地下迷宮奇譚 Ⅱ

「やっぱりアレか。夏にちょっかいかけてきた重工業なんとかの仕事かよこれ」
「日本重化学工業共同体、な」
「よく憶えてんなそんな長い名前」
「お前らと違って、こちとら直接斬り込むハメになったんだ。憶えるさ」
 カツミが額を抑えて呻く。
 とある廃ビルの屋上。件の「地下への入り口」とやらを視界に入れることの出来るこの場所で、見張りをしているメンバーは…タカヒロにタケル、ミスズとユカリ、完全に巻き込まれたナオキとカツミだった。
「カツミが根に持ってんのは脱色の件でしょ?斬り込むったってカヲルのフリして威圧してただけじゃない。もう戻したんだし、いつまでもぐだぐだ云うのもどうかと思うなぁ」
 加害者ミスズがけろりとして言い放つ。
「いまだになんだか時々髪がキシキシすんだよ!」
「静かにしろ、坊ちゃん連中の様子が何かおかしい」
 ナオキの云う『坊ちゃん連中』とは勿論、相田ケンスケを筆頭として碇シンジを巻き込んだにわか探検隊だ。観測担当スポッターのユウキがいないものだから、双眼鏡で様子を覗いながら…ナオキが埒もない会話に終止符を打った。
「鍵が開かなかったのか?…あのミリタリーオタクは簡単に入れるようなことを言ってたが」
「…鍵が付け替えられた可能性は?」
 これはカツミである。
「地道に穴掘ってるだけならそこまでピリピリしやしないような気がするがなー…お、帰って行くぞ。とりあえず様子見てみるか。おーい、移動するぞ」
「「「「はいはーい」」」」                      

 行ってみると、確かに「地下への入り口」とされる一見普通の工事現場用コンテナハウスには、がっちりとした閂と電子錠がかかっていた。
「うーん、いかにも不自然?普通、こんなとこなんて百円ショップでも売ってそうな鎖と南京錠だよね」
 面白がるようにミスズがいうと、ナオキが苦り切ったように額を抑えて言った。
「…何か滅茶苦茶嫌な予感がするなぁ…」
「ま、コンテナハウスの床ぶち抜いて地下への通路作ってるってんなら、コンテナハウスごとよっこいしょって…」
 タカヒロがおおざっぱなことを言い出すから、背後からカツミが手にしたタブレットで後頭部を小突く。
「確実に跡が残るだろうが。それに、そんな荒事お前じゃ無理だろ」
「ん、大丈夫。これくらいならなんとか」
「タケルも巧いことノセられてんじゃない。…と、こんなもんか」
 カツミがタブレットをタップすると、軽い音がして電子錠が開いた。
「カツミお前、いつに間にそんな危ない技能を…」
 若干退き気味にナオキが言うと、カツミはへらっと笑った。
「前にジオフロントへ入るときに一応。レミ姉にさせるといきなり錠ごと灼き切っちまうから、もう少し穏便に開ける手段が要るなーって。行こうぜ、あんまり長いこと時間外に開けてると発報1するタイプだったら面倒だ」

 コンテナハウスの内部は床の半分が取り払われ、むき出しの地面には縦坑があった。重量のある蓋が乗せてあり、退けてみると梯子が設置してあった。あまり大きくはないが資材運搬用のリフトレールも設置されている。リフトを駆動するためのケーブルは切れてしまったのか、かかっていない。
「普通に試掘用縦坑っぽいけど…何かえらく重そうな蓋だったな」
「確かに重いけど、固定されてなかった」
 坑を覗きながらナオキが靴先で蓋を小突くと、実際に蓋を動かしたタケルが端的に報告をする。
「…なんか間に合わせくさいな。大体このレールの終端だって、普通は開口部より高くとって積んだり下ろしたりするのに便利にしとくもんだろ。よく見るとこれ、途中でぶった切ってあるじゃないか」
「急遽フタしとかなきゃいけない事態が起きた、とか?」
「ヤなこというね、お前…」
 カツミの指摘に苦い顔をしながら、ナオキが足下に転がっていたボルトを拾う。ボルトをカツミの方へ放ってから、左腕にはめたクロノグラフのボタンに手を掛けた。ナオキの意図を了解したカツミがボルトを受け取った手を縦坑の上に伸べる。
「3,2,1,0」
 ナオキのカウントゼロでカツミが掌を開く。ボルトは吸い込まれるよう縦坑を落下していった。ややあって、硬い音がする。瞑目して耳を澄ませていたナオキがクロノグラフを止めた。
「3.5秒か。ざっと60メートル1ってとこだ」                
「何か鉄板っぽい音だったよな」
「おまけに結構反響してたぞ。下、結構広い?」
 口々に音を分析するが、最後には坑の横に座り込んで目を閉じていた少女二人に視線がいく。
「…で、どうよ」
「ヤな感じはしないなー…むしろ、おっきな森とか、湖とかの感じ?」
「同感。ざわざわする感じじゃないねー」
 ミスズとユカリ、感応系能力者二人の至ってざっくりした分析に、ナオキが苦笑いする。
「それって…すぐさま害意を持った何かが下をうろうろしてるってワケじゃないけど、確実に何かは居るってことだよな?」
「そりゃ、森なら動物はいるだろうし。湖なら魚?
 どのくらいの深度の話かわかんないけど、ジオフロントは水没させるってサキが言ってたじゃない。もともと地底湖あったみたいだし。明かりはないけど水はきっと潤沢だよね?そーか、お魚いるかなぁ?」
 ミスズが「わくわく」という擬態語を背負って意気込んだ。
「…いても洞窟魚ドウクツギョとか2みたいに真っ白けで目が退化したやつとか…あーなんかヤなもの思い出しちまった」
 かつてジオフロントのケイジで量産型と対峙したカツミが露骨に顔をしかめた。
「どうする?行くか?」
 カツミと似たり寄ったりの感想を抱いたらしいナオキが一同に確認を取る。
 冒険する気満々のタカヒロが笑って言った。
「ここまで来ちまったんだ、一応様子見ぐらいはしてみようぜ。それにさ、ホラ。なんか坊ちゃん連中戻ってきてるぜ。電子錠開ける手段を用意してきたんじゃね?」
「莫迦、それ早く言えよ。隠れるとこなんかありゃしない!」

「…やめといたほうがいいんじゃないかなぁ」
 碇シンジは、最後尾をついて歩きながら控えめに進言した。錠が付け替えられているという時点で悪い予感をぬぐいきれなかったのだ。
「ここまで来たんだ、やらいでかっ!」
「そうよ、電子錠がナンボのもんよ」
 すっかり意地になっているケンスケ、アスカのノリに当てられているトウジはともかくとして、良識派のヒカリは既に泣きが入りそうであったが、「まぁまぁ、何か出てきたらワイが守ったるって」などと調子のいいことを言うトウジに丸め込まれて渋々ながらついてきている。
「電子錠っていったって、要はロックする権限が電気信号ってだけで…逆を言えば、権限を持った信号を同定出来れば結構簡単に開いちゃうんだ…」
 ケンスケがタブレットを操作しながら物騒な事を呟く。
「いやだからそれってもうりっぱな犯罪…」
 シンジがぼそぼそと呟くが、聞く者はいなかった。そうして、扉の前に立ったケンスケが怪訝な顔をする。
「…あれ?鍵はかかってるけど閂に通ってない。これ、意味ないぜ。さっきこんなになってたかな」
 実は先刻、発報を警戒したカツミが閂と鍵が独立しているのを幸いロック状態に戻したのだった。だが、想定外の電子錠に慌てて出直したにわか探検隊(リリン組)の面々は、それに関して記憶が曖昧だった。
「そんなもん、オマエが錠前が変わっとんのに慌ててよお見てなかっただけと違うか?」
「うーん、そう言われると自信ないなぁ…まあいいか、入ってみようぜ」
 悪童達は、結局先客・・の可能性に気づかないまま入っていったのだった。

「うわー、暢気だね。フツー、閂外してたら誰か先に入ったんじゃないかとか疑うよな」
 縦坑を降りきったところでリフトの駆動装置の陰へ隠れてリリン組をやり過ごしてから、タカヒロが感心したように言った。明かりが完全に見えなくなったところでLEDランタンを点灯する。
「そこはホラ、あの人達は私たちみたいに殺伐とした生活してたわけじゃないし」
 ミスズがドラム缶の陰からひょっこり顔を出す。
「殺伐…?そりゃー、欧州に居た頃は結構キツかったけど、日本こっちに来てからは割合のんびりしてるじゃん。鉄砲持ったおっさん達と喧嘩したのなんてこの間がほんっとに久しぶりだったよなー」
「楽しそうにゆーな、楽しそうに」
 カツミが苦々しげにツッコむ。タケルやタカヒロのように素手で装甲車に満載された傭兵部隊と「喧嘩」出来る能力がある者とは違って、カツミの能力は確かに特殊ではあるが戦闘向きではない。可能なら荒事は避けて通りたいのだ。
「さて、どーするよ?坊ちゃん連中はやり過ごしたが、来ちまった以上知らんぷりって訳にはいかないと思うが…」
 もはや行くにしても戻るにしても面倒くさいことにかけては変わらないと踏んだのか、ナオキがバンダナを外してバイオレットアッシュの髪をかき回しながら言った。
「提案!とりあえず腹ごしらえ!」
 タカヒロが挙手して言った。ナオキは一瞬あっけにとられたふうだったが、バンダナを締め直して吐息した。
「…そーさな、異論ある奴、いるか?」
 一同、首を横に振る。腹が減っては戦にならないのだ。

「んー、このアイシング、もうちょっと砂糖へらしてもいーかも…」
「あ、でもゆるすぎるとまたタカヒロがトッピング失敗しくじるよ?」
「シナモンロール失敗したのはタケルであって俺じゃねーぞ」
「シナモンロールはタケルだけど、アップルデニッシュをまるまるコーティングしちゃったのはタカヒロじゃない。さすがに甘過ぎよー」
「だからアレは事故だっつーに」
 ピクニックなのだか商品検討会なのだか既に判らなくなったノリの会話を聞きつつ、ナオキが嘆息する。
「…つくづく思うんだ…よく『Angel’s Nestウチの店』って経営破綻しねーな。材料ロスが半端ないぞ」
「そりゃ、めいっぱい人件費削ってるからに決まってるだろ」
 キッシュ・ロレーヌ1を手にしたまま、カツミが冷静に指摘した。
「…そーだな、まともに求人出したら絶対に人来ない値段だよな…」
「実直に、来られても困るだろ。半分、ウチの厨房みたいなもんなんだから。まー、夕飯たかりに来て地下探検に引きずり込まれる台所ってのも結構シュールだけど」
「で、お前どう思うよ?何かあるかな」
「そういうことは感応系センサーに訊いてくれ」
「や、こりゃ質問が悪かった。此処を掘ってる連中って、何を目的にして・・・・・・・掘ってんだろうな?」
 ナオキがバケットサンドを囓りつつ、周囲を見回す。何を問われたかに気づいてカツミも周囲を見る。
「中身がひっくり返ってるんだからジオフロントの設計図なんか意味ないし、あくまでも試掘だろ?そしたら意外と大きい空洞があったから、そこを足がかりに地図製作マッピングを試みてるってのが現状じゃないかな。大体、真っ直ぐだったのって最初の縦坑だけで、あとはなんか壁面が不整だ。ここらあたりって存在してた空洞が崩落しないように補強してるだけみたいに見えるぜ?」
「何かあるって判ってて掘ってるわけじゃなくて、何かないかと思って掘ってたら空洞に行き当たったと?」
 崩落を防ぐためか、補強材と支柱が当てられている壁面。それをカツミがプチトマトが刺さったままのピクニック用フォークで指し示す。
「そりゃ、掘る前に調査するだろうし、ある程度の空洞の存在を当て込んで掘ってたとは思うけどさ。補強材の間に所々探査機械向けっぽい小さな横穴開いてるし、近場で何か埋まってないかって瀬踏みしてる感じ満載じゃないか。
 さっきから端末タブレット見てたらこーんな地下のくせにアンテナ立ってるし、多分ネットワークの中継機器は生きてるんだろうな。ミニサイズの探査機械を大量投入して、とりあえず情報収集ってトコじゃない? あまり大量の人間がうろうろ出来るほどの施設はないみたいだし」
「やっぱりそうかぁ…。ま、最初から何かあるって判ってて掘ってるんなら、もうちょっとセキュリティに気を配りそうなもんだ」
「…ただ、言いたかないけど…急造な蓋とかぶった切られたレールとか見る限り…何か上がってこないようにしてる・・・・・・・・・・・・・・って感じもするんだよな。しかも結構慌てて。さっきリフトレールのケーブルの切れっ端みつけたけど、あれ…ちぎれてたぜ。どんだけ過積載したんだろうな」
「…うわー…嫌な予感しかしねぇ…。リフト本体はばらけた荷物と一緒にレールの下端で壊れてたしなぁ。やっぱり何かあるぞ、こりゃ」
「まー、何かヤバそうなものがあったらそれこそタカヒロに熱滅却処理させるのが早いだろ」
「ま、言い出しっぺにはそれなりの責任は負ってもらうさ。問題は、あんまり派手なことするとあとでちからいっぱいサキに叱られるってことで…」
 ナオキがバケットサンドを包んでいた紙を丁寧に折り畳みながら嘆息する。頭を掻きながらやや大儀そうに立ち上がった。
「さてと、坊ちゃん連中、どこまで行ったかな。おーい、ぼちぼち移動するぞー」

 その頃、リリン組は暗い坑道をひたすら下っていた。
「ここって地下何キロぐらいやろ」
「キロってトウジ…徒歩で降りてるんだ、せいぜい百メートル前後だろ?」
「掘ったって言うより空洞に道をつけたってカンジね。こーんな空洞の上に都市があると思うと、さすがにちょっと怖いわ」
 懐中電灯で天井を照らしながらアスカがぼやく。
「ホラ、少なくとも大空洞の話についてはホントだっただろ!?
 春先の地震、この内部での崩落だって噂もあるし…通常の地震とすこしメカニズムが違う可能性があるよな。いったい何で出来たんだろう」
 それについて、この面々の中でただ一人の説明を受けているとはいえ、まかり間違っても得々と喋る訳にはいかないシンジとしては、ひたすら俯いているしかなかった。
 アダム。リリス。その卵。狭間に憎しみを置かれた二つの種族の軋轢と、その和解。シンジ自身、完全に消化出来たとは言い難い長いながい物語。
 皆に、それを説明できる日は来るのだろうか。
「あれ、行き止まり…かな?」
 先頭を意気揚々と歩いていたケンスケが立ち止まる。
 雑多な資材が積み上げられて、道は塞がれていた。
「何かしら…なんだか、バリケードを構築したみたいにも見えるわね」
「あんまり重そうなもんはないやろ。いっこずつ退けてみたらどや」
「そういうのは、男の仕事よね」
 アスカが胸を張って言うと、トウジが露骨に横を向いてぼやく。
「そういうときだけオンナノコかい。けたくそ悪い1
「何か云った!?」
「いーや、なんもいうとらへんわ。さがっとれ、女子」
 トウジは実に諦めが良かった。昨今、喧嘩をするにも時と場合、ということを学習したらしい。
 資材の一つ一つは重機が必要なほどの重さの物はなかった。中学生男子の体力でも対応可能なレベルではあったが、体力仕事を些かも苦にしないトウジあたりはともかく、運動不足のシンジには結構ツラい。ケンスケは興味が先に立って重さをほぼ感じていないようで、薄笑いすら浮かべて作業にいそしんでいる。ある意味不気味だ。
「よし、扉が見えた!」
 バリケードを取り除いたあと、現れた粗末な扉は、いかにも工事現場を取り巻く防護フェンスに取り付けられた出入り口といった風情だが、一応閂に錠が下りている。ただしこちらはそれこそ百円ショップにも売っていそうな粗末な南京錠。
「よし、これなら最初の工具で…」
 どっちにしても犯罪だ。嬉々として錠前にとりつくケンスケを、シンジは努めて見ないふりをした。
 扉を押し開けると、それまでと異なった空気が一同の頬を撫でた。
「真っ暗で何も見えないわね」
「電源は生きてるみたいだから、どこかに照明のスイッチがある筈なんだけど」
「なんだか水の音がしない?」
「なんやニオうなぁ…何の臭いやこれ」
 口々に発した声の吸い込まれ具合から、結構広い空間があることは判る。頼りない懐中電灯の光量程度では追いつかない奥行きがあることだけは確かだった。
 照らし出された足下はむき出しの土。耳を澄ますと、絶え間ない細い水音がする。流れる音。滴る音。いつかの社会見学で連れて行かれた鍾乳洞の雰囲気に似ている、とシンジは思った。
「お、あったぞ。これだな、照明のスイッチ…」
 壁際を照らしていたケンスケが探し当てたスイッチに手を触れる。スイッチと言うよりも配線用遮断器ブレーカーのごとき重厚なハンドルを押し上げると、投光器なみの光量で明かりがついた。
 明かりの中に浮かび上がる広大な空間…そして、複数の投光器が焦点を結ぶ一点に皆の視線が集中したきっちり三秒後、空洞を揺るがすかのような絶叫が響き渡った。

  1. 発報…警備会社などに通報が行くこと
  2. 洞窟魚…英名はまんまCavefishes。洞窟内での生活に適応した、特異な進化を遂げたグループ。