SEED OF FUTURE

 初秋の風になびく緑の波。画に描いたような田園風景がそこに広がっていた。
「わー…ほんとに一面の緑だ…」
 帽子が風に飛ばされそうになるのを必死に抑えながら、レイがため息をいた。
「…でも、もう刈っちゃって大丈夫なの?なんだかまだ随分青々してるけど」
 真顔で問われても、カヲルとしても答えることが出来ない。一般的な知識はともかく、実践的知識ノウハウはさすがに守備範囲外だ。
「うーん、どうなんだろう…」
「や、大丈夫だよ?」
 横合いからひょこっと顔を出したのはタカヒロである。
「ちゃんと穂は熟れてるから。稲架はぜかけしてる間に葉っぱとかもイイ感じで黄金色こがねになるんだよ」
「ふうん…」
 麦藁むぎわら帽子の端から、やはり麦藁むぎわらのような髪を覗かせている。作業服…というより野良着姿がここにいる誰よりも自然なのはタカヒロであっただろう。どこから見ても、家の手伝いに出てきた地元の少年といった雰囲気である。
「よう、すまんねー」
 農道を走ってきた軽トラックから降りてきた加持はと言えば、これがまたタカヒロに優るとも劣らないくらい野良着姿が堂に入っている。
「今日はお招きありがとさん♪ 土の匂いがいいねえ」
「こっちこそ、本当に助かるよ。いくら機械があるったって、最後には農作業なんて人海戦術だからね。人手は多いに越したことないんだ」
「稲刈りなんて久し振りだもんなー。何かワクワクしてさ。このイベント感がたまんないんだ♪」
 タカヒロは上機嫌だ。常々つねづねテンションは高いが、いつになくはしゃいだふうなので、カヲルはその後ろでピックアップトラックから黙々と道具を下ろすタケルに訊いてみた。
「タカヒロ、えらくはしゃいでないか?」
 問われたタケルは手を止めてふと考え込み、そして何かに得心したように顔を上げた。
「…いつものことだ」
 それはそうなのだろうが…。
「稲刈りだの田植えだのったら、まあ一日仕事だったし…弁当におやつ持って出てたりしてたからなぁ。そんなとこじゃないの?」
 トラックの反対側から水分補給用のお茶とスポーツドリンクを詰めたクーラーボックスを下ろしつつ、ツッコミをいれたのはナオキである。
「お米、つくってたの?」
「えーと、別に高階博士んでつくってたわけじゃなくて…タカヒロが面白がって麓の集落あっちこっち手伝い行ってただけ? タケルが手伝いっていうよりお目付けがわりについてって…あ、そういや時々カツミもついて行ってたな。その度に姐さんがたが弁当こさえてくれたしなぁ。それに、行った先でも重宝がられてその度に菓子とかアイスとかご馳走になってたらしいよ」
 タカヒロの調子の良さを見ていると、容易に想像出来る光景であった。
「なんだかおおらかな風景だよね…」
 レイは感心することしきりだ。
「そんなもんだって。昔なんていまほど機械なかったし、ガチで人海戦術だもんな。カヲルお前、牛が田んぼ耕してるとこなんて、見たことないだろ」
「…言っちゃ何だけど、資料映像の世界だね」
 不意に目の前を横切った蜻蛉を追いかけて歩き出してしまったレイの足下を、カヲルは後ろから気遣いながらそう応えた。
「そーだろな。俺達それナマで見た。…俺はあんまりそういうとこ行かなかったけど。
 ところで、お前ら本当に大丈夫か?結構キツいぞ農作業って」
 ナオキに改めて問われ、カヲルは被りなれない麦藁帽子を直しながら、レイの耳に届かないように抑えた声で言った。
「正直な処…あんまり、自信はないね」
「…だろうなぁ」
「でも、レイが来たいって言うんだ。付き合うさ」
「ま、他ならぬ姫さんの頼みだ。へばらない程度に頑張れ♪」
「…ありがとう」


 ――――加持から稲刈りの手伝いに来ないか、という誘いを受けたのは、本来タカヒロとタケルであった。
 高階医院を閉めてからというものの、ネフィリムたちは普段分かれて住んでいる。しかし、彼らにしてみればやはり高階邸が本宅らしく、仕事が休みとなるとよくこの家に戻ってきている。そして何をするでもなく、各々好きなようにくつろいでいた。タカヒロがその誘いをリビングで披露に及んだのも、そうしたある休日のことである。
「加持の奴、田んぼなんか持ってたのか」
 これも非番のマサキが読みかけの新聞を下ろして意外そうに言うものだから、タカヒロが手を横に振った。
「いやいや、本来はあのオモシロい姐さん…葛城さんの、実家の親戚っつったかな?何だか、いつも田んぼを管理してる人がぎっくり腰で入院しちまったとかで、なんとかならないかって相談受けたんだってさ。んでね、加持さんが俺達のこと思い出して、声掛けてくれたって訳」
「既にして実家の面倒まで見てるのか。この間挨拶に行ったとは聞いたが、すっかり婿さんだな」
「『何かを育てるってのはいいぞ!』とか言って、眼えきらきらさせてたもんなぁ。何があったか知らないケド、ま、いい傾向じゃねえの?
 最近じゃ実家の方だけじゃなくて、自分とこのビルの屋上農園とか借りて作ってるみたいだし。時々遊びに行ったら貰うよ、野菜とか。結構巧く作ってるんだ、あの兄ちゃん。そこそこセンスあるんじゃないかなぁ」
「で、野菜の他に指南料と称して毎度ご飯とかお菓子たかってるよね、タカヒロ?」
 カゴ一杯に焼いたおやつのスコーンをリビングの中央に置いたユカリがすかさずツッコむものだから、タカヒロがあらぬ方を眺めやる。
「えーと、そういう事実も…あったかもしんない」
「…ま、タカヒロおまえの場合畑仕事そのあたりに関しちゃ手を抜かないのは判ってるからいいさ。正当な対価だろう」
 新聞を畳んで置き、焼きたてのスコーンをつまみながら…マサキが言った。
「よし、公認!」
 タカヒロがガッツポーズをとる。
「…ね、私も…行っていいかな?」
 その時、控えめな発言に誰もが振り向いた。
「…へ?」
「レイちゃん?」
「…レイ?」
 驚いたのは隣にいたカヲルも同様だった。
「駄目…かな?」
 白い頬をわずかに上気させて、それでもすこしおそるおそるといった様子で問い返すレイに、タカヒロがすこし反応を択びかねたあと…言った。
「えと…やったことは…ないよね?」
「うん、勿論ないよ?…でも、やってみたい」
「そりゃ俺は構わないケド…大丈夫?」
「あんまり役に立てないかも知れないけど」
「や、手は多いに越したことないから、たすかるよ?」
 そういいながら、目顔でカヲルに問いかける。問いの中身を正確に悟ったカヲルが、笑って言った。
「いいんじゃないかな。僕も行こう」
 それを聞いて、ユカリがぱぁんと手を拍った。
「よし! じゃ、その日はお店Angel’s Nest畳んで、お弁当つくって皆で行こうか!」
「いいね、ピクニックみたいで」
「おいおい、遊びに行くんじゃないんだぞー? まあそりゃ、楽しいけどさ。大丈夫!俺が何でも教えてやるよ」
 かくて、稲刈りにわか支援隊が結成されたのだった。


「えーっと、僕は…謙遜とか抜きでお役に立てそうにないし、その日は研修いれちゃってるなぁ…」
「大丈夫、タカミに期待してない」
「うわ、容赦ない…」
 カヲルのにべも無い一言に、帰宅したばかりのタカミが携帯電話スマホのスケジュール帳を閉じて静かに沈み込む。タカミの日光耐性が夜行性動物並みなことは、過日高階博士の墓参に行った時で証明済みだ。物理的防御としてのATフィールドの使い方が壊滅的に下手なのは、相変わらずなのである。
 色素の薄いカヲルやレイにとって、一定以上の紫外線をATフィールドでカットすることは研究所を出た瞬間からの必須事項であったから…今更難しいことではない。だが、どういうわけかタカミはいまだにあまり上手とは言えなかった。炎天下の屋外作業など、3分でダウンするのが目に見えている。
「ちゃんと装備、整えていってね?それと水分。ミネラルタブレットも一緒に持っていく方がいいな。多分、紫外線強いからサングラスあったほうがいいかも…」
 ひとしきり落ち込んだ後、指折り数えて注意事項を並べ立てるタカミを制して、カヲルが嘆息混じりに言った。
「準備に関してはタカヒロが調えてくれるって。とりあえず前の日はしっかり睡眠とって、当日は早起きしてきちんと朝ご飯食べておいでっていわれた」
「…一分の隙もなく、真っ当なアドバイスだよね。まあ、超一級スペシャリストが指南してくれるってのなら、僕が口出すスジじゃないか。それにしてもレイちゃん、稲刈りとか…随分と突飛なものに興味を持ったもんだね?」
 そう言って、からりと笑う。しかしダイニングテーブルに夕食を並べるレイを見遣りながら、タカミはふと声を低めた。
「…何か思い出した・・・・・・・、とか?」
 カヲルは、表情が硬くなるのを止められなかった。
「判らない、でも…」
 『仮面』をその身に持つことで、別の時間軸を垣間見ることの出来るタカミや…その記憶をある程度共有するカヲルは、時折…別の時間軸の記憶を認識することがある。しかしレイは、この時間軸において現在綾波レイの身体を得る前のことすら全く記憶していない。
「研究所から遁れる生活をしてたときは…ただひたすら、息を詰めて隠れるような毎日だったからね。あまり、に興味を持つことなんてなかったんだ。でも、もともと好奇心は旺盛なほうなんじゃないかな。そう言えば、春頃に日本の棚田特集、とかいう番組見て、綺麗だね、行ってみたいね…みたいなことを言ってた」
「ふうん、棚田ねえ…僕も映像でしか見たことないけど、確かに綺麗だよね。ただ、現代日本ならともかく、昔は何処にでもあった光景らしいから…なんとも言えないなぁ」
「まあ、いいさ。僕としては、今のレイにはやりたいことはなんでもさせてやりたいんだ。田植えでも稲刈りでも付き合うよ」
 それを聞いたタカミは、にっこり笑ってカヲルの銀色の髪に手を置いた。
「そうだね、難しく考えずに、のんびり楽しんでおいで」


「さすがにね、この面積の田んぼをみんな手刈りしてたらとんでもないことになっちゃうから…手で刈るのはこのあたりの…機械で起こせないくらい茎が倒れちゃってる辺りね。殆どは機械コンバインでざらっと刈っちゃうから。あ、それと機械回すスペース分くらいかな」
機械コンバインって…あれ?」
 農道で待機しているトラックほどの大きさの乗用機械を指して、レイが訊いた。
「そ。稲刈って、いで、籾にしちゃって袋詰めしてくれるってー文明の利器。凄いよ?考えた人、偉いなーって思う」
「え、いきなり籾になっちゃうの?吊して干すんじゃないんだ?」
稲架はぜかけ 1 が前提の場合は田んぼ一枚みんなバインダー 2 で刈り倒して架けるんだけど…ここで稲架けすんのは手刈りしたぶんだけ。稲架米はぜかけまいって、時期ずらして自家保有米にすることが多いんだよね。手間掛かるけど美味しいから。出荷米なんて基本ほとんどコンバイン刈りだよ。そーじゃないとコストが見合わないんだ」
「何が違うの?」
「細かい理屈は知らねェけど、稲架米は架けてる間に追熟する分おいしくなるとか、コンバイン刈りの場合は当然籾の水分量が多いから、籾摺もみすり 2 する前にどうしてもまた機械にかけて熱風乾燥することになるんで味が落ちるって聞いてる 2 。ま、俺に言わせりゃ手間暇かかることに違いはないんだし、どっちも美味しいって思うけどなぁ」
「すごーい…よく識ってるね」
「あんがと。食べることに関しちゃ…俺、手は抜かないよん♪」
 タカヒロの解説を聞きながら感嘆しきりのレイを見遣って、カヲルは今朝の光景を思い出していた。
 今朝のタカミは、明らかに寝不足の上に泣き腫らしたような顔を…懸命に洗ってととのえたふうであった。今日は研修だと言っていたのに昨夜あまり眠っていないのは明らかだ。二人を玄関先まで送りながら、また微妙に涙ぐみそうになるのを必死に抑えている感じだった。
『レイちゃん、楽しんでおいで。きっと、たくさん、いろんなものを見られるよ。ごめんね、ついていってあげられなくて。でも、カヲル君がいるから大丈夫だよね』
 そう言って、今生の別れかというような悲壮感をもって送り出されたのである。訊かなくてもわかる。アレは絶対、昨夜のうちに『観測』したのだ。
 星を渡る生命たるネフィリム達が持つ『観測』能力。彼らには本来、どんな惑星の、どんな環境におかれても正しく自身の系譜を認識する…いわゆる世界記憶アカシックレコードにアクセスするための特殊な器官が備わっている。その器官を、彼らは形状から「仮面」と呼んでいた。
 「カヲル」になる前の始祖生命体アダムがヨハン=シュミットとして活動していた時には、確かにその身体にも「仮面」があったらしい。しかしヨハン=シュミットの細胞から再生されたはずの「カヲル」に、「仮面」は発現しなかった。
 現在、「仮面」をその身に持つのは二人。ヨハン=シュミットの干渉によってそれを発現させられた最初のネフィリムたる高階マサキと、そのマサキから同調能力で写し取ったタカミである。『観測』はコントロールを誤ると時間と空間の奔流に呑み込まれて自身の立ち位置を喪う可能性もある危険な能力であり、タカミは実際にそれで過去、しかも長期にわたって行動不能に陥っていた癖に、いまだに「使わない方がいいのはわかるけど、必要なら使ってみる」というスタンスでこっそり使っているらしい。
 ――――何を観た?
 あの場で問い詰めてもいいことにはならない。そういう判断からとりあえず沈黙を守ったものの、帰ったら締め上げておくべきだろう。
 加持と話して何やら算段がまとまったらしいタカヒロが、飛び跳ねるような歩調で戻ってきた。
「さーてと♪とりあえずこの辺から始めるよっ! ええとね、手束てねるのは俺がやるから、とりあえず刈っちゃって。そーだな、これっくらいずつ束にして置いといて?」
手束てねるって?」
「束にしてくくっちゃうこと。架けるための横木…なる・・っていうんだけど、それにひっかけるのに、刈ったままじゃ無理だからね。束にして逆さに吊すワケ。あ、ドライフラワーみたいな感じ?」
「紐はどうするの?」
「ほら、これこれ」
 タカヒロが腰の後ろで横様よこざまに括った稲藁の束を指す。
「え、これで?」
「長さはこれで丁度なんだよ。んーとね、一寸待って…」
 そういいながら足元からさくさくと数株を刈り、稲藁の束からすっと5~6本ほどを引き抜くと…くるくるっと巻いて綺麗に束ねてしまった。
「一丁あがりってね」
 そう言って藁束をぽいっと畦へ投げる。
「凄いっ!いつ結んだのか判んなかった!」
 まるで手品でも観たように、レイが拍手する。既に軍手を嵌めているからぽふぽふと気の抜ける音しかしなかったが。
「正確には結んでないけどね。捻って挟むだけ。でもきっちりやっとかないとバラけるから結構難しいよ?だから手束るのは俺に任しといて。タケルー、刈るほうの見本よろしく。
 はじめよっか♪ 鎌の数、たりてるよなっ?手ぇ切るなよ!」
 良く晴れているが、空気が比較的乾いているから然程に暑くは感じない。
 黒い土の上に整然と並んだ稲の株を刈り取り、先程示された程の束になったら纏めて置く。他の束と雑じってしまわないように適当な距離で置いておけば、後からタカヒロが次々と手束ていく。
 目付役で常について行っていたというタケルの作業速度は、加持が向こうで運転しているコンバインといい勝負だ。加持も流石に初めての機械らしく、おそらく比較的低速で動かしているのだろうが、緊張にやや顔を強張らせている。
「よっ、大丈夫か?」
 ナオキがレイでなくカヲルに声を掛けたのは、おそらくいろいろな珍しいモノに注意を惹かれて手が止まってしまうレイよりも、カヲルの方が疲労しているように見えたからに違いない。
「適当に水分補給、しろよ?結構汗かいてるぞ」
「そういうナオキは、あんまりやったことないって言いながら…結構手慣れてるよね?」
「や、タカヒロとタケルにゃ負けるね。ありゃ年季いってるから」
 そう言ってへらっと笑ったナオキが、カヲルの視線の先を見て言った。
「あのニイさんもそこそこやれてんじゃない?…まー、外車の結構お高価いやつ買えちゃう値段の機械だからなー。緊張するのは無理もないさ」
「…そうなんだ」
 軽く見積もっても数百万はするという話になる。
「あれ、けっこう型落ちだからそこまでしないとは思うけど、農業機械って結構高価いんだぜ?大なり小なり水がかかる作業環境だし、おまけに一年のうちに決まった季節に使うだけだから、メンテも大変だ。それでいて利が薄けりゃ、そりゃ農業人口も減るわなぁ」
「…それでも、作るんだね」
「んー…土地を荒らさないためにはやっぱ、いくら利が薄くても作り続けるしかないってトコ、あるからな。いちど荒らした田んぼって、なかなか元に戻すのは難しいんだってさ」
 その時、レイが小さな藁のボールのようなものを手に載せて走ってきた。田んぼの土は表面はともかくまだまだ湿っていて、時にひどくめり込むから走るのは結構難儀な筈だが、レイは相応に要領がいいらしい。
「ね、カヲル!これ何だろう。刈り取った束の中に入ってたの。誰が作ったのかな?」
 掌に載るほどの、藁のボールである。小さな穴があいている。
「何かの巣かな…」
「カヤネズミ」
 うっそりと、手を止めたタケルが言った。
「もう、いないと思う。巣立った後」
「こんなにちっちゃいの?」
「大人でもこれくらい。あ、尻尾は別」
 タケルが親指を立ててみせる。そしてまた黙々と作業に戻るから、一同また作業を再開した。レイはその藁のボールをそっと畦においてきてから、作業の列に加わる。
「まだまだいるんだねえ、カヤネズミって。絶滅危惧種 2 って聞いてるけど」
 ナオキがのんびりと言った。
「稲を食べてるの?」
 刈りながら、レイが訊いた。
「いや、少しは喰ってるかも知れないけど、どっちかって言うと田んぼに生えてる雑草…ひえとかあわな、そういう草の実を食ってるらしいよ。あと虫。どっちかっていうと益獣じゃないかって話もあるって…どっかで読んだな」
「へえ、草取りとか、虫取りしてくれるんだ」
「まー、サイズがサイズだから逆にカマキリあたりに捕食されかかったりすることはあるらしいよ」
 タカヒロが笑いながら言った。
「哺乳類が…虫に捕食される?」
 カヲルは思わず想像してしまう。まるで怪獣映画の世界だ。
「あんまりちっちゃいからカマキリの方が虫と間違えて捕まえたのかもしれんけどね。昔、カツミがカマキリに捕まったカヤネズミ助けた事があるって言ってた。残念ながら恩返しには来なかったらしいけど」
「綺麗な姐さんに化けて来てくれたら楽しかったのになぁ」
「カヤネズミの恩返し?」
「もしくは、雪の朝に外に出てみたら稗と粟といなごが山と積んであったりとか」
「稗と粟はともかく、蝗は勘弁して欲しい。確かに地蔵さんなら米とか小判だろうけど、カヤネズミじゃあなぁ…」
 ――――莫迦話に興じながらも手は止まらないから、作業は効率よく進んでいく。
 加持が運転する機械も快調なようで、あっという間に切り刻まれた藁の原っぱに点々と籾が充填された袋が置かれる風景が広がっていった。
 その一方で、タカヒロとタケルはどこからか竹の束を担いで来る。
「掛木、立てるよー?」
 束は1.5~2m前後の長さで切り揃えられた、直径3㎝ほどの竹だ。昨日今日伐ったものではなさそうで、表面が枯野色になっている。2~3本ずつ1カ所で括られていた。
「コレね、掛木の足。三脚の要領で立ててね、なる・・を渡す訳。なる・・ってのが、あっちの長いやつね。時々蜂が巣をかけてることがあるから気を付けて。なんかぶんぶんいってたらすぐ逃げんだぜ?」
 そう言って畦にいつの間にか積まれていた…ゆうに6~7mはあろうかという長さの竹を指した。
「あんなモノ、どこから?」
 カヲルが傍らのナオキに訊くと、事もなげに言った。
「どこからってホラ、向こうの山見てみ。全部竹だろ。まあ、なる・・に出来る程の竹っていうとそれなりに選ぶんだけどね。あれも今伐った訳じゃなくて、伐っておいとくの 2 。来年も使うしな。
 あんな長いものしまえる倉庫なんてないから、使い終わったら田んぼの脇に小屋かけてつくねとくんだけど…よく蜂が巣かけるんだよね。冗談じゃなく。ホント、気をつけろよ?」
 その間にもてきぱきと掛木を準備したタカヒロが稲藁を拾って言った。
「えーっと、この長い竹にこんなふうにして…かけてって。できたら足とクロスするところから先に何束か架けとくと、掛木が安定するから。後は適当」
 二股に捻って足の部分と長い竹の交点にひっかけてみせる。藁束の重みが掛かるのだろう、竹の掛木はしなっても安定している。
「…と、タカ。ぼちぼち休憩?」
 ナオキが畦道の方を指して言った。麦藁帽子にジーンズスタイルの人影が二つ、立って両手を振っている。
「やほー、レイちゃーん、大丈夫ー?」
 ミスズとユカリであった。バスケットを抱えている。
「あ、おやつタイム?いいねえ。あ、カヲル。あのニイさんにも声掛けてやって。丁度機械止めたとこみたいだから」
 タカヒロに言われて、カヲルはふと機械の音がしていた方を振り返った。先程まで田んぼの真ん中辺りで最後の列を刈っていたが、まさにエンジンがゆっくりと止まったところだった。
「…ご苦労様」
 乗用機械の座席は高いから、まともに見上げるような格好にはなる。エンジンを止めてレバーに凭れている加持に、カヲルはそう声を掛けた。慣れない機械に少々緊張したか、少々くたびれた態の加持だったが、カヲルの声にひょいと身を乗り出す。
「おう、どうだい?へばってないか?」
「僕はそれほどでも。その台詞、そのままお返ししますよ」
「はは。借り物の機械ってのは緊張するね。これが会社だの組織だのの備品ならまだしも、個人所有だしなぁ。壊したらゴメンじゃすまないし、やぁ緊張した緊張した」
 そう言ってするりと運転席から降りる。
支援物資おやつと飲み物の到着のようですよ。休憩時間だって」
「ありがとう」
 カヲルはワイシャツにだらしなくぶら下げたネクタイ姿よりも余程板についている野良着姿の加持を見た。知らず、口許が綻ぶ。
「そんなに可笑しいかな」
「いえ、似合ってますよ。タカヒロが褒めてました。いいセンスしてるって」
「へえ、タカヒロ君がかい」
「ああ、服の話じゃなくて。野菜作ったりとか、してるんですってね」
 カヲルは笑った。
「ああ、葛城の田舎で手伝ったりしてるうちになんとなく、ね。結構面白いぞ。何て言うか…生きてる、って気がするな。土いじってると」
「…以前は、そうじゃなかったんですか?」
 ふと、口をついて出た問いに、カヲル自身も小さな驚きを感じていた。だが、問いを投げかけられた方もふと立ち止まって空を仰いでしまう。
「そうだな、あの頃は…自分が生きてるんだか死んでるんだかわからない感じはした…な」
 ジャーナリストとして活動する中でゼーレの闇に踏み込んだこの男は、なし崩しにカヲルとゼーレの間で綱渡りをする羽目になり…ゼーレの消滅で突然宙に放り出された。
 そう誘導したのはカヲルだ。碇ユイ博士と、レイを、そして自分を護るために利用した。挙句…カヲルは一方的に連絡を絶った。カヲルにもその自覚はある。しかし、加持が何も出来なかったことにずっと忸怩たる想いを抱え続けていたことを理解できたのは、割合最近のことではあった。罪悪感というほど深刻なものではなかったが、カヲルとて「悪いことしたな」程度の認識はあったのである。
「加持さん…楽しいこと、みつかりましたか?」
「まあね。…君は、どうなんだ?」
「そうですね…それなりに日々が楽しい、と思えるようになりました」

 何故だろう。以前、この人物を別の名で呼んでいたような気がするが、思い出せない。別の時間軸のことを考えていた所為かもしれない。只の思い過ごしかも。
 ピックアップトラックに積んであったパラソルが木陰近くに立てられ、臨時の休憩所が出来上がっている。そこで冷えた飲み物や菓子を広げている中にレイの姿を認め、カヲルは目を細めた。
 レイがこちらに気付き、立ち上がって手を振っている。小さく手を振り返して、カヲルは言った。

「…神は天にいまし、すべて世はこともなし…ってね」

  1. 稲架け…稲を刈って、20~30㎝径の束にしたものを干して乾かす行程。このとき稲束を架けるために用いられるのが「なる」と呼ばれる横木で、三脚を立てて間にこの「なる」を渡してそれに稲束をかける。
  2. バインダー…稲を刈って束にする機械。ただし大規模農家はほとんどコンバインで一気に稲扱いねこぎまでやってしまう。