲルを打つ。
カヲルは奥歯を噛み締めた。時間切れ、という情報を受けてある程度予想をつけていた。・・・・あの忌まわしい者共が及ぶであろう行為を。
だが、ここまでとは。
手一本足一本もがれようが、EVAは死にはしない。コアと頭部~脊髄が生きていればいい。そう肚をくくっていたつもりだが、これではEVAどころか、エントリープラグが破損していれば搭乗者も・・・!
「――――――――っ!」
シンジの叫びに呼応した初号機が、咆哮する。
「駄目だ、シンジ君!」
だが、カヲルの声はシンジには届かなかった。初号機の急激な動作はカヲルを振り落とし、一番近くで肉片を貪っていた量産機の一体につかみかかる。
「シンジ君!」
重力を中和してゆっくりと湖畔に降下しながら、カヲルは覆い被さってくる絶望感に目の前が暗くなるのを感じた。
それに触らないで。
声を限りに叫んだとて、もう取り返しがつかない。
甘かったのか。セカンドチルドレンだけを助けて撤退するなど。
「駄目だ・・・シンジ君・・・・!」
「わぁああああ―――――っ!!」
だが、初号機はその一体にのしかかり、両膝の装甲で動きを封じてプログナイフを突き立てた。喉もとに生じた亀裂から赤黒い体液が噴き出し、初号機の顔に凄惨な紋様を描く。
量産機が濁った苦鳴をもらしてもがく。その時、不意に初号機が動きを止めた。
【なんだ、今の・・・・・】
激情に任せて凶行におよんだものの、量産機の苦鳴に重なった声に、シンジは冷水を浴びせられたように正気に返る。
集音マイクが拾った音ではない。伝わってきたのだ。
そんな莫迦な。
それは、明らかに人の声。知らない声では断じてなかった。量産機はダミープラグのはず・・・人なんか乗っていない筈・・・・!!
【そんな・・・僕・・・嘘・・・嘘だよ・・・・】
恐ろしい結論に、インダクションレバーからシンジの手が離れる。動きを止めた初号機に、背後からもう一機の量産機が襲いかかろうとしていた。
槍の一閃でその量産機を弾き飛ばし、カヲルは叫んだ。
「そうだ、違う・・・シンジ君、しっかりしてくれ。僕はここにいる。そいつは僕じゃない!
・・・・・・・・僕じゃないんだ!! そんなのが僕であってたまるものか!!」
「・・・・はあ」
片付けが済んでミサトから状況説明を受けた青葉と日向は、甚だ締まらない相槌でしか反応できなかった。
「ええと、つまり・・・・これからやる事はわかりましたけど、その・・・・」
整理しようとして、また混乱したらしい日向が頭を抱える。
「だから、通りすがりの使徒ですって」
「横合いから混乱させないでって言ってるでしょう!」
手許と視線は忙しく動かしながら、しっかり茶々を入れるタカミをミサトが叱りつける。
「・・・・味方よ。それも、滅法強力な。それでいいでしょう」
ミサトがそう締めくくった時、マヤが息を呑んで手を止めた。それに気づいたリツコとタカミがその原因を知り、ふたりの手許も止まった。
「できたの!?」
「いや・・・・・」
タカミが椅子を返しながら頭を掻く。リツコが切り出すタイミングをあけるように。
「リツコ?」
リツコはコンソールを見つめたまま立ち上がった。
「無理だわ。回線が確保できない。ここからクラックするのは無理よ」
覇気のない、言ってみれば魂が抜けたような様子も、やるべき事を前にして少し薄れたかに見えていた。だがそれもまた暗礁に乗り上げたことでふりだしに戻ってしまっている。
「状況を説明してよ」
水を向けられたマヤも、青菜に塩といったていで立ち尽くすばかり。当然、作業に従事していた残り一人に視線が行く。
どうやら自分が喋らなければならないらしい、という空気に、タカミがちいさく吐息する。
「戦自が遠慮なく・・・っていうより選択的にMAGIの回線を寸断してる。本部内っていうより、外部回線のほうをね。生き残った外部回線を統合してプログラムを送り込むしかないけど、なんせ相手が多いから・・・補助にMAGIクラスのスパコンが要る。
近いところで松代のMAGI2号をクラックして、そいつを使うってテもあるけど、そんな時間的余裕がない。その最中にこっちの考えてる事がバレたら今度こそ手も足も出なくなる」
「・・・・・」
さすがにミサトが黙る。
「八方塞がり、ってことか」
日向の言葉にタカミが反論もせず、椅子を返す。
その時、ミサトが呟くように言った。
「・・・・MAGI2号なんかクラックしなくったって・・・・あるじゃない、MAGI並のコンピュータが」
一同が驚いてミサトを見る。リツコも例外ではなかった。
「単独で、それもほんのわずかな時間でMAGIを自爆寸前にまで追い込んでくれたスーパーコンピュータ…あれ、確か凍結されてるだけでしょ?熱滅却処理する余裕なかったし」
水を打ったように静まりかえった。・・・そう、発令所スタッフなら誰でも覚えている。突如としてNERV本部の奥深くまで斬り込んできた「恐怖」を。自爆決議とその絶望的なカウントダウンを。
「・・・・か、葛城さん?」
タカミがぎくりとして、おそるおそるミサトのほうを見る。案の定、ミサトの視線はまともにタカミを射ていた。
「おまけに、ここに起動ディスクがいる訳よね?」
目が合ってしまい、タカミは天を仰いだ。
「しかし、解凍までには時間が・・・それに、制御できるという保証はあるんですか!?」
マヤの意見は至極もっともであった。しかし、ミサトの声は揺るぎない。
「できるの?できないの?」
―――――――数瞬の空隙の後、タカミは短く言った。
「・・・・できるよ」
自嘲するような笑みを振り捨てて、顔を上げる。
「プログラムの方、あとよろしく。転送プロトコルはあのときのが多分そのまま使えるから」
髪を括り直し、タカミが立ち上がった。
「プリブノーボックスへ行く。・・・・240・・・いや、180秒でセットアップしてみせるよ」