「ええと…あのパン屋さん、閉店したんじゃなかったっけ?」
碇シンジはその場所のおぼろな記憶をたどりつつ、栗色のツインテールを揺らしながら律動的な歩みを進める幼馴染みの後を懸命について行く。
何せ、一度決めたら行動が早い。うかうかしていたら置いてきぼりだ。しかも、置いてきぼりにしたらしたで後から猛然ととって返してきて、「のろい!」とカミナリを落とすのだ。努ゆめ、油断してはいけない。
「あんた莫迦ぁ? …ってか、話聞いてなかったわね。だからさっき説明したじゃないの。ベーカリーショップの2階のほうよ」
「はぁ…」
成程、今はパン屋じゃなくベーカリーショップと言わねばならないらしい。
「で、そのベーカリーショップの2階って、何があったっけ」
栗色のツインテールがぴたりと止まる。流麗な動作でくるりと向きを変えると、惣流アスカは印象的…というより苛烈な碧眼でシンジを突き刺した。シンジ、急停止。
「だから、前はカフェだったんだけど、例の地震の時に一旦閉店したの。1階のベーカリーのほうだけ営業再開してたんだけど、今度2階のカフェも開けるんだって話。聞いてた!?」
はい、今聞きました。…なんてことは絶対に口にしてはいけない。
「そ、そーだったんだ」
絶妙な間で助け船を出してくれたのは洞木ヒカリである。内心で手を合わせつつ、取り落とした鞄を拾う。
「アスカが目をつけるくらいだから、きっと美味しいのね。そこのパン」
「アタリマエよ!」
「あー、腹膨れるんならなんでもええわ。はよ行こ?」
身も蓋もないことを大きな声で言って女性陣の顰蹙を買ったのは…無論というか鈴原トウジだった。アスカから鉄拳制裁を、ヒカリからは冷たい視線を浴びせられ、頭と空き腹を抱えて沈み込む。その哀愁背負った背中を相田ケンスケが片手でぽんぽんと叩く。もう片手はやはりというか、カメラで塞がっていたので。
「あ、そこよ」
それほど交通量の多くない交差点。背後に高層マンションが建っているために、やけにこぢんまりして見える2階建ての建物であった。
広い方の通りに面した側は、ちょっとしたテラスになっている。テラスの屋根は二階の屋根から真っ直ぐ張り出した形で、切妻の木組みに開閉式の帆布が張ってあった。天候にあわせて採光が変えられる仕組みだろう。
2階のカフェにはテラスから直接階段で上がる造りになっていた。
それほど広くないテラスには華奢なテーブルと椅子が一脚ずつ。客用というより黒板や植木鉢を置くためのオブジェなのだろう。
猫脚、ブロンズ調のガーデン椅子の上に鎮座しているチョークアートのウエルカムボード。コーラルレッドのオイルパステルで、元気よくその文字は描かれていた。
Welcome to Angel’s Nest ↑
赤レンガ調のタイルで覆われた外壁に、蔦が青々とした色彩を添えている。
一階部分がベーカリーショップ。テラス側はすべてガラス壁、そして扉もガラスに彩色が施したものであった。夕刻の直射光を防ぐ為にシェードが半分降ろされていたから、中の様子が子細にわかるわけではなかったが、そこそこ繁盛しているように見えた。
今まさに一窯焼き上がったところなのか、夕刻の空腹を刺激する芳香が通りにまで漂ってくる。
「雰囲気いいわね。上がってみましょうよ」
ガーデンテーブルの上で手招きするかのように後足で立ち上がっている兎のオブジェをつつきながら、ヒカリが言った。
異を唱える者はいなかった。
やはり赤レンガ調のタイルを敷き詰められた階段。スペースがそれほどないから踊り場を挟んでいる。その踊り場の隅には通行の邪魔にならない程度の小さな植木鉢が置いてあり、こぢんまりした観葉植物と、やはりこぢんまりした仔猫3匹がじゃれあう像が置かれていた。
「わぁ、可愛い!」
女子ふたりがはしゃぐ。男子三人はといえば・・・小腹が減っていたものだから、今すぐ階下のベーカリーショップでパンを買い込んだって構わないという心境ではあったが。
重厚な、時代のいった木枠に縁取られたガラス扉を引き開けると、からん、と軽快なドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ!」
鈴を転がすような澄んだソプラノ。たっぷりとしたフリルのついた白いエプロンドレスの裾を翻しながらレジから滑り出て来た少女を、彼等は知っていた。涼やかな青銀の髪は後頭部でまとめ上げられ、これもフリルのついたヘッドドレスに包まれている。不思議な深い色の瞳。日本人離れした白皙の面。
「え、小鳥遊・・・さん!?」
期せずして、アスカとシンジ、それとヒカリの声がユニゾンを奏でる。後の二人はといえば・・・ぽーっとしていた。
「あ、君たち・・・」
小鳥遊ミスズ。一昨年の冬、ごく短期間ではあるが彼等のクラスメイトであったはずの少女である。件の地震の後、姿を消してしまったので多分に漏れずこの都市を出たものと思われていた。
「・・・えーと、誰だっけ?」
小首を傾げて、キラキラした微笑で問い返され…一同滑り転けた。
「だから言ったのに。なんか退かれてるぞ、ミスズ」
「えー?だってやってみたかったんだもん!」
「ここ、普通に喫茶店だろーが。店の種類が変わっちまうって。メイドカフェじゃねーんだぞ」
いえいえ、退いてなんかいません。ストライクです。ど真ん中です。どうかそのままで。
カウンターチェアで黒いエナメル靴と白いソックスに包まれた足をぶらぶらさせながら、ぷっと頬を膨らませるミスズの姿を…男子二人は先程からずっと両眼を潤ませんばかりの賛美の視線で仰ぎ見ていた。待ち侘びたクロックムッシュ1のスープセットが冷めかけているのにも気付いていない。
言って諾くものでないと断じたか、カウンターの向こうでグラスを磨いている青年が小さく吐息した。バイオレットアッシュの髪が額に落ちかかるのを藍色のバンダナで押さえている。
こざっぱりしたスタンドカラーのコットンシャツを肘まで捲って、洗い晒したデニム地のエプロンをかけている。どこから見ても、どこにでもいる喫茶店のマスター、ないしはバイトの青年といった風体であった。
「あ、えーと・・・ナオキさん?」
シンジが若干退き気味になってしまうのは、初対面があまりおだやかとは言えない状況にあった所為だ。
しかし今、その人物はいたって穏当に軽く片手を上げて挨拶してくれた。デニムエプロンの左胸には、店のロゴと「雨宮」というネームプレートがクリップで留められていたが、シンジが知っていたのは名前のほうだけだったから…とりあえずそう呼んでみる。
「お久しぶり。…ああ、憶えてたんだ俺のこと。・・・てェか、さすがだね。初見で俺とユウキを見分けるなんざ」
「あ、はい、お久しぶりです…」
その節はどうも、というのもおかしなものだ。どうコメントしてよいか迷って口籠もり、最初何を訊くつもりだったのかさえ頭の中から飛んでしまったから、シンジはよく冷えた季節野菜のスムージーに口をつけた。小腹がへっていたので頼んでみたワッフルサンドの想定外なボリュームにたじろいでいた所為もあったが。
「それにしても・・・小鳥遊さん、すこし雰囲気変わった?」
ケーキセットについてきたオレンジジュースの氷をストローで揺らしながら、ヒカリが言った。ケーキの方は抹茶シフォンだ。
「変わってない変わってない。こいつが学校で猫被ってただけだろう。これが初期値だって」
「ナオキ、うるさいよ!」
「いや、事実だし」
遠慮のない物言いは、二人が店の上司部下ないし同僚という距離でないことを察するには十分であったから、ヒカリが興味津々といった態で訊ねる。
「ナオキさんって、ひょっとして小鳥遊さんのお兄さんとか?あ、名前違うよね。それとも恋人?」
「うーん、フツーに身内?」
「そーだな、目下保護者?」
「えー、何で保護者?保護されてないよー」
「世間体ってものがあるの。お前まだ、どう見ても中学生から育ってないし」
「あ、レディに対してなんて失礼な!」
ヒカリには一部よく解らない部分もあったが、あまり色っぽい話を期待してはいけないらしい、ということだけは理解った。
「カヲル君達も来るんですか?ここ」
訊こうと思ったことを漸く思い出したシンジがそう問うた。
「そういえばまだ来てないよね。お店のことはこないだ話したけど」
ミスズがはたと思い出したように言った。
「まあ、割と急に決まった話ではあったよね。ここのオーナーが…地震の一件でやっぱりここでやってくのは厳しいって判断したみたいで…店を畳んで解体して、更地にして売るかって話してたところを、いい窯あるのに勿体ないだろって借り上げることになったの」
「窯?」
「石窯なんだよ、ここのパン窯って。前のオーナーの手作りなんだって。何なら後で見てみる? それでね、医院は畳んじゃってるし、仕事に出てるほうはいいけど、そうじゃない面々は、サキがゆーには傷心がどーとかでお布施するとか…」
「それを言うなら『小人閑居して不善を為す』1、ね」
横合いからナオキが訂正を入れる。
「そうそれ。ちょっと落ち着いてきたし、私たちもいつまでも遊んでちゃよくないって」
「そ、そーなんだ…」
普通に計算すればヒカリたちと同じ高1である筈のミスズが、学校という選択肢を迷いなく消去していることについては、事情を知っているシンジ以外の一同が突っ込むべきかどうかはかりかねていた。家庭の事情とか、ちょっと身体が弱そうだったから健康上の理由とか…。
そこへ、やおらトウジが顔色を変えて立ち上がり、ナオキに向かって直立不動の姿勢をとる。
「そっ、その節は!妹が!お世話になりましたっ!!」
そして、最敬礼。結構な音量にナオキがグラスを取り落としかけたが、かろうじて受け止める。
「…うっわー…こっちの兄さんも見かけによらずわりと細かいとこ憶えてるねえ…。妹さん、元気?」
「お蔭さんで傷も残らへんやったです。高階医師にもよろしゅうお伝えください。ホンマおおきにありがとうございました。いやもう、今の今まできづかへんやったなんて、えろうすんません。あんまり格好ちがうんで全然わからんかった…」
一昨年の春先のことである。第3新東京市を襲った直下型地震は、警報が早かったお蔭で人的被害は比較的少なかったと言われている。しかしその後、遷都計画が無期延期されるに至り一時多くの企業がこの地から撤退した。それは医療分野についても同様で、後片付けをしていた鈴原の妹・サクラが建材からはみ出た針金で傷を負ったときも、トウジが休日診療所を探してかけずり回る羽目になったのである。
「…いやま、いきなり看破されたらそれはそれで何か怖いんだけどね。
俺、確かに本業は薬剤師だけどね。ボスが医院畳んで勤務医…じゃない、ヒース生い茂る荒野へ逼塞しちまって、職にあぶれてんの。まあ、こういうのも楽しいよ?」
「えー、でも…薬剤師って結構需要あるんじゃ…」
トウジの突然の挙動にスープを零しそうになって慌てたケンスケだったが、何とか立て直して訊いた。
「まー、看護師とか医者ほどじゃないけど、確かに求人はでてるよ。でもさしあたってはボスが医院再開する気になるまで待ってみようかなってね。いつになるやらわからないけどさ」
「高階医師、もう戻ってこられへんのですか?」
「さー、どーかね」
「…あぁ、こいつね。斜に構えてるけど単に暫く遊んでたいだけだから」
ミスズがジト眼で睨みながらバイオレットアッシュの横髪を引っ張ったものだから、少し遠くを見たような風情はきれいに吹き飛んだ。
「い、痛ェぞミスズ!」
「だってそーじゃない!これ幸いと道具増やしてさ、カフェじゃなくてアクセサリショップでも開こうっての!?」
「いや、売れれば儲けもんかなって。あ、お嬢さんがた、よかったら後で見ていってね。開店祝いだし、廉くしとくよ?」
見れば、カウンターの一隅にコルクボードが立ててあり、手の込んだビーズアクセサリが陳列されていた。
そういえばレイからそんな話をちらりと聞いた記憶があったシンジは、殺到した女子二人の背中越しにその素朴な燦めきを眺めていた。
一段落。
すっかり場所に馴染んで追加注文までしてから、テーブル席を囲んでその話は始まった。
「謎の巨大空洞って…んな都市伝説、マトモに受けてるわけ?」
アスカが心底胡散臭げにケンスケを睨む。その左腕には先程開店特価とやらで購入したビーズのブレスレットが嵌まっている。
「確かな筋からの情報だって。あの時の地震もそれに絡んでるとかって話もあるんだってよ。地震調査で掘削してて、既に大空洞の存在は確かめられたんだよ!」
「で?地底人でも棲んでた?」
端から相手にしていない。追加で頼んだベーコンチーズスコーンを囓りつつの科白に、ケンスケは両拳を握り締めて力説する。
「そんな非科学的なもんじゃないぜ。…大空洞は半分くらい水没してて、その地底湖の中に…謎の巨大生物が棲んでるらしいんだ!」
「あんた莫迦ぁ?」
もはや我慢ならないというふうにアスカが唸った。
「そんなもん、本当にいたらニュースにならないわけないでしょ?」
「したくてもできないんだよ、きっと!だって大騒ぎになるぜ、第3新東京市の地下が空洞で、しかも未知の生物が棲んでるなんて!」
「莫迦莫迦しくてできないの間違いじゃないの」
「嘘だというなら惣流も来てみろよ。俺は地下への入口の情報を極秘に入手したんだ!」
「地下への入口?そんなもんあるんかい。何ぞダンジョン探検みたいでおもろそーやな」
トウジが身を乗り出す。クロックムッシュはとうの昔、今まさに海鮮お焼きを片付け終えたところだった。
「調査のために掘削された穴があるんだ。勿論、一般人の目には触れないところにね。俺はその情報を入手した!情報通りの建物も確認したんだ!」
「建物?」
「地下への入口なんて、危なくてそのままにできないだろ。建物の地下から降りられるようになってたんだよ」
「そんなところ、私たちが入っていいわけないじゃない!」
ヒカリの意見は至極真っ当であった。
「そーね、うろちょろしてたら補導されるわよ」
これはアスカ。
「さては惣流、何だかんだ言って怖いんだな!?」
そういってアスカを指したケンスケの指先は既に震えていたが、指された方は憤然として椅子を蹴った。
「そんな都市伝説紛いの眉唾話、何でこのアタシが怖がらなきゃいけないのよ。あーいいわ。行ってやるわよ何処へでも。今すぐ案内なさい!」
話がヒートアップしたところへ、ドアベルが涼やかな音を立てて…子供たちは凍り付いた。幾ら何でもあまり大きな声でする話ではない。
しかし、いたって静かに入ってきた…ナオキと少し似通った容姿の青年は全くその喧噪を頓着するでなくカウンターまで移動すると、当然のようにそこに陣取った。
シンジは記憶を探った。確か、ユウキと呼ばれていた筈。ナオキと違うのは髪の色がアッシュベージュなのと、目許が柔らかく…よく言えば穏やかで、悪く言えば読みにくい表情だということくらいか。
ナオキが氷が一つ浮いたグラスをするりと滑らせたコースターに載せた。本日開店という割にはその所作は堂に入っている。
「腹拵えしてから出勤だろ?」
「そのつもりで来たが…結構客が入るようだな。忙しいか」
「有難いことにね。でも大丈夫、ミスズがもう厨房でいつものやつ支度してるから。あれでいいよな?」
本来公共スペースである筈の店内で大騒ぎをしていたことに恥じ入った子供たちが、俄にトーンを落として食べるのに専心した。
そそくさと会計を済ませて賑やかな客が帰っていったあと、ナオキとミスズが顔を見合わせる。ユウキはこれから夜勤ということもあって黙々と生ハムとレタスを挟んだイングリッシュマフィンとアサリ入りコンソメスープの食事を続けていた。
「…ね、さっきの話って…やっぱりアレ?」
「巨大生物はどーだか知らんけどね」
「ほっといていいもんかな?」
「ほっとくも何も…何をどーするってのさ。この街でせっせと発掘作業やってる手合いがいるとは聞いてたけどさ。まさかジオフロントを掘り当てたとは…待てよ、掘り当てたのがジオフロントとは限らないか。
リエ姉がリリスの卵の中身をひっくりかえしたんだ。言ってみれば月面極転移だぞ。リリスの卵…移民船の規模を考えたら、現生人類が重機を使ったとしても、1年や2年で掘れる距離じゃないはずだろう。ジオフロント分の空間が崩落を起こして、ごく表層に幾許かの空間が造成されたと考えるほうが自然だな」
「…そーんな不安定な空間…崩落したらどーすんの?」
ミスズが至極素朴な疑問を呈した。
ユウキは悠然と食後のコーヒーを啜っている。
ナオキはといえば…イヤな想像に背中の冷汗を感じていた。
「いやま正直なトコ…ほっといて何かあったからっていって、俺達が責任負わなきゃならない理由はないと思うんだけどなぁ」
「でも今の勢いだと、碇君…十中八九連れてかれるよね?」
ミスズはあくまでも、客観的な感想を述べている。それはナオキにもわかっているのだが。
「…んー…あのボーヤ、あの玉藻前の息子だろ?それでもって、カヲルの奴も結構気にかけてたよな?」
「レイちゃんもね」
ミスズとナオキが考え込む。正直なところ、嘴を突っ込むべきなのかどうなのか。
「そんなもん、こっそり追跡てその入口とやらを確かめたらいーだろ?」
からっと言い放つのは…無論ユウキであろう筈はない。勝手口からベーグルを囓りつつ、タカヒロが入ってきた。一階の厨房から、階段が通じているのである。タケルも一緒だった。
「噂の段階で何言ってもはじまんないさ。俺達の眼で確かめて、そっから報告入れても遅かないと思うけどね」
「…確かめるだけで済めばな」
ナオキが冷静にツッコミを入れる。
「いやいや、サキも忙しそーじゃん?とりあえず、噂の真偽ぐらい確かめてから報告上げないと、マトモに取り合って貰えねーだろ」
「要は地下迷宮探検に一枚噛んでやろうというのが本音だろ」
ナオキの指摘に、タカヒロが悪びれるでもなく認めた。
「だって、面白そうだし」
磨いていたグラスを置いて、ナオキが深く息を吐いた。
「最悪、謎の巨大生物とやらが始末し損ねたエヴァの試作品とかだったらどうするつもりだ?『槍』なしで対峙するには多少骨の折れる相手だぞ」
「そん時は俺が全力で熱滅却処理してやるよ。大気圏内使用禁止、ってだけで、地下でやらかす分には問題ないだろ。こないだも結局怒られなかったし♪」
タカヒロは自信満々だったが、ナオキとしてはどうにも首を捻らざるを得ない。どう聞いたところで屁理屈にしか聞こえないからだ。
「何だかなー…そりゃ、タカヒロがいるなら火力に不足は無いかも知れないけどさ」
「タケルも行くよな?」
規定事項のように問われて、タケルが少し驚いたように眼を瞠った。だが、少し考えてから黙って首を縦に振る。
「タケルとタカヒロだけで行かせて確実に崩落事故を起こすより、お前がついて行くほうがまだましだと思うがな」
食後のコーヒーを片付けながら、ユウキがさらりと言った。
「待て待て、俺に何をさせる気だよ。こいつらの手綱とるなんてサキかイサナでなきゃ無理だって」
「あ、酷ぇの。ひとを野生馬かなんかみたいに」
「莫迦言え、あんな繊細な生き物と一緒にすんな」
「…とりあえず座標は取れた。連中、一旦解散したようだから…おそらく夜になってから行動するつもりだろう。あとはお前らで考えてくれ。
あぁ、悪いが俺は今から勤務だから」
そう言って立ち上がりざま、ナオキの肩をとんと叩いた。それで気付く。
「ユウキお前、何か眠そうだと思ったら飯食いながら半分翔んでたな!? いつの間にそんな器用な真似できるようになったんだよ。…ってか、頼むから焚き付けんな!!」
意識を翔ばすことで遙か高空からの視点でものを見ることができるのは、ネフィリムとしてのユウキの特殊能力だ。そして、『翔ぶ』ことで得た情報を、接触することで他の同胞に伝えることができる。今までは『翔んで』いる最中のユウキは意識消失を起こして倒れているというのが通り相場だったが、能力の使い方を少しずつ工夫していたものらしい。
「えーと、そしたらお弁当は何人分?」
その時、タケルの広い背中の後ろから、ユカリがひょっこり顔を出した。その手にはもうピクニックバスケットが握られている。
ナオキが頭を抱えてカウンターに突っ伏した。
「…あのな、ユカリ…」
きれいに切りそろえられたストレートの黒髪と、くりっとした深い色の眸。ミスズよりワンサイズ小さいエプロンドレス姿はまるで人形のようだ。見た目はいかにも家の手伝いをしている小学生といった風情で実に可愛らしいが…内容はさにあらず。ショップとカフェの厨房をまとめて切り回しているのは実のところ彼女であった。
「じゃ、頑張れ」
ユウキが飄然と出て行ったあと、懐中電灯だのザイルだの必要物品について検討を始めてしまったタカヒロ達を横目に、ナオキはアイスコーヒーを啜りながらぶつぶつと文句を垂れていた。
「そりゃ面白そうっちゃ面白そうだけどさ。めんどくさい。この面子だとやらかした後で叱られんの確実に俺だし。第一、店はどうするんだよ」
「お店は少し早仕舞いすればいいよ。ねー、行ってみよ?私行ってみたい。面白そうだよ地下探検」
ナオキの腕に巻き付いてミスズがねだる。
「暗いとこキライっていってなかったっけ?」
「ひとりはやだ」
「はい、勝負あったね。ミスズが行くんならナオキが行かないわけないし、余裕見て6人分くらいかな。やっぱりここはサンドイッチよね。材料に不自由ないし」
ナオキの逡巡をきれいに無視して実に楽しそうに厨房へ入っていくユカリ。
その時、またドアベルが鳴った。
「おーい、何か夕飯になるものある?」
そう言って覗いたのは、カツミだった。夕飯をたかる算段だったのだろうが、にやりと笑ったナオキと目が合って一瞬動きを停める。
「…お邪魔サマ、やっぱ俺、家帰るわ」
「そう言うな、カツミ。ミートローフサンドのスープセットでどうだ。今ならシナモンロールもつけるぞ。タケルがアイシング1を失敗ったやつだが」
「ナオキ、それ俺の予約なんだけど」
タカヒロがブーイングを上げる。
「やかましい、今すぐサキに通報されたくなかったらシナモンロールぐらい諦めろ」
「あっ非道!」
「…聞いて後悔しそうな話に聞こえるけどな」
微妙に唇の端を歪めて、カツミがぼやいた。