SEED OF FUTURE

 陽は傾き、周囲は刻一刻と暮色を深めている。
 手刈りされた稲藁はすべて架けられている。機械で収穫された籾は既にトラックで運ばれた。機械は撤収され、黙然と佇む稲架けされた稲束の足元には、刻まれた藁が丁寧に敷き広げられている。
 稲架けの作業そのものは昼には終わっていた。あとは籾袋をトラックに積んで倉庫へ運んだり、刻まれた藁を散らすといった作業だ。使わなかった支柱を片付け、ついでといって周囲の草刈りをし…間で道の脇にある栗を拾ったり。一日があっという間だった。
 最後の籾袋を積んだトラックが出るのを見送って、カヲルは畦道を歩き始めた。後はトラックが戻ってくるまですることがないのだ。トラックがもどってきたら、道具の類を乗せて後は帰るだけ。
 休憩は適宜とっていたが、流石に疲れたのか。レイは畦道に両足を投げ出していた。カヲルははレイの座っている傍らに腰を下ろして問うた。
「…疲れた?」
 そう問うと、レイは笑って首を横に振った。夕陽を受けて、輝くような微笑がそこにある。
「楽しかった! 何でって言われても良くわかんないけど、すごく…してみたかったんだ。
 うん、そうだ…稲刈り、したかった。  あ、できたら来年は田植えもしてみたいなぁ」
「…そう。よかった。来年は、こっちから頼んでみようか」
 カヲルも笑った。今度のことは、あるいは確かに何かを思いだした所為なのかもしれない。そしてそれは、『観測』をしたらしいタカミの様子から察するに、決して幸福な状況ではなかったのだろう。その時、カヲル自身がどういう状況にあったのかもわからない。こうして、傍にいることができたかどうかさえ。

 …いや、知らなくても、いいのかもしれない。今、こうして…目の前でレイが笑ってくれるなら。

 幾重にも並んだ稲藁の衝立ついたての周囲を、蜻蛉とんぼが舞っている。日中はアブラゼミの声がかまびすしかったが、いまはヒグラシの声ばかりだ。耳を澄ませると、草の中でコオロギが鳴き始めているのも聞こえた。
 少しずつ、風が涼しくなってゆく。
「いつも何気なく食べてるけど、大変なのよね、お米つくるのって。まだあと稲扱ぎして、籾摺りして、えーと…」
 レイが指折り数えてネットで調べたらしい手順を反芻していると、土手の上からタカヒロの声が降ってきた。
「籾摺りおわったら玄米だから、あとは精米して炊くだけだよん♪ 
 あ、コレ食べない?よく熟れてるから手で皮剥けちゃうんだ」
 そう言って土手の上に植えられていた無花果いちじく 1 を二つばかり放って寄越すから、カヲルが慌てて受け止めた。
 先程まで草に巻かれて所在すら気付かなかったが、午後からの草刈りで無花果がたわわに稔った姿を現したのだ。タカヒロが自分でも一つ剥きながら言った。
「いまでこそ籾摺りするのに水分量多すぎたら乾燥機かけるだけだけど、昔は筵敷いて天日で籾、乾かしてたんだよ?籾を広げたり袋に収めたりするのがこれまた難儀でさ、細かい藁屑が服ン中入り込んで結構ちくちくすんの。でも、干した籾の匂いって、お陽さんの匂いと似てて…なんかほっとするんだよ」
「馴染んでるね。まるで生まれたときから此処にいるみたいだ」
 カヲルがそう言うと、タカヒロが照れくさそうに笑う。
「へへー。そう言って貰うと嬉しいね。実は俺、日本に渡るまでこういうのに全く御縁がなかったんだ。物心ついたら今で言うストリートチルドレンやってたし、その後は収容所…じゃねえや、研究所暮らしだろ? 手間暇かければ食べるものが自分で作れるってことが、ものすごく新鮮でさぁ…」
 そう言って笑ったタカヒロが、かつてフランツと呼ばれていた頃の姿を…レイは元より、カヲルとて実際に識っている訳ではない。かつてタカミを通してリロードされたヨハン=シュミットとしての記憶の中にあるきりである。収容所に送られる前の話に至っては本当に初耳だった。
 無花果を一口囓って、タカヒロが言った。
「さっき散らしてもらったあの藁ね、最終的には堆肥なんだよ。雨が降って、濡れたら腐るでしょ。んで土に戻るから、春先に鋤き込んじゃう」
「…土から生まれたから、土に返すんだね」
 レイが感心したように言うのを、タカヒロはちょっと驚いたような顔で見た。
「そーいわれりゃ、そうかなぁ…。うん、撒いて育てた分け前貰ったら、ちゃんと土に返してやるってのがスジってもんだよな。いいこと言うねえ」
「ところで、あの袋…半分くらいの。あの籾って乾燥に出さないんだね。どうするの?」
「あ、あれは来年の種籾にすんの。種籾ってね、毎年買うところが多いんだけど、もともとは収穫できた籾の一部を置いて、次の年の苗をつくってたんだ。来年はあの籾から、田んぼがまた緑で溢れるってわけ。あの中には、未来が詰まってるんだよ」
 そういうタカヒロの眼には、もう来年の青々とした苗の姿が見えているようだった。
 レイは、畦道に何気なく置かれた籾袋をまじまじと見て…呟いた。

未来の種子SEED OF FUTURE…」

「え、今日はお泊まりなの?」
 借り受けた古民家に帰ってみると、今日採れたばかりの栗で炊いたと思しき栗御飯の芳香が漂っていた。
「あれ、言ってなかったっけー? 多分一日仕事だし、ここのお家が借りられたし、何て言っても汗だくの格好でまた長時間車揺られるのもね。今日は皆でお泊まりして、明日の朝帰るんだよ。だから、着替え持っておいでねって言ったつもりだったんだけど」
 眼を丸くするレイに、ユカリが夕食分と思しき味噌汁の塩加減を見ながら言った。
「そう言えば、着替えは持ってきてた…。私てっきり、帰る前にシャワーか何か浴びられるから着替え要る、と思ってた。そっかぁ、お泊まりかぁ」
「そのために私たちがこっちで一日お掃除してたんだよ? 田んぼのことと一緒に頼まれてたんだ。あ、お風呂はねー、ここにもあるけど近所に温泉あるから後で一緒に行こ♪」
 ミスズが食器を整えながら言った。
「いやぁ、綺麗になったもんだわ。流石ねー」
 その時、縁側からひょいと入ってきたのはミサトである。危うく蚊取り線香を蹴飛ばしそうになってサイドステップしたものの、それ以上よろめくこともなくたてなおす。夕食につかうテーブルを準備していた加持が手を止めて振り返った。
「おう、お帰り。葛城」
「はい、ただいま。皆、ありがとねー。今病院のおじさんトコ寄ってきたけど、ものすごく喜んでたわよ。田んぼのことだけじゃなくて、ここのところ家にも手が入れられてなかったから気になってたって。家にあるものは何でも好きに使ってくれってさ」
「あ、あそこの田んぼの持ち主の人って、此処に住んでる訳じゃないんだ?」
「ええ、そうなの。なんだかんだ言って不便だしねー。おーお、ちょっとした民宿かってくらい片付いちゃって。いいわねー、稲扱ぎのときにもまたみんなでぱあっとやっちゃおっか?」
「あ、それいーねェ」
 タカヒロが調子を合わせて盛り上がる。
 そんな中、カヲルはあることに気づいて携帯電話を探った。
「どうしたの?」
「泊まりになるってこと、タカミに言ってなかったなって思って。…あれ、少し電波が弱いな。レイ、ちょっと出てくるよ。庭に出ればアンテナもう一本くらい立つかも」
「うん、涼しくなると蛇とか出るかも知れないってタカヒロ君が言ってたから、気を付けてね」
 そう言えばそんなことも言っていたな、と思いながらミサトと入れ替わりに縁側から外へ出る。
 沓脱石の上に置かれていた下駄を失敬して庭先を歩き、丁度道と庭の境界辺りまで出ると…ようやくアンテナが3本ほど立った。
 立ち止まってタカミの番号をコールする。しかし、数コールで聞こえてきた声はタカミのものではなかった。
【あら、カヲル君。丁度良かった。そろそろ連絡しようかと思ってた処よ】
「…赤木先生?どうして?」
 電話に出たのは赤木リツコであった。カヲルも一応番号は持っていたし、一瞬コールミスだったかと思わず画面を見直した。
【ああ、大丈夫よ。間違いなく榊君の携帯だから。彼、今日の研修中に倒れちゃってね。一通り検査したけど、多分迷走神経性発作 1 だと思うの。すぐに意識戻ったんだけど、昨日あまりちゃんと眠れてなかったみたいでね。何だかフラフラしてるくせにまだ動こうとするから、補液に雑ぜて鎮静剤打ったのよ。それが、標準量だったんだけどちょっと効きが強かったみたいで…まだ眠ってるの。
 仕方ないから今日はこのまま研究室ラボに泊まって貰おうと思って。あなたに連絡しなきゃねと思ってた処だった】
「それは…ご迷惑をおかけして」
 …多分、寝不足プラス『観測』での消耗というところだろう。…全く、言わないコトじゃない。
【そういうわけでごめんなさい、今夜一晩は預かるわね。私もこのまま泊まるから】
「すみません赤木先生。じゃあ、伝えて頂けますか。僕らも今日は出先でそのまま泊まることになったからって」
【ああ、ミサトが言ってた件ね。稲刈りですって?お疲れ様。楽しかった?】
 映像が出るわけではないが、彼女の微笑が見えた気がした。
「食べることって大変だけど大切だって…身を以て理解したところですよ。
 …じゃあ先生、すみませんけど、タカミをよろしくお願いします」
【ええ、今夜一晩ちゃんと眠れば大丈夫と思うわ。問題があればまた連絡するから、楽しんでらっしゃい】
 電話を切った後、星が瞬き始めた空を仰ぐ。
「そっか…タカミは赤木先生とお泊まり、と…心配することなかったな」
 口に出してしまってから、あらぬ誤解を招きかねない表現だったことに気付いて思わず口を手で覆う。…だが、遅かった。
「え、そうなの!?」
 素っ頓狂な声に振り返ると、そこにいたのは幸いなことにレイだった。
「ああ、今朝のタカミ、具合悪そうだったろう?案の定、研修中にひっくり返っちゃったんだってさ。今日は赤木先生が看ててくれるらしいから、何も心配ないよ」
「何だ、そういうことか。ちょっと吃驚しちゃった」
「ははっ…聞かれたのがレイで良かった。これが葛城さん辺りだったら、とんでもないことになるところだったね?」
「言えてる」

 ――――そして二人で、顔を見合わせて笑った。

  1. どういうわけか田んぼの畦にはよく植えてある。